<< 神における完全なる信仰。 >>
一、 主は其門徒を完全なる信仰に上せんと欲して、福音経に左の如くいへり、少なき事に於て忠ならざる者は多き事に於ても忠ならず、されども『少なき事に於て忠なる者は多き事に於ても忠なり』〔ルカ十六の十〕。少なき事とは何を謂ふか。また多き事とは何を謂ふか。少なき事とはこれ即此世の約束にして、主を信ずる者に給せんことを主の約し給ひしすべてのものを謂ふ、例へば食物、衣服、及び其他身体の安息の為或は健康の為になるもの、及びこれに類するものにして、此事に就ては主に希望依頼して全く慮るべからざるを命じたまひき、何故なれば主に助を乞ふ者を主はすべてに於て慮り給へばなり。さて多き者とはこれ即永遠不朽なる世の賜物にして、こは主を信ずる者にあたへんことを約したまひしものなれば、信者は不断に此等の為に慮りて、これを主に願はざるべからず、何となれば左の如く誡命し給へばなり、曰く『汝等は先づ神の国と其義とを求めよ、然らば此等の者は皆爾等に加はらん』〔マトフェイ六の三十三〕。さてかくの如く誡命したまひしは我等もし此の少なきものに懸念せずして、来世永遠なるものを慮るならば、此の少なきものをも給したまはんことを約したる神を信ずるや否は此の少なき暫時なるものを以て試みらるるによる。
二、 もし上に言ふ所のものに関して健全の信仰を保つならば、其時人が不朽なるものを信じて、永遠の幸福を実に尋ぬることは明白なるべし。けだし真理の言に服従する者はいかやうに神を信じて己を神に托するか、果して神の言と真実に合致するか、或は己の称義と己の信仰に自負するにより、ただ自から己を信者と思ふのみなるかを或は自から試みて己れを審議し、或は神的人々の審議と試みとに付すること肝要なり。人はおのおの少なき事に於て、即此世暫時のものに於て忠なるや否を自から試み且證するを得るなり。如何に試み且證するか。宜しく聴くべし、汝が己を信者と名づくるは天国を賜はるによるか、上より生れて、神の子となり、ハリストスの同嗣者となるによるか、ハリストスと共に永世王となり、得もいはれざる光の中にありて、無限にして数ふべからざる世に福楽を受ること神自からの如くならんとするによるか。汝は必ずいはん『然り、これが為の故に我は世に遠ざかりて己を主に托せり』と。
三、 然らば汝は己を試みよ、地上の慮りと身体の食と衣と其他の必要物の事及び居室の事に関する大なる費心は汝を占領せざるか、また己を全く慮るなかれと汝に命ぜられたる其己の為に汝は自己の力を以て強て求めざるか、且慮らざるか。けだしもし不死なる、永遠なる、恒存充足するものを受くべきを信ずるならば、神が不信なる人々にも、野獣にも、禽鳥にもあたへ給ふ暫事なる、地に属するものにつきては、主に此を汝に給することはいよいよ信ずべきにあらずや、けだし此事を全く慮るべからざるを誡命していへり、汝等何を食い或は何を飲み或は何を衣んと慮るなかれ『蓋これみな異邦人の求むる所なり』と〔マトフェイ六の三十一、三十二〕。されどもし汝に猶此事の慮ありて、汝は己を主の言に全く托せずんば、知るべし汝は今に至るまで永遠の幸福、即天国をうくるを信ぜざるのみならず、少なきものと朽つるものとにさへ猶忠ならざるをあらはして、ただ己を信者と思ふのみなるを。且それ身体は衣服より貴き如く、霊魂は身体より貴し。故に汝の霊魂は永久にして人々の癒すあたはざる創痍、即耻づべき情慾の癒をハリストスより受くべきを汝は信ずるか、けだし主の此世に来りたまひしは、忠なる霊魂が独一真実の医と癒者とにより、難治の情慾をいやして、罪なる癩の汚穢を清めんがためなるによる。
四、 汝は言はん『疑なく信ず、ゆえに此事に堅く立たん、我が希望はかくの如し』と。然らば己を試みて察すべし、肉体の苦みは時として汝を此世の医に引誘して、汝が確信したるハリストスをば汝をいやすあたはざる者の如く思ふことあらざるか。見よ汝はいまだ真実当然に信ぜず、自から己をただ信者と思ふのみなるを。しかれどももし汝は不死なる霊魂の永久にしていやす能はざる創痍と罪なる病とがハリストスを以ていやさるるを信ずるならば、身体の一時の薄弱と病とをもハリストスはいやすの力あるを確信すべく、医の助と勤労とをかろんじて、独り彼に趨り就かん。けだし霊魂をつくりし者は身体をも造りて、不死なる霊魂をいやす者は身体をも一時の苦みと病とよりいやすべければなり。
五、 さりながら顧ふに汝は我につげて左の如くいはん、『神は身体をいやすが為に地の草と薬物とをあたへ、身体の病の為には医の助をそなへて、地より取られたる身体が地に属する種々の生産物を以ていやされんやうによく処理したまへり』と。是れ如此なることは我も同意なり。さりながら善く慎思して確知すべし、神はその大なる無限の仁愛と仁慈とにより、誰に此をあたへ、誰が為に特別なる照看を為すか、人はそのあたへられたる誡命に背き、譴怒に触れて、楽園の楽みより此世に放逐せられしこと、さながら囚虜となりて不名誉をかうむりし如く、又は或る採鉱場に入れられし如くにして、闇黒の権に服従し、情慾の誘により不信者となりて、先には苦難も疾病も知らざりしに拘らず、終に肉体の苦難と疾病とにおちいりき。されば彼より生れたる悉くの、人類も彼と同じく苦難におちいりしことは顕然たるなり。
六、 ゆえに神は病弱なる者と不信者とに於ける己の照看を此事に於てあらはし、大なる仁慈により、罪ある人間の全く亡びんことを欲し給はざりき。身体を撫恤し且これを療する為、又其必要に充つる為に、世の人々とすべて外部に属する者に医療の方法をあたへて、彼等に此方法を益用するをゆるし給へり、何となれば彼等は己を未だ全く神にまかす能はざればなり。然れども修士よ、汝はハリストスに来りし者、神の子となりて、上より神によりて生れんとの望を起し、元始の無慾の人よりも更に高尚に更に大なる約束、即主の来ることの許可をうけて、世の為に遠ざかりし者は信仰も概念も生活も世の悉くの人に対して或る新しき非常なるものを求めざるべからざるなり。光栄は父と子と聖神に世々に帰す。アミン。