鐵道震害調査書/第一編/第三章/第二節/三
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三 東海道本線第五相澤川橋梁
構造概要 (附圖第五十七參照) 本橋梁は駿河足柄(信號所)間汐留起點66哩29鎖5節に位し,全長146呎單線竝列式にして,徑間70呎の上路鈑桁2連より成る。架橋地點の地質は砂利混り砂層にして,兩橋臺の基礎は幅15呎6吋,厚16呎,高14呎の混凝土工2個を3呎距てゝ竝置し,その上に高37呎の粗石練積凹字形軀體工を築造せり。橋脚の基礎も略々橋臺に等しく幅16呎6吋,厚14呎,高14呎の混凝土工2個より成り,その軀體は粗石練積にして幅31呎9吋,厚9呎9吋,高37呎6吋あり。而して橋臺橋脚共に外側に1⁄20の竪勾配を附す,尙根入りの深は共に約22呎なり。
本橋は始め單線として明治二十一年一月起工,同年九月竣工せるものなりしが,明治二十四年二月複線工事成り,その後明治三十六年冬及び同三十八年秋の兩度に鈑桁及び橋臺上部を補修せり。降て大正四年一月乃至八月の間に於て,駿河足柄間に於ける一部線路の變更に伴ひて現在の位置に架換へたり。尙大正六年十月暴風雨のため川床著しく洗堀せられたるを以て橋臺橋脚の根固め沈枠工を施したり。
被害狀況 (附圖第五十七並に寫眞第二百五十三乃至第二百五十五參照) 東京方橋臺はバラス止に罅裂を生じ,その一部は崩壞して軀體中央部に龜裂を來し,側壁も亦上部崩壞或は移動し,その最大移動量約8呎に及べり。沼津方橋臺は桁座以下約20呎間側壁と共に崩壞せり。中央橋脚は上端より約25呎の處にて切斷して東京方に約6吋移動し,又鈑桁は沼津方橋臺崩壞のため上下兩線とも桁端墜落するに至れり。この外アンカー・ボールト及び床鈑の損傷を受けたるものあり。