通俗正教教話/信と望と愛の活用

▲結論

しんのぞみあいの活用 編集

問 わたくしども基督教徒クリスチヤニンかみたいひとたいおのれたいして如何いかなることつねおこなはねばならぬか其事そのこときましてはわたくしども今迄いままできたりましただけつくしてりますがそれならばこのおぼえたおしへもつおのれとくたかひとおこないをなすにはうしたならばよろしいので御座いますか。

答 それつねこころけて今迄いままでおぼえたおしへ此度こんど実地じっちおこなふやうにつとむるので御座います幾何いくらいことをってましたところそれおこなはなければなんやくにもたないので御座います聖書せいしょにも『なんぢこれりておこなはばさいわいなり』(イオアン十三の十七)とります。


問 それではわたくしどもしづかおのれおこないかえりみて今迄いままでふことをってたか其事そのことおもしてぶん今迄いままでってたことが今迄いままでんでおしへちがってたとったならばうしたらよろしう御座いますか。

答 其時そのときには断然だんぜんこころあらためて今迄いままでわるおこないみなててまってあらたかみいましめかなようおこないをなせばよろしいので御座います、神様はいつくしみふかかたで御座いますから真実しんじつこころうちからおのれつみあらためさへすれば如何どんだい罪悪ざいあくにんでも其罪そのつみゆるしておのれとなしてめぐみさづけになるので御座います。


問 それではわたくしどもさいわいにして神様のおんいましめひとつでもみづかおこなったときには如何いかがしたならばよろしいので御座います。

答 其時そのときにはそのおこなったことをひとほこらずつねくだって神様に其恩そのおんしゃつね聖書せいしょもうしてりまするとほり『われえきぼくなりおこなふべきことおこなひしのみ』(ルカ十七の十)ととな益々ますますすすんでおのれとくようこころけねばなりませぬ。
(望と愛のこと終)
<<完>>

通俗正教教話下巻(望と愛の巻)終