<<司祭を尊ぶべし>>
我等は聖神を己れに有せんが為にあらゆる方法を用ふるなり、されば恩寵の賜を以て行為すべき権を委ねられたる者を待つには全く尊敬を以てせん。司祭の職位は実に大なり……。言ふあり『彼等に罪を赦すといへば赦されん』。故にパウェルもいへり、『汝等を導く者に循ひて服すべし』、〔エウレイ十三の十七〕又いへり『彼等の工は縁て厚くこれを愛すべし』〔ソルン前五の十三〕。実に汝はたゞ自己の行を心掛るのみなり、さればもし善くこれを建つるときは、他の人々の為に陳訴するの責あらざるなり。司祭は然らず、たとへ自己の身を善く建つるとも、己が管理にまかされたる汝と他の衆人との身を、當然なる熱心を以て慮らずんば、悪者と共に地獄に行かん、されば彼は自己の行に於ては無罪なりとも、もしすべて己れに関係する所の事を當然に行はずんば、汝等の不法の為に亡ぶること屡これあり。故に司祭にはいかに大なる危険の至るあるべきを知りて、大なる愛を彼にあらはすべし。パウェルも此を指示していへり、曰く『彼は汝等の霊の為に儆醒し、〈且単に儆醒するのみならず〉将に陳訴せんとするが如し』〔エウレイ十三の十七〕。故に彼に大なる尊敬をあらはすべし。もし汝等も他の人々と共に彼を辱かしむるならば、汝等の行も好き進歩あらざるべし。それ舵師も其心を慰むる間は、航海する者も船中にありて安然ならん、されどももし同航者より凌辱敵対を受けて、憂苦に沈むことあらば、最早彼は以前の如く儆醒することも、又通常の如く己が技倆を働かすこともあたはざるべくして、本意ならずも同航者を大なる危難にかゝらしめん。司祭もかくの如し、汝等より適當の尊敬を得るあらば、汝等の行をも建つるを能くせん、されどもし彼を哀ましむるならば、たとへ甚だ剛勇なる者といへども、彼は其手を弛むべく、汝等と共に易すく波に引去られん。ハリストスが猶太人の事をいひしを思ふべし、曰く『学士輩とファリセイの徒はモイセイの位に坐せり、故に凡て彼等が汝等に言ふ所を守り且行へ』〔マトフェイ廿三の二、三〕。然れども今日司祭はモイセイの位に坐せりとは言ふ能はず、否彼はハリストスの位に坐するなり、いかんとなればハリストスの教をうけたればなり。故にパウェルも言へり、『我等は召されてハリストスの使者となれり、即神われらに託なんぢらを勧め給ふが如し』〔コリンフ後五の二十〕。人々の俗権に服するを見ずや。これが属下たる者は其門族の顕著なるに於ても、身上に於ても、智慧に於ても、己を管轄する所の者よりは数等超ること屡これありといへども、かれを立てたる者を尊敬するにより、彼等は毫も此事を思はず、己が上に立つて管轄する者の如何を問はずして王の任定を尊崇せん。アヽ人が管轄者を立つる時は、我等に此の如き敬畏の心あり。然るに神が手撫する〈叙聖する〉時は、我等其の手撫せられたる者を軽んじ且辱かしめ、無数の讒毀をもて彼を苦しむるなり、アヽ我等は己の兄弟を議するを禁ぜられたるに、司祭に向つて舌を鋭くするや。我等は己の目に梁木のあるを見ず、悪意をもて他人の目に物屑のあるを認めんとせば、何の弁解やある。かくの如く人を議する時は、己の身に最重き定罪をそなへんとするを知らざるか。我がかく言ふは司祭の職務を當然に行はざる者を嘉せんとにあらず、否、我は彼の為に極めてこれを哀むなり、然れどもかゝる場合に於ても属下たる者、特に通常の人は彼を議するの権利あらざるを我は断定するなり。司祭の行には甚あしきもあるべし、然れどももし汝は自己の行に注意するならば、神より任かされたる所のものに何の損害もうくることなけん。もし主は驢に言はしめ、卜者に因て霊神上の幸福を賜ふならば、もし主はかくの如く驢の無言なる口に因ても、又ワラアムの不潔なる舌に因ても感謝を知らざるイウデヤ人の為にかく為しゝならば、況や汝等の為に於てをや、さらば汝等恩を忘れずんば、たとへ司祭は極て悪なりとも、主は自ら汝の為に要用なることをすべてなして、聖神を降し賜はん。たとへいさぎよき司祭といへども、自己の清潔にて聖神をみちびくにはあらず、恩寵はすべてを成すに非ずや。使徒いふ『或はパウェル或はアポルロス或はキファみな汝の属なり』〔コリンフ前三の廿二〕。すべて司祭に委ねられたるものは純ら神の賜なり、さらば人間の明哲はたとへ幾く大くいはんも彼の恩寵よりは常に下からん。我れ此を言ふは各己の品行を等閑にせよとにはあらず、属下たる者、院長の怠慢を見て、これにより自己の為に悪を増殖せざらんが為なり。さりながら我れ何ぞたゞ司祭をいはん。神使も神使長も神より賜ふ所のものには何等の勢力もあらはす能はざるべし、こゝにすべてを建つるは父と子と聖神にして、司祭はたゞ己の舌を貸して己の手を廣ぐるのみなり。然れどももし進行を以て救の号標に進む所の者が、他の人の悪しきに因りて害をうくることあらば、當然といふべからざらん。故に此を知りて我等は神を畏れ、又神の司祭を尊んで、彼にすべての敬礼をあらはさん、これ我等の主イイスス ハリストスの恩寵と仁慈とにより、己の善行によりても、又司祭を尊敬したるによりても、大なる恩賞をうけんが為なり、彼に父及び聖神と共に光栄、権柄、尊敬は帰す、今も何時も世々に。