<< 旧「スボタ」と新「スボタ」の事。 >>
一、 神はモイセイをもてあたへたる法律の影に於て、「スボタ」におのおの安心して、一事も為すなからんことを命じ給へり。しかれどもこは主の霊魂にあたへらるる真実なる「スボタ」の象たり、影たるなり。けだし耻づべき不潔の意念より救はるるを賜はりたる霊魂は、すべて暗黒なる行を空うし、これより自由を得て、真実なる「スボタ」を祝し、真実なる安息をもて休せんとするなり。けだしかしこには預象的「スボタ」において身体は休息したれども、霊魂は奸計と悪癖とにつながれたり、しかれども此の真実なる「スボタ」はよこしまなるサタナの意念を空うし、これより潔まりて、主の永遠の安息と喜びとに於て安息せんとする霊魂の真実なる安息なり。
二、 当時神は無言なる動物も「スボタ」に於て休息せんことを命じて、牛をば必要の重きを負はせて曳かず、驢には軛を駕せざりき、けだし動物も苦役をまぬかれて休息したり、かくの如く主は来りて真実永遠なる「スボタ」を賜ひて無法と不潔なる意念の軛を負ふて苦み、不義の行を強て行ふ所の霊魂を安息せしめたり、何となれば霊魂は残忍なる虐主の奴隷となりて、彼に事へたるによる、ゆえにかれを其任ひ易からざる軛とむなしき不潔なる意念とより免れしめ、不義の行の重軛をかれより脱し、不潔なる意念に苦められたる彼を安んぜしめたり。
三、 けだし主は人を安息にまねきていへり、『凡そ労苦する者及び重きを任ふ者は我に来れ、我爾等を安んぜしめん』〔マトフェイ十一の二十八〕。されば従順にして来る所の霊魂を彼は此の重く苦しむる不潔なる意念より安んぜしむべくして、霊魂はもろもろの不法を空うし、真実にして愉快なる且聖なる「スボタ」を祝し、得もいはれざる喜びと楽みの霊神的祭を祝し、純潔なる心を以て純潔にして神に悦ばるる奉事をおこなはん。これ真実にして且聖なる「スボタ」なり。ゆえにわれらも此安息に入り、耻づべくして悪なる且徒らなる意念を空うせられんことを神に祈らん、かくの如くなれば純潔なる心により神につかふまつりて、聖神の祭を祝するを得ん。されば此安息に入る者は福なるかな。光栄はかくの如く憐を垂れたまひし父と子と聖神に世々に帰す。アミン。