聖金口イオアン教訓下/第4講話

第4講話

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<<ハリストス万善ばんぜんいづみなり>>


われはみなかれ円満えんまんなるうちよりうけて、恩寵おんちょう恩寵おんちょうくはへらる』〔イオアン一の十六〕と、これいかなるか。けだし福音者ふくいんしゃへらく、かれハリストスにあるたまものほかよりれるにあらず、かれ万善ばんぜんみなもとなり、根本こんぽんなり、そんする生命いのちなり、ゆうなるひかりなり、ぜんなるしんなり。かれ諸善しょぜんとみ自己じこにおさへとゞむることをなさずして、しかもこれを衆人しゅうじんにそゝぎ、かつおほいにこれをそゝぐも、みづからはつね充満じゅうまんなるものとしてそんすなり、あつほどこすもみづからはさら減少げんしょうせず、つねいだしてもろもろぜん衆人しゅうじんあたふるも、みづからはおなじ完全かんぜんにしてそんするなり………。うみより点滴したたりわかつべし、さらばたとへその減少げんしょうみとざらんも、これによりて海水かいすい減少げんしょうせん。さりながらいづみにはこれをいふことあたはざるなり、いくばくこれをむといへども、かれすこしも減少げんしょうせざらん。