浮世の有様/1/分冊5

目次
 
伊勢講百人一首換へ歌鳥づくし百人一首換へ歌僧徒の非行草木の病、流行
 
オープンアクセス NDLJP:176
 
御蔭耳目 第二
 
 
ゑつさぶしの流行
 

文政十三年諸家謹御聞者参宮之大近道者能町野崎道住之掌自夫清滝観音堂江出従夫東江行木津江出淀夫清水江左之方江行

文政御陰

庚寅三月改笠間山之谷間一里半行杣人之住家有四五軒自夫不世山之根段々行有大石之地蔵尊従夫東江行外宮之橋織江出自大坂十四里半


也寅の年春、○燕脂郎ハしやれ者浪華道頓堀芝居二の替り狂言に、傾城雪月花といへる外題にて、石川五右衛門が事を作りぬる芸なり。其芝居にて、江戸役者瀬川路之助と云へる燕脂郎の、エツサツサといへる節付けし、小唄謡ひぬるが、世間一統に流行る様に成りて、立つ子・ゐぎる子までも、エツサツサと云ひて、此唄を謡はざるは無かりしが、七十に余れる老人の、是を聞きて、「此歌の流行りし節は先年御蔭参りのある前に専ら流行し、吾等も是を謡ひしに、間もなオープンアクセス NDLJP:177 〈[#図は省略]〉 オープンアクセス NDLJP:178く、御蔭参り始まりぬ。夫より六十年に及びぬれば、程なく御蔭有る前表なるべし」と云ひしを、覚束なき事と思ひしに、間もなくして、阿波国より浮れ出でて、其事始まりぬるにぞ、天口なしと雖も、人をして云はしむるの前兆なりしと思はる。故に戯れたる業にはあれども、其歌は更なり。御蔭参り始まりて後に至り、追々に板行に摺り出だせる戯れ事をも書付けぬるは、後年に至りても、其有様を知るに足ればなり。されども余りに其数多きが故に、こゝに記しぬるは、十にして其一つにもあらず。余はこれにて思ひ計るべし。

ことし御蔭に売れたる物を数ふれば、笠に茣蓙・杓・草鞋わらんぢや、脚袢に甲掛・飯行李、御蔭でさ売れたとせ。

伊勢で宇治橋外宮に内宮に相の山、お杉・お玉がひく三味は、島さん・元さん・中乗さん、御蔭でさ抜けたとせ。

弥生汐干に住吉浜辺へ出で見れば、淡路島まで見え渡る、娘子の蛤つまみたい、御蔭でさ抜けたとせ。

 
天下随一之御奇瑞
 
​文政十三年庚寅五月新刻​日本最上天下随一之御奇瑞​ ​       ​京縄手右門前​​ 書林、叶屋喜太郎板、​​ ​

     内宮御鎮座

人皇十代崇神天皇の御宇迄は、天子と御同殿にましますと雖も、神威を恐れさせ給ひ、皇女豊鋤入姫命へ、天照皇大神宮を守らしめ給ふ。其後十一代垂仁天皇廿六丁巳年、皇女倭姫命相代らせ給ひて、皇大神宮を斎き奉り、同年九月十七日、伊勢度会郡五十鈴川上へ鎮め奉り給ふ。今の内宮なり。文政十三庚寅年迄千八百三十四年になる。


     外宮御鎮座

人皇廿二代雄略天皇廿二戊午九月十六日、内宮の神勅によりて、丹州真井原与謝宮より、豊受皇大神宮を、勢州山田原へ迎へ鎮め奉り給ふ。今の外宮是なり。文政十三庚寅年迄千三百五十三年になる。

     御遷宮之式

オープンアクセス NDLJP:179人皇四十代天武天皇白鳳十四乙酉年九月、勅詔して正遷宮の儀式始まる。夫より已来此定式、廿一年目の九月毎に、造営なし給ふ。文政十三庚寅年迄千百四十六年になる。

     御蔭参り故実

神代の昔御鎮座ありしより、伊勢講諸国の男女参詣なす事、年々・歳々有りと雖も、おかげ参りとは称へず。有り難くも御聖代の御代になりて、宝永二乙酉年閏四月、日本六十余州津々浦々へ御奇瑞之れ有り、男女群集せしより、御蔭参りと号して、此時より諸国に伊勢講始まるなり。文政十三年迄百二十六年になる。

   神風や伊勢の浜荻踏み散らし御蔭参りの寐所もなし油烟斎貞柳

其後明和八辛卯年閏四月、お蔭参り先年の如し。文政十三年迄六十年と成る。

   天照らす神の恵の御かげとてひなも都も抜ける参宮荒木田守武、

おかげ参りの御奇瑞とかけて、大地震と解く、心は日本国が動く。

此節の富の札屋とかけて、女夫喧嘩と解く、心は挨拶の仕様がない。

   趣向した願ひ叶ふや抜参り。 板元、

松柏講、 福外講、 日の丸講、 民栄講、 みよし講、 玉元講 恵比寿講、 ゑぼし講、 堂島講、 神明講、 日御供講、 長久講、 松葉講、 大槌講、 松ケ枝講、 繁栄講、 ◇◇  講、 九重講、 ふじ元講、 大御供講、 イの字講、 酒栄講、 打出講、 天明講、 三種講、 みかげ講、 三栄講、 寿講、 住の江講、 卯の花講、 千歳講、 天満講、

オープンアクセス NDLJP:180 〈[#図は省略]〉

中富講、 地紙講、 大一講、 和泉講、 岩戸講、 相続講、 今出川講、 松竹梅講、 大黒講、 桜講、 八重梅講、 幾代講、 栄講、 御柱講、 常磐講、 弁天講、 瓢簞講、 弓矢講、

右にもれたる分は板元へ御知らせ下さるべく候。

 
御蔭百人一首
 
オープンアクセス NDLJP:181      御蔭百人一首百人一首換へ歌


天智天皇 秋の田のかり穂も多く国々の御蔭参りに家内連れつゝ
持 天皇 春もすゑ夏気にてらし白妙のかほもほすてふくらがりの山
柿本人丸 親の手を遂にはなれぬ稚子をさなごの御蔭参りは独りかも寝ん
山辺赤人 玉造に打出でて見れば白妙の餅の施行や銭はふりつゝ
猿丸太夫 おく露の道ふみ分けて参宮の声聞く時ぞ今朝は早おき
中納言家持 笠を著て通る娘の面ざしの白きを見れば皆ぬけにけり
安倍仲麿 劒先の振りさき見れば春日なる三笠の山ほど出し参宮
○つむハ満員也喜撰法師 わが庵は今朝程立つに宿屋つむ跡へ戻ろと人は云ふ也
小野小町 蚤虱移りにけりな著の儘に御蔭参りは雑魚寐せし間に
蝉丸 これや此の鄙もみやこも施せど施行の数は大坂がせき
参議篁 稚子も草鞋わらんぢ掛けてまゐりしと親には告げよ下向する人
僧正遍照 宮川の船の通ひ路いそぐなよせりこむ姿しばし止めむ
陽成院 宇治橋の上より落つる五十鈴川銭が積りて山と成ぬる
河原左大臣 里程みちのりの程さへしらず誰の世話下向する子の銭ならなくに
光孝天皇 人の為門中に出て茶をば汲む我接待に施主はつきつゝ
中納言行平 立分れはぐれた連も御師の宿爰とし聞けば今尋ねこん
在原業平朝臣 千早ぶるかみの幟を持つはむべ唐紅のしるしかくとは
藤原敏行朝臣 諸国から伊勢によるから寄さへや禰宜の通路人のつむらん
伊勢 御受かと短き夏の夜の目も合はで此度抜け出でよとや
元良親王 老ぬれば今はた同じ坊主なる身はかづらにて行かんとぞ思ふ
素性法師 今来んと云ひし連をば有明の安堂寺町に待出づるかな
文屋康秀 足弱に神の御蔭の有りぬればむべ山道も軽しと云ふらん
大江千里 忌服ものいみの懸る者こそ悲しけれ我身独の留守には有らねど
オープンアクセス NDLJP:182菅家 此度は何も取りあへず抜参り前垂れ掛の姿なりのまに
三条右大臣 名にしおはば大坂程の施行にて下向する迄有る由もがな
貞信公 送来る人も抜けたき心あらば今より参れ連となりなん
中納言兼輔 昔からわけて御蔭の御被は是非降るとてか不思議成らむ
源宗行朝臣 山里は日々に客こそまさりけれ宿家もどこもゆかぬと思へば
凡河内躬恒 心あてに借らばや借らむ初旅のおき惑はせる白菊の帯
壬生忠岑 唯独りつれ無く見えし抜参り杓振る計り憂き物は無し
坂上是則 天照らす神の使と見るまでに此処や彼処に降れる御祓
春道列樹 山川に橋をかけたるしがらみは流れもさせぬ助なり鳬
紀友則 雨且無し光長閑けき春の日としづ心なくぬけて行くらん
藤原興風 誰をかも知る人にせん伊勢参り揃の外の友ならなくに
紀貫之 旅はいさ心も知らず古市のはなぞ一夜の契りなりける
清原深養父 ぬけし子の親は育からあくる迄今日は何処いづくに宿や取るらん
文屋朝康 知らざりし親は一と度厳しきはさへぎり止めぬ玉造口
右近 叱らるゝ身をば思はず抜出し人の心の知れずもある哉
参議等 相の山お杉お玉に当てる銭余りてなどか残り有るべき
平兼盛 四分なれどやりに出にけり此度は発起したかと人の問ふ迄
壬生忠見 抜参伊達こきの名は立にけり人知れずこそ浴衣染しが
清原元輔 かへりきなかたみに人に押されつゝ闇り峠ゑひ越さじとは
中納言敦忠 相見ての今の心にくらぶれば昔にまさる御蔭なりけり
中納言朝忠 此事の知れてしあらば伊勢道の人をも吾もあわてざらまし
謙徳公 ぬける共云ふべき人は抜けやらで是も御受に因ぬべき哉
曽根好忠 施しを当てにする人飯をたべ行方も知らぬ旅の路かな
恵慶法師 伊勢参留守守る宿の淋しきに人こそ見えね砕は来に鳬
オープンアクセス NDLJP:183源重之 銭ををしみ岩程かたいおのれさへ砕けて物をやる心かな
大中臣能宣朝臣 施行宿飯を炊く日の夜はとめて銭を遣り宛人をこそ思へ
藤原義孝 たんと米貯へざりし宿屋さへ永くもがなと祈りける哉
藤原実方朝臣 斯とだにえやは合羽に杓笠やさしも知らじな呉る思を
藤原通信朝臣 施しを受くるものとは聞き乍らちと恥かしき初乞食哉
右大将道綱母 野に寝つゝ草の枕の明る間はいかに不自由な物とはか知る
儀同三司母 施しの行先まではかたければ杓を飾りの荷物ともがな
大納言公任 御蔭歳絶て久しく成りぬれど御祓降るとまだ聞えけり
和泉式部 有らざらむ此世の外の年寄が又の御受に逢ふ事もかな
紫式部 廻り逢ひて見しやそれ共わかぬ連又はぐれにし人群集ぐんしゆ
大弐三位 参らんか否やと伊勢の風ふけばいでそよ人にさそれぞする
赤染衛門 休らはで寝もせず道を夜通しにくらがり峠跡に見し哉
小式部内 侍伊勢迄は幾里の道の子を抱てまだふみも見ぬ嬶と嬶連
伊勢大輔 伊勢参奈良の宿屋へ押し掛けて皆此処の家にとまりぬる哉
清少納言 其れと見て例へ座敷は詰る共よも大坂の客は捨てまじ
左京大夫道雅 今は只家内抜けたと云ふ事を宿かへならでさす時節哉
権中納言定頼 御蔭ぞと阿波から和泉段々に顕はれ渡る伊勢の御利生
相模 亭主わび碌に風呂だに無き物を足もくちなん湯こそほしけれ
前大僧正行尊 路銀をも持たで裸体の抜参り腹より外に減る物も無し
周防内侍 杓と笠買ふばかりなる一人住み著の儘立たん身こそ安すけれ
三条院 心にも有らで下人を参らせば宜しかるべき家の御祈祷
能因法師 あら悲し皆約束の友達は立つたと聞けば気もいらちけり
良暹法師 淋しさは此方こち計りかと尋ぬれば何処も同じ参宮の留守
大納言経信 夕されば門にうろつく抜参り裏の空家に皆とめぞする
オープンアクセス NDLJP:184祐子内親王家紀伊 音に聞く施行はすれど皆恩にかけしや袖の濡も社すれ
前中納言匡房 酒札にとなりし施行出しに鳬此町からも出さずは有りなん
源敏行朝臣 ぬかりける人もぬけしか親方のはげしかれとは祈らぬものを
藤原基俊 飼置きし主も知らず不思議にて御祓受て犬もいぬめり
法性寺入道前関白太政大臣 二軒茶屋打出で見れば参宮の施行を貰ふ押しつおされつ
崇徳院 明日早み立とせかるゝ仕立屋が何でもおまにあはんとぞ思ふ
源兼昌 だまされて残した兄の泣く声に幾夜寝覚めぬ内のてゝ親
左京大夫顕輔 有明の月を便りに夜の間より抜出づる人の影ぞさやけき
待賢門院堀川 何方の者とも知らず黒髪の乱れてあれば結てこそ貰へ
後徳大寺左大臣 東へとゆきつる方をながむればたゞ菅笠の月ぞ並べる
道因法師 思ひきや扨も時節になる者を参りたえぬは御蔭なり鳬
皇大后宮大夫俊成 世の中に鬼こそなけれ迷ひ入る山の奥にも只とめてやる
藤原清輔朝臣 ながらへば又此度も参るのに留守をする身ぞ昔恋しき
俊恵法師 夜もすがら拵へ出来て明けやらぬ六つ前から連来り鳬
西行法師 はしれとて誰かは道をいそがする駈落がほなる抜参かな
寂蓮法師 白むしの露もまだ干ぬ竹の皮に湯気立登るまた握り飯
皇嘉門院別当 単衣物皆袢纒の揃へさへ身をやつしてや抜け参るべき
式子内親王 足弱よ抜けなば抜けよいきのりに闇り峠弱りもぞする
殷富門院大輔 見せばやな日和続きに下向してやけにぞやけし色は真黒
後京極摂政前太政大臣 乳呑子の泣くや宿屋の入込に誰共知らず押れても寝ん
二条院讚岐 我子供怪我さへせぬは永の旅の人こそ知らね守り神徳
鎌倉右大臣 淀川に常にもがもな施主有てくだりの船のたゞで乗せしも
参議雅経 遂に出ぬ内の娘子今朝抜けて古郷遠く伊勢に行くなり
前大僧正慈円 おほけなく伊勢路は今は嫌ふかな我が神国の墨染の袖
オープンアクセス NDLJP:185入道前太政大臣 連れ誘ふお蔭の空の雪ならでふり行く物は伊勢の御祓
権中納言定家 来ぬ人を待てど松坂その世話をやくや子供の気も揉れつゝ
正三位家隆 風そよぐ奈良の宿屋の夕暮は幟ぞ連のしるしなりける
後鳥羽院 人も好し我も嬉しゝ惜しげなく蔭思ふ故に物恵む身は
順徳院 百敷やたふとき宮居は仰ぎても猶余りあるみかげなりけり
 
おかげの抜作
 

〈[#図は省略]〉 オープンアクセス NDLJP:186 〈[#図は省略]〉

天地循環して五行を生じ、五行起つて四季あり。されば春過ぎ夏来りて、歳月時日六十年を一順とし、巡りて暫も休まず。玆に御蔭参りてふ事侍り、遠き昔は知らず、近くは宝永二年閏四月に、此事始まり、夫より六十八年を経て、明和八年より、今文政十三年迄六十年にして、又もや閨三月此事行はれ、老たるも若きも、差別なく勢廟に詣づること夥し。其元は阿波・淡路の国より始め、次第に押移りて、紀伊・和泉・摂津の地にひろごり、京都に流行はやり来るより、横町の豆腐屋の息子も抜け、東町の鍛冶屋の丁稚も抜け、追々に我もと抜ける程に、金岡が画きたる馬も夕ベ抜け、図らずくさめした邪気も一てきに抜け、又は主人が間抜で、手代が抜け、亭主がふぬけで、嬶が抜け、祖父が腰抜けで祖母が抜け、夏の街では犬の交合が抜ければ、かしこの人立にては手拍子で歯の脱けるもありて、道中の群集もの凄まじく、宿屋宿屋の風呂の底が抜けるやら、天狗も知らぬ桶の輪が抜けるやら、或はぬけそこなうて拍子の抜けるものやら、揚句のはてには性根が抜け、鼻毛が抜け、そろオープンアクセス NDLJP:187恵までが抜ける様子なれば、余りの事に呆れると頤が抜け、頻りに笑へば臍が西国する筈なれども、やつぱりこれも伊勢へ抜けるは、扨々古今珍らしき抜け参りなり。されば此抜け目なき時節に、かくの如く抜ける事のはやるは、全く世の緩かになるべき験なめれど、みだりに此書を造りて悦ぶものは、難波のあしばやに、伊勢の浜荻をたどりたる宵思案の朝立なりき。

  文政十三年寅の閏やよひ            ​印為脱参右​○□​ ​

 

○定而一心千里如隣家〈[#図は省略]〉

参りたい気が重りて、

 つひには癪の種とこそなれ。

○お蔭参り頻りにして、阿波の国より

凡五六万人出でける由にて、領地の殿様より、二百挺の駕籠に、四百人の歩役を出し給ひ、道中にて足を痛める者を助け給ふは、誠に聖代のしるしと、有り難くこそ。

   なにはづに舁くや此駕籠抜参り

       今をはづみと舁くや此駕籠

〈[#図は省略]〉

○おかげ参り追々に登り来る程に、京都には七条米市辺の人、米十石を握飯にして施行。四条小橋辺にては、日々百五十人計りに施行宿を構へ、祇園近オープンアクセス NDLJP:188辺より、草鞋五六千人に施し、麩屋町高辻辺より、煎豆五石、宝町仏光寺辺より、一人に五十文宛施行あり。其外思ひの施し、記すに遑あらず。

   道々の施行を受けてすつくりと

       湿ぬれ手で阿波のお伊勢参宮

    あはとあわの仮名違ひは、ぬけ参り○阿波モ粟モ共ニあはニテ仮名違ヒニハアラズコノ断リ間違ヒ也

    のせわしさと見許し

    給へ。

〈[#図は省略]〉

○おかげにて大勢首尾よく国

 を立出でたる人を見る。

  趣向した願ひ叶うてぬけ

  参り

○家内残らず抜けたる人ある由を聞きてよめる。

   千早振神代も聞かずたつた今嬶つれやひも皆抜くるとは

○或家の夫婦、互に抜参りを争ひ、大喧嘩をなしけるが、隣家の挨拶にて仲直りをなすとて、女房に徳利を持たせて、酒を買ひに遣りけり。其隙に旅装ひをなして、抜出でんと思ひけるに、豈計らんや、其徳利を店の端に残し置きて、嬶から先へ抜けたるは、誠に大笑ひ

とつくりと親父をだまして飛んで出た嬶賢し親父とろくさし

〈[#図は省略]〉

○又さる家に、手代・小者等七人計り召遣はれけるが、或る朝いつもより店の起きやう遅しとて、内より起しに出でられけるに、こは如何に、店中の七人、寝所より其儘に抜け出で、一人も有らざりけるとぞ。いとをかし。

   明方やすつぽり夜著を抜け参り

オープンアクセス NDLJP:189 ○抜参り追人をかけたるに、其追人も亦帰らずと聞きてめる。

   抜参り追人の者に逢坂も粟津も同じ伊勢の同行

○処々に天降り給へる御祓は、皆人の戯れ事に拵へたるものなりといふを聞きて、よめる。

   お祓の千早降りしは嘘にせよ

      祭る心に誠こそあれ

〈[#図は省略]〉

○主人・父母の心に違ひ、愚にも抜参りをなすともがらを戒む

   百のくち

    六文ばかりぬけ参り

   人に不足の

    智恵を見られて

○お蔭参りの施行所々に多かりければ、姿を伊勢参りにやつして、其施を貪る者あり。いと憎くし。

   よい貌で施行貰ふや

     似せ参り

何程姿をやつしても乞食のふりは角銭々々。○角銭ハ隠センヲキカセタリ

〈[#図は省略]〉

○施行の草鞋に足を痛めたる者を見てよめる。

   施行する軒端に

     つるの草鞋わらんづ○釣るニ鶴ヲキカセ嚙めニ亀ヲキカセタリ

   履けばや足を

     かめとなりけん

 
                                        
 
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   お蔭参道中の口合新謎

佐々木四郎高綱とかけて、阿波の参宮船と解く。心は宇治川の先陣、諸国抜参りの高名第一。

此節富の札屋とかけて、夫婦の喧嘩と解く。心は挨拶の仕様がない。

此頃の芝居とかけて、道中の宿屋の主と解く。心はお蔭で居所がない。

笠屋と杓屋とかけて、富士の雪と解く。心は高値たかねにふる。

棒の稽古とかけて、道中の群集と解く。心はエイトウ

歯ぬき屋の居合刀とかけて、手に付かぬ職人と解く。心は抜けるは知れた事。

夜の間の大雪とかけて、抜け参り長家の家主と解く。心は朝起きて吃驚。

初午とかけて、玉造見物と解く。心は馬場で弁当。

下手の鉄砲とかけて、兵庫たいさん寺と解く。心は当り外れる。

焼芋屋とかけて、安堂寺橋から奈良までの道と解く。心は八里半。

奉公人の出奔とかけて、満願寺の開帳と解く。心は宿の迷惑。

大どんじきとかけて、施行の親玉と解く。心は堂島から出す。

お染久松とかけて、堂島施行宿、同じく風呂と解く。心は蔵の内と外。

天道人を殺さずとかけて、塵紙施行場の混雑と解く。心は捨てる神あれば捨ふ神あり。

阿漕あこぎが浦に引く網とかけて、施行場へ来る非人と解く。心は度重なれば顕はれにけり。

火方の新参しんまゐとかけて、堺の大施行と解く。心は幟持つてうろたへ探す。

左京大夫道雅とかけて、抜参りの相談と解く。心は人伝てならで云ふ由もがな。

段富門院とかけて、雨具持たずの抜参りと解く。心は湿れにぞ湿れし。

藤原の義孝の上句とかけて、美しき者に施行と解く。心は君が為めにくからざりし命さへ。

同じく下の句とかけて、堂島の施行宿と解く。心は長くもがなと思ひけるるかな。

元良親王とかけて、抜参りの追手と解く。心は身を尽しても逢はんとぞ思ふ。

オープンアクセス NDLJP:191藤原道信朝臣とかけて、早過ぎて施行宿の戸口から戻つた人と解く。心は明けぬればくるゝものとは知りながら。

順徳院の御歌とかけて、此前のお蔭参りはこんな事ぢやなかつたと云ふ老人と解く。心はなほ余りある昔なりけり。

川越の名号とかけて、伊勢路の雲助と解く。心はかくととぶ。

猫の恋とかけて、抜け参りの迷子と解く。心は泣く尋ねる。

闇の錦とかけて、長谷から戻る人と解く。心はきた甲斐も無し。

唐津船の湊入とかけて、小娘の抜参りと解く。心は□□もの□がなし。

あばれ後家とかけて、よい衆の参宮と解く。心は杓持と違ふ。

お蔭とかけて、銭なしのぬけ参りと解く。心はやつぱりおかげ。

蕗のにしめとかけて、施行駕籠に乗る女童と解く。心はあしが弱い。

お石となせとかけて、宮川と解く。心は御前なり渡しなり。

判官の切腹場へ来る由良之助とかけて、九州の抜参と解く。心は遅かりし。

田村の謡とかけて、大神宮のお賽銭と解く。心は雨霰と降りかゝつて。

大地震とかけて、大神宮の御徳と解く、心は日本国が動く。

 
おかげとりづくし
 

〈[#図は省略]〉

〈[#図は省略]〉

六十一年目にお祓が降ると飛び出だす。鳥づくし阿波から始まり、西は九州薩摩潟、出た人数は、阿波始め百廿万もあろ。せぎやうと云ふと皆集まるなり。渡場の茶店で休んでゐる間に、乗合が多い故、船を出だすと遠国者、吃驚して走り出すを、茶屋の娘が、「オイ茶代をおかんか」。「ヨイオープンアクセス NDLJP:192かげぢや」というて走り行く。そこで遠国ならば、さゝよいよい。船は出て行く、おかげで走る茶屋の娘は出て招く。

〈[#図は省略]〉

おやかたと云ふ田に住む故、気儘に飛ぶ事ならねど、三月の中頃から貰ひ溜めをさらへて、暗雲やみくもに闇がりさして飛び出すと、「ぬけいたか」と呼ぶと、「お蔭でナぬけたとサ」と鳴く。又戻ると、あしのあがる事あり。

一文なしの枝に巣を組み施行を当に飛んで出た。処が道中では、たゞはとめぬ故著物を売つて、裸になつて戻り、「お蔭がない」と負け惜みに泣く。裸体で道中がなるものかとは此事なり。

日に焼けて色黒く、十二三日振りで戻る。足を痛めると廿七日かゝる。参宮廿七と算盤から割り出した故、算用は合へども銭が足らぬので、太夫さんで借つて戻り、しんどいしんどいと鳴く。足に豆が出来た故、まめで戻つた。年よりこひ駕籠を持つて、「年寄来い年寄来い」と鳴く。血気な者が乗せて呉れと云ふと、「若い者は跡から来い」と云うて、さつさと舁いて行く。但し若い姫は乗せたがる。是はまめがすき故なり。

取締りある鳥にて、山道に掛かつても、立石に気を付けるゆゑ、迷はぬなり。「四十にして惑はず」と聖人も云へり。また六十からの鳥はおかげに二度遇ふゆゑ、これで二度だが、つがもないとしやれる。三方荒神のお蔭で、足はいたまぬ。

頭に毛がない故、入口で付け髪を買うて、つむりを拵へる。そこでかいつむりといふ。夜に入ると古市へすつこんで、赤貝を取つて食ふ。かげもない鳥なり。

オープンアクセス NDLJP:193古市に住んで、晩になると、「よい」と唄ひつれて踊る。お蔭で夜昼人に酔うたゆゑいせのようたのひとをどりともいふ。この鳥を一寸抱くと、路銀を吸ひ取らるゝ。

〈[#図は省略]〉

かいしよなしに巣をくみ、近所の友達がすゝめても、よう参らず。四めん九めんも出来ず。十面つくつて鳴いてゐる。

節季せつきの朝、御祓が降つてきたを、ちよいと拾ひ取ると、近所から我もと頂きにくる。夜に入ると、門口から「米屋八兵衛でござります。はらひを頂かせて下され。」「はらひけさ渡した。」「イヤお祓さんを」「これはしたり掛取かと思うた。」

田舎の鳥は木賃々々と鳴いて、あをにでも止まれども、繁華の鳥は旅籠はたご々々と鳴いて、けちな所では止まらず、ちいと待遇あしらひ変ると、夜中とも言はず、飛び出だす。きかん木に住み、むかう水をのむ鳥なり。

声のよい鳥にて、大坂離れて、はや玉造から謡ひ出し、姫の連れになると声で受けさして、宿屋の雑魚寐で一寸きやり、さても羨しき鳥なり。

真面目な顔で、馴れしう連れになり、油断を見て、路銀をひつ浚へて、跡を晦ます。道者にばけてゐる事も有るか、どうぢや知らん。

がひを奇麗にして浮かれ出で、牝鳥連れの後になり先になり、いやみして一所に泊まり、奈良の旅籠屋・三輪の茶屋で、めんどりを締めに掛かり、蹴らるゝ事もあれど、旅の恥はかき捨てと云うて、何とも思はぬ気の強い鳥なり。

オープンアクセス NDLJP:194かてうの藪に住む牝鳥にて、親鳥と二人連れで、銭のありさうな息子づれに尻目使うて思ひつかし、かはいがらすなり。ぜにの有る者は、道中で何ぢややら分らぬ故、滅多にはかゝらぬ。かはいがらすがェィ何ぢややらとは此事なり。

〈[#図は省略]〉

店先の鉢の中に、砂糖・醤油につかつてゐれども、買手が多いので、小さくなり、高く止まる。それでも羽が生えて飛ぶ。又施行にも出れど、是はつきのもち故、そばに水鳥がついてゐる。

理屈臭い鳥にて、若い者連の世話焼顔して、宿屋の算用をごちや雑ぜにしたり、土産の買物のうはまへはねる爪の長い鳥なり。

頭に烏帽子を戴いて、頻にだいを好む鳥なり。此頃は参りは多くてもだいがない故、有難迷惑ぢやと鳴く。

 
阿宝物かい帳
 

〈[#図は省略]〉

オープンアクセス NDLJP:195〈[#図は省略]〉

抑〻此御身体は総て黄金にして、廓中には金銀を多く遣捨てたり。御本地は傾城国空泣そらなき涙如来なり。御前立には、てれつく天王、大なる棒を持給ふ。一度此棒を振る時は白気を吹出し、御身体を棒にふり給ふ。常に太夫好きにして、たいこ末社を連れ、金銀の花をやり、又季節には、御祓を降し給ふ。御信心の御方は、百年目に当つて、編笠一蓋・紙子一つにせんとの有難き神の御しやくせんでござる。

親方持一夜しゆつぼん このもちは、食物にあらず。至つてそゝうなり。見る時は、すいにして、飛上りも有り。総て金銀を出し、まづ使ひたがり、一夜にぬけ出づる事あれば、帰る事ならず。故に世界第一の阿呆物なり。

道中き 此きは彼の順風聴千里の如く、居ながら山川宿々を知る。され共一つの講なくては手に入れ難し。今は講なくても手に入る。これ神のお蔭なり。嘘ぢやない、本の事でこざる。

おかげ杓阿州豊年百姓人所持。 この杓一度振るときは、路銀を泡にする有り難き神の御神杓なり。

おしやれ大菩薩 道中一番なぶり本尊、一とうさんざいの御作、そうみじやくせんたんにして、腋の下ぷんと匂ひ、御襟元には虱の玉を持ち給ふ。一夜御通夜いたす輩は、此千手観音と化して、のりうつり給ふ。誠に不思議の尊女なり。又竈にありて飯を炊き給ふ故、菩薩の名あり。

足のそこ豆此豆 一度出づれば、取れども出る。減る事なし。不思議の豆なり。

道をしへ棒 町内若い者の作、夜書立通し。

護摩の灰 神のおかげにて今は外に無し。

施行かご 足六本なり。内二本は、短くて見えず。黒く悪魔の如くなれども、信心深き故に、神のかごと申すなり。

 是より内陣入〈切手はわづか、こくどうでござります。〉

青面大黒天、毛沢山上開寺の一ケ物、
オープンアクセス NDLJP:196此様だいはお姿美しく、紅・白粉を絶えず付けたり。常に鮹の足を多くかぶり給ふ。一と度笑ひ給へば、堅き鮹もぐにやとなる。御前に大なる□ありて、鮹の入る事度々なり。故に とも申すなり。神道にては、おほあなもちの命と申すなり。もり奉るに、御じんたい重く。物入多くして、今は持つ人なし。故に足をあげ給ふ。又御顔常に青くして青面とは申すなり。一度御逢ひの輩はからかさ一本にせんとの御誓言でござる。又或時は若衆の如くなり給ふ。お盃はけちえんで出ます。近く寄りて御逢ひなされませい。お逢ひのすみましたるは、左をとお下げなされませう。昔より秘仏でござりますれど、此度邪淫戒めの為、御開帳でござります。
 
道中通用御蔭賽銭
 

​おかげまゐり​新板見立道中通用御蔭賽銭​ ​

〈[#図は省略]〉

○こたへられま銭、

  いづれ百の口

    六文程抜けたる

    不足銭なり。

○施行はしま銭、

  表しぶとうして、

    心の裏に吝き文字あり。

○でつちでん宝、

  表には夫れと知らさず、

    心の裏に出行くたくみの

    文字あり。

○道中通行、

  是さへ沢山なれば、行くも止まるも

    自由なり。

オープンアクセス NDLJP:197○連の数をよみ銭、

  これ貰ひ溜めの

    へそくり銭なるべし。

○矢橋の船銭、

  この銭、風荒き日は、なんせんなり。

    用心すべし。

○施行駒、

  一名落しはしません。

○肩がつづきま銭、

  長うはつゞかぬ、なまくら銭なり。

○はなれま銭、

  一名おきせん、

    又らくだせんともいふ、

○宿はござりま銭、

  一名道中夜通しにて、

       ねられませんなり。

○やてがん銭、

  此節は、一向に

    銭になりませんといふ。

○日の出をはい銭、

  此銭汐のさし引によつて、

    なみせんにたつといへり。

○戻つたらよ銭、

  一名主・親へ言訳を何とせんなり。


○おさいせん、

  一名有難うてなりませんといふ。

オープンアクセス NDLJP:198○のちにはかく銭、

  報謝宿にて、親爺なし

   子を孕みたるのきせんなり。

○忠孝神宝、

  一名御たくせん

   とも云ふ。

 
おかげ参り虫づくし道中噺
 

〈[#図は省略]〉

文政十三年春三月、虱も花見に出づる頃より、蚤の四月、蚊の五月に至り、秋津虫の形なる此国の宗廟伊勢天照皇大神宮へ諸国在々・村々・蝶々より、御蔭参りとて、親父の毛虫のいふ事は、蚯蚓にもかけず、女房のおきく虫や、蜂姫は云ふに及ばず、こしぼそなるいとじも、乳母も、蝙蝠も、芋虫の様な子を従がへ、栗虫の様な子を背負ひ、腕白太郎の油虫もさそり合して、下戸も上戸も蚤助も、くむ水虫の心ぐみも、米踏虫も仕事を休み、家主守宮やもりへ届け置く。気も飛火蜘、夜明の東虱に出づるもあり、蛭中に蝉の如くぬける事、貴となく賤となく、皆でて虫の出て行く。螂蛆うじ々々として、参らぬ者は、紙虫しみたれのやうに口をしさに、家内は独りむしもるす𧈮いぢりするものなく、雨オープンアクセス NDLJP:199具には笠蓑虫を用意して、杓取虫を携へ、路用には少々の金虫や、ぜにの虫を蚘虫し、大坂にては地のこしきにて米虫を蚊のつく餅にあらねども、いく百の餅を施行に貰ひ給ひしは、伊勢路へとんで火に入る夏の虫、安堂寺町を一筋に、蟻の渡わたりの如く続く。足元は百足の並ぶに似たり。わあと云ふ。之は幾万人の蚊の鳴く如くにて、峠の闇りさして泊らんとす。道中の賑はしさは脚高の蜘助や、子子かたぐ荷持迄、蠅々の声絶間なく、轡虫の潔よく、馬遣ひ虫の馬子殿も、三宝荒神に乗りかきて、天道虫の日和よく、坂は照る鈴鹿は蜘る、あひの土山雨虫ふると、唄うて行くをおしやれめが、引いててんまひ虫、肌に確り金つけ、やんまのある客は、古市で買ふ女郎蜘、大酒に過ぎて虎虫と成ると雖も、蛙さへ歌よむものと思案して、盃や身も真赤な酒蚤が、とらんといへば、おさへるもありとなん。興しと蛙の行列、向ふを見ずに行けばつけ込むごまの灰。就虫さなだの物蟷螂かまかけと、ねがけかゝるをあぶないと、蜂払ふやう払ひのけ、無難に道を行く事は、御蔭参りの蜻蛉かげらふと、しんしん肝に銘じつゝ、鈴虫の音のいさぎよく、伊勢の宮居に蠅礼し、二見の浦の蛤も、むしの縁かと思はれつ。脚津の里を打過ぎて、又かへる子のくぼたより、蟄虫出づる土山を、登ればちんばひきかへる、厠の虫にはあらねども、草津の里を早や越えて、都のや所の其中に、宕岩山より米虫こくちゆうへ、廻りしてひぐらしか、我家はかへり松虫の、程を案じて土産物、蚕とゝのへ伏見より、船虫に乗りとんぼうの、かへるが如くかへりけり。其人の曰く、「ヤレ道中にて、宿屋々々で大勢の、移り虱に食はれて、難儀いたした」といへば、連の曰く、「虱は生物故、其筈なり。我は草鞋に足を食はれて難儀した」。

  板元 大坂くちなは坂          百足屋蚊蜂郎。

                           取次、 小にし氏、

 
ゑつさぶし
 
オープンアクセス NDLJP:200〈[#図は省略]〉

角の芝居にて路之助唄ふ、安芸の宮島廻らば七里。 浦は七浦七恵比須。よい引、アゑつさ

淀の川瀬の引水車さへも、引誰を待つやらくると。よいよい引、アゑつさ

是よりかへうた

春の鶯なにきて寝やる。花を枕に霞かけ、よい引、アゑつさゑつさ

船の船頭衆はなに著てねやる。楫を枕にとまかける。よい引、アゑつさ

かはづ丸こそ引名作なれど、主とわたし手はきれぬ。よい引、アゑつさゑつさ

ぬしは白梅わしやこひまつへ、唄でまぎらす路之助。よい引、アゑつさ

〈[#図は省略]〉

三段目で路之助唄ふ

雨に打たれて色も香も抜き が、散らせとむない梅の花。よい引アゑつさゑつさ

是よりかへ唄

此処はどこぢやと鴎にとへば、わしはたつ鳥浪にとへ。よい引アゑつさ

大津くも助何をきてねやる、石を枕にをかける。よい引、アゑつオープンアクセス NDLJP:201

中は菊五郎一人で当てる、えらいきもぢやというれいは、よい引、アゑつさ

角三段目

千草結びのその物語りよ。聞いて互に引嬉し顔。よい、アゑつさゑつさ

角で評判ばいぎよくりくわんよやりのでんしゆはふたりとも。よいよいよい、アゑつさ

 
おかげ百人一首上
 

〈[#図は省略]〉

天智天皇 先出たの跡から出たの差別なく我懐の中につれつゝ
持統天皇 客過ぎて薪をきらし柴刈て急にほすてふあわてたる宿
猿丸太夫 施行を邪魔の道踏分て行きしかど廻りをしたと聞ぞ悲しき
山辺赤人 門の口に立出でて見れば白き笠阿波の徳島御蔭はじまり
オープンアクセス NDLJP:202蝉丸 これや此行くも帰るも分るゝも子持と銭の有無しによる
参議篁 伊勢路から熊野へかけて立出んと暇は告げよ乳母も道連れ
陽成院 つく餅の下に杵置く暇もなしちぎるも遣るも汗になりけり
中納言行平 立別れ参つた日数すでに立ちまちつとしたら皆帰りこん
在原業平朝臣 雨は降る合羽は持たず立つた故肩首筋へ水かゝるとは
藤原敏行朝臣 住の江の岸を真直まつすぐ大坂へお蔭通ひ路人はよけなん
伊勢 今年抔おかげうとは知らざりし阿波で此頃過してよとや
元良親王 迚もなら今から同じ連あらば家内連れでも行かんとぞ思ふ
素性法師 今こんと云て其儘いんで来て有る丈の金を持出でつるかな
文屋康秀 来るからにでも怪しからぬ抜参実にお蔭とは今年を云らん
大江千里 宿に著きてうらむき難儀悲しけれ我身独の女にあらねど
菅家 此度は医師も取敢へず抜参り病家少なき暇のまに
三条右大臣 子さへ負はゞ大方山は越えぬべし人に押れて苦しうもなし
源宗干 槙の尾は扨も淋しさ増さりけり人をも猫もこぬかとぞ思ふ
凡河内躬恒 心当に持たばや路用持つ人はおき惑はずにずつと行きける
坂上是則 荒物屋有りたけの杓と見るからに在所も郷もくれる菅笠
春道列樹 邂逅たまさかに金を厭はぬ参りでもはがれもせぬは宿屋なりけり
紀友則 何方も盛り長閑けき春の日に見る人もなく花の散るらん
紀貫之 人は今心もちらず伊勢参りはまや野行きをする者も無し
中納言朝忠 銭金のたえてしなきは長々と日数も身をも構はざりけり
謙徳公 戯を云ふべき人は道すがら身の悪戯を為しぬべき哉
 
おかげ百人一首下
 
オープンアクセス NDLJP:203

〈[#図は省略]〉

源重之 足を痛め連の中にて己のみおくれて跡へ遅うくる哉
大中臣能宣 昔より伊勢へ著く日は宮巡り内は内にて物をこそ祝へ
藤原通信朝臣 施しは呉れる物とは知りながら猶恥かしきおとなしぼかな
右大将道綱母 連なしに独り来るのが抜参りいはゞ淋しきものとかはしる
大納言公任 酒の事は絶えて久敷たべね共高うて飲めず飲みたうもなし
藤原義孝 御蔭とて久しからざりし銭儲け長くもがなと嘸思ふらん
内親王家紀伊 人に聞き探して泊る報謝宿御蔭じや故に泊めもこそすれ
源俊頼朝臣 労れける人は初瀬の山よりも吾も若くば戻らぬものを
崇徳院 足早め心かるゝ後れ馳せ何でも連に逢はんとぞ思ふ
後徳大寺左大臣 施しを為しつる方を眺むれば有るだけ遣つて塵ぞ残れる
道因法師 思ひあひ扨も子持もある物をお気の弱いは戻るなりけり
皇太后宮大夫俊成 世の中よ道こそ歩け銭入らず山の奥にも宿はするなり
待賢門院堀川 探されん所も知らず迷ひ子のはぐれて親は物をこそ思へ
藤原清輔朝臣 参るならまだ此頃は早からん今少いまちつと待つたら道もすきなん
俊恵法師 道すがら物問はいでも行くやうに道中記をばるは何がし
式子内親王 たゞ呑めと接待はあれど長道は食はねば殊に弱りもぞする
オープンアクセス NDLJP:204殷富門院大輔 伊勢山田御師での飯はさいなくと抜る程て銭はかはらず
参議雅経 三吉野の山に咬く花見に来れどくるかと見ればぢきにいぬ也
前大僧正慈円 御蔭とて浮きたる旅と思ふかな我が寝た側に詰袖のひぬ
入道前太政大臣 嬶誘ふ隣の乳母もぬけ参りふり残されは我身なりけり
正三位家隆 長谷騒ぐ奈良のたるいの夕暮は味噌する音もせわしかりけり
前大僧正行尊 諸共に哀れと思へ物参り伊勢より外に参る人なし
権中納言定家 込む人を宿屋は裏のざふ部家の焚くや風呂場のわきに寝させり
後鳥羽院 人多し昼も冷飯味もなし腹思ふ故に物貰ふ身は
順徳院 股引や古き脚袢に草鞋がけ猶余る程銭なかりけり
 
おかげ参り百人一首
 

〈[#図は省略]〉 オープンアクセス NDLJP:205百人一首換へ歌

天智天皇 麦も田も刈りすてながら友集め我子供等も終に抜けつゝ
持統天皇 春過ぎて夏きに流行る抜参り子供の親は頭かく山
柿本人丸 ほのと明くるを待たず夕から内隠れ行く銭ほしぞ思ふ
山辺赤人 余所の裏に打出でて見れば御祓の彼処や此処の前栽ぜんざいに降る
猿丸太夫 奥様も所帯構はぬ抜仕度声聞く時は主ぞ悲しき
安部仲麿 朝熊あさま山峯の名方万金丹今一服と買うて行くかな
○いとハ大坂ニテ娘の義喜撰法師 吾いとを乳母がたらして急ぎゆく善く抜たぞと人は云なり
小野小町 西の色は変りにけりな日に焼けてわが身も人もながめせし間に
蝉丸 是やこの知るも知らぬも旅人は行くも帰るも大方は伊勢
僧正遍照 参り見りやてん手に渡す握飯往来の人を暫し止めん
陽成院 つきたての餅も団子も売り切らし人ぞ詰りて銭となりぬる
河原左大臣 道迄は忍ぶ亭主が嬶故に見られ初めては吾ならなくに
中納言行平 立別れ伊勢路の山は賑ひて参ると聞かば今走りけん
伊勢 戸棚から短き蒲団取出してあはぬ泊りを寝させてよとや
素性法師 今来ると云うた計りに待ちかねて有りだけ銭を持出づる哉
文屋康秀 来るからに跡は構はず夫婦達れ無理いふ坊は連ぬと云らん
菅家 此度は嬶も取あへずぬけ参りきはたつ蝉か人の見ぬ間に
三条右大臣 名にし負ふ阿波と和泉に遣る杓の人に知られて来る参り哉
源宗行 山里は夏ぞ物うし蚊が多い人目に草がいきり強けれ
壬生忠岑 有りだけに連立行きし抜参り夜を明がたに立つものは無し
曽我義忠 施行駕籠数多参るを道連れの行方も知らぬ人を乗せつゝ
源重之 胸を痛み気を打つのみか子供連施行をあてに物や思ふと
伊勢大輔 かしま立奈良の都の見まほしく今日九重に急ぐ見物
良暹法師 やかましき宿を立出て眺むれば御蔭参りの人は布引
大納言経信 夕されば門田の稲も構はずに兄も弟も待合せ行く
崇徳院 瀬を早み大勢乗りし宮川の船も自由に急ぐ道中
オープンアクセス NDLJP:206皇太后宮大夫 世の中は道こそ多し御蔭にて山の奥まで隠れ無かりき
しゆん恵法師 夜もすがら徒歩路かちゞを拾ふ抜参り閨のひまさへ昼と成りけり
権中納言定家 こぬ連をまつ程つらき物は無しやくや世話より身も急れ宛
順徳院 股引や古き脚袢も入らばこそ尚ほ道連を誘ひ伊勢路へ
 
大新板色里町中おかげ参跡付文句
 

     大新板色里町中おかげ参跡付文句

花の弥生にふる御札、おうた此子も抜け参り、抜けた今宮天下茶屋、茶屋もお客もしやくの種、おたね参りの身拵へ、拵へ出来たと飛んで出る、出入みなとに船多く、多くの人にやる施行、施行が多うて船山へ、山の彼方のお伊勢さん、おいせさんならお杉なり、お杉お玉もえら流行はやり、流行る参宮も御蔭年、年に一度の七夕さん、三々九度の灯明おあかし、あかしの名物鮹の足、おあし貰うた施行場の、野に出て里の町々を、おくれおしやれの御報謝か、ほしやがはなれて玉造り、つくり聾に伊勢音頭、音頭取りからのりがきて、来て見た此処は松原で、藁で尻ふく手鼻かむ、室の木崎で○しんどハ辛労也おゝしんど、しんどが利になるこんにやくの、にやくの千鳥が鳴き叫き、わめくお前は調子もの、ちよしもの事がありたれば、あつたら口に風ひかし、東々と行くならば、奈良の宿屋にかり枕、真闇がりでちよいつまみつまみ、つめつて痛さ知れ、知れぬと迷子の子、此処までござれと仰せ、あふせの大群集、群集々々を抜け参り、参る御宮は内宮外宮、ない苦も無うおめで度い、めで度かしくとおゝ醒めた、醒めた夢みし心地にて、にてもさんども参り度い、だい神楽のいさぎよく、欲にも徳にも目が著かず、つかずほうにて腹へらし、へらし山坂足痛め、いための名物こぼれ梅、こぼれ梅から酒二升、せう事なしの呑ついけ、続けと戻り道、道は四十五里浪の上、上を下へと道者々々、道者かうぢやの遠慮なう、なう旅の御僧よ、そう日蓮大菩薩、ほさつの名物乳母が餅、もち付くすひ付へばり付く、つくてん天満みこ、みこか戻ろか坂の下、下からぬつと鎧武者、むしやからぬけた伊勢参り、参る下向の其中に、中に名所や古跡あり、こせき弟は長吉で、ちよきあはゞつむりてん、てんてん持つた杓と笠、かさまの薬万金丹、旦那家来も打連れて、つれにならうと先立て、たオープンアクセス NDLJP:207つた山ちうちやさん、三途の川の川端で、はたで布織る木綿織る、をり好かない御無心に、さつぱり困る大坂や、大坂山のさねかづら、かづらの草の口々に、口々みんない立田川、川は晴れてもはれやらぬ、やらぬがつほう外が浜、外が浜なる夫婦鳥、子鳥が鳴けば親鳥も、親鳥其処にかわしや此処に、此処に目川の田楽や、田楽一つあがらんか、あがらぬ重き石山も、山もだん打過ぎて、すぎた男のつら憎くや、にくきやつなうかなうなぎ、うなぎかばやき鰌汁、しる人にせん高砂の、さこの彼方に詣でつゝ、つゝや伏見の下り船、船の乗合えいサツ、えいサの流行唄、うだ云うて淀つゝみ、つゝみ百まで踊るやら、をどりせうより小取せい、せいては事を仕損じる、しる餅あん餅食はぬか、くらはん神に崇りなし、なしとはことりのてうしぎり、ちやうしきれたか夜が明けた、明けた船場は八軒家、家ももうはや遠からず、鳥カアカア鳴き別れ、別れを惜しむ乗合衆、祝儀目出度ううち納め、納め参りも此辺で、へんてつもないよしにせう。チンテツツン。

 
伊勢おんど
 

     伊勢おんど

伊勢の御蔭の人多い、方々に内をぬけ参り、一はでな揃ひで連れが多い、連が多うても荷持ない、施行宿つまり押合て、儂は長旅大坂よ、子供と共に抜けたぞへ、玉造・松原明日の泊りはぜひ奈良泊り、奈良は昔の都の跡よ、○見たかハ見たくばノ約リ名所見たいな、見たか案内かへ、なんでも委しう知れるへと、いうては三輪へ一と飛びに、行こかでつちが扨連れさそひ、杓一本で心はさつさ行李飯、持つた笠・蓙で、施行の馬駕乗るとても、乗り人が多くてこまらしやつたの、興にも乗つて行かしやつたの、追々出て来る伊勢参り、二見でこほりかきやした、外宮・内宮みや廻り、夫より朝熊あさくまへ参詣した、とかく浮世は面白や。

 
まんざい
 

     まんざい

寝てられず、身拵へして閏月三日、所も厭ふにたまらぬ若手組、来年はまたれぬといはしやれ、だます御主人も親にも困らしやれた、もう出てから道中難渋する宿屋オープンアクセス NDLJP:208宿屋、行先々々の宿屋とつたる所、かなし大勢野宿、無理に押しあうて、哀れ至極は雨用意なし、大雨降り雨道すべつたと、こけたる人もヤアとこせい、相談もふりすてゝ、そらさぬ面して、はて近所、こそたまらん人々、跡から抜けませうと杓をふりして、道々子持連やお年寄りや、長谷から戻られます、伊勢には禰宜さん儲け恐悦、和泉なり堺なり、遠方の御方々、阿波からはずみ出し、大坂をおだてる、笠屋に笠なし、荒物やに杓なし、道中もこつちも値上げすりや、叱られる御代ぞ有り難き。

誠に君の鹿島立、数多群集の其中で、やさしき姿の玉造、深く心もあかしたき、あそこや此処に松原や、とよろと道はかどらぬ、恋の闇路のくらがり峠で見まほしき、袖引とむる野木の梅、跡を慕ひて追分や、結の神や仏様、恋しき祈りあまが辻、ならぬ事とは思へども、二度とは云はぬ市のもと、丹波市度君様の、柳の本をたくならば、三輪どのやうになる迚も、長谷も厭はぬはい原も、何の立ちましよ君故と、三本松の色深く、したひ名張の浮々と、新田事もわすらはで、どふおふも尊もぞ、伊勢路海道へ君の手が、とゞくやうになる身が唐にもあろか、わ木生れのたをやめに、肌ふれてなら命も捨てよ、六軒地獄へ落ちるとも、色よき返事松坂や、くしだと目を配り、それ宮川にはぢ知れと、外宮笑に相の山、君様恋せん思はしさん、是ばかりはなも帰らうよ、うぢ橋知れぬ男ぢやと、思しめさうかどうぞして、君の□□を拝むなら、心の内の苦も内宮、二見の浦に居やうなら、朝日の登る心地とて、朝熊を紛ふ沖の方、浪とぞ君の御返事の、又の御かげを待入岩に七五三、御めで度くかしく。

 
おかげ参妹脊山三段目抜文句
 

     おかげ参妹脊山三段目抜文句

頃は弥生の始めつかた、  お蔭参はじまる、  口でいはれぬ心のたけ、  神前にて御師の人大神宮ををがむ、  追付よい殿御持つたら、  夫婦連を羨む女中、  女の念の通せよと祈願をこめて、  女中の朝拝、  常住あのやうに引付てゐたら嬉しかろ、  奈良の大仏様の後光仏、  時代の習ひ、  絹物の揃ひなし、あのやうに行儀にかしこまつてばかり居て、大仏殿、見やる女中が申し、  お泊りでござりませぬか、  今度は云はいでもよかろ、  思ひのたゆる間はあるまい、  性の悪い旦那の伊オープンアクセス NDLJP:209勢参宮案じて居る女房、  あの岩角のおりまがりが、  あぶないと気をつける荷持、  昔より御中不和の関となり、  坊主頭は戒しめ、  ふり袖も裾もほら、  相の山お杉お玉、  結ぼれとけぬ我が思ひ、  よし悪しの判込めて一寸問ふはへ、  しどけなんしよも厭ひなく、  丁稚のぬけ参り、  此の山のあなたにと、  あさまへのぼらぬ人、  忍んで通ふ事叶はず、  二見の女中にほれてゝも、  ここまでは来れ共、  途中から戻る人、  御面見ながらまゝならん、  三十石の行違ひ、  もの云ひかはす事さへも、  下向の人参詣の人群集、  道理々々、我も心は飛び立てど、  どう中の様子きいた以上、  今は中々思ひのたね、  一夜の契、  隣国近辺といへども、  夥しく参詣人、  御道理でござります、  峠はわくしさへこんあけました、  命さへ有るならば又逢ふ事もあるべきぞ、  先の御かげ、  ヲヽめつさうな、  宿屋のたごへ小便する人、  心の願ひ叶ふしらせ、  わが屋根へ降る御祓さま、  後室様のすゐなさばき、  家内中代りに参詣さす隠居、  あわておどろき止むる腰元、  宮川の渡しのり急ぎ、  直に御願ひ遊ばしたら、よもやいやとは、  御寮人すゝめてみる出入の内儀、  たとへ未来のとゝ様に御勘当受くるとも、  伊勢参りしたいと云ふかた門徒の娘、  障子ぐわらりと縁ばなに、  玉造の茶屋で出立のさわぎ、  お前はどうせうとおぼしめす、  世間の通り二文づつ水引繋つぎ、  四万五千人に施す、  守らせ給へと心中に、  かしま立前の住吉参り、  なうて車かげす、  路銀さへあれば杓買はいでも、  手に取るやうにナウあそこ、  三笠山の鹿さる、  御こゑのかゝつた身の幸ひ、出入の内儀--宮宮の御供、物思はしいおかほもち、人にゑうた道へたな女中、此やうな嬉しい事はござりませぬ、  風呂入めし貰ひ銭貰ひとめてまで貰ふた道者、  ヱヽ御側へ行きたい、太夫つきする美しい女中銭なしの若手、  こつちや向いて見たがよい、  負うて居る子に見せる相の山、  きこえぬつらさ、  宿銭のねぎりこぎりに困る聾、  参る所も一処なれど、  京街道長谷越、  こちらの思ふやうにもない、  、   日本国に此上のない、  伊勢両宮、

 
諸国おかげ参り阿古屋琴責段抜文句
 

     おかげ参り阿古屋琴責段抜文句

されば治まる九重に、  都よりの奉幣使、  当時鎌倉の厳命に従ひ、  宿々の詰番衆、  公事さいばん私の計ひなく、  こづま取る手もまゝなれど、  古市の遊女、  形ははでに気はしをれ、  道より戻る人、  あすは拙者が受取る、  宮川の替り段、  いらぬ世話御無用々々々、  抜参を護るばゝ、  それもなう無理とは思はず、  抜参りした者の親方、  此処を篤と合点せよ、  息子改めて参らすと云ふ親、  万人の譏りを受けても、  後先無しの抜参り、  其身の冥加悪かるまじ、  諸方の施行、  物やはらかに理をせめて、  あとより参らすと云ふ母、  常々噂に聞いたれど、  此前の御かげ、  しかも答ふる、  堂島の施行、  おまへ方も精出して、  宿屋の下女、  もてあましてぞ見えにける、  道中オープンアクセス NDLJP:210の施行宿、  用意々々と呼ばるにぞ、  ぬけ参りの友、  深くもきしるくるま木の、  両宮の手水鉢、  様子如何と打守れば、  ぬけ参り見合する人、  いかなる事の縁により、  御蔭に一度あうた人、  野山をこえて清水へ、  下向に京へ行く、  互に顔を見知り合ひ、  後先になり参る人、  須磨や明石の浦船に、  渡海場数艘、  お前も無事にと、たつた一言、  渡しで行違ふ、  さらばと云ふ間もない程に、  宿屋の群集、  ○おはもじハ恥シキ也アヽおはもじとさし俯むき、  娘の施行受け、  偽りない事見届けた、  諸方へ降る御札、  つきぬ御社をふし拝み、  八十末社、  伴ふ情け数々の、  大坂の施行、  冥加に余る御なさけ、  施行駕に乗る足よわ、  直なる道こそ有がたき。  両大神宮、  長ゐは恐れ此まゝに、  此戯作者、

 
おかげ参宮人へ御膳献立
 

     伊勢よりも治まる御代のお蔭かな御かげ参宮人へ御膳献立

お飯 親方の許しを受けて参宮。 六軒で一つになつて押くわゑ。お蔭てふきらふ伊勢ゑび。道者古市の芝居をきり見。津・松坂施行駕籠をしひたけ。あはと和泉は段々とくるこぶ。 焼物 講札たよりて宿取り損うてやく鯛。ゑらひつけやき。 なます 御蔭に二度逢うたしらが大根。止めても止まらぬきんかん。玉造からせり。笠皆をばきうり。連は誘うて皆来い。杓腰にさしみ仕立。 菓子椀 太夫付は座敷も蒲団もよいのをしんじよう。足の裏にも出来る青豆。さい銭は銘々にわりねぎ。ぜになし薄くす仕立。 香の物 鹿島立に足を痛めてきつい奈良漬。ぜに無しは長谷へ行大根。ぬけ参りは銭がなすび。 道中は互に世話をやき鮎。宿屋何時なしに戸を敲きな。あるくのはちとみそ。 茶碗 道中油断のならぬごまどうふ。悪い事を生が味噌付て。罰が当る身から出たわさび。 菓子 えらいぐんしゆで女中年寄はとうき粽。若い衆は酒の力で次は飲めぬやうかん。下向を松風。うちは。 銘酒二見一てうし出す。 宮川は鮓おされて、こけらずし。船へ乗りすし。近所の人に此処で青山椒。チヨイとむしんではじかみ。 冷し物 おそいと宿はなし。とぶつの女中はすれるもゝ。 硯ぶた 宿屋は群集でか、かまはんぼこ。夜通しに草履・草鞋をするめ。われ一に早々宿を取付やき。御本社の前はおしあひ。此頃は京からえらうくるま海老。ところは皆々嬉しの。 大平 万金丹屋はえらい人で店をしめじ。宇治橋の網は銭をとりみ。お杉お玉は美しい玉子わりおとし。 吸物 岩戸はきつちりつまり鰌じる。子をつれてなかさんせう。


 
うかれのつれ(本てうし)
 
オープンアクセス NDLJP:211

     うかれのつれ てうし

年を経てお蔭も今年珍らしや、斯かる折柄大坂も、施行につどひ行く中に、思はぬ人もせんぐりぬけて、今は野山の人群集、住める処を笠にも記し、来るは浮れの連の数、人にてつまる宿の内、広い座敷につきながら、せまう寝さするまごとに、こんなお蔭が唐にもあろか、戸ざさぬ御世の春なれば、誰もこぞりて早抜けん。

 
諸国おかげ参り忠臣蔵九段目抜文句
 
     おかげ参り忠臣蔵九段目抜文句

風雅でもなくしやれでもなく、  老人のぬけ参り。  此程の心使ひ、  大勢人を使ふ親かた。  頓と鱠に書いた通りきやうよい事ぢやないかいなう、  二軒茶屋より東を見物。  留めてもとまらぬ若気の短慮、  雨具なし脚袢・笠なし銭なし。  たすきはづして飛んで出る、  小女郎下女つれ。  主人を大事に存するから、  しみたれがやまいもの。  おたづねに預りお恥かしい、  堺万代八幡宮、  兵庫大山寺。  ほんに斯うとは露しらず、  満願寺壱坂開帳。  わたしが役の二人まへ、  乞食の抜参り。  冥加の程が恐しい、  飯行李に飯つめた施行。  イヤそれはひが事ならん、忌服なし。  そこいを明けて見せ申さん、  しち札と打かひ。  勿体ない事仰有ります、  ざら駕籠の施行。  どうも顔があげられぬ、  相の山お杉、お玉。  しやうもやうもないわいなう、  道中筋の宿屋。  おし戴き開き見ればこはいかに、  たばこ、はつたいとろゝこぶ施行。  思へば足も立兼ぬる、  芝居富の札屋。  我為の六蹈三略、  道中記の施し。  合点の行かぬこりやどうぢや、  所々にふる御抜しやうをこゝにて見せ申さん、  しわんぼの施行。  そりや真実かまことかと、  御祓様拝みに来る人。  移りかはるは世の習ひ、  笠屋杓屋の新店。  ざわと見苦しい。  男女百人組。  恥しいやら悲しいやら、  三文づつ貰ふ美しもの。  日本一のあはうのかゞみ、  ゑらゆすりのそろへ。  閨の契りも一夜ぎり、  報謝宿のちよいつまみ。  一別以来珍らしい、  古市の遊女ぎれ。  詞もしどろ足取も、しどろに見ゆる、  笠うり・杓うり。  ふる時は少しの風にもちり軽い身でござりませうとも、  あの如く致して丸まつた時は、  宇治橋のなげ銭沢山。  御計略の念願とゞき、  深江の笠屋朝熊の万金丹。  昔より今に至るまで、  天照皇大神宮御奇瑞。  さぞ本望で御座らうなう、  御師・末社・禰宜。

   天照す神の恵の御影とて黒うなる程つまる群集

 
諸国おかげ参り太功記十段目抜文句
 
     おかげ参り太功記十段目抜文句

御恩は海山かへがたし、  杓屋・笠屋、  御遠慮なしに御先へまゐる、  施行風呂。  心残りのないやオープンアクセス NDLJP:212うと、  一々呼んで遣る施行。  道の武智も仰天し、  聞きしよりは参詣群集。  なう口へわしや、  満願寺・壺坂開帳。  たしかにそれと承らず、  道中筋取沙汰。  しるしは目前是を見よ、  所々にふる御祓。  百万石に勝るぞや、施行宿。  とういそがなくものぞいなア、  道中群集。  千なり瓢簞馬印、  堺より九ほりの施行。  仔細はいかに様子はいかに、  道中の様子尋ぬる人。  適れ高名手柄して、  当世流行そろへ。  とかくするうち時刻がのびる、  施行寄合。  思ひ置く事更になし、  路銀を持ち揃へば、著たり施行はもらひ。残念至極とばかりにて、長谷より戻つた人。心に懸り候故、  手に付かぬ職人。  今一度お顔が見たけれど、  まへおかげにあうた老人。  先立つ不孝は許してたべ、  子供抜参り。  互に手に手を取り交はし、  二十人組・三十人組。  ヤア珍らしい、  八歳の子供白馬に乗つて参宮。  めでたい嫁御寮、  伊勢御師・禰宜。  若し覚られたら、  施行場へくる非人。  威風凛々凛然たり、  伊勢太神宮、  女童の知る事ならず、  大神宮御奇瑞。

 
なのはかへうた
 

     なのはかへうた

おかげとは阿波始めけん、外の在所もうはのそら、伊勢様参ると、示す心のあどけなさ、どれ様の出立も、別に変らぬ杓一つ、をどり参りは勿体なうて、子供ぬけたも多い事、難波にとめた施行宿。

 
くろかみかへうた
 

     くろかみかへうた

この頃の、皆こぞりたるお蔭には、抜けて出た日の思ひより、そとで寝る夜は笠枕、それにはだしでつらひぢやというて、内の親御の心も知らず、ちやんと抜けたる笠に杖、ゆうべの杓を今朝さげて、何処どこも群集で宿屋なや、泊ろとすれど困る大勢。

 
伊勢参宮の道五十里六十日之間凡銭高之附
 

   浪華無量斎門人 小西駒蔵源義明戯著

  伊勢参りの道五十里六十日之間凡銭高之附

  但一町ハ六十間、一里ハ五十町、道幅一間、一坪ニ付人数廿四人並ぶ、

               相庭金六十目、銭九匁、

行戻百里人数総高、〈一日ニ七百二十万人、六十日ニ四億三千二百万人、〉

〈外宮・内宮へ賽銭十二銅宛上ル積り〉千八十万貫文、〈銀ニテ九万七千二百貫目、金 百六十二万両、〉  〈百六十末社賽銭、三文宛上ル積り、〉二億千六百オープンアクセス NDLJP:213万貫文、〈銀白九十四万四千貫目、金三千二百四十万両、〉 〈十枚ニ付十二づつの御祓を受ける、〉五百四十万貫文、〈同四万八千六百貫目、同八十一万両〉 〈宿旅代百五十文宛として、〉六四百八十万貫文、〈同五十八万二千二貫目、同九百七十二万両、〉 〈笠一枚ニ付百八十文がへにして〉七千九百二万貫文、〈同七十一万二千八百貫目、同千百八十八万両、〉 〈杓一本ニ付十六文がへ、〉七百二十万貫目、〈同六万四千八百貫目、同百〇八万両、〉 〈ござ一枚八十文がへにて、〉 三千六百万目、〈同三十二万四千貫目、同五百四十万両、〉 〈飯籠一ツ七十文がへ、〉三千百五十万貫文、〈同二十八万三千五百貫目、同四百七十二万五千両、〉 〈手拭一筋百廿五文がへ、〉五千四百四十五万貫文、〈同四十九万五千貫目、同八百十六万七千五白両、〉〈負籠一個三百六十文、〉一億五千六百六十万貫文、〈同百四十万九千四百貫文、同二千三百四十九万両、〉 〈草鞋掛脚袢〉三百文宛、一億千九百六十万貫文、 〈同百十六万六千四百貫目、同千九百四十四万両、〉〈雨合羽一枚三百六十文、〉一億五千六百六十万貫文、〈同百三十六万八百貫日、同二千二百六十八万両、〉〈草鞋十足百三十四文、〉五千八百五十万貫文、〈同五十二万六千五百貫目、同八百七十四万五千両、〉〈万金丹一粒宛三文宛、〉百三十五万貫文、〈同一万二千百五十貫目、同二十万二千五百両、〉 〈姥餅十五文宛食ふ時は、〉六百四十八万貫文、〈同五万八千三百二十貫目、同九十七万二千両、〉〈矢橋の渡、其外諸所渡賃百文宛、〉四千三百二十万貫文、〈同三十八万八千八百貫目、同六百四十八万両、〉 〈日川の田楽二十四文づつ食ふ時は、〉千〇八十万貫文、〈同九万七千二百貫目、同百六十二万両、〉  〈宇治橋にて一文宛やる、〉四十三万二千文、〈同三千八百八十八貫目、同六万四千八百両、〈[#「両」は底本では「雨」]〉 〈お杉お玉に二文づつやる積り、〉八十六万四千貫文、 〈同七千七百七十六貫目、同十二万九千六百両、〉〈一日ニ米酒其外総て升数の物三升宛にて、〉一億二千九百六十万石、〈一石に付、代金一両二分、総金一億九千四百四十万両、〉

惣銭高 十〇億六千六百三十七万六千貫文、

 此銀高九百五十七万九十七万九千三百八四貫文、

米代とも金高三億五千四百〇五万六千四百両、

右の記する所は、纔に五十里の道程にして、六十日の間さへ此の如し。いやんや数年参詣する日本国の人をや。実に以て算へかたき大数なり。且又これに洩れたるは後編に出す。

 
柳々の手でひいて御覧
 

     ○柳々の手でひいて御覧

おかげと世に面白う、ぬけて参るがお伊勢の奇特、連に従ひ揃の衣裳、その身其身の伊達くらべ、京も大坂もわけもなし、始めは阿波におだてられ、日増になつて、つひこちやになる。施行の駕籠のかきおもり、ど抜けた拍子の掛声は、朝飯の腹すいた人。

 
伊勢参宮誠の道しるべ
 

     伊勢参宮誠の道しるべ

オープンアクセス NDLJP:214抑〻伊勢両宮へ参詣せんと思ふ徒は、右の御神託の意を能く察すべし。譬へて云はゞ、世間抜参りと号して、主親の許もなきに、内を忍び出で、参宮せんとす。是則謀計なり。幸に怪我・過なく参りぬる共、眼前の利潤にして主の用を闕き、父母に苦をかけて参るは非道にして、正路ならざれば、神明争で受け給ふべき。質朴なる徒は、我も参宮したけれども、大切なる主人・大事なる親の許も無きに、抜参りなどするは、不忠・不孝なりと思ひ止る。是則正直なり。此の如くなれば、一旦は本意なきに似たれども、其正直を神明憐み給ひ、終には、主親の許を得て、明に参宮すべき様に守るべしとの有り難き御神託なり。然るに弁へなき徒は、参宮さへすればよき事と思ひて、主に手をつがせ、親に苦しみを掛けるとも心付かず、只賑はしきに心移り、何の差別なき抜り参する共、何ぞ神明の意に叶ふべき。特に当年などは、国々よりも、御蔭参りと号し、数多参宮すれば、駅々の宿屋群集して、宿を取難きにぞ、是非なく野に伏し山に寝ぬ、果ては難渋に堪へ兼ね、中途よりすごと帰る人々もあるべし。又当所には、種々の施行あるを見て、斯くては路銀なくても参宮せらるゝ事と心得、若き女子・童僕弁へなき心得より、路銀雨具をも用意せずして、内を抜出づるも有るべけれども、是大いなる心得違なり。施行の有るは各〻限り有つて、道中悉く有るにあらず。譬へ有りとも、路用の十分一にも足るべからず。争で億万の人に行届くべき。されば道中にて飢触、或は雨露に濡れしほれ、難渋此上なかるべし。只参宮し度く思ふ輩は、主親に願ひ、諸事差支なくて、許を受けなば、道中の勝手を覚えし人を連れ参るべし。主親の許しなくば、慎みて思ひ止まり、時節を待つて願ふべし。努々ゆめ悪しき徒にそゝのかされ、主親の恩を忘るべからず。是ぞ参宮の正路なるべし。 施印

 
諸国おかげ参り白石噺吉原段抜文句
 

     おかげ参り白石噺吉原段抜文句

宮や宮柴打連れて、  太夫様御機嫌よく、  太鼓打踊参り、  大事にせいと下さんした、  路用金。  お前も早う身じまひして、  古市遊女抜参に誘はれた連、  なじよにもかしよにもおらだけひとり、  此節留守人。  差合な顔はないかへ、  何の奉公どころかへ、  叱られて同役丁稚、  いやな事ではないオープンアクセス NDLJP:215かいな。  宿々の風抜参りの友、  心一ちにし申て、  薩州廿七万余、  お前も御出と連立つて、  抜参の友、  道中すがらの艱難も、  娘連れに雨ふり、  そなたはそこらかたづきやれ、  鹿島立のあと、  続くは末の松山を、  お蔭に参る人々、  田舎娘のあたりきよろ、  京・大坂見物、  其苦を助けうばつかりに、  所々の施行、  お前の古郷国処、  道中の迷子、  其様に思やるももつとも、  娘にせがまるゝ母親、  すねかけ申すも他生の縁、  道中の施行宿、  思ひ返せば十二のとし、  此前のおかげばなしの老女、  心づくしのはてはおろか、  追々出て来る参宮、  手を取かはす兄弟が、  はぐれぬ様にと、  私もおつ付其処へ行く、  笠のひも付てゐる人、  姉妹ひそと、出立の拵へ、  奥の御客はお待ち兼ね、  宿屋の飯時、  向と違うた物か、  堂島の施行宿、  昨日の返事聞ていおぢや、  参宮さす親、  これ此処をよう聞きや、  先で参らすと云ふ母、  身の一徳、  おかげに二度逢うた人、  ヱヽ有難うござんすと、  施行受ける人、  お客選びのしやうもいらず、  道中の宿屋、  たゞふし拝むばかりなり、  両大神宮、

 
ほうなう
 

〈[#図は省略]〉

     ほうなうほうなふ(奉納)ハかうのう(効能)ヲキカセタリ


一、抑〻此天照大神円の儀は、子が先祖伊弉諾・伊弉冊尊、始め御出現ありて、此神薬を製薬成され候処、誠に其功験の著しき事、世人の能く知る所なり。第一下万民を能く撫育し、気意を整へ、五穀成就する事を専らと成され候。かるが故に、民賑ひ人気能く治まる事妙なり。尤も例年秋の頃より冬分は、陰気発し気鬱する人多し。然りと雖、春陽の春を迎へ、弥生花の頃に至りて、右神薬の功験速なるを以て知るべし。○婦人は安全参宮を一度用ひ置けば、他へ嫁するとも大に鼻高く、故に天狗の面色、又は高麗やの恐れなし。○小児は一と度お蔭抜参を用ひ置けば、成長の後間抜の憂ひなし。猶此度参詣の人々は、路銀入らず施し多し。余は奉納持行きて知るべし。○尤も此薬六十年以前披露致し候処、近来甚だ人気悪しく相成候故、又候此度相改め、御祓を以て披露致候処、忽ち日本国中へ相弘まり、人気も治し豊年を祝し、日々参詣の群集神前に市を為す事、偏に神薬の速なる事恐るべし。貴ぶべし。

 真方倹約丸法書 

オープンアクセス NDLJP:216 一、簡略五両、  余情の皮を去り工夫の水に浸す。   好色、遊山、物好、

一、始末四両、  欲心を去り心の水に浸す。      油断、作事、余情、

一、世帯四両、  世間の上皮を去り、真実の水に浸す。 美食、気随、自由、

一、堪忍二両、  其儘用ふ、鉄器を忌む。       朝寝、夜深、大酒、

一、算用一両、  算盤にあて、誠に細かに刻む。

右に記す倹約丸の法書は、此度太神円弘めの為め、参詣の人々へ施し申候。此五薬を心の薬研にて能く細末し、分別の糊を以て丸くし、一時に一粒づつ用ふべし。其上真実の心を以て、渡世出精するに於ては、神明のお蔭にて、一生貧病の憂なく、子孫長久疑ひなし。

 本家参詣所、  勢州山田、         両宮斎拝製、

 大坂元弘所、  内平野町松屋丁東へ入、   日中軒神明、

    私宮   乍憚口上

一、御蔭を以て、日増に御参詣被成下候段、難有仕合に奉存候。是に因て此度御礼冥加の為め、折節平野町神明に遷宮有りて造り物多し是れを云へる也当閏三月十六日ゟ四月八日迄、日数三七日の間、宮移し御祝儀として、造り物品々沢山に御覧に入れ奉り候間、賑々しく御参詣の程奉希上候。已上。

右の外諸国御城下津々浦々に神明社御座候間、名所篤と御聞合の上、毎月六斎御参詣なさるべく候。

 
伊勢参りおかげ道成寺
 

     伊勢参りおかげ道成寺新版色里町中大流行金がみさきかへ文句  大坂稲荷前角あは平板

おかげ噂は数々ござる、しよてのおかげを聞く時は、施行無上せぎやうむじやうと咄すなり。今度のお蔭と聞く時は、施行めつさうとはしるなり。しんしやうのひゞきにはどれもならぬと人々で、しやくや飯籠入らぬかと、聞いて戴く人ばかり、我も子供を引連れて、しんどいで、茶屋で休み明さん、言はず語らず、我子供皆引連れて、ぬけるのは連もなく、只浮々とどうでも施行が当てぢや物、坂へかゝればおとましと、云うて袂からくず袋、内股へたゞふり掛ける。どうでも女子は太りじし色と愛嬌で施行が多い、今度態々夫婦連にて腰弁当で、早う抜けるがよし。花の三月馬も矢鱈にオープンアクセス NDLJP:217引く馬士連が、勤めおんどか、誰も一度にやあとこせ。ほんの抜参りしごく、なぞ何も苦にせぬからだ。其儘かみもしやまんばむりを抜参り、それがほんのお蔭一二三四余程行きます人もせります。共に此身を難儀重ねて、笠はまるきり唯抜き捨てゝ、参る群集はえらいものぢやへ。

 
お蔭参りいたこぶし
 

     お蔭参りいたこぶし

「お蔭参りと皆なまめきて「思いの旅出立、拵へ立派に道連れの「しやれた御方を乗せなさる「さつても見事な施行駕籠、揃の袢纏華やかに、折々しがないお方でも、こつそり内をば抜けやうと、御受があるなら参らんせ。

「今日は日和も良い鹿島立ち「三条通や粟田口、はつと出たる日の岡を「越せば山科奴茶屋「追分名物大津絵が、名代の算盤一里塚、折々連に跡や先き、逢坂関を越えやうと、大津で八丁杉の辻。

「瀬田へ廻れば三里の道を「かちで行く人、石場から、出船は今ぢやと、我れいちに、「乗るや矢橋の渡船「名高き近江の八景や、見晴らす湖水の風景も、折々比叡の吹下し、これには困り入りやした。追風で草津へ一とはしり。

「姥が餅とて皆懐の「小銭出だして買うて食ふ、目川の田楽よい風味「何でもかをるや梅の木で「鶯ならねど云寄りて、床几で一服和中散、石部や水口おしやれ衆が、すつしりお客を止めやした。大野は焼鳥名物で。

「蓑と笠著て土山越えた「雲に鈴鹿や坂の下、てるまふととつばかは「足も心に関地蔵「をがみて通ればくづはらか、むく本越えたら銭掛の、松原くよくのなかなかと、さても退屈させやした。おなかもくぼくて弁当か。

「こゝは津の町皆阿弥陀笠「誰も著ながら伏拝み、急げばくもつが松坂を「越えて明星みやうじよで名物の「かつぱは名高き煙草入、おばたを離れて宮川で、清めの手水や川こほり、程無く山田へ著きやした。これからだん宮巡り。

「誰も遥々野山を越えて「参る心は有難や、柏手打つて伏し拝む「こゝぞ真の天てらす「本社の前には鈴しめの、神への御ちそうお神楽と、折々結構な参詣は、しつかりオープンアクセス NDLJP:218だい打やした。神より太夫の御悦び。

「巡る末社の数々数多「外宮に四十末社あり、内宮に八十末社あり「中に尊き天の宮「此方の社は風の宮、弓矢の神にて八幡宮、恵比須に大黒・稲荷さん福徳与へたび給へ。あきない繁昌祈ります。

「天の岩戸は古へ神の「隠れ給ひし御跡と、音にも聞えて名も高天「はらひ給へと行先に「あちらも賽銭あげなされ、こちらもたつ程勧められ、折々ところで十二銅、どつさり包んでなげやした。につこり笑面の宮雀。

「相の山とて皆立止まる「お杉・お玉が三味線の、音色も可笑しき一とふしや「さてもひくにぞやかましい「しまさん・こんさんなげさんせ、ゆかたの女中もやてがんせ、でんちうはりひぢさゝらする、小さい子供の一とをどり。おやまを作りて銭せがむ。

「銭をばら下からうける「こゝは宇治橋早越えて、いはほにしめなは引はえし、「二見の浦とて名に高き「朝熊に来て見りや名物の、万金丹とて効能は、をり酒のゑひざまし、さつぱり頭痛も止みやした。つひでに磯部の鸚鵡石。

「残る方なく巡りて戻る「宿は此処へと太夫つき、色々馳走の取持に「立つて下向の土産物「劒先・お祓・青海苔に、ぬりはし・火縄にそめ貝や、おひ宿から樽肴、めでたい下向をさか向ひ。さゞんざ歌ふも神の徳。

 
おかげ踊
 

     おかげ踊 作者知らず、

文政寅の春よりも、御蔭参りと云ひはやし、伊勢の宮居をこゝろざし、限りしられぬ諸人も、今はとだえて冬枯れと、なれる頃ぞと思ひしに、大和・河内はおかげにて、田畠豊に実りしと、神無月より躍り出し、霜月・師走のぼりつめ、羅紗・天鵞絨の幟立て、金の御幣に揃ひの衣裳、三味線・太鼓・笛・鼓、二百・二一百一と群れに、御蔭躍りと名を付けて、其振付は難波より、数への金に迎へつゝ、吾劣らじと村々の、おごれる衣裳華やかに、躍りながらの伊勢参り、御礼参りと云ひはやし、男女の差別なく、老も若きも一様に、年の貢も其儘に、浮かれ歩行を村長の、始めの程は鎮めんと、気を揉み上げてあせりしも、何時の程より共々に、躍れる中に打交り、手振袖振り折々は、難波オープンアクセス NDLJP:219津迄も浮かれ来る、怪しき業と思へども、これも天照神の徳、外に類ひはあらじとぞ思ふ。

大和・河内は分けて田畠の実のりしと、金の御幣や幟立て、老若男女の差別なく、御蔭とてをどるとさ。

御蔭躍りと皆一様に衣裳著て、三味線・太鼓で囃し立て、うつゝでねり行く伊勢参り、おかげてな浮きました。

 
僧侶取締布令
 

     文政十二己丑年十二月十日

近来諸寺院の僧侶一体風俗不宜候哉、道徳殊勝の聞え在之輩は稀にて、不律・不如法之沙汰而已のみ間々相聞候。都て諸宗之僧徒、夫々作法も可之所、畢竟本山亦は役寺触頭等身分等閑成故之儀にて可之候。以来本寺・役寺触頭等にて、常々無油断心を付、宗旨得達之僧侶を相すませ、聊も不如法ふによはふ成者、夫々科等も在之、配下の示教行届候様、専一に為致可申候、尤本寺・役寺触頭等の内にも、万一不律・不如法之聞在之者、勿論之儀、或は利欲に耽り、寺務の実意疎成歟、亦は一体其器に不当輩は、縦令大地本山の本院たりと云ふとも、聊無容赦厳重に其沙汰可之事に候。右の趣御沙汰に候間、篤と申談じ、夫々行届、不取締無之様可致候。右の通寛政元酉年二月、従江戸仰下候に付、其段摂・河・播三ケ国迄為触知置候処、当表寺院の内、間々不如法の僧も在之趣相聞、於奉行所吟味之上、追々御仕置申付候得共、全本山之寺院、当表ゟ手遠にて、役寺・触頭等之示教不行届、且不器量之僧猥に一寺住職致し候儀も在之由相聞え候に付、示教行届候様、若又以来如何いかゞ之風聞有オープンアクセス NDLJP:220候はゞ、追々引寄可吟味。尤役寺・触頭並組寺等迄、可越度旨、当表諸宗役寺僧録・触頭等へ申渡、右に付寺中は勿論、諸宗之僧不如法の儀、及見分候はゞ、其処の者ゟ可訴出候。万一内証に致し置、後日に相聞え候はゞ、急度可沙汰旨、寛政十午年十一月、大坂三郷町中へ相触、其段当表寺院へも相達置候。後尚又同十一未年八月従江戸仰下候趣、並文化十四丑年七月にも町々・在々へ為触知候処、忘却の輩も有之哉、近頃亦々行状不宜風聞有之候に付、尚又為触知候間、触渡の趣、弥〻無忘却相守候。此上風聞不相止候はゞ、急度可吟味候。此旨三郷町中可触知者也。

  丑十二月  伊賀山城

              小組総年寄

右の御触に驚き、俄に梵妻に暇を遣りし寺も有り。僧徒の非行又京都其外知るべ有る方へ女を預けしも有り。中には頓著なくて其儘に打過ぎて、行状宜しからざるも有り。一一其罪を糺せば、行状正しきは二三ケ寺に過ぎざれば、一々に召捕り難く、右御触後に不埒なる寺々六十ケ寺計り、夜中密に大塩氏の宅に召寄せ、「罪の次第篤と聞合せ、これを認めし封書を以て、夫々へ相渡し、申開きの筋あらば、開封の上返答に及ぶべし。表立つて吟味を遂ぐべきなれども、愍憫を以て此の如し」となり。坊主共次に下り、何れも之を開き見るに、各〻身の上になせる業の悉く記し有るにぞ、一言の申訳なく、「恐入る旨」申すにぞ、「急度御咎の筋なれども、是迄の事をば内々になし遣はすべし。已後心得違の事之あるに於ては、罪科に処すべき旨」申聞かせ、許し返されしにぞ、いづれも虎口を逃れたる心地にて、引取りしとぞ。かくても尚止まる事なき寺々を、昨年の冬より春かけて、三十ケ寺計りも御召捕になる。中にも、甚しきは天王寺にて一心寺、千日の慈安寺、生魂の蔓陀羅院、北野にて大融寺・円頓寺・善通寺・建国寺、其余寺号を聞きぬれども、皆忘れたり。曽根崎新地藤井寺、其外所々の寺々、御手当を遁れ、逃失せしも多くありしとなり。円頓寺は法華宗にて、無檀地なるが、堂島河内屋善兵衛といへる者、代々此寺を信じ、此寺河内屋にて相続をなせる事なるに、当時の善兵衛母〈五十計りといふ。〉を犯し、是迄寺の立行く程の事為して貰オープンアクセス NDLJP:221ひぬる上に、此母より是迄数百金の金を取入れぬ。近き頃善兵衛方にて、百五十金紛失して、知れざるにぞ、賊の入りし事も覚えざれば、召使へる者に疑ひをかけ、大金の事なればとて、其旨相届けぬるに、間もなく円頓寺召捕られ、後家の入牢にて、御吟味有りしに、後家より密に此坊主へ遣り、知らざる面にて公儀に届けなどせし故、邪淫の上、上をたばかりし罪重なり、坊主は邪淫せる上に、かゝる事して金を取りぬれば、工み事に落ちて、其罪を重ねぬといへり。善通寺は人の妻を犯し、これも金銭を取る。一心寺も梵妻より外に、重き罪ある由、其余尼寺の住持、子両三人も生めるあり、尤甚しきは、梵妻に、置屋・揚げ屋抔させ、己が娘を芸妓に出だし、男子には肴屋をさせぬる有りし。中にも高津下寺町に北山寿庵が碑あり、〈寺号忘れたり〉 寺の南、筋向の寺も、梵妻不如法の事ある故、公儀より之を召捕りに行きぬるに、近辺の住持等大勢参会し、酒肉取り散らし、博奕を為して有りしかば、思はざるに得物多く、寺中は素より捕へに参られしも、案外の事にて人数不足なれば、漸々と之を召捕られしとなり。

 
                                        
 

多田の満願寺は、大融寺にて開帳をなし、河内の壺坂は、大蓮寺にて開帳をなせしが、御蔭参りにて、これを見向く人さへもなかりし。然るに蒲満寺は、伊丹の先なる中山寺の麓にて、柳屋といへる茶店の娘を抱へ置きぬるを、小性に仕立て、男の姿にやつさせて、開帳中も之を連れ参りしに、寺々召捕られ、己が事も露顕せし事なれば、此娘を密に奈良の方へ預けしが、こゝにも置き難たければ、京の方に隠さんとて、密に連れ帰りぬる途中にて、両人共召捕られ、入牢せしと云ふ。京都にても、妙信寺・智恩院・本国寺・黒谷其余処々にて召捕られ、入牢のよし。近来人気も悪しく、世間大いに行詰りて、姦悪の事多かりしにて、刑罰を蒙り、○国初トハ不都合ナル語ナレドモ江戸幕府ノ初ノ頃ヲ云ヘルナリ剰へ国初已来、潜み隠れて行ひし切支丹の根葉もなく刈り尽し給ひ、又斯かる邪淫の僧侶迄、皆其罪に服して、万民御代の有難き事を悦びぬれば、御蔭は参宮に限れるにも非ず。寺々不如法の事など此度の伊勢参りに与かれるにてはなしと雖も、神道盛にして火事ありなどとて、騒ぎぬる者もあるに、戯言番付の中にも、是等の事取込めて記せるオープンアクセス NDLJP:222事など之あり。これを知らでは分き難き事もあれば、こゝにこれを記せるは、其事を分ち、御政道の正しきを、後の世迄も伝へぬる一つの端にもあらんと思へるにぞ、これを書いつけて置きぬ。

 
                                        
 

こは唯僧の事を云へれど、是のみに非ず。女色に限らず男色も世に害ある事多きものなり。夏桀の未喜・殷紂の姐己・周幽の褒似・音献の驪姫・呉王の西施・衛公の宣姜・何れ其害大なり。又周穆が慈童を愛し、衛霊の弥子瑕・漢高の籍孺・漢哀の董賢・唐韓の吏邦・孟郊・鄧通・安陽、皆男色の名あり。唐にてはこれを非道と云ひ、竺土にても其事なせる事にて大悲華経の中に、狎頓といへり。吾朝にては、若道・衆道など云ひて、弘法が弟真雅が曼陀羅丸〈業平の幼名。〉に懸想し、光源氏、空蝉が弟小君に懸想せし事、文面に見えたり。其余管阿児・竹生島の童子・書写山の乙若など之あり。古より女に限らず、男色の害尤甚しき事ぞがし。故に当書にも、頑童を近づくる事を戒む。僧の身にして五戒第一の邪媱戒を犯しぬる其罪、言を待たずして明らかなり。併し僧のみにもあらず。世人之が為に産を傷ふ者少なからず。故にこれを記せるも、子孫の心得べき事にあればなり。恐るべし慎むべし。穴賢あなかしこ

 
天保二年草木の病流行
 
草木の病、流行

天保二辛卯秋、御蔭年なりとて、専らいひはやせしに、旱にて、種々の草木に病ひ付き、又は虫喰などせしを見て、御蔭の奇特なりとて、人々見物に行きける事のさうしきを見てよめる。      読人知らず

難波津に春は金の花をふらし秋は梢に実る饅頭

綿さゝぎ玉に饅頭木になりて餅のならぬが不思議なりけり

さゝぎりまんぢうがり綿がふく南蛮きびは伴天連がして

所々に咲き諸人めづる芋の花は よからぬ事のありとこそ知れ

桃桜膠や虫の巣かたまりてむせて毛立つと知らぬはかなさ

時を忘れ所々に咲きぬる桜花は枯るゝに近きものにぞありける

汗尽きて油を絞る暑さには人も草木も病まざらめやは

オープンアクセス NDLJP:223暑さにて草木も痛みくさの病める姿を何愛るらん

人毎に汗ば出来ぬはなかりけり是も暑さの御蔭なるらん

暑さにて草木もいたみ人もまた逆上せて出来る頭瘡まんぢう

暑さにてよこねがんさう綿がふき身に楊梅の花も咲きけり

予が庭前にも、松・紅葉等に、世間にていへる綿なる物出来ぬ。蘇鉄の玉といへる其片端、外より予に贈りぬる故、後年のしるしに其物共を留め置きぬ。

 
浮世の有様巻之二
 
 
 

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