<<ハリストスは万善の泉なり>>
『我等はみな彼の円満なる中よりうけて、恩寵に恩寵を加へらる』〔イオアン一の十六〕と、これいかなる義か。けだし福音者の意謂へらく、彼〈ハリストス〉にある賜は外より借れるにあらず、彼は万善の源なり、根本なり、自存する生命なり、自有なる光なり、自全なる眞理なり。彼は諸善の富を自己におさへとゞむることをなさずして、然もこれを他の衆人にそゝぎ、且大にこれをそゝぐも、自らは常に充満なる者として存すなり、他に厚く施すも自らは更に減少せず、常に出して此の諸の善を衆人に與ふるも、自らは同く完全にして存するなり………。海より点滴を分つべし、さらばたとへその減少を認め得ざらんも、これによりて海水は減少せん。さりながら泉には此をいふことあたはざるなり、幾ばくこれを汲むといへども、彼は少しも減少せざらん。