<<凡そ主を畏れて其の途を行く者は福なり〔聖詠百廿七の一〕>>
此の神の途はいかなる途ぞ、これ徳行の生活にあらずして何ぞや。我等はこれに由りて天に昇り、生国に達して、神を親く見、人に能くするだけ神を暁ることを得ん。名づけて其の途といふはこれに由りて神に昇るを得るによるなり。且や預言者は途を単数にていはず、複数にていふは、途の多数にして種々あるをあらはすなり。神が多くの途を設け給ひしは、途の富めるを以て我等の為に神に昇ることの容易からんが為なり。人類中甲は童貞を以て光り輝くべく、乙は夫婦の生活にて讃美せらるべく、丙は寡たるを以て飾られん、一はすべてを擲ち、他は半をすてたり、彼は義しき生活にて昇るべく、此は悔改にて昇らん。かくの如く神が多くの途をまうけ給ひしは、汝の行くに便ならんが為なり。汝は洗礼の浴盤に入りし後、己の身を潔く守ることあたはざりき。汝は悔改にて己を潔うすることを得べく、富と施とを以て潔うすることを得べし。されども汝に富無らんか。病者を看護し、獄にある者を訪ひ、一杯の冷水をあたへ、旅者を自分の家にうけ、寡婦の如く二「レプタ」を投じ、哀む者と共に哀むことを得ん、これも亦施なり。さりながら汝は赤貧洗ふが如くして、身体も弱く、歩行するだに能はざらんか。すべてこれを感謝と共に忍耐すべし、然らば大なる賞をうけん。ラザリの徳行はかくの如くなりき。彼は誰にも金を以て助けざりき、自ら欠く可らざる食物だにあらざりき、然るを如何んして此を為し得しや。彼は病者を訪はざりき、自ら犬に舐められたりき、然るを如何んして此を為し得しや。さりながら此等の行なくも彼は勇気にしてすべてを忍耐したる徳行の為に賞を獲たり、彼は栄華に乗じて残忍無情なる者を目撃し、己はかくの如く貧なるにも拘らず、一の不適當なる言だに発せざるを以てこれを獲たりき。故に彼は當時富者の門前に動かず横はりて、死者に勝さる所幾くもあらざりしに拘はらず、アウラアムの懐を嗣げり、かくの如く多くの徳行をなせる「パトリアルフ」と共に賞せられ、讃美せられて、其の懐に置かれたり、施を散ぜず、侮らるゝ者に手を仮さず、旅者をうけず、其他かくの如き事を一も為し能はざりし者は、たゞすべての為に神に感謝したるを以て光りかゞやく栄冠をうけたりき。眞に大なる行は感謝と、明哲と、かゝる苦難の間に在つて忍耐するとにあり、これぞ高尚の徳行なる。これが為に約百も褒章せられたり。故に魔鬼も謂て曰く『皮をもて皮に換ふるなれば、人はその一切の所有物をもて己の生命に換ふべし、然ど今なんぢの手を伸て彼の骨と肉とを撃ち給へ』〔イオフ二の四〕。なやみくるしめる霊魂を制し、これをして何に於ても罪を犯さゞらしむるは小なる行にあらず。是れ致命者の行に等し、是れ徳行の頂上なり。