聖金口イオアン教訓下/第17講話

第17講話

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<<すべこのおいところことためむくいあらん>>


われこうげんのみにてかぎらるゝとおもふなかれ、すべわれこのおいところことためにはかなら審判さばき報酬むくいとあるべきをしんずべし……。もしれあらずんば、何故なにゆえかみはかくもおほいなるてんり、したき、うみひろうし、たいみなぎらして、かくごとせつをあらはしたまひしや、もしかみおわりいたまでわれおもんばかるをほつせずんば、のすべてはなんためなるか。さりながら善良ぜんりょう生活せいかつしたるものうちいくひとは、すう災難さいなんひ、幸福こうふくといふものはいつもうけずしてりしも、はこれと相反あいはんして、はなはだほう生活せいかつし、ひと財産ざいさんかすめ、孤児寡婦こじかふあざむかつしえたげ、とみと、しゃと、かぎりなき幸福こうふくとにてたのしみ、些少すこしがいをもうけずしてりしをるか。さらばもしわれこうこの生活せいかつともおわるならば、なんときに、前者ぜんしゃ徳行とくこうためしょうをうけ、後者こうしゃほうためばつをうくべきか。もしかみ存在そんざいし、じつ存在そんざいするならば、ひとみなかれなりといはん、さらばもしなるときはかれにもまたこれにも、そのあたへしたがつ報酬むくいんとするにたれ異議いぎなかるべし。さりながらかみかれこれとにそのあたへしたがつむくゆるとするも、このおいてはたれもこれをけしものなく、かれつみためばつをうけず、これ徳行とくこうためしょうけざりしならば、かれこれ當然とうぜん報酬むくいをうくるときさらにあるべきことは明白めいはくなりとす。――さりながらかみわれ霊魂たましいだん儆醒けいせいしてねむらざる裁判者さいばんしゃすなはち良心りょうしんてしは何故なにゆえなるか。けだしわれ良心りょうしんごとねむらざる裁判者さいばんしゃ人々ひとびとあいだいつもこれあらざるなり、がい裁判者さいばんしゃきんにてまひなひすることをべく、諂媚こびにてやはらぐることをべく、またおそれをもつことさらゆるさしむべく、そのかれをして裁判さいばん公平こうへいげしむべきものは許多あまたあるべし、しかれども良心りょうしん裁判所さいばんしょなにもかくのごときものにしたがはされざるなり、きんあたへんか、へつらあるいおどさんか、あるいそのいかなることすといへども、かれねんたいして公正こうせいなる宣告せんこくはつせん、さればつみおこなひしものたれとがむるものなしといへども、かれみづかおのれつみせん。しかして良心りょうしんこれすは一次ひとたびあらず、二次ふたゝびあらず、屡次しばしばこれをなして、生涯しょうがいあいだにあるなり、さればおほくの年月ねんげつるといへども、かれしゝところのものをけつしてわすれず、つみおこなときも、またおこなひしのちも、いたわれめ、おこなひしのちことにかくなさんとす。