シリヤの聖イサアク全書/第五説教

第5説教 編集

<< 感覚かんかくことあわせ誘惑ゆうわくこと。 >>


貞潔ていけつにしていつ集中しゅうちゅうせられたる感覚かんかく霊魂れいこん平安へいあんしょうじてぶつこころみるにるをゆるさざるべし。しかして霊魂れいこんぶつ感触かんしょくおのれにけざるときはしょうたたかいなくしてらん。しかれどももしひとようや怠慢たいまんしてげききたちかづくをゆるときは、たたかいくるを余儀よぎなくせらるべくして、もっとも単純たんじゅん平和へいわなるげん浄潔じょうけつ攪乱かくらんせらるゝなり。けだしこの怠慢たいまんにより人類じんるい大半たいはんあるいぜんかい天然てんねんぜんきよ状態じょうたいうしなはん。ゆえにありて人々ひとびとみつなる関係かんけいもの浄潔じょうけつにするあたはざるべくして、げん浄潔じょうけつ回復かいふくするをくするものきんきんなるべし。ゆえにすべてひとつね警戒けいかいしてその感覚かんかくかくげきよりまもらざるべからず。けだし儆醒けいせいみんかくとはおおい要用ようようなり。

だいなる質朴しつぼくへんやすし。人性じんせいかみしたが界限かいげんまもるがためおそれ必要ひつようとす。かみあいするはひと道徳どうとくこうあいするこころかんして、これによりひとぜん誘引ゆういんせらるゝなり。霊的れいてきしきその性質せいしつおい道徳どうとくこうのちにあり。しかれどもおそれあいとはかれこれとにさきだつべくして、あいまたおそれさきだつ。すべ前者ぜんしゃすなくして後者こうしゃもとむるをべしと、ぢずしてもの霊魂れいこんため滅亡めつぼうの第一のもといかんことうたがいなし。かくごとしゅみち後者こうしゃ前者ぜんしゃよりしょうずるなり。

なんぢ兄弟けいていあいするを或物あるものあいするにふるなかれ、なんとなればなんぢ兄弟けいていはすべてのものよりちょうなるもの奥密おうみつおのれないうけたればなり。だいなるものんがためしょうなるものてよ、こうなるものんがためぶんなるものとていなるものをかろんんぜよ。自己じこ生命せいめいおいすべし死後しごきんがためなり。ぎょうして怠慢たいまんきざるにおのれわたすべし。けだしハリストスしんずるがためけたるもののみめいしゃにあらず、ハリストス誡命かいめいまもためするもの致命者なり。おのれねがいおい無智むちなるなかれ、なんぢしきしょうなるをもっかみはづかしめざらんためなり。おのれとうおいなるべし、なんぢ光栄こうえいたまはらんためなり。尊敬そんけいすべきものを嫉妬しっとなくしてあたふるものねがふべし、その賢明けんめいなるねがいため尊敬そんけいをうけんためなり。ソロモンみづからえいねがこれだいなるえいおうねがひしにより、えいともこのくにをもけたり。エリセイはそのゆうしたるしん恩寵おんちょうばいねがひしに、そのねがいげずしておはらざりき。けだし不要緊ふようきんなるものをおうもとむるものおうそんいやしんずるなり。イズライリは不要緊ふようきんなるものをねがひしかば、かみいかりかれおよべり。かれかみぞくするこうによりかみおそるべきせき驚嘆きょうたんすることをばててそのはらほっするところみたさんをもとめたり。しかるに『しょくなおそのくちにあるときかみいかりかれのぞめり』〔聖詠七十七の三十、三十一かみ光栄こうえいおうじておのれねがいかみにささげよ、なんぢちょくかみまえ増々ますますくははりて、かみなんぢよろこばんためなり。もしたれけがらはしきものをおうねがはば、こはただそのねがいようきんもっみづからおのれけがしてこれによりだいなる無智むちをあらはすのみならず、そのねがいもっおうをもはづかしむるなり。とうおいぞくする幸福こうふくかみねがものもかくのごとこうするなり。けだしてん使てん使ちょうすなはちおう大臣だいじんなんぢとうとき如何いかなるねがいもっ主宰しゅさいむかふに注目ちゅうもくし、なんぢぞくするものおのれ肉体にくたいてんぞくするものをねがふをるときはおどろかつよろこばん、これはんしててんぞくするものをてて自己じこけがらはしきものをねがふをかなしまん。

かみみづからその照管しょうかんによりわれねがいたずしてあたふるものとただかみぞくするものまたはそのあいしゃあたふるのみならず、かみらざるえんしゃにもあたふるものをかみねがふなかれ。けだしふあり、とうおいて『ほうじんごと贅語むだごとふ』なかれと〔マトフェイ六の七肉体にくたいぞくするものにして『ほうじんもとむるところなり』と。しゅたまへり〔マトフェイ六の二十五、三十二〕。はそのちちにパンをねがはざるべし、そのちちいえおい最大さいだいなるものとこうなるものとをもとめん。けだしただじん劣弱れつじゃくゆえしゅ日々ひびかてねがふべきを誡命かいめいたまへり。しかれどもしき完全かんぜんにして、霊魂れいこん康健こうけんなるものにはなに誡命かいめいせられしをよ。かれにはげてへり『食物しょくもつあるいふくためおもんばかるなかれ、なんとなればもしかみげんなる動物どうぶつためきんちょうためおよれいなる造物ぞうぶつためにさへこれおもんばからばいはんなんぢためおもんばからざらんや。ただかみくにとそのとをもとめよ、しからばこれものみななんぢくははらん』〔マトフェイ六の三十三〕。

かみねがところあらんにかみすみやかなんぢくを延引えんいんするならば、かなしむなかれ、なんとなればなんぢかみよりえいなるにあらざればなり、なんぢこれあるはあるいねがところのものをなんぢくるにあたらざるによるべく、あるいなんぢこころみちなんぢねがいはずしてかえっこれ反対はんたいなるによるべく、あるいなんぢねがところたまものくべきていいまたっせざるによるなり。けだしわれときさきだちておおいなるてい関係かんけいすべからず、くることのすみやかなるためかみたまものえきとならざらんためなり、なんとなればやすけしものはすみやかうしなはるべくして、すべ中心ちゅうしんくるしみもったるものは、戒慎かいしんしてまもらるゝによる。

ハリストスためかつしのべ、かれがそのあいもっなんぢましめんためなり。うきたのしみためおのれふさげ、かみがその平安へいあんなんぢこころしゅたらしむるをなんぢたまはらんためなり。なんぢところ節制せっせいせよ、かみよろこびをうけんためなり。もしなんぢこうかみてきせずんばかみ祝福しゅくふくしいねがふなかれ、かみこころみるひとごとくならざらんためなり。なんぢとうなんぢ生涯しょうがいあいじゅんずること肝要かんようなり。けだしぞくするものにつながるゝものてんぞくするものをもとむるあたはざるべく、せい占領せんりょうせらるゝもの神聖しんせいなるものをねがふをざるなり、なんとなれば各人かくじんねがいはそのこうもっひょうせらるべく、ひと勉励べんれいあらはすそのもののためにはとうおいたたかふべきによる。だいなるものねがもの不要緊ふようきんなるものに占領せんりょうせられざるなり。

なんぢ肉体にくたいつながるといへども、ゆうものたるべく、ハリストスため従順じゅうじゅんゆうあらはすべし。なんぢせいちょくもっおもんばかるべし、ぬすられざらんためなり。すべてこうおい謙遜けんそんあいせよ、謙遜けんそんなるものこうがいつね発見はっけんせらるゝみとがたあみよりすくはれんためなり。艱難かんなんくるなかれ、なんとなればこれもっしん認識にんしきればなり。誘惑ゆうわくおそるゝなかれなんとなればこれにより尊敬そんけいすべきものをべければなり。とうせよ心霊しんれいじょう誘惑ゆうわくおちいらざらんためなり、されど肉体にくたいじょう誘惑ゆうわくにはまったごうにしてみづからそなふべし。けだし誘惑ゆうわくほかおいてはかみちかづくあたはず、なんとなれば神聖しんせいなる安息あんそく誘惑ゆうわくうちおいそなへらるればなり。誘惑ゆうわくよりのがるゝものは徳行とくこうよりものがれん。誘惑ゆうわくとは欲望よくぼうのことにあらず、艱難かんなんふ。


問 『とうせよ、誘惑ゆうわくらざらんためなり』〔マトフェイ二十六の四十一〕とへども、ところには『ちからつくしてせまもんよりれ』〔ルカ十三の二十四〕といひ、またころすものをおそるゝなかれ』〔マトフェイ十の二十八〕といひ、またためその生命いのちうしなものこれん』〔同上三十九〕といふ、これことば如何いかんして一致いっちすべきか。しゅ何処いづこにも誘惑ゆうわく忍耐にんたいするにわれ奨励しょうれいすれども、此処ここにはめいじて『とうせよ、誘惑ゆうわくらざらんためなり』といふ、何故なにゆえなるか、けだし艱難かんなん誘惑ゆうわくとなくして如何いかなる徳行とくこうありや、あるい如何いかなる誘惑ゆうわくこれよりだいなるかすなはちひと自己じこほろぼすよりだいなるか、しかれどもしゅためこの誘惑ゆうわくふくすべきをしゅめいたまへり。けだしふあり『おのれじゅう字架じかふてわれしたがはざるものわれよろしからず』と〔マトフェイ十の三十八しかるにしゅはそのすべてのおしえおい誘惑ゆうわくふくすべきをめいじたれど、此処ここにはらざらんことを誡命かいめいたまひしは何故なにゆえなるか、けだしふあり、なんぢおおくの艱難かんなん天国てんごくるべし』〔ぎょうじつ十四の二十二またふあり、『にありて患難かんなんをうけん』〔イオアン十六の三十三またふあり、『忍耐にんたいもっなんぢたましいすくへ』と〔ルカ二十一の十九〕。

嗚呼ああしゅよ、なんぢ教導きょうどう如何いかなる鋭敏えいびんようするか。さい認識にんしきとをもっまざるものつねこの教導きょうどうほかにあらん。ゼワェデイとそのははなんぢともせんことをねがひしときなんぢかれげてつぎごとくいひたまへり、いはく『なんぢまんとするさかづきむことをくするか、くるせんくることをくするか』と〔マトフェイ二十の二十二〕しかれども主宰しゅさいよ、何故なにゆえ此処ここには誘惑に入らざらんことをとうすべきをわれめいたまふか。如何いかなる誘惑ゆうわくにつきてこれ入らざらんことをとうすべきをわれめいずるか。

答 信仰しんこう関係かんけいして誘惑ゆうわく入らざらんことをとうせよ、なんぢしんわくためぼうおよ驕傲きょうごう魔鬼まきとも誘惑ゆうわく入らざらんことをとうせよ。かみ放任ほうにんによりなんぢさいもっこうしたるあくなるけんためなんぢつかはさるゝ顕然けんぜんたる魔鬼まき誘惑ゆうわく入らざらんことをとうせよ、なんぢ貞潔ていけつしん使なんぢはなれざらんことをとうせよ、つみなんぢむかっ烈火れっかごとたたかいおこしてなんぢ貞潔ていけつぶんせしめざらんためなり。しゃたいして一者いっしゃいからしむる誘惑ゆうわくあるいはその霊魂れいこんだいなるせん引入ひきいれらるべきしんかい誘惑ゆうわく入らざらんことをとうせよ。これはんして肉体にくたいじょう誘惑ゆうわくは、たましいまっとうしてこれくるにみづからそなふべく、全身ぜんしん全体ぜんたいもっこれおよぎわたるべく、そのなみだたさるべし、なんぢしゅしゃなんぢよりはなれざらんためなり。けだし誘惑ゆうわくほかおいてはかみしょうかんうかがられざるべく、かみまえゆうあたはざるべく、しんえいまなあたはざるべく、神聖しんせいなるあいなんぢ心中しんちゅう確立かくりつすることもまたあたふべきなし。誘惑ゆうわくさきにはひとえんなるものごとかみとうせん。しかれどもかみあいするにより、誘惑ゆうわくり、変心へんしんみづからゆるさざるときは、かみまえつこと、あたかかみさいしゃとするものごとくなるべし、なんとなれば、かみむねじゅんぽうかみてきたたかつてこれてばなり。よ『とうせよ誘惑ゆうわくらざらんがためなり』とはこれ意味いみするなり。かつなんぢ高慢こうまんためおそろしき魔鬼まき誘惑に入らざらんことをとうせよ、ねがはくはなんぢかみあいするにより、かみちからなんぢ協力きょうりょくして、なんぢはそのてきたん。なんぢはそのねんよこしまなるがためこれ誘惑ゆうわく入らざらんことをとうせよ、ねがはくはかみたいするなんぢあいこころみられて、かみちからなんぢ忍耐にんたいによりしょうさんせられん。かれ光栄こうえい権柄けんぺい世々よよす。「アミン」。