シリヤの聖イサアク全書/第四十一説教

第41説教 編集

<< 沈黙ちんもくこと >>

沈黙ちんもくことあいせよ、なんとなればなんぢ結果けっかちかづかしむればなり、されどしたことあらはすに無力むりょくなり。沈黙ちんもくおのれいん、そのとき沈黙ちんもくによりてまこと沈黙ちんもくいたらしむべきものをわれらのためしょうぜん。沈黙ちんもくによりてしょうずるものをかみなんぢ感知かんちせしめん、されどこの生涯しょうがいはじむるならば、れよりひかり幾何いくばくなんぢかがやくべきか、これふこともあたはざるなり。兄弟けいてい奇異きいなるアルセニイことするをよ、諸父しょふ兄弟けいていかれんがためきたひけるに、かれ黙然もくねんとして一言いちげんはっせず、かれらとともし、沈黙ちんもくもっかれらをらしめたり、なんぢこれて、このすべてをかれまったこころのままにおこなひ、最初さいしょよりおのれこれひしにあらずとおもふなかれ。行為こうい練習れんしゅうするにより、逐次ちくじ愉快ゆかいしょうじ、いて身体しんたい沈黙ちんもくまもるにみちびかん。しかして生涯しょうがいおいわれらにおほくのなみだしょうじて、奇異きいなる直覚ちょっかくにより、こころ何故なにゆえ別々べつべつかんぜん、ときかろうじてかんずれども、ときおどろくべくかんぜん、なんとなればこころ小児しょうにごとくなればなり、ゆえ祈祷きとうはじむるや、ただちちになみだながるるなり。その肢体したい忍耐にんたいにより奇異きいなる習慣しゅうかんおのれ心中しんちゅう内部ないぶたるひとだいなり。一方いっぽうには生涯しょうがいことごとくの行為こういき、また一方いっぽうには沈黙ちんもくときは、秤量ひょうりょうおい沈黙ちんもくまされるをん。人々ひとびとにはおほくの教訓きょうくんあり、しかれどももしたれ沈黙ちんもくしたしむならば、これらの教訓きょうくんまもるの行為こういはそのものため贅物ぜいぶつとなるべく、これよりさき行為こうい贅視ぜいしせらるべくして、かれみづからこれらの行為こういよりぬきんずるものとしてあらはるるなり、なんとなれば完全かんぜんちかづきしによる。沈黙ちんもく黙想もくそうたすくるなり。なんぞや。われらは多人たにん共住きょうじゅういんらば、何人なんびとにもはざらんことはあたはざるべくして、黙想もくそうおほいあいすること天使てんしごとくなりしアルセニイさへもこれのがあたはざりき。けだしわれらととも諸父しょふ兄弟けいていはざらんことはあたはざるべくして、ふことはせずしてこれあるべし。聖堂せいどうあるいはそのところくは、ひとまぬかあたはざればなり。福楽ふくらくうくるにへたるひとのすべてをれり、すなはち人間にんげん住所じゅうしょちかきにあいだは、かれためこれのがるるあたはざるをれり、しかしてそのところ位置いち同所どうしょ人々ひとびとまた修道しゅうどうらに面接めんせつするをくるあたはざることの屡々しばしばこれあるや、かれはその時恩寵ときおんちょうによりて方法ほうほうおしへられたり、すなはち不断ふだん沈黙ちんもくおしへられたりき。ゆえにもし或者あるものらのためむをひらときあるや、かれらはただその面会めんかいみづからたのしむのみにて、言談けんだん要事ようじかれらは無用視むようししたりき。

おほくの神父しんぷこの面会めんかいにより自己じこ保護ほごするを福者ふくしゃ面会めんかいかれらのため教訓きょうくんとなるを利用りようして、霊神上れいしんじょうとみすをたりき。しかるに或神父あるしんぷ人々ひとびとかんとほっするのぞみおこるや、おのれいしつなぎ、あるいなわにてしばり、あるい飢渇きかつもっおのれつからしたりき。けだし飢餓きが感覚かんかくしずむるにおほたすくればなり。

兄弟けいていよ、おほいにして奇異きいなるおほくの神父しんぷらをるに、かれらは行為こういよりも、感覚かんかく斉整せいせい身体しんたい習慣しゅうかんとをおほおもんばかれり、けだし思慮しりょ斉整せいせいこれよりしょうずればなり。おほくの事故じこ不意ふいひと遇会ぐうかいしてその自由じゆう界限かいげんだっせしめん。ゆえにひとあらかじもとめたるよわらざる習慣しゅうかんにより、その感覚かんかく保護ほごせらるるなくんば、ながみづからおのれ省察せいさつせざるべくして、おの原始げんし平安へいあんなる状態じょうたいざるべければなり。

こころだいなる進歩しんぽ自己じこ希望きぼうのことを思念しねんするにあり。行為こういだいなる進歩しんぽ一切いっさい解脱げだつにあり。記憶きおく外部がいぶ肢体したいため善良ぜんりょうなる連鎖れんさとなるべし。霊魂れいこん香餌こうじ心中しんちゅうはな希望きぼうによりてしょうぜらるるよろこびにあり、知識ちしき成長せいちょう不断ふだん実験じっけんにありて、これによりよう変化へんかため内部ないぶおい日々ひび実験じっけんせらるるなり。けだし寂寥せきりょうためときとしてわれらに煩悶はんもんおこるあらば、〔あるいかみ照覧しょうらんによりてつかはさるるならん〕最優越いとゆうえつなる希望きぼう慰藉いしゃゆうす、すなはちわれらが心中しんちゅうにある信仰しんこうことばゆうするなり。捧神者ほうしんしゃ一人いちにんへり、しんずるものためかみあいするは、その生命せいめいほろぶるときにも、充分じゅうぶんなぐさめなりと。そのへらく、未来みらい幸福こうふくため現在げんざい快楽かいらくとその安寧あんねいとをかろんずるもの患難かんなんなん毀損きそんをかこうむらしむべきと。

兄弟けいていよ、なんぢ誡命かいめいあたへんとす、なんぢたいして憐憫れんびんこころゆうするを自己じこかんずるにいたまでは、矜恤きょうじゅつ重権じゅうけんつねるべしといふものこれなり。われらが慈悲じひしんかみせいかみ実体じったいとにそんするところ同形どうけいとその真実しんじつなる状態じょうたいとをわれ自己じこうちるがためかがみとなるべし。われらは光明こうめいなるがんもっかみおけ生涯しょうがいすすむがために、これらのものをもっ照明しょうめいせられん。残忍ざんにんにして無慈悲むじひなるこころけっして浄潔じょうけつならざらん。あわれふかひと自己じこなり、なんとなればかれよく暗黒あんこく内部ないぶより一掃いっそうすること、あたか烈風れっぷうごとくなればなり。福音的ふくいんてき生命せいめいことばるにこは吾人ごじんかみ貸与たいよする善良ぜんりょうなるおいめなり。

臥榻ねどこときげてふべし、いはく『臥榻ねどこよ、おそらくはなんぢこのおいためひつぎとならん、暫時ざんじねむりへて永遠えいえんなる未来みらいねむりこのおいきたきやいなやをらず』と。ゆえなんぢあしのあるあいだ練修れんしゅう追逐ついちくして、最早もはやべからざる連鎖れんさためしばらるるにさきだつべし。なんぢのあるあいだおのれ祈祷きとうくぎして、きたるにさきだつべし。なんぢのあるあいだなみだをこれにたして、塵埃じんあいくらまさるるにさきだつべし。薔薇しょうびわずかこれむかつてかぜくあらば、しぼまん。かくのごとなんぢ内部ないぶおいなんぢ組織そしききた元行げんこういつむかつてかぜくあらば、なんぢせん。ひとのぞんでなんぢまえり、なんぢこれをそのこころおもひ、不断ふだん自己じこげてふべし、いはく『よ、ためきたれる使者ししゃ最早もはやかたわらにあり。如何いかんしてすべきか、うつるは永遠えいえんにして、かえるあらず』と。

ハリストス対談たいだんするをあいするものは、遁世者とんせいしゃとなるをあいさん。これはんして衆人しゅうじんともるをあいするもの此世このよともなり。もし悔改かいかいあいするならば、黙想もくそうをもあいすべし。けだし悔改かいかい黙想もくそう以外いがい完全かんぜんぐるあたはざればなり。もしたれこれ抗言こうげんするならば、かれあらそふなかれ。もし黙想もくそうすなはち悔改かいかいははあいするならば、黙想もくそうためなんぢ傾注けいちゅうする小害しょうがいも、詰責きっせきも、侮辱ぶじょく欣然きんぜんとしてこれあいすべし。この予備よびなくんば、みだされずして自由じゆう黙想もくそうまもるあたはざるべし。しかれども如上じょじょうのものをかろんずるならば、かみむねり、黙想もくそうぶんゆうするものとなりて、かみてきするだけ黙想もくそうまもるをん。黙想もくそう固着こちゃくするは不断ふだんつなり。おもんばかりなくして黙想もくそうものことごとくの方法ほうほうもちひてわれらの堪忍忍耐かんにんにんたいするをようするものをになあたはざるべし。

思慮しりょあるものよ、おの霊魂れいこんため幽静ゆうせいなる居住きょじゅうと、黙想もくそうと、篭居ろうきょとを撰択せんたくするは、条規じょうきほかづる行為こういためあらず、又之またこれげんとにもあらざるをるべし。けだし衆人しゅうじん交際こうさいするは、勉励べんれいためおほたすくるところあるは、人々ひとびとところなり。されどもし此事このこと緊要きんようなりしならば、神父しんぷらは人々ひとびとともり、これまじはるをてざりしなるべく、しかして或者あるもの墓畔ぼはん生活せいかつせざりしなるべく、又或者またあるもの幽静ゆうせいいえ篭居ろうきょするをみづから撰択せんたくせざりしならん、しかるにかれらは彼処かしこおい肉体にくたいおほいよわらし、これをそのせられたる規則きそく遂行すいこうするあたはざるに放棄ほうきして、すべて出来得できうだけ薄弱はくじゃくと、身体しんたいろうともかれらをとらふるおもやまいさらよろこんで生涯忍耐しょうがいにんたいし、これためかれらはおのれあしにてつことも、あるい通常つうじょう祈祷きとうすことも、あるいはそのくちにて讃栄さんえいすることもあたはざるのみならず、聖詠せいえいあるいはその身体しんたいにておこなところのものを遂行すいこうせざりしも、かれらはことごとくの規則きそくえて、いつ身体しんたい薄弱はくじゃく黙想もくそうとをもっおのれため充分じゅうぶんとなしたりき。かくのごとくしてかれらはその生命いのちをすべてみづかおくりぬ。しかして此事このことまった無益むえきなるもののごとゆるにかかはらず、かれらのうち一人いちにんもそのいおりつるをねがはざりしのみならず、その規則きそく執行しっこうせざるがゆえに、いづれのところにかほかき、あるい聖堂せいどうきて、聲音せいおん奉事ほうじとをもっおのれたのしましむることをもねがはざりき。

おのれつみかんはじめたるものは、人衆じんしゅう稠密ちゅうみつうちきょゆうし、祈祷きとうもっ死者ししゃ復活ふっかつせしむるものよりたかし。おの霊魂れいこんため嘆息たんそくして、一時間いちじかんおくものは、面会めんかいもっ全社会ぜんしゃかいえきあたふるものよりたかし。みづからおのれるをたまはりしものは、天使てんしるをたまはりしものよりたかし。けだし後者こうしゃ身体しんたいもっせっすれども、前者ぜんしゃ心霊しんれいもっればなり。独居的どっきょてき哀泣あいきゅうもっハリストスしたがものは、集会しゅうかいうちりておのれ頌讃しょうさんせらるるものよりまされり。何人なんびと使徒しとことば此間このあいだ提出ていしゅつするなかれ、いはく『われハリストスよりたれんことをもまたあるいねがふなり』と〔ロマ九の三〕。パウェルちからけしものにはこれすをもめいぜられん。しかれどもパウェルえきするために、パウェルところしんもっ摂取せっしゅせられたることは、かれみづからしょうせしごとく、自己じこのままにこれしたるにあらざりき。けだしかれふ『ぶんすべきところつたへずばわれわざわいなるかな』〔コリンフ前九の十六〕。さればパウェルえらびしは、かれ悔改かいかい方法ほうほうしめさんがためあらずして、人間にんげん福音ふくいんつたへしめんためなり、これためかれおほいあまりある能力のうりょくけたりき。

さりながら兄弟けいていよ、われらのこころするまでは、われらは黙想もくそうあいせん。つねこと記憶きおくし、これおもふてそのこころかみちかづき、むなしきをかろんぜん、さらば快楽かいらくわれらが眼中がんちゅういやしんぜらるべく、黙想もくそう不断ふだん寂寥せきりょう病体びょうたいおいよろこんで忍耐にんたいせん。巌穴がんけつくつと〔エウレイ十一の三十三〕にりて、われらがしゅ光栄こうえいなる黙示もくしてんよりきたるをものらとともたのしみをけんためなり。

かれかれちちかれ聖神せいしんとに光栄こうえい尊敬そんけい権柄けんぺいおよげん世々よよす。「アミン」。