聖金口イオアン教訓下/第58講話

第58講話 編集

<<しゃ過度かどかなしむなかれ>>


しゃば、ぢ、こえなうしてよこたはるに注意ちゅういせず、かれ復活ふくかつして、いふべからざる、おどろくべき、奇異きいなるさかえをうくるをおもふべし、おもひ現在げんざいところのものよりらいぼうのぼすべし。さりながらなんぢ習慣しゅうかんしたがふ、ゆえかなしかつくか。しかれどもこれかいにあらずや。たとへばなんぢじょせしめんに、もしおっとかれたづさへ、りてえんき、彼処かしこにありて幸福こうふく生活せいかつするならば、これをこうとはおもはざらん、なんとなればきょかなしみはかれ幸福こうふくことくをもつげんぜらるべければなり、しかれどもこゝになんぢ親族しんぞくとりものひとにあらず、またなんぢおなじきあるぼくにもあらずして、しゅみづかたまふなり、しかるをなんぢかなしかつなげくか。なんぢはいはん、かなしまざらんことはいかんしてひとあたふべきやと。われ此事このことをいふにあらざるなり、またかなしむをきんずるにもあらずして、かなしむことの過度かどなるをきんずるなり、けだし過度かどかなしむは分別ふんべつなる、喪心そうしんなる、かつじゃくなる霊魂たましいぞくすればなり。すこしくかなしめよ、すこしくけよ、つぶやくことなかれ、落胆らくたんすることなかれ、悔恨かいこんすることなかれ。りしもの感謝かんしゃせよ、りしものかざりて、かれきよらかなる葬服そうふくせよ。もしつぶやくならば、せしものかなしませ、りしものいからせ、自己じこにはがいあらん、さりながらもし感謝かんしゃするならば、かれをもかざるべく、りしものをもさんすべくして、自己じこにもえきをなさん。なんぢくはしゅわれためゆべからざるかなしみのそく界限かいげんとをさだめて、ラザリためたまひしごとくなるべし。さればパウェルごとくいへり、いはく『兄弟きょうだいせるものいたつてはなんぢらざらんことをほつせず、のぞみをもたざるものゝごとかなしむなかれ』と。かれいへらくかなしめよ、しかれども復活ふくかつたずまた来世らいせいしんぜざるきょうじんごとくなるなかれ……。