鉄道唱歌/地理教育 鉄道唱歌 第三 田端水戸岩沼間
< 鉄道唱歌
- 上野水戸岩沼仙臺間
田 端 の驛 を後 に見 て南 千住 を越 え行 けば上 野 の山 に殘 る月 我 を送 りて影涼 し北 の千住 は久喜 驛 に續 く線 路 の分 岐 點 西 に折 るれば西新 井 人 の群 がる大 師 堂 阿伽井 に涌 は加持 水 と汲 みて歸 るもまた多 く草 加 の西南川口 の其 名 は鐵 器 にいちじるし新田蒲 生 はかしこくも叡聖文 武 の我 が君 が行幸 の砌 田 植 をば叡覧 ありし土地 とかや- ものをいはねど
歳 々 に磎 しげき越 ヶ谷 の驛 より僅 か五 六 町 武里 の東北 二 合半 年 にふたゝび米 みのる粕壁 近 き大 戸 村 第六天 の神 の杜 夏 もすゞしき影 ふかし- たれて
地 にしく藤 の花 にしきにまがふ花 菖 蒲 さきいづる比 は牛島 に集 ふ人 々數多 し 太 田 道 灌 持資 が築 きし城 の岩槻 は綾 瀨河 原 の南岸 に ありきと人 はつたえたり米 に名 高 き杉 戸 すぎ和戸 驛 こえて久喜 の里 奥州線 にいでずして きし道後 へ引 き返 し千住駅 よりひんがしへ行 けば亀有 、堀切 の菖 蒲 は右 に小 村 井 の梅 さく里 も遠 からず金町 過 ぎて江戸 川 を越 ゆればひだり松 戸 驛 小 金 ヶ原 の名 にし負 ふ花 のなごりは今 はたゞ東漸 寺 にぞのこるなる、味 醂 を醸 す流 山 醤 油 を造 る野田 の里 何 れ劣 らぬ名產 地 川上 とむる關宿 は其 の上久世氏 の城 の址 川 間 、七福 、春 の末 桃 の花 さきににぎはしゝ未 咲 に笑 むや櫻 花 霞 と見 しは昔 にて繋 ぐ駒 さへ今 見 えず旅 路 を急 ぐ馬 橋 や憩 ふ柏 の下蔭 に掬 ぶ手賀 沼橫 に見 つ行 く末 たのむ我孫子 をも ふりすてゆけば利根 の橋 倒 さに映 る富士 の根 に眺 つきせぬ長禪寺 取手 の西北守 谷 こそ平親王 の夢 のあと藤代 、牛 久 の左手 には牛 久 沼 とてその周囲 六 里 に余 る沼 ありて漁 る小舟 の白 帆見 ゆ龍 ケ崎 にと來 て見 れば女化原 の物凄 く荒川沖 に吹 きすさむ風身 にしみてはださふし土浦 かけてこぐ船 の影 もしづかに高濱 を出 でゝ都 に通 ふなる滊 船 のけふりのどかなり筑 波 の山 はその北 に そびえて天 の二 柱 關 八州 の御 守 りと なりてしづまり給 ふなり東 に廣 き太平洋 鹿 島 ヶ沖 の浦 々 や西 の麓 に小貝川 大宝沼 もともに見 ゆ- はるかに
仰 ぐ富士 の根 は かすみのおくにいや髙 く南 に房總半島 の山 々 見 えていとゆかし 北 に續 ける足尾加波 葉山 の里 や亀 ヶ岡 女男川原 の名 とともに つきぬ筑 波 のかげふかし神立 、高濱 、行 きすぎて石岡 、羽 鳥 たちはなれ さて岩 間 驛後 にして友 部 の宿 に着 きにけり西 にむかへば下野 の小 山 に續 く線 路 なり宍 戸 の西 の難台山 南朝 時 代 の古 戰 塲 稲 荷 の宮 にふる鈴 の音 にしらるゝ笠 間 町 稲 田 の鳥 をおどろかし福原 行 けば岩 瀨 驛 新治 につぐ下館 の眞 岡 木 綿 は名 も髙 し大宝沼辺 の河内村 文武兼備 の忠臣 と世 にも名 髙 き北畠 親房卿 が退 きて暫時 籠 りし關 城 の殘 れる跡 はこゝぞかし川島 行 けば絹川 の累 ヶ淵 の怪 談 も開 くる御代 はそらごとゝ思 ひておそるゝものもなし紬 木 綿 の產 地 なる結 城 の町 は氏朝 が上杉 氏 との古 戰 塲 思 へば胸 も裂 けんかし友 部 に歸 り東 へと行 けば内原 、赤塚 や東國一 の水戸 の城 茨 城 縣 廳 所在 の地 - のどけき
旅 の一日 を景山西山両公 の心 をこめしそのあとを とひてくらすもまた楽 し 弘道 館 の朝 のかね學 の窓 にひゞきてし昔 をしのび梅 かをる常盤 神社 にまうづれば偕楽園 の楽寿楼 好文亭 に何陋庵 千 波 の沼 を前 にして向 ふは春 の櫻 山 天 地 にこびぬ自然景 幾 百 年 の後 までも うつりかはらぬ德 見 えて いともゆかしく思 ふなり那珂 川通 ふ立船 に三 里 下 れば祝町 早 や海辺 に出 づるなり岬 に生 ふる磯 馴松 - みぎはにならぶ
岩 が根 は よせくる波 にあらはるゝ大 洗 とて潮浴 の ところと人 も知 るならん 磯濱沖 に海士 が漕 ぐ あさり舟 さへおもしろし濱 辺 の南遥 には鹿 島神宮 おはすなり- ゆるぎなき
世 の要 石 神 ましましゝ高天原 三 笠 の山 の月影 は今 も御 國 にかゞやけり 川 を渡 れば那珂 港 集 まる船 の数 知 れず歸 る白 帆 のその景 は矢 走 に勝 る風 致 あり太 田 鐵道 たどりなば靑柳菅 谷 額 田 町 久慈 川 対岸 の河 合 驛 通 じて十二哩 なり町 の北 なる瑞龍山 水戸累代 の墓地 にして幽静閑雅 の西山 は光國卿 の隠棲所 月折峠 のもとちかく白 く懸 るは袋 田 の瀑布 ぞ直下四十丈 両崖楓樹 の景 もよし水戸 より北 にはせゆけば長宥僧都 の開基 てふ東聖寺 あり榧 の樹 に其名 も髙 き佐和 の里 泉 ヶ森 の石神 に吸 えし大甕昼夜 を分 たず出 す名水 を掬 びて飲 むや下孫驛 助川近 き日高村 こどしくたてる大巌 は波 の濡衣常着 るを裸島 とは誰 が云 ひし川尻越 えて高萩 や豊浦松原手綱濱 立 つ波白 き眺 には萬葉集 にも名 を留 む遠見 よろしき磯原 や見 ゆる限 りは涼 しやと詠 みし翁 の平潟 は關本越 えて小半里 勿 來 の關 に來 てみれば道 もせに散 る山 櫻 散 にしあとはきえうせて たづぬるよしもあらざれど十株 に足 らぬ老松 の風 にうそふく有様 は英雄千 古 の名声 を今 にとゞむる証 なり植田 を送 り泉 をも すぐればこゝは湯本驛 掘 り出 す炭鉱湧 出 づる温泉 に人 の往来 あり衣 の綴繕 ひて平 に入 れば今 も尚 噺 に遺 る左馬頭 転 た袖 をば濡 すらん草野 の如來伏 し拝 み四 ツ倉行 けば久 の濱 つゞく木奴美 の浦風 に波立寺 や尋 ねまし- ステーション六つ
過 ぎ行 けば小鶴 ヶ池 に小 波 立 つ磐 城 太 田 も早 や越 えて原 ノ町 にぞ着 きにける 來 し線路 西方一帯 は馬 の産 地 と聞 えたる相馬 の原 に若草 の茂 れど哀 れ照 る月 に影 さへ見 せぬ寂 しさは すだく虫 にも知 らるれど山 を越 え行 く三 春駒 今 も嘶 く聲 すなり原 宿 すぎて鹿 島 をも後 に殘 して中村 の驛 に友 をば松川 や浦 わに敷 ける白砂 に松 の緑 の色 さへて筆 も及 ばぬ文字 ヶ島 水茎山 の眺望 こそ げにいづこにもたぐひなし早 くも三つの停車場 越 せば亘 理 の磯 の濱 阿武 隈川 の勇壮 を愛 づる間 もなく岩沼 の驛 に車 はつきにけり仙臺 行 の汽 車 も今 こゝに來 れりいざさらば我 も乘 替 へ馳 せ行 かん、
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