鉄道唱歌/地理教育 鉄道唱歌 第ニ 上野高崎信越間
< 鉄道唱歌
- 上野高崎直江津新潟間
日 本鐵道大宮 を はなれてすゝむ上 尾 驛 桶川鴻 ノ巣 打 ち越 えて行 けば吹上鮎 どころ熊谷驛 は直實 の なごり殘 して今 もなほ蓮 生 山 の鐘寒 く諸 行 無 常 とひゞくなり、西 に峙 つ秩 父 山 畠 山 氏 の城 のあと其 の北永 井 は實盛 が すみし古 跡 と知 られたり深 谷 に來 れば六 彌太 が昔 がたりは其 のむかし源 氏時 代 の英雄 の面 かげ殘 る普 濟寺 、本 庄 驛 や新町 は生 絲 の產 地 と名 も高 く多胡 の碑 ふりながら和 銅 四 年 と讀 まれたり、見 よや西方 五里 の道 神 流 の川 の水 きよく奇 岩突兀 起 伏 して いとめづらしき景 色 なり、高崎町 の朝霧 に淺 間 の煙 りたちそひて喇 叭 の聲 も勇 ましく營所 の方 にひゞくなり、下 仁田 線 の分 れ路 に國 の富 をば增 すといふ富岡町 の製 絲 塲 誰 も見 む人 驚 かん、高崎分 れて六哩 行 けば上野第一 の都 會 前橋 市 にいたる郡 馬 縣 廳 こゝにあり、榛 名 の山 の湖 に映 る小富士 のかげやさし物聞山 のほとゝぎす なのる伊香保 の湯 もしるし、尚 も奧 へと澤渡 や四萬 川 越 せば四萬 の里 白 根 颪 に誘 はれて煙 りたなびく草 津 の湯 奇 しき眺望 はあらねども海 を拔 くこと高 ければ釜 中 の魚 の苦 しみを夢 にも知 らぬ好 避 暑 地 赤 城 の山 を左 に見 駒形 越 せば紬 にて其 名 も高 き伊勢 崎 や義貞 朝 臣 が勤王 の旗 を擧 げたる笠懸 野 三奇 の一 人 と呼 ばれたる高山氏 の舊跡 地 尋 ねて見 るも亦 ゆかし、俠客忠 次 の生 地 なる國定 過 ぎて大 間 々や幾 百萬の織物 を每歳 出 す桐 生 町 小 俣山前束 の間 に越 ゆれば又 も織物 に名 をば上 げたる下野 の足利 にこそ來 るなれ、小 野 篁 建 て初 めし足利 學校 おとづれて孔 子 の廟 にぬかづきつ古 き書物 繙 けば如何 に智 識 を增 すならん反服常 なき嘲 りを末 の代 にまで殘 したる室町 將 軍 蹶 起 の地 、町 を周 れる渡 良瀨 の水上深 く尋 ぬれば古 き勝 道 上 人 が白 き猿 に案 内 させ分 入 り初 めし所 とて其 名 に因 む庚申山 百 間幕 の巖石 を眺 めて行 けば茸 石 先方 に峙 つ櫓 石 見 るもいぶせき女體石 をのゝき/\一 の門 潛 れば數 丈 の梵 字 石 溪 間 にそひて屹立 し風 に傾 ぶく風 情 なり、更 に進 めば富士見 岩 拳 に似 たる螺 石 蠟燭石 は道路 の極 こゝに踵 をめぐらせて胎内 竇 ニつあり小 なる方 は匍 匐 ひつ大 なる方 は立 ちしまゝ潛 り潛 れば奧 の院 數 へ盡 くせぬ怪 石 の奇 景 は眞 に別 世 界 、山 に續 きてニ里 南 銅 鑛 出 す足 尾 あり富 田過 ぐれば佐野 の驛 䈓 生 越 名 にいたるみち唐 澤山 は秀鄕 が住 みし跡 なり館 林 文福茶釜 の怪 談 を傳 へし茂 林 寺 今 もあり、船 を倒 しゝ山 の姿 岩船 越 して富山 の次 は栃 木 の停車塲 西 に見 ゆるは大平山 水戸 の浪 士 の天 狗等 が逃 げて籠 りし跡 は今 古 松 老杉日 光 を遮 る中 に赤 間 沼 利根 の流 を打 ち眺 め そよぎふきくる涼風 に夢結 ぶてふ公園 と なりてとむらふ人多 し、- もと
來 し道 に引返 し高崎驛 を後 に見 て更 に西 へと進 みなば やがて迎 ふる飯塚 や 安中 過 ぐれば磯部驛 浴 の客 の寄 り集 ふ カルゝス泉 の効驗 は開 けゆく世 に知 られたり、天 狗 の剃 りし髭岩 と ともにしらるゝ妙 義 山 松 井田去 りて道 一里 新堀 五 料後 にして- つくは
橫川碓 氷 川 川 瀨 の波 に珠 はしる、吾嬬 ばやと呼 ばゝりし碓 氷 峠 はこゝぞかし、 留 夫 の山 にふるあとの名 殘 とゞむる蕨 餠 嶺 にも尾 にもおりかくる もみぢの錦 綾 なして秋 の景 色 は外 にまた たぐひまれなりトン子ルの數 は合 せて二十六長 さは總 て三哩 一 つを送 りやがて又 一 つ迎 ふる有様 は暗 より出 でゝ暗 に入 る心 地 せられていとおかし、人 の往還 絕 えたりし山 のいたゞきたひらげて拓 きし熊 の平 驛 いともさびしき山 家 なり、碓 氷 の西 の輕 井 澤 海 を拔 くこと四千尺 四 面 に山 を繞 らして夏 の暑 さも知 らぬなり、御代田小 諸 を後 にして田 中大 屋 に上 田 驛 眞 田 が城 のその趾 は さびしき月 ぞまもるなる、坂城 出 でゝ西 向 けば姨捨山 に照 る月 の田 每 にうつる秋 の夜 も思 ひ知 られておもしろし、屋 代 の里 の東 北 千 曲隔 てゝ一里 半 松代町 ときこえしは象 山翁 の故 郷 なり、千 曲 に近 き篠 ノ井 を過 ぐれば鐵 橋 犀川 に かゝりて昔 し甲越 の兩將 久 しく戰 ひし川中島 の戰 塲 は遠 く右 手 にひろがれり さして語 らふ遑 もなく急 ぐ車 に影 かくる、日 本最 古 の佛像 を安 置 せるてふ善 光 寺 爭 ひまゐる老 若 の おりてつどへる長 野 驛 、左 に戸 隱 山 を見 て着 くは豐 野 の停車塲 秋 の錦 をさながらに映 せる水 は琵琶 の池 、- いと
恐 ろしき地 獄谷 針 の山 さへきこゆれど暑 さ忘 るゝ溫泉 に樂 しく遊 ぶ人 もあり、 牟禮 柏 原 打 ち過 ぎて野 尻 に著 るき芙 蓉 の湖 倒 さに映 る小富士 山 棹 さす波 に雪 ぞ散 る、關川 越 えてわけ行 けば田 口關山新 井 驛 北越一 の大雪 と世 に響 く名 の高 田 町 、西 に見 ゆるは春 日 山 上杉氏 の舊 城 趾 秋 の霜 夜 に月影 を かすめてゆくや雁 の聲 、窓 より近 く直 江津 の湊 も見 えて風 さむく豫 てかくとは聞 きぬれど立 つ波高 し磯 の上 、右 に見 ゆるは佐渡 が島 左 に見 ゆるは能登 の國 雲 にやあらん山 にやと問 へど答 えぬ海人 が船 、北越線 に乘 り替 へて春 日 新田 出 でぬれば五 つの驛 の其 の次 は柏 崎 にといたるなり、北條近 くなるまゝに ゆるぎなき世 の不 動瀧 流 れて落 ちる三層 の下 は玉 ちる鯖 石 川 、- いはふ
君 が代 長岡 に沿 ひて流 るゝ信 濃 川 草 生津 町 にかけたるは長 生 橋 と世 に呼 ばる、 左 手 にたてる彌 彥山 麓 にまつる御 社 は越 後 の國 の一 の宮 彌 彥神社 と知 られたり、山 の西北一帶 は北越一 と言 ひ囃 す有明浦 の好 き景 色 眺 望 は何時 も厭 かざらん、三條 過 ぎて一 の木戸 加茂 や矢 代 田 新 津 驛 五 泉町 とは袴 地 に其 名 もしるき小 都 會 、越 後 に名 高 き七 不思議 その一 つなる火 の井戸 は蒲原郡 や頸 城 郡 いたるところに地 をうがち瓦斯 をよばひて燈火 に用 ゐることぞ其 の上 は燃 ゆる水 なり燃 ゆる土 と不思議 にもかぞへしが- いや
開 けゆく大 御代 の深 きめぐみのしるしには これぞ石油石炭 と知 りてあやしむものもなし、 - こゝに
北越線 つきて外國人 と貿易 の五 港 の中 のその一つ新潟 市 とは川 ひとゑ 萬代 橋 のこなたなる沼埀驛 につきにけり、見 渡 す前 は佐渡 が島 黃 金白銀 掘 り出 す人 の勞 苦 は如何 ならん便船 あらばわたり行 き順 德院 の御 あとを たづねまつらんかしこくも、
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