<<まづ敬虔を守ることを勉むべし>>
我等は己の霊魂を堅めん、然る時は仮令我等は富をを失ふの患に遭ふとも、仮令死すとも、たゞ誰も敬虔を我等より奪去るものあらずんば、我等は悉くの人より福なり。ハリストスも此を誡命し給へり、曰らく『蛇の如く智なるべし』〔マトフェイ十の十六〕。蛇はたゞ首をさへ救ふならば、全体を失はんと欲す、かくの如く汝もたゞ敬虔をさへ守るならば、仮令富を失ふとも、仮令身体をうしなふとも、仮令現生をうしなふとも、仮令一切をうしなふとも、憂ふるなかれ、けだし汝これを以て世を逝るときは、神は一切を大に光輝にして汝に復すべく、身体を大に光栄にして復活せしむべく、富に代へていかなる言もいひあらはすことの能はざる幸福を汝に與へんとす。約百は千次死に瀕して、最苦しき生涯を送り、裸体にして糞土の上に坐せしにあらずや。さりながら彼は敬虔を捨てざりしにより、健康も、身体の美も、群がる子供も、財産も、すべて以前にありしものを再び余り有るを以てうけたり、特に重要なるは彼は忍耐の光かゞやく栄冠をうけたりき。たとへば樹の如し、仮令誰か果実と共に葉を捩取るといへども、仮令悉くの枝條を伐去るといへども、もし根の存するあらんには、樹は新にすべて完全に、且更に美麗に成長せん、かくの如く我等にも敬虔の根の存するあらんには仮令富を奪はるゝとも仮令身体を害はるとも、すべては更に大なる光栄を以て我等に復帰らん。