埃及マカリイ全書/第四十六講話

第四十六講話

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<< かみことばことばと、かみこのとのあひだべつ。 >>

一、 かみことばすなはちかみにして、ことばすなはちなり。さりながらかみことばことばと、かみとのあひだおほいなるべつきょのあるあり。けだしすべてのしゅその所生しょせいん。ゆえにもししんしゅことばじょう物体ぶったいこのさかえとにおのれ付與ふよせんをねがふならば、かれ生命いのち真実しんじつなるあんるをずして、かつほろびん、なんとなればかれあんそのうまれたるところにあればなり。しゅのいひたまごとく〔マトフェイ十三の二十二うき諸慮しょりょためたれ、械繋かいけいにつながるるものは、あつせられて、かみさかえため結果けっかなるものとならん。しかれどもこれとひとしくにくぞくするゆうなる意思いしためたるるものすなはちぞくするひとも、もしかみことばをきくをねがふといへども、あつせられて、げんなるものごとくならん、悪習あくしゅうあざむきにれたるものかみのことをくときは、かいなるだんみだされしものごとこころ煩悶はんもんせん。

二、 かつまたパウェルもいへり、『れいぞくするひとかみしんことをうけず、そのかれためたるがゆえなり』〔コリンフ前二の十四〕。また言者げんしゃもいへり、かみことばかれためおうしたる食物しょくもつごとしと〔イサイヤ二十八の十三フェオドテオンやくる〕おのおのおのれうまれたるところほうりて生活せいかつするのほかべつ生活せいかつするあたはざるをん。しかれどもまた一方いっぽうよりもこれにちゅうせんこと肝要かんようなり。もしにくぞくするひと決心けっしんしてみづからおのれへんするに着手ちゃくしゅするならば、最初さいしょにまづかれして、ぜんあくなる生活せいかつため結果けっかなるものとならん。しかのみならずやまひおかさるるもの、たとへば熱病ねつびょうにかかるものごときも、その床上ゆかのうへよこたはりて何事なにごとをもおさむるあたはずといへども、工作こうさくため配慮はいりょかれてこころみづからやすんぜず、其友そのともをつかはしてたづねん、かくのごと誡命かいめいやぶりておのれを情慾じょうよくやまひにおとしいれ、りょくなるものとなれる霊魂たましひしゅつきかれしんずるときは、かれより代保だいほうをうけん、されば従前じゅうぜん最悪さいあくなる生活せいかつて、ふるやまひため衰弱すいじゃくする霊魂たましひは、なほおうして、生命いのちのいかなるおこなひをも真実しんじつぐるちからあらずといへども、しかれども生命いのちためもっぱつとめておもんばかり、しゅ懇願こんがんし、真実しんじつたづねざるをざるべくかつこれをるなり。

三、 きょうためけい引入ひきいれられたる或者あるもの主張しゅちょうして、ひとかならすればなんぜんまったすあたはじといふはあやまれり。えいなにすのちからあらず、あるひ其足そのあしにてははいたるあたはずといへども、ははたづねてみづからうごかし呱々こことしてかん。さればはははこれをあはれみ、こえはげまし、たかさけんでははたづぬるをよろこび、きたりてははくあたはざるがために、あいするのじょうあたはざるはは其久そのひさしくたづぬるがために、みづからかれちかづきて、おほいなるしんもつかれり、あいしてこれににゅうせんとす。ひとあいするかみきたりてかみたづぬる霊魂たましひところもこれにおなじ。しかのみならずそのゆうあい本来ほんらいしんうごかさるるかれさらにいよいよみづから霊魂たましひめいきて、使徒しとのいへるごと霊魂たましひ一神いつしんとならん〔コリンフ前六の十七〕。けだし霊魂たましひしゅき、しゅ霊魂たましひあはれかつあいしつつきたりてかれきて、霊魂たましひめいしゅ恩寵おんちょうはやだんとどまりるときは、霊魂たましひしゅとは同一どういつしんとなり、同一どういつゆう同一どういつとならん。霊魂たましひからだてらるるものとなりてそんすれども、第三だいさんじゅうてんのぼり、しゅきて、かしこにしゅにつかふまつりつつ、てんイエルサリムまった生存せいそんせん。

四、 てんみやこたか尊厳そんげんくらいたまものは、みづから霊魂たましひともにそのからだまったらん、なんとなればかれ霊魂たましひしょうたかしょ聖者せいしゃてんみやこなるイエルサリムけども、その神性しんせいもいはれざるひかり自己じこしょうをそのからだきたればなり。かれからだみやこおい霊魂たましひにつとめて、霊魂たましひてんみやこおいかれにつかへん。霊魂たましひてんおいかれぎょうしゃとなりたれど、かれおい霊魂たましひぎょうにうけたまへり。けだししゅ霊魂たましひぎょうとなりて、霊魂たましひしゅぎょうとなるなり。くらまされたる罪人ざいにんといへども、そのおもひとはからだよりきはめてとほはなるるをべく、おほいなるきょ瞬間しゅんかんはしりて、懸隔けんかくせる方面ほうめんにうつるちからゆうするなり、さればからだはしばしばてらるれどもおもひあいするものとも方面ほうめんるべくあるひあいするものともにして、自己じこること彼処かしこものごとくならん。しかれども罪人ざいにん霊魂たましひさへかくのごと鋭敏えいびんかけりて、その懸隔けんかくせる方面ほうめんるをさまたぐるあらずんば、いはんや聖神せいしんちからもつ暗黒あんこくおほひだつしたる霊魂たましひおいては、その智慧ちえてんひかりてらされて、霊魂たましひじょくよくよりまったすくはれ、恩寵おんちょうによりきよきものとなるときは、てんおいまったしんもつしゅにつかふべく、またからだもつてもまったかれにつかへて、そのおもひ何処いづこにもらざるなきほどひろくなり、ほつするところしたがひ、ほつするときにハリストスにつかうまつらん。

五、 使徒しと此事このことをいへり、いはく『しゅうせいともひろさとながさとふかさとたかさとのなになるをさとり、およハリストスはかがたあいるをんため、なんぢかみおよそ充満じゅうまんてられんためなり』〔エフェス三の十八十九〕。もいはれざる霊魂たましひおうさつせよ、しゅはこれにかかれる暗黒あんこくをこれよりとりけ、これをひらきて、みづからこれにあらはれたまふ。そのおもひ廣濶こうかつにして、およゆるとえざる萬物ばんもつひろさとながさとふかさとたかさとにいたらしむることいかばかりなるや。されば霊魂たましひじつ大業たいぎょうかみわざにして、奇異きいなるわざなり。これをつくるにあたりてかみその本性ほんせい悪癖あくへきれずしてつくりたまへり、かへつしん道徳どうとくぞうによりてこれをつくり、これに道徳どうとくほうせい認識にんしきぜんしんあいその徳行とくこうとをしんぞうによりて賦與ふよたまへり。

六、 いましゅ認識にんしきぜんあいしんとにおいかれさがもとめて、かれにあらはれん。しゅめいねんゆう主宰しゅさいするとをかれし、またおほいなるゆうかれおうたらしめ、かれをうごかしやすきもの軽翼けいよくなるものおよまざるものとなし、瞬間しゅんかん去来きょらいして、しんほつするときはおもひもつしゅにつとむべき才能さいのうかれにあたへたまへり。一言いちげんもつてこれをいへばかれをしてしゅしんとなり随伴者ずいはんしゃとならしめんがため、またしゅかれ合併がっぺいしてかれしゅ一神いつしんとならんがためにかれをつくりたまへり、いふあり、『しゅものしゅ一神いつしんとなる』〔コリンフ前六の十七〕。かれ光栄こうえい世々よよす。アミン。