シリヤの聖イサアク全書/第四説教

第4説教 編集

<< 霊魂れいこんことよくことおよ浄潔じょうけつことついての問答もんどう。 >>


問 霊魂れいこん天然てんねん状態じょうたいはいかなるか、天然てんねん反対はんたい状態じょうたいはいかなるか、天然てんねん以上いじょう状態じょうたいはいかなるか。

答 霊魂れいこん天然てんねん状態じょうたいとは感覚かんかくぞくするとそうぞくするかみ造物ぞうぶつ認識にんしきするなり。天然てんねんじょう状態じょうたいとはつね萬物ばんぶつさきだちて存在そんざいする神性しんせい直覚ちょくかくするがためかんせらるゝなり。しかして天然てんねん反対はんたいなる状態じょうたいとはよくみださるゝものに霊魂れいこん感動かんどうするなり。神聖しんせいなるだいワシリイへるごとし、いは霊魂れいこん天性てんせい順応じゅんのうしてあらはるゝときは上方じょうほうにあり、しかれどもその天性てんせいほかにあらはるゝときはほうにあらはるゝなり、上方じょうほうにあるときは、よくもつてあらはるれども、天性てんせいがそのゆうひんよりくだるときは、かれよくはあらはるゝなり。ゆえに霊魂れいこんよく天性てんせいのまま霊魂れいこんぞくするものにあらざることはつい明白めいはくなり。もし霊魂れいこんなんせらるゝべき肉体にくたいじょうよく感動かんどうすることかつおけるとおなじくんば、かつついてはこれためほうかれざるにより、せきあたいするもの同様どうようせきをうくべきにはあらざるべし。ときとして或者あるものには一見いっけんしたるところてきなることをぐるをかみよりゆるされ、なん譴責けんせきとにえてぜんなる報酬ほうしゅうあたへらるゝことあり、いんつまめとりたる言者げんしゃオシヤためにもかくのごとく、かみぞくする熱心ねっしんにより、きょうこうげたる言者げんしゃイリヤためにもかくのごとく、モイセイめいによりその父母ふぼ刃殺にんさつしたるものためにもかくのごとくなりき。そのほか霊魂れいこんには肉体にくたいせいたざるも、天然てんねんぜん癖愛へきあいげきやすせいのあることはらるべくして、れぞすなはち霊魂れいこんよくなる。


問 せい順応じゅんのうすとは霊魂れいこんのぞみが神聖しんせいなるもののため奮熱ふんねつせしめらるゝときなるか、あるいぞくするものとにくぞくするものとにむかときなるか、かつなんため霊魂れいこんせいげきとその熱心ねっしんとをあらはすか。また如何いかなるあいおいげき天然てんねんなるものとづけらるゝか。霊魂れいこん肉体にくたいじょうのぞみのためあるい嫉妬しっとためあるいきょためあるいこれ相類あいるいするもののためげきせらるゝときなるか、あるいこれ反対はんたいなるもののこれげきするときなるか、たれせつあらばこたふべし、われこれしたがはん。

答 かみしょ名称めいしょうおおひ、屡々しばしばこれ使ようすれども、その的確てきかくにあらはさず。名称めいしょう肉体にくたいぞくすれども、霊魂れいこんのことをひ、これ反対はんたい霊魂れいこんぞくする名称めいしょう肉体にくたいのことをふ。聖書せいしょこれ分開ぶんかいせず、しかれども聡明そうめいなるものこれかいするなり。かくのごとしゅ神性しんせいぞくする名称めいしょううち人性じんせい適用てきようすべからざる名称めいしょう聖書せいしょしゅせいなるたいのことをひ、これはんして人性じんせいしゅぞくする卑下ひかなる名称めいしょうしゅ神性しんせいのことをふ。ゆえにおおくのもの神聖しんせいなることばしゅかいせず、蹉跌さてつしてあらたべからざるつみおかしぬ。かくのごと聖書せいしょには霊魂れいこんぞくするものと肉体にくたいぞくするものとをおごそかべつせず、ゆえに道徳どうとく天然てんねん霊魂れいこん健康けんこうならば、よくはや霊魂れいこんやまいにして、霊魂れいこんせい偶然ぐうぜんりてきたりてそのゆう健康けんこううしなはしむるものなり。しかれども健康けんこう天然てんねん偶然ぐうぜんやまいさきだつことは、これにより明白めいはくなり。ゆえにこれじつにかくのごとくならばとうならば〉すで道徳どうとく天然てんねんぜん霊魂れいこん存在そんざいして、偶然ぐうぜんなるものは霊性れいせいほかにあるを意味いみするなり。


問 肉体にくたいじょうよく天然てんねんなるか、あるい偶然ぐうぜん肉体にくたいぞくするか。また霊魂れいこんぞくする心霊しんれいじょうよくれいたい結合けつごうにより天然てんねんなるか、あるいゆうてき霊魂れいこんぞくするか。

答 肉体にくたいじょうよくのことはゆうるべしとはたれあえはざるべし。しかれども心霊しんれいじょうよくのことは清潔せいけつ霊魂れいこん天然てんねんなることのかくせられて、ひとみなこれみとむるならば、よくごう霊魂れいこん天然てんねんなるにあらずとあえふは当然とうぜんなり、なんとなればやまい健康けんこうのちにあればなり。しかして同一どういつせいぜんなるものとあくなるものとはともそんすることあたはず。ゆえにいつかならさきだたざるべからずして、さきだつものは天然てんねんなり、なんとなればすべ偶然ぐうぜんなるもののことはせいよりするにあらずして、そとよりにゅうせりとふべきによる、しかしてすべて偶然ぐうぜんなるものとにゅうせしものにはへんしたがふあれども、せいへんせずはらざるなり。

すべえきたすくるところよくかみよりたまはりしなり。されば肉体にくたいじょうよく肉体にくたいえきかつ成長せいちょうせしむるがため付与ふよせられしものにして、心霊しんれいじょうよくまたしかるなり。さりながら肉体にくたいがそのゆうするものをうしなひて、しいてその安寧あんねいほかち、霊魂れいこんしたがふを余儀よぎなくせらるゝときは、肉体にくたい衰弱すいじゃくしてがいこうむらん。また霊魂れいこんおのれにぞくするものをてて肉体にくたいしたがふときは、かれがいけん、使徒しとところによるにいはく『にくほっするところしんさかひ、しんほっするところにくさかふ、ふたつものあいてきす』(ガラティヤ五の十七)ゆえにたれかみなんしてわれせいよくつみとを付与ふよしたるごとふなかれ、かみかくせいにその成長せいちょうたすくべきものを付与ふよたまへり、さりながらいつせい合同ごうどうするときは自己じこしたしきものに合同ごうどうするにあらずして、反対はんたいなるものに合同ごうどうするなり。しかれどももしよく霊魂れいこん天然てんねんそんするならば、何故なにゆえ霊魂れいこんこれよりがいをうくるか。本来ほんらいせいぞくするものはこれがいせざるなり。


問 肉体にくたい成長せいちょうけんならしむる肉体にくたいじょうよくは、本来ほんらい霊魂れいこんぞくせずんば霊魂れいこんがいするは何故なにゆえなるか。また道徳どうとく肉体にくたいくるしむれども霊魂れいこん成長せいちょうせしむるは何故なにゆえなるか。

答 せいほかにあるものはせいがいする所以ゆえんみとめざるか。けだしせいおのおのおのれにぞくするものにちかづきて、たのしみにたさるゝなり。さりながらなんぢこれかくせいぞくするゆうなるもののあるをらんをねがふか。みとめよ、せいたすくるところのものはそのせいぞくするものにして、これがいするものはえんなるもの、ほかよりにゅうせしものなることを。ゆえに肉体にくたいよく霊魂れいこんよくとがたがい反対はんたいすることはかくせられたるにより、すべ幾許いくばくなりとも肉体にくたいたすけをしてこれ休安きゅうあんあたふるものはすで肉体にくたいゆうなるものなり。しかれども霊魂れいこん何物なにものしたしくなるともそのもの霊魂れいこん天然てんねんなりとはざるなり。けだし霊魂れいこんゆうすものは肉体にくたいためにはなればなり。さりながら前文ぜんぶんところのものはゆうてき霊魂れいこんぞくするも、霊魂れいこんみづから肉体にくたいこうむるあいだは、肉体にくたいよわきによりこれだっして自由じゆうにならんことはあたはざるなり、なんとなればはかべからざるえいもつ霊魂れいこん活動かつどう肉体にくたい活動かつどうとのあいださだめられたる一致いっち合同ごうどうゆえ肉体にくたいためうれふるものを天然てんねん自然しぜんかれともとすればなり。しかれどもかれたがいにかくのごとともともにすといへども、こう活動かつどうおつ活動かつどうことなり、かれのぞみはこれのぞみとことにして、これおなじたいしんことなるなり。さりながらせいへんせざるなり、かえっかくせいあるいつみあるい道徳どうとくきわめてかたぶくといへども、しかれどもそのゆうのぞみにより活動かつどうするなり。されば霊魂れいこん肉体にくたいのことのおもんばかりよりうえたかまるときは、その活動かつどうにより、まった霊神れいしんじょうかいして、てん中央ちゅうおうはかるべからざるところおびられん。さりながら状態じょうたいおいても肉体にくたいがその自己じこぞくするゆうなるものをわすれてそうせざらんことをばゆるさざるべくして、これおなじく肉体にくたいつみおいてあらはるゝならば霊魂れいこんおもい心中しんちゅうながいでまざるなり。


問 浄潔じょうけつ如何いかなるか。

答 浄潔じょうけつとはひとあくらざるをふにあらず〈けだしかくのごともの畜類ちくるい同様どうようなるべし〉天性てんせいのまま孩提がいていごとくなる状態じょうたいにあるをふにあらず、外見がいけんかざるをふにあらず。浄潔じょうけつとはすなはち道徳どうとく勤勉きんべん練習れんしゅうするにより、神聖しんせいなるものをもつ光照こうしょうせられたるこれなり。ゆえにひとねん誘惑ゆうわくなくしてこれること肉体にくたいざるものごとくなるべしとあえはざるべし。けだしわれせいいたまでたたかはざるべくがいけざるべしとふをあえてせざればなり。しかれどもねん誘惑ゆうわくづくるはこれしたがはしめらるゝをふにあらずして、これたたかふのはじめくをいふ。


ねん活動かつどうよつあること

ねん活動かつどうひとよつ原因げんいんによりしょうずるなり。第一は天然てんねんなる肉体にくたいじょうのぞみによりしょうじ、第二はひと見聞けんぶんする客観かくかん感覚かんかくあらはるゝによりしょうじ、第三はあらかじ占領せんりょうせられたる概念がいねんにより、およひとりょくゆうする心霊しんれいじょうかたぶきによりしょうじ、第四はにょじょう原因げんいんによりことごとくのよくひきれてわれたたか魔鬼まきげきによりしょうずるなり。ゆえにひと肉体にくたい生活せいかつにあるあいだいたまでねんとそのたたかいとをゆうせざるあたはず。けだしひとでざるさきまたせざるさきに、よつ原因げんいんちゅういづれかどういたらんことをるか、あるい肉体にくたいため緊要きんようなるものをせつもとめざると、或物あるものねがふを余儀よぎなくせられざるとをるか、みづから判断はんだんすべし。しかれどももしかくごときことを想像そうぞうするはときはず、なんとなればせいかくごと事々じじ物々ぶつぶつ必要ひつようゆうすればなりとはばはやよくすべ肉体にくたいこうむるものほっするとほっせざることにかかはらずどうするを意味いみするなり。是故このゆえすべ肉体にくたいこうむるひと顕然けんぜんとしてだんどうするいつよくよりおのれ保護ほごせず、よくより保護ほごせずして、おおくのよくより保護ほごせんこと緊要きんようなり。徳行とくこうもつみづからよくちしものは、たとひねんよつ原因げんいんげきためおどろかざるといへども、みづからしょうゆづらざるべし、なんとなればかれちからゆうして、そのしん善良ぜんりょう神聖しんせいなるおくためおおいよろこべばなり。


問 浄潔じょうけつこころ浄潔じょうけつとはなにもつことなるか。

答 浄潔じょうけつべつにしてこころ浄潔じょうけつまたべつなり。けだし心霊しんれいじょう感覚かんかくいつなれどもこころない感覚かんかく包括ほうかつしてこれをそのけんちゅうすればなり。こころなり。もしせいならばえだせいならん、すなはちこころみちびかれて浄潔じょうけつたっするならば、ことごとくの感覚かんかくきよめらるゝことあきらかなり。もし神聖しんせいなるしょむに益々ますます勉励べんれいし、あるいきんしょく儆醒けいせい静黙せいもくとにしょうくるしんで、汚穢おわい品行ひんこうとおざかるならば、その従前じゅうぜん生涯しょうがいわすれて浄潔じょうけつたっせん。しかれども恒久こうきゅうなる浄潔じょうけつゆうせざるべし、なんとなればかれすみやかきよめらるれどまたすみやかけがさるればなり。ただこころおおくの患難かんなん剥奪はくだつと、すべものけんてき交際こうさいすよりとおざかると、のすべてのためおのれころすとにより、浄潔じょうけつたっするなり、しかしてもしかれ浄潔じょうけつたっするときは、その浄潔じょうけつなんしょうなるもののためにもけがされざるべく、だいなる顕然けんぜんたるたたかいをもおそれざるべし、すなはち寒心かんしんすべきたたかいをもおそれざるべし、なんとなれば、薄弱はくじゃくなる人々ひとびとおいしょうするあたはざる如何いかなる食物しょくもつをもすみやかしょうべき強健きょうけんなるおのれにゆうすればなり。けだしへり、すべ肉食にくしょくしょうやすからず、しかれども強健きょうけんなるこれくるときは健康けんこうなるたいおおくのちからあたへんと。かくのごとすべざんあいだ僅少きんしょうなるろうもつすみやかたる浄潔じょうけつすみやかうしなはれかつけがされん。しかれどもおおくの患難かんなんによりてたっし、長久ちょうきゅうあいだもつたる浄潔じょうけつ霊魂れいこんぶんたいするげき優勢ゆうせいにあらざるものをばおそれざるべし、なんとなればかみ霊魂れいこんかたむればなり。かれ光栄こうえい世々よよす。「アミン」。