埃及マカリイ全書/第十六講話

第十六講話

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<< しんぞくする人々ひとびと原罪げんざいよりながるるわく患難かんなんとにぞくすること。 >>

一、 すべてれいある実体じったいすなはちてん使霊魂れいこん魔鬼まきとを造成者ぞうせいしゃ清潔せいけつなるものおよ最醇さいじゅんなるものにつくりたまへり。しかれどもかれうち或者あるものまよふてあくりしは、これそのせんによりてしょうぜり、なんとなればかれ自己じこゆうにより當然とうぜんりょよりはなれたればなり。されどもし造成者ぞうせいしゃかれあくなるものつくれりといはば、これすなはちサタナつかはすのかみもつ不義ふぎ審判者しんぱんしゃづくるなり。さりながら端者たんしゃあり、断定だんていしていふ、物質ぶっしつはじめなきものにして、かれなり、根本こんぽんちからなり、さればかみひとしきちからあるものなりといふ。これにたいしてはただしろんしてふべし、如何いかなるちからつひかちせいするかと。かみちからなりとこたへざるをざるべし。しかれどもかかるあいおいたれたるもの最早もはやちしものどうなる、あるひ同力どうりょくなるにあらざるべし。あく独立どくりつそんなるを断定だんていするものなにらざるなり。けだしかみよくなるとかみせいとによるに、かみにはなん独立どくりつそんあくあるなし。しかれどもわれおいてはあくはあらゆるけつ欲望よくぼう浸潤しんじゅんして、すべてのちからかんやすきとをもつこうす、さりながらわれとも溶解ようかいするは、或人あるひとさけみづとの混合こんごうにたとへていふごとくなるにあらず。いつ田中でんちゅうむぎみづから成長せいちょうはぐさみづから成長せいちょうするごとく、あるひいつうちぞくべつはなれてしゅべつはなれてるがごとくなるべし。

二、 いづみみづそそだせども、其底そのそこでいのあるあり。もしたれでいをかきみだすときは、いづみはすべてにごらん。かくのごと霊魂たましひもかきみださるるときは、邪悪じゃあくとも溶解ようかいするなり、ゆえにサタナ霊魂たましひあるひいつなるとのとなるべく、ふたつのしん淫行いんこうあるひ殺人さつじんときにあたりてあるひいつたるをさん。ゆえにいふ『いんものはこれと一体いったいとなる』〔コリンフ前六の十六〕、しかれども他時たじには独立どくりつなる霊魂たましひみづからこうしておのれおこなひい、涕泣ていきゅうとうしてみづからかみおくせん。さりながらもし霊魂たましひつねあくぼつするならば、いかんぞこれをすをん、けだしサタナ残忍ざんにんなれば人々ひとびと翻然ほんぜんとしてかいすることをいかんしてもほつせざるなり。ぢょだん配耦はいぐうしたるのちかれいつたらん、しかれども他時たじにはかれたがひ相離あひはなるるなり、なんとなれば其一そのいつして生存せいぞんすることしばしばこれあればなり。霊魂たましひ聖神せいしんしんするもこれとおなじかるべし、霊魂たましひかれ一神いつしんとならん。『しゅものしゅ一神いつしんとなる』〔コリンフ前六の十七〕。しかれどもこれひと恩寵おんちょうもつまるるのときにあるべし。

三、 ひとあり、かみかんすであじはへて、なほ反対者はんたいしゃ勢力せいりょくぞくす、さればかれ経験けいけんにより、かみめぐみくだりしのちハリストスみつときにもねん勢力せいりょくをあらはすにおどろかんとす。さりながら状態じょうたいいたるものはこれにおどろかざるべし、これなほひさしく練習れんしゅうしたる老農ろうのうごとし、かれ豊饒ほうじょうなるときにも、全然ぜんぜん掛意けいせざるものとなりらずして、きん窮乏きゅうぼうとをつ、しかれどもこれにはんしてきんあるひ窮乏きゅうぼういたるあらんときも、とき変遷へんせんするをりてのぞみまったくはうしなはざるなり。霊界れいかいおいてもかくのごとし、霊魂たましひ種々しゅじゅ誘惑ゆうわく遭遇そうぐうするときも、おどろかずまた失望しつぼうせざるべし、けだしかみ放任ほうにんによりあく霊魂たましひこころかつばつするをゆるすをればなり、これにはんしておほいなるとみ平安へいあんとのときにも、掛意けいせざるものとならずして改変かいへんつ。太陽たいよう物体ぶったいなり、受造物じゅぞうぶつなり、さりながらでいけつをみちみてる悪臭あくしゅうはつするしょらして、すこしもがいをうけず、あるひけがされずんば、いはんや清潔せいけつにしてせいなるしん悪者あくしゃ勢力せいりょくしたところ霊魂たましひとどまるも、これよりなん関係かんけいもうけざるべし、けだし『ひかりくらきり、くらきはこれをおほはざればなり』〔イオアン一の五〕。

四、 ゆえひと恩寵おんちょうふかきにありて、これにまさるるや、其時そのときにも邪悪じゃあくどくなほひとそんするあり、しかれどもひとたすくる保護ほごしゃまたひとそんするあるなり。ゆえにたれ患難かんなんあるひ情慾じょうよくだい擾乱じょうらんうちにあるときものぞみうしなふべからず、なんとなれば失望しつぼうによりつみはいよいよ霊魂たましひりて、これを肥太ふとらすればなり。しかれどもたれかみだんのぞみゆうするときは、あくはさながら微々びびとしてひとるもののごとし。もしひとあり衰弱すいじゃくし、そこなはれたるたいゆうし、劇症げきしょうねつくるしみてわづらふあらば、これつみよりしょうずるなり。なんとなればつみ萬悪ばんあくにして、こころ欲望よくぼうしきりょとはこれよりおこればなり。いづみのながるるや、これにかこまるる湿気しっけありてうるほされん。されども炎熱えんねついたるあるや、いづみもそのきんにある土地とちただち乾燥かんそうせん。恩寵おんちょうおほいあまりあるかみ諸僕しょぼくもかくのごとし、恩寵おんちょう悪者あくしゃためおこさるる欲望よくぼうをも天然てんねん欲望よくぼうをもかわかさん、なんとなれば今日こんにちかみ人々ひとびと第一だいいちアダムよりうへにあればなり。

五、 かみかぎられざるかつかこまれざるものにして、何処いづこにもおのれをあらはさざるなし、てん使てんよりくだごとく、甲処こうしょより乙処おつしょうつるにはあらずして、やまにも、うみにも、したごくにもあり、かれてんにもあり、かれ此処ここにもあるなり。さりながらなんぢはん、いかんしてかみごくにあるをべきか、あるひはいかんしてかれ暗黒あんこくに、あるひサタナあるひ悪臭あくしゅうのあるところにあるをべきかと。なんぢこたへん、かみよくなるものにしてすべてをかこまざるなし、なんとなればかぎられざるものなればなり。かみ造物ぞうぶつたるサタナかみもつしばらる、しかれどもぜんなるものけがされざるべく、くらまされざるべし。もしかみごくをもサタナをもすべてかこまざるなしと断定だんていせずんば、かれ悪者あくしゃところしょもつかぎらるるものけつせられて、かれよりさらうへなるかみたづねざるをざるべし、けだしかみ何処いづこにも一切いっさいうへにあらざるべからざればなり。さりながら神性しんせい奥妙おうみょうなるとせいなるとによるにかれかこまるるやみかれかこまざるなり。あくかみにあるところ清潔せいけつあづかるものとなるあたはず。ゆえにかみためには独立どくりつそんあくあるなし、なんとなればかれなによりもがいけざればなり。

六、 しかれどもわれためにはあくあり、なんとなればかれあくなるけつなるおもひあんすすれ、こころはたらき、このりょとなして、われきよとうささぐるをさまたぐればなり。かれ霊魂たましひほねしき触感しょくかんす。たとへばサタナ空中くうちゅうらんに、かみもかしこにともりて、これがためにすこしもわづらはされざるごとく、つみ霊中れいちゅうれど、かみ恩寵おんちょうはまたすこしもわづらはされずしてともおなじるなり。ぼく主人しゅじんかたはらるならば、すべてそのかたはらあいだ戦々せんせん競々きょうきょうとして主人しゅじんによらずしてはなにもなさざるべし。かくのごとわれ主宰しゅさいこころハリストスまへふくして、そのおもひていし、かれむかつてらいぼうとをゆうせんことをようす、なんとなればかれさかえなり、かれちちなり、かれとみなればなり。ゆえになんぢ配慮はいりょ畏懼いくとをつね良心りょうしんゆうすべし。されどもしひとおのれうちうえられて確立かくりつせるかみ恩寵おんちょういまゆうせずんば、時々じじおのれ誘導ゆうどうし、かつ儆醒けいせいしてぜんむかはしむるところのものににち霊魂たましひもつかんこと、天然てんねんなるものにくがごとくせざるべからず。すくなくもひとには配慮はいりょと、畏懼いくと、つうと、つねおのれに確立かくりつせるかいこころとをそんすること、天然てんねんなるかはらざるもののごとくならしむべし。

七、 さりながらたとへばはちひそか蜜房みつぼう屋隅おくぐうつくごとく、恩寵おんちょう其愛そのあいひそか心中しんちゅうつくりて、にがきをあまきにへんじ、残心ざんしんしんへんずるなり。またたとへば銀工ぎんこうおよ彫刻ちょうこくあり、はちそのぶんしたがひて彫刻ちょうこくほどこさんに、種々しゅじゅ動物どうぶつ刻出こくしゅつして、これにせん、されば其工そのこうおはるときは、はちまった燦然さんぜんとしてひかりをあらはさん、かくのごと真実しんじつしょうしゃたるしゅわれたいよりうつりらざるあいだ彫刻ちょうこくもつわれこころかざりて、奥妙おうみょうにこれをあらたにしたまふ、されば其時そのとき霊魂たましひ現然げんぜんたるものとならん。器具きぐせいしてこれに動物どうぶつえがかんとほつするものは、蠟製ろうせい写影しゃえいつくり、そのけいによりうつわ鋳造ちゅうぞうし、それによりて製造品せいぞうひんつひかたちさん。かくのごとつみ神的しんてき性質せいしつゆうすれば、おのれ状態じょうたいゆうして、おほくの形状けいじょうへんするなり。これとおなじくないひと自己じこ状態じょうたい自己じこ形状けいじょうゆうする生活せいかつぶつなり、なんとなれないひとがいひとしょうなればなり。これ重要ちょうようにしてたっとぶべきうつはなり、なんとなればかみはすべての造物ぞうぶつよりもさらにこれをめぐみたまひしによる。されば霊魂たましひぜんなるねん宝石ほうせきまた真珠しんじゅたるごとく、けつなるねんがいともろもろのじょう悪臭あくしゅうとにみちみたさるるなり。

八、 ゆえに「ハリステアニン」はあらたなるかいぞくし、てんアダムにして、あらたなる生出せいしゅつなり、聖神せいしんなり、ハリストスひかりはつする兄弟けいていにして、霊神界れいしんかいちちひかりはつするアダムとにんとす、かれみやこ種属しゅぞくとより能力のうりょくけ、ぞくせずしてぞくするなり。けだししゅみづからいへり、なんぢは『ぞくせざることわれぞくせざるごとし』〔イオアン十七の十六〕。しょう遠方えんぽうよりかへるや、その都度つどその購求こうきゅうして、これをじんおくつかはすは、じんをしておく庭園ていえんおよ緊要きんようなるふくしめんがためなり、さればきょう到着とうちゃくし、おほいなるとみみづから持来もちきたるや、じん親戚しんせきおほいなるよろこびをもつかれむかへん、霊神界れいしんかいおいてもかくのごとし。もし或者あるものてんとみみづから購求こうきゅうするならば、どうしゃたる聖人せいじんおよてん使れいこれぶんし、おどろきていはん、『じょうわれ兄弟けいていおほいなるとみたり』と。かくのごとものるときは、おのれにしゅゆうし、おほいなるよろこびもつうへのぼるべくして、しゅともものはかしこに第宅だいたく苑囿えんゆうおよかがやこうなるふくをそなへて、かれむかへん。

九、 ゆえ儆醒けいせいまった要用ようようなり、げん所有しょゆうする幸福こうふくてんじてわれがいとならざらんためなり。けだし天性てんせいぜんなるひとももし戒慎かいしんせずんば、漸々ぜんぜんそのぜん性質せいしつためいざなはるべく、智慧ちえゆうするものその智慧ちえためぬすらるればなり。ゆえひとはすべてにおい節制者せっせいしゃとならんことをようす、ぜん厳重げんじゅうもつ溶解ようかいすべく、智慧ちえ小心しょうしんもつて、ことばおこなひもつ溶解ようかいし、一切いっさいぼうしゅたくして、自己じこらいせざらんことをようするなり。けだし徳行とくこうおほくのものをもつ調ちょうせらるべし、これなほ緊要きんようなる食物しょくもつ調ちょうのためにこうばしき萄酒どうしゅまた或者あるものようするありて、ただにみつのみにあらず、しょうをもようして、ただかくのごとくなればようてきするものとなるがごとし。

十、 ひとつみなしと断定だんていするものはたとへば人々ひとびと洪水こうずいときにあたりて満水まんすいおぼれんとするも、これをみとめず、かへつて『われみづおとをきけり』といふにたるあり。かくのごと悪習あくしゅうなみふかきに沈没ちんぼつする此者このものもそのおもひとにつみなしと断定だんていするなり。しかれども或者あるもの言論げんろんおさめ、演説えんぜつすも、てんしほ調ちょうせられず、ゆえおう晩餐ばんさんこと論評ろんひょうすれども、みづからはこれをめず、さればかれなんところあらざるなり。しかれどもまた或者あるものただちにおうて、おうたからひらかるるや、りてぎょうをうけて、こうなる食物しょくもつかつまんとす。

十一、 たとへばはは独一どくいつあらんに、容顔ようがんうるはしく、聡明そうめいにして、すべての幸福こうふくもつかざられ、ははぼうげてにあらんに、もしこれをほうむりしなば、ははにははやただいつえざるうれひいつなぐさめざるかなしみとのみのこらん。かくのごとかみためしたる霊魂たましひかなしみ、なみだながして、だんうれひしづみ、中心ちゅうしんよりいたかなしみ、畏懼いくしんとのうちにありて、つねに幸福こうふくかつかつせんことをようするなり。かくのごとものにはつひかみ恩寵おんちょうぼうきたりて、かれにははやかなしみあるなく、かへつてかれたから発見はっけんしたるものごとよろこぶべく、これをうしなはざらんがためさら戦々せんせん競々きょうきょうたらん、なんとなればぞくおそふことあるべければなり。かつ度々どど賊難ぞくなんにかかりたるものはこれがため喪失そうしつわざはひをかうむり、おほいなるしんもつてこれをけたれど、其後そののち廣大こうだいなる財産ざいさんおほくの宝物ほうもつとをゆうするにおよんでは、増殖ぞうしょくしたるとみゆえさんはやおそれざらん、かくのごと最初さいしょおほくの誘惑ゆうわくおそるべきしょとをけいしたる霊神界れいしんかい人々ひとびとも、其後そののち恩寵おんちょうにみてられ、幸福こうふくあまりあるや、これを掠奪りゃくだつせんとほつするものすでおそれざらん、なんとなればかれとみ少小しょうしょうにあらざればなり。さりながらかれはまた畏懼いくゆうす、これあくなる諸神しょしんおどろかされたる人々ひとびと畏懼いくにはあらずして、おのれにたくせられたる霊神界れいしんかいおんをいかにしょせんかとの畏懼いくしんとなり。

十二、 かくのごとひとおのれもつてすべての罪人ざいにんよりなほいやしむべきものとおもふべく、かくのごとおもひかれ植付うえつけらるるは天性てんせいごとくなるべし、さればかれかみるの認識にんしきにいよいよふかほどはいよいよおのれもつ無知むちしゃおもふべく、いよいよまなほどはいよいよおのれもつなにらざるものみとめん。かつしんたすくる恩寵おんちょうはこれをこころうちつくること、天然てんねんなるもののごとくせん。それえい少年しょうねんにあるならば、かれするものほつするところかれいだらん、かくのごとふか感徹かんてつするところ恩寵おんちょうして、てんに、完全かんぜんなるかいに、永遠えいえんあんにのぼせん、しかれどもその恩寵おんちょうにもてい階級かいきゅうのあるありて、或者あるものおうまへゆうゆうする軍隊ぐんたい分隊ぶんたいちょうごとくなれども、或者あるもの全軍ぜんぐんしょうごとくなるべし。いへにみちみてるけぶりあふれてがいそそごと邪悪じゃあく霊魂たましひちてがいにそそぎ、さんせん。郡国ぐんこくおもかんにんぜられたるものあるひおう宝物ほうもつたくせられしものなにもつてかおうはづかしむるあらざらんかといづれのときにもしんせん、かくのごと霊神界れいしんかいこと信任しんにんせられしものも、つねにしんして、平安へいあんゆうするもゆうせざるごとくなるべし、なんとなればじょうたる霊魂たましひ侵入しんにゅうしたる暗黒あんこくくに霊魂たましひぼく占領せんりょうしたる蛮人ばんじんくにとを霊魂たましひよりさら逐払おひはらはんとすればなり。

十三、 おうたるハリストス都府とふ復讐ふくしゅうしゃをつかはし、これをくるしむるものばくして、かしこにてん軍隊ぐんたいせいなる諸神しょしん連隊れんたいとをじゅうせしむること、その本国ほんこくじゅうせしむるごとくせん。つひ太陽たいよう心中しんちゅうにもひかはじめ、その光線こうせんことごとくのたい透徹とうてつして、ふか平安へいあんはや彼処かしこおうたらん。しかれども人間にんげん盡力じんりょくぎょう練達れんたつかみしたが心服しんぷくとは、恩寵おんちょうはなれんとするにあたひとかたささへてかみばんとする其時そのとき顕然けんぜんとしてあらはれん。しかれどもなんぢへびかは獅子ししくちてんあいだにある暗黒あんこくなるちからじょうにあるなくしてたいうち沸騰ふっとうするえんのあるをるも、なんぢたいよりづるとき聖神せいしんへいをうけずんば、かれなんぢてんのぼるをゆるさずして、なんぢ霊魂たましひしゃせんとするをるか。これとおなじく霊魂たましひ価値かちこと聡明そうめいなる本体ほんたいちょうなることくも、かみが『われぞうしょうによりてつくらん』〔創世記一の二十六〕といひしはてん使ことにあらずして人性じんせいことなると、てんとはれど、なんぢおうたると兄弟けいていたるとしんたるとにされたる所以ゆえんかいするか。げんおい新郎しんろうぞくするものはすべてしんにもぞくす、かくのごとしゅぞくするものはすべてなんぢにも信任しんにんせられん。けだしかれなんぢ代保だいほうせんがためにみづからきたりてなんぢびたまへり。しかれどもなんぢはおのれになにおもひうかところなくしておのれたっときをらず。ゆえ神通しんつうをうけたるひとなんぢらくをかなしむは當然とうぜんなり、いはく『ひとおのれ尊敬そんけいにありてらず、無智むちなる畜類ちくるいのごとし』〔聖詠四十八の二十一〕。光栄こうえいちち聖神せいしん世々よよす。アミン。