<<来りて我に学べ、我は心柔和にして謙遜なる者なればなり〔マトフェイ十一の廿九〕>>
我は我が有る所に準じて言はず、我が哀憐に準じて語るなり、我は権よりも寧ろ慈悲を愛す。我れ王は汝と言ふ、我が力は大なり、さりながら我は己れに在る所の権柄を以て汝の弱きを驚かさんを欲せず、故に左の如くいはず、来りて我に学べ、我は萬物の君たり、主宰たり、地を俯視してこれに戦慄せしめ、『指をのばして天をはかり地の塵を量器にもらん』〔イサイヤ四十の十二〕といはざるなり、却て次の如くいふ、『来りて我に学べ、心柔和にして謙遜なる者なればなり』といふなり。我は眞に柔和なり。そは汝罪を犯したれども、我は鞭撻を忍び受けたり、我は眞に甘んじて謙遜なり、そは我れ主宰は奴隷たる地位にある者を解放せんが為に来りたれども、彼等は解放者たる我が頬を批ち、諸僕は我を十字架に釘せり、然れどもこれにも拘はらず、我は彼等の為に己が父に祈りて、『父よ彼等を免し給へ、彼等は為す所を知らざればなり』〔ルカ廿三の三十四〕といへり。故に『来りて我に学べ、我は心柔和にして謙遜なる者なればなり』、来れ、我わが僕に切に願ふ、且これを願ひこれを懇に求むるを耻ぢざらん、已むを得ずして彼等を罰することのあらざらんがためなり、来れ、恐るべきものを我より見るに先だちて、温柔を我に学べ、来れ今は治療するなり、然れども幾くもなうして審判せん。今は我宥免するなり、然れども少しく後には判決を下さん、今は我憐憫するなり、然れども若干の時を過ぎなば義なる審判者としてあらはれん。『来りて我に学べ、我は心柔和にして謙遜なる者なればなり』。一は我が温柔を尊敬すべく、一は我が権柄を恐れよ。来れ、懺悔を以て我が顔の現はるゝに先だつべし、何となれば我が謙遜は一定の時を以て限らるればなり。けだし主の意謂へらくたゞ現生は我が久忍をあらはすの時なり、かくのごとき我が慈悲の戸の閉さるゝ時来らん、時来らば喇叭の響は我が再臨をいづくにも報ぜん、諸天使は全地を飛行して、億萬の死者を審判にあらはさん、宝座已に定められて、我天軍に乗じて至らん、諸の首領と権柄と我が行くに随伴せん、我が国の光は全世界を照さん、各人の前に此世の諸行をしるせる書は繙かれん、律法を確守したるものは賞をうけて、厳しき判決は魔鬼に下されん、審判せらるゝ者は独り己の行為を身に有して立たん、思念は各人を訴へて、良心はこれを罪せん、悪鬼は審判者の言に注意せん、火炉は此の審判者の判決を待たん、憐めよとの言に其の呼ぶ者に最早助けざらん。故に我が憐みの戸を閉ざすに先だち、生命を祝する賀儀の完了るに先だち、此世の観場の終るに先だちて来れ、けだし定められたる末季は已に門にあればなり。我が審判を始むるに先だちて来れ、けだし我もしこれに先んじ、坐して審判を施行するならば、最早憐むことあらざらん。これが為に我は愚なる童女の明白なる譬をあらはせり、けだし義の油を有せざる彼等が生命の燈は消え、婚莚の室の戸は彼等の為にとざゝれて、彼等これを叩くに、内より答へて汝等を知らず〔マトフェイ廿五の一〕といはんとす、これ審判に於て罪人につげられんとする言を預示するなり。故に、兄弟や、我等もし救世主の言により、主の慈悲を学ぶならば、審判者が審判に先だち、仁慈を以てつぐる所のものに留心せざることあらざらん、改善の時機を失ふことあらざらん、善行と施與とを以て己が霊魂に衣せん。我等おの〳〵永生の為に緊要なるものを獲べし、さらば耻づべき行に遠ざからん……。我等は霊魂を貞潔にて飾り、潔き信仰の価すべからざる真珠を堅く自ら持せん、我等が生命の期の止むに先だち、世界の現状と、栄誉の花と、地上のあらゆる快楽の廃滅するに先だちて、偽らざる審判者を悦ばせん。けだし彼は自らいへること左の如し曰く『主いふ、我れ罪人の死を欲せず、然らば汝等悔て生きよ』〔エゼキリ十八の三十二〕。もし彼罪人を罰せんと欲するならば、かくいはざりしならん、彼は憐まんを欲す、故に勧む、宥免せんとす、故に説得するなり、彼が預言をもて汝を恐らすは、汝より実の危きを預め除かんが為なり。神は威すときは、救はんと欲するなり、然れども黙する時は、罰せんと欲するなり。我等古の例によりて此を知る。神はニネビヤ人を威して彼等を宥し、ソドム人の為に黙して彼等を罰せり。もし我等苦みを自ら引誘せずんば、彼は栄冠を備へん。彼は地獄を空うせんを願ひ、暗獄を閉さんを欲し、其の凡ての怒をたゞ魔鬼の為にのみ存せんを欲し、誰をも罰せずして衆人を賞せんが為に審判者として坐せんを欲す。故に我等はかくの如き主宰を有すれば、慈悲のみちみてる言を熱心にうけ、『来りて我に学べ、我は心柔和にして謙遜なる者なればなり』、といふに注意せん、我等左の望ましき神の声を聞くを賜はらんが為なり、曰く『我が父に祝せられたる者や、来りて汝等の為に備へられたる国を嗣げ』〔マトフェイ廿五の三十四〕、主イイスス ハリストスの恩寵と仁慈とにより我等皆此国に於て楽むを得ん、彼と父及び聖神に光栄は世々に帰す。「アミン」。