<<身上に於て大なる慎戒を守るべし>>
『汝は諸の網の間を行き、市の圍牆に循て過るを知るべし』〔シラフ九の十八〕。アヽ此の諭言は、これに善の籠ること幾何なるや。各々これを己の心にしるし、常にこれを記憶にとめん。さらば我等易くは罪を犯さゞるべし。我等これをしるさん、さりながらまづこれを全く子細に研究せん。彼は『網の間を行くを』見るべしといはずして、知るべしといへり。其意謂へらく網は隠るゝものなり、然れども死も公然とあらはれず、亡びも顕然と来らずして、いづれの方面よりも見えず、かくれて前に在る時は、是れ亦網にあらずや、故に知るべしといふなり。大なる慎戒と子細なる注意とは汝に要用なり、けだし児童の網を土にて掩ふが如く、魔鬼も罪を浮世の満足にて掩ふなり。さりながら子細に考究して知るべし、さればもし利益のあらはるゝあらば、たゞに利益を見ずして、此の利益の中に罪と死とのかくれ居らざるや否やを子細に考究せよ、而してもし此を発見するときは遠く走り避くべし。又楽みと満足のあらはるゝあらば、たゞに満足を見ずして此の満足の裡面に何か不法の隠れ居るあらざるや否やを穿鑿せよ、而してもし発見するときは遠ざかれよ。誰か汝に勧めんか、或は諂はんか、或は好く勤めんか、或は名誉又は其他何なりとも約するあらんか、すべて子細に考察して、八方より点検せよ、勧めにより、或は名誉又は好勤により、我等に何の害あらざるか、又は何の危きあらざるかと、然らば易すく且は図らざるに誘はるゝことあらざらん。もしたゞ一二の網のみならんには、これを用心することもたやすかるべし、さりながら今やソロモンは網の無数なるを示さんが為に、如何にいふを見るべし、彼は『網の間を行くを知るべし』といへり。『網の傍を行く』といはずして、『網の間を行く』といへり。我等には左右に深淵あり、前後に詭計あり。或者は市場に来りて敵に遇はんか、彼は此の一見によりて、忿怒の心を起さん、或者は善き意見の行はるゝ友を見んか、さらば猜忌の心を起さん、貧者を見んか、軽侮の心を生ぜん、富者を見んか、欣羨の心を起さん、美人を見んか、心を奪はれん。至愛者よ、汝は幾多の網を見んとす、故に智者はいへり『網の間を行くを知るべし』と。それ家にも網あり、食膳にも網あり、集会にも網あり、或者は朋友の間に於て、何か発言すべからざる言を軽しく証言するあらんか、全家を覆す程の禍を招くこと屡これあらん。故に八方に注意して、事物を視察せん。不注意者の為には妻も網となること屡これあり、子も、朋友も、又隣人も網となること屡これあるべし。汝はいはん、何故網はかくの如く多きやと。これ我等下に向はずして上にあるものを尋ねんが為なり。それ鳥は高く空中に翔る間は、これを捕ふることたやすからざるなり、かくの如く汝も上にある者に向ふ間は、網又は他のいかなる狡計を以てもたやすく捕へられざらん。魔鬼は捕鳥者に似たるあり。されば汝は高く彼の係蹄より上にあるべし。高きに昇りし者は浮世の事に驚かざらん。我等山の嶺に登る時は、市街も城壁も我等には小さく見え、地上に往来する人々は蟻の如く見ゆるなり。かくの如く汝も哲理の高き思想に登る時は、地上にあるものは一として汝を驚かすことあらざるべし、却て汝は天にある者に注目するにより、富も、栄も、権勢も、尊貴も、他のすべてこれに類する者も、みな汝には小さく見えん。かくの如くパウェルにもすべては小さく見えたり。現生の光輝は死骸よりも無用なるものゝ如くに見えたりき。故に彼は號はりていへり、『我が為に世は十字架に釘せられたり』〔ガラティヤ六の十四〕。故に彼は我等にも勧めて『上にある者を念へ』〔コロス三の二〕といへり。上にある者とは何ぞや。上にあるいかなる者をいふか、我に告げよ。日邊、月處を指していふか。曰く否、さらば何の処なるか、神使、神使長、ヘルウィム セラフィムの居る処なるか、曰く否、然らば何の処なるか、これ『ハリストスが神の右に坐する処』をいふなり〔コロス三の一〕。故に我等は網に係れる小禽の事を聴て其の如何なるを不断に思はん、羽は益なく、翼を搏つも空しく徒然ならん、かくの如く悪慾の権下に陥りしならば、霊智も汝に益なかるべく、汝幾ばく翼を搏つとも汝は擒とならん。鳥に翼あるは網を逃れんが為なり、人々に霊智あるは罪を逃れんが為なり。されど我等無言者よりも愚なる時は、何の宥免も何の弁解もあらざらん、一たび網にとらへられてこれより飛逃れたる小禽と、又網に係りて其後逃去りたる牡鹿とは、再びこれにかゝること易からざらん、何故なれば実験は彼等の為に用心の師となればなり、然れども我等はしば〳〵同一の罪に捕へられて、同くこれに陥るのみならず、然も智あるを以て貴き所の者は、無言者の預戒と用心とさへ傚はざるなり………。故に我等は網を知り、これより遠く離れて行かん、巌牆を認めて其下に近づかざらん。我等はたゞに罪を避くるのみならず、たとへ判然と見分るあたはざるも、我等が為に失脚して罪に落るの虞あるものは、之を避くるときは全く安然ならん。