君之適長殤,車三乘;公之庶長殤,車一乘;大夫之適長殤,車一乘。
〈訳:NDLJP:1047122/213 君の適長の殤には車三乘。公の庶長の殤には車一乘。大夫の適長の殤には車一乘。〉
公之喪,諸達官之長,杖。
〈公の喪には諸の達官の長杖つく。〉
君於大夫,將葬,弔於宮,及出,命引之,三步則止,如是者三,君退;朝亦如之,哀次亦如之。
〈君大夫に於ては、將に葬らんとするとき宮に弔す。出づるに及んで命じて之を引かしむ。三歩にして則ち
止まる。是の如くする者三たびにして君退く。朝も亦之の如く、次に哀しむも亦之の如し。〉
五十無車者,不越疆而弔人。
〈NDLJP:1047122/214 五十にして車無き者は疆を越えて人を弔せず。〉
季武子寢疾,蟜固不說齊衰而入見,曰:「斯道也,將亡矣;士唯公門說齊衰。」武子曰:「不亦善乎,君子表微。」及其喪也,曾點倚其門而歌。
〈季武子疾に寢ぬ。蟜固齊衰を説かずして入りて見て曰く、斯の道や將に亡びんとす、士は唯だ公門に齊衰
を説く。武子曰く、亦善かずや、君子の微を表にすること。其の喪に及んでや、曾點其の門に倚りて歌
へり。〉
大夫弔,當事而至,則辭焉。弔於人,是日不樂。婦人不越疆而弔人。行弔之日不飲酒食肉焉。弔於葬者必執引,若從柩,及壙,皆執紼。
〈NDLJP:1047122/215 大夫弔するに、事に當りて至るときは則ち辭す。人を弔すれば、是の日樂せず。婦人は疆を越えて人を弔
せず。弔を行ふの日は、酒を飮み肉を食はず。葬りを弔する者は必ず引を執る。若し柩に從ひて壙に及べ
ば、皆紼を取〔ママ〕る。〉
喪,公弔之,必有拜者,雖朋友、州里、舍人可也。弔曰:「寡君承事。」主人曰:「臨。」君遇柩於路,必使人弔之。大夫之喪,庶子不受弔。
〈喪に公之を弔するときは必ず拜者あり、朋友州里舍人と雖も可なり。弔するに曰く、寡
君事を承けしむと。主人曰く臨と。君柩に路に遇へば、必ず人をして之を弔せしむ。大夫の喪には庶子弔
を受けず。〉
妻之昆弟為父後者死,哭之適室,子為主,袒免哭踊,夫入門右,使人立于門外告來者,狎則入哭;父在,哭於妻之室;非為父後者,哭諸異室。
〈NDLJP:1047122/216 妻の昆弟父の後たる者死すれば、之を適室に哭す。子主たれば、袒免哭踊す。夫門を入りて右し、人をし
て門外に立ちて來者に告げしむ。狎なれば則ち入りて哭す。父在せば妻の室に哭す。父の後たる者に非ざ
れば諸を異室に哭す。〉
有殯,聞遠兄弟之喪,哭于側室;無側室,哭于門內之右;同國,則往哭之。
〈NDLJP:1047122/217 殯有るに、遠兄弟の喪を聞けば側室に哭す。側室無ければ門内の右に哭す。同國は則ち往いて之を哭す。〉
子張死,曾子有母之喪;齊衰而往哭之。或曰:「齊衰不以弔。」曾子曰:「我弔也與哉?」
〈子張死す。曾子母の喪あり、齊衰して往いて之を哭す。或ひと曰く、齊衰すれば弔せずと。曾子曰く、我
弔するならんや。〉
有若之喪,悼公弔焉,子游擯,由左。
〈NDLJP:1047122/218 有若の喪に悼公弔す。子游擯するに左よりせり。〉
齊穀王姬之喪,魯莊公為之大功。或曰:「由魯嫁,故為之服姊妹之服」;或曰:「外祖母也,故為之服。」
〈齊王姫の喪を穀ぐ。魯の莊公之が爲に大功す。或ひと曰く、魯より嫁せり、故に之が爲に姉妹の服を服す
と。或ひと曰く、外祖母なり、故に之が爲に服すと。〉
晉獻公之喪,秦穆公使人弔公子重耳,且曰:「寡人聞之,亡國恆於斯,得國恆於斯,雖吾子儼然在憂服之中,喪亦不可久也,時亦不可失也。孺子其圖之。」以告舅犯,舅犯曰:「孺子其辭焉;喪人無寶,仁親以為寶。父死之謂何?又因以為利,而天下其孰能說之?孺子其辭焉。」公子重耳對客曰:「君惠弔亡臣重耳,身喪父死,不得與於哭泣之哀,以為君憂,父死之謂何?或敢有他志,以辱君義。」稽顙而不拜,哭而起,起而不私。子顯以致命於穆公。穆公曰:「仁夫公子重耳!夫稽顙而不拜,則未為後也,故不成拜。哭而起,則愛父也;起而不私,則遠利也。」
〈NDLJP:1047122/219 晉の獻公の喪に、秦の穆公人をして公子重耳を弔せしむ。且つ曰く、寡人之を聞く、國を亡ふは恒に斯に
於てし、國を得るも恒に斯に於てすと。吾子嚴然として憂服の中に在りと雖も、喪も亦久しくすべからざ
るなり、時も亦失ふべからざるなり。孺子其れ之を圖れと。以て舅犯に告ぐ。舅犯曰く、孺子其れ辭せよ。
喪人は寶無し、仁親以て寶と爲す。父死す之を何とか謂はん。又因つて以て利とせん、而して天下其れ孰
か能く之を説かん。孺子其れ辭せよ。公子重耳客に對へて曰く、君亡臣重耳を惠弔す。身喪び父死し、哭
泣の哀に與かることを得ず、以て君の憂を爲せり。父死す之を何とか謂はん。敢て他志有りて以て君の義
を辱むること或らんやと。稽顙して拜せず、哭して起ち、起ちて私せず。子顯以て命を穆公に致す。
穆公曰く、仁なるかな公子重耳。夫れ稽顙して拜せざるは則ち未だ後と爲らざればなり、故に拜を成さず。
哭して起つは則ち父を愛するなり。起ちて私せざるは則ち利に遠ざかるなり。〉
帷殯,非古也,自敬姜之哭穆伯始也。
〈NDLJP:1047122/221 殯に帷するは古に非ざるなり。敬姜の穆伯を哭するより始まれり。〉
喪禮,哀戚之至也,節哀,順變也;君子念始之者也。復,盡愛之道也,有禱祠之心焉;望反諸幽,求諸鬼神之道也;北面,求諸幽之義也。拜稽顙,哀戚之至隱也;稽顙,隱之甚也。飯用米、貝,弗忍虛也;不以食道,用美焉爾。銘,明旌也,以死者為不可別已,故以其旗〔識〕識之。愛之,斯錄之矣;敬之,斯盡其道焉耳。重,主道也,殷主綴重焉;周主重徹焉。奠以素器,以生者有哀素之心也;唯祭祀之禮,主人自盡焉爾;豈知神之所饗,亦以主人有齊敬之心也。辟踊,哀之至也,有筭,為之節文也。袒、括髮,變也;慍,哀之變也。去飾,去美也;袒、括髮,去飾之甚也。有所袒、有所襲,哀之節也。弁絰葛而葬,與神交之道也,有敬心焉。周人弁而葬,殷人冔而葬。歠主人、主婦、室老,為其病也,君命食之也。反哭升堂,反諸其所作也;主婦入于室,反諸其所養也。反哭之弔也,哀之至也,反而亡焉,失之矣,於是為甚。殷既封而弔,周反哭而弔。孔子曰:「殷已愨,吾從周。」葬於北方,北首,三代之達禮也,之幽之故也。既封,主人贈,而祝宿虞尸。既反哭,主人與有司視虞牲,有司以几筵舍奠於墓左,反,日中而虞。葬日虞,弗忍一日離也。是月也,以虞易奠。卒哭曰「成事」,是日也,以吉祭易喪祭,明日,祔于祖父。其變而之吉祭也,比至於祔,必於是日也接,不忍一日末有所歸也。殷練而祔,周卒哭而祔。孔子善殷。
〈NDLJP:1047122/222 喪禮は哀戚の至りなり。哀を節するは順つて變ずるなり。君子は之を始むる者を念ふなり。
復は愛を盡すの道なり、祷祠の心あり。諸を幽より反さんことを望むは、諸を鬼神に求むるの道なり。北
面するは諸を幽に求むるの義なり。
NDLJP:1047122/223 拜して稽顙するは哀戚の至つて隱なるものなり。稽顙するは隱の甚しきなり。
飯するに米貝を用ふるは、虚しきに忍びざればなり。食道を以てせざるは美を用ふるのみ。
銘は明旌なり。死者を以て別くべからずと爲すのみ。故に其の旗を以て之を識す。之を愛して斯に之を録
す、之を敬して斯に其の道を盡すのみ。重は主の道なり。殷は主あれば重を綴る。周は主あれば重を徹す。
NDLJP:1047122/224 奠するに素器を以てす。生者哀素の心あるを以てなり。唯だ祭祀の禮、主人自ら盡すのみ、豈に鬼神の饗
くる所を知らんや。亦主人齊敬の心あるを以てなり。
辟踊は哀の至りなり。算あるは之が節文を爲すなり。
NDLJP:1047122/225 袒括髪は變なり、慍は哀の變なり。飾を去るは美を去るなり。袒括髪は飾を去るの甚しき者なり。袒す
る所あり、襲する所あるは哀の節なり。
弁絰葛して葬るは神と交はるの道なり。敬心あり。周人は弁して葬り、殷人は冔して葬れり。
NDLJP:1047122/226 歠るとき、主人、主婦、室老には、其の病むが爲に、君命じて之に食はしむるなり。反哭して堂に升るは、
諸れ其の作せる所に反るなり。主婦室に入るは、諸れ其の養ひし所に反るなり。
反哭の弔は哀の至りなり。反りて亡し、之を失へり、是に於て甚しと爲す。殷は既に封して弔し、周は
反哭して弔す。孔子曰く、殷は已だ愨なり、吾は周に從はん。
NDLJP:1047122/227 北方に葬りて北首するは、三代の達禮なり。幽に之くの故なり。
既に封して主人贈る。而して祝は虞の尸を宿む。
既に反哭して、主人有司と虞の牲を視る。有司几筵を以て墓の左に舍奠す。反りて日中にして虞す。
葬日にして虞するは、一日も離るゝに忍びざればなり。是の日や虞を以て奠に易ふ。卒哭を成事と曰ふ。
NDLJP:1047122/228 是の日や吉祭を以て喪祭に易ふ。明日祖父に祔す。其の變じて吉祭に之くや、祔に至る比ひ必ず是の日に
於て接す。一日も歸る所有る末きに忍びざればなり。殷は練して祔し、周は卒哭して祔す。孔子は殷を善
しとせり。〉
君臨臣喪,以巫、祝、桃、茢、執戈,惡之也;所以異於生也。
〈NDLJP:1047122/229 君臣の喪に臨むときには、巫祝桃茢執戈を以てす。之を惡めばなり。生者に異なる所以なり。〉
喪有死之道焉。先王之所〔以〕難言也。
〈喪に死の道あり、先王の言ふことを難る所なり。〉
喪之朝也,順死者之孝心也,其哀離其室也,故至於祖、考之廟而后行。殷朝而殯於祖,周朝而遂葬。
〈喪の朝するや、死者の孝心に順ふなり。其の其の室を離るゝことを哀しむなり。故に祖考の廟に至りて而
して后に行く。殷は朝して祖に殯し、周は朝して遂に葬る。〉
孔子謂:為明器者,知喪道矣,備物而不可用也。哀哉!死者而用生者之器也。不殆於用殉乎哉。其曰明器,神明之也。塗車芻靈,自古有之,明器之道也。孔子謂為芻靈者善,謂為俑者不仁,〔不〕殆於用人乎哉。
〈NDLJP:1047122/230 孔子謂ふ、明器を爲る者は喪の道を知れり、物を備へて用ふべからざらしむと。哀しいかな、死者にして
生者の器を用ふるや、殉を用ふるに殆からずや。其の明器と曰ふは、之を神明にするなり。塗車芻靈は
古より之れ有り、明器の道なり。孔子芻靈を爲る者は善しと謂ひ、俑を爲る者は不仁なり、人を用ふる
に殆からずやと謂へり。〉
穆公問於子思曰:「為舊君反服,古與?」子思曰:「古之君子,進人以禮,退人以禮,故有舊君反服之禮也;今之君子,進人若將加諸膝,退人若將隊諸淵,毋為戎首,不亦善乎!又何反服(之禮)之有。」
〈NDLJP:1047122/231 穆公子思に問うて曰く、舊君の爲に反服するは古か。子思曰く、古の君子は人を進むるに禮を以てし、
人を退くるに禮を以てせり。故に舊君の爲に反服の禮有るなり。今の君子は人を進むれば將に諸を膝に加
へんとするが若くし、人を退くれば將に諸を淵に隊さんとするが若くす。戎首たること毋ければ亦善から
ずや。又何の反服の禮か之れ有らん。〉
悼公之喪,季昭子問於孟敬子曰:「為君何食?」敬子曰:「食粥,天下之達禮也。吾三臣者之不能居公室也,四方莫不聞矣,勉而為瘠,則吾能,毋乃使人疑夫不以情居瘠者乎哉?我則食食。」
〈NDLJP:1047122/232 悼公の喪に、季昭子孟敬子に問うて曰く、君の爲に何をか食ふ。敬子曰く、粥を食ふは天下の達禮なり。
吾が三臣の者の公室に居ること能はざりしや、四方聞かざるは莫し。勉めて瘠を爲すは則ち吾能くせん。
毋乃人をして夫の情を以て瘠に居らざる者と疑はしめんか。我は則ち食を食はん。〉
衛司徒敬子死,子夏弔焉,主人未小斂,絰而往。子游弔焉,主人既小歛,子游出絰,反哭。子夏曰:「聞之也與?」曰:「聞諸夫子,主人未改服則不絰。」
〈NDLJP:1047122/233 衞の司徒敬子死せり。子夏弔す。主人未だ小斂せず、絰して往く。子游弔す。主人既に小斂せり。子游出
でて絰し反りて哭す。子夏曰く、之を聞けるか。曰く諸を夫子に聞けり、主人未だ服を改めざれば則ち絰
せずと。〉
曾子曰:「晏子可謂知禮也已,恭敬之有焉。」有若曰:「晏子一狐裘三十年,遣車一乘,及墓而反,國君七个,遣車七乘;大夫五个,遣車五乘,晏子焉知禮?」曾子曰:「國無道,君子恥盈禮焉;國奢,則示之以儉;國儉,則示之以禮。」
〈曾子曰く、晏子は禮を知ると謂ふべきのみ、恭敬之れ有り。有若曰く、晏子は一狐裘三十年、遣車一乘、
墓に及んで反る。國君は七个、遣車七乘。大夫は五个、遣車五乘。晏子焉んぞ禮を知らん。曾子曰く、國
道無ければ、君子は禮を盈たすことを恥づ。國奢なれば則ち之に示すに儉を以てし、國儉なれば則ち之に
示すに禮を以てす。〉
國昭子之母死,問於子張曰:「葬及墓,男子、婦人安位?」子張曰:「司徒敬子之喪,夫子相,男子西鄉,婦人東鄉。」曰:「噫!毋。」曰:「我喪也斯沾。爾專之,賓為賓焉,主為主焉,婦人從男子皆西鄉。」
〈NDLJP:1047122/234 國昭子の母死せり。子張に問うて曰く、葬りて墓に及ぶとき、男子婦人安くにか位すべき。子張曰く、司
徒敬子の喪に夫子相せるとき、男子は西郷し、婦人は東郷せり。曰く噫毋れ。曰く我が喪には斯く沾ん
とす、爾之を專じくせよ。賓は賓たり、主は主たりと。婦人も男子に從ひて皆西郷せり。〉
穆伯之喪,敬姜晝哭;文伯之喪,晝夜哭。孔子曰:「知禮矣。」文伯之喪,敬姜據其床而不哭,曰:「昔者吾有斯子也,吾以將為賢人也,吾未嘗以就公室;今及其死也,朋友諸臣未有出涕者,而內人皆行哭失聲。斯子也,必多曠於禮矣夫。」
〈NDLJP:1047122/235 穆伯の喪に、敬姜晝哭す。文伯の喪に晝夜哭す。孔子曰く、禮を知れりと。文伯の喪に、敬姜其の牀に據
りて哭せず。曰く昔者吾斯の子有るや、吾以爲らく將に賢人たらんとすと。吾未だ嘗て以に公室に就かざ
りき。今其の死するに及んでや、朋友諸臣未だ涕を出す者有らず、而して内人皆行哭して聲を失ふ。斯の
子や必ず多く禮に曠なりしならんかな。〉
季康子之母死,陳褻衣。敬姜曰:「婦人不飾,不敢見舅姑,將有四方之賓來,褻衣何為陳於斯。」命徹之。
〈NDLJP:1047122/236 季康子の母死す、褻衣を陳す。敬姜曰く、婦人は飾らざれば敢て舅姑に見えず。將に四方の賓來ること有
らんとす。褻衣何爲れぞ斯に陳すと。命じて之を徹せしむ。〉
有子與子游立,見孺子慕者,有子謂子游曰:「予壹不知夫喪之踊也,予欲去之久矣。情在於斯,其是也夫?」子游曰:「禮:有微情者,有以故興物者;有直情而徑行者,戎狄之道也。禮道則不然,人喜則斯陶,陶斯詠,詠斯猶,猶斯舞,舞斯慍,慍斯戚,戚斯歎,歎斯辟,辟斯踊矣,品節斯,斯之謂禮。人死,斯惡之矣,無能也,斯倍之矣。是故制絞、衾,設蔞、翣,為使人勿惡也。始死,脯、醢之奠;將行,遣而行之,既葬而食之,未有見其饗之者也;自上世以來,未之有舍也,為使人勿倍也。故子之所刺於禮者,亦非禮之訾也。」
〈NDLJP:1047122/236-NDLJP:1047122/237 有子子游と立ち、孺子の慕ふ者を見る。有子子游に謂つて曰く、予壹に夫の喪の踊を知らざるなり、予之
を去らんと欲すること久し。情斯に在り、其れ是れなるか。子游曰く、禮に情を微ぐ者あり、故を以て物
に興る者あり。直情にして徑行する者あり、戎狄の道なり。禮の道は則ち然らず。人喜べば則ち斯に陶
し、陶すれば斯に咏じ、咏ずれば斯に猶し、猶すれば斯に舞ひ、舞へば斯に慍し、慍すれば斯に戚し、戚
すれば斯に歎じ、歎ずれば斯に辟ち、辟てば斯に踊す。斯を品節する、斯れ之を禮と謂ふ。人死すれば斯
に之を惡む、能くすること無ければ斯に之に倍く。是の故に絞衾を制し、蔞翣を設くるは人をして惡むこ
と勿からしめんが爲めなり。始めて死すれば脯醢の奠あり、將に行かんとすれば遣りて之を行る、既に葬
りて之に食はしむ。未だ其の之を饗くるを見たる者有らざるも、上世より以來未だ之を舍つること有らざ
るなり。人をして倍くこと勿らしめんが爲めなり。故に子の禮に刺る所の者は、亦禮の訾に非ざるなり。〉
吳侵陳,斬祀殺厲,師還出竟,陳大宰嚭使於師。夫差謂行人儀曰:「是夫也多言,盍嘗問焉;師必有名,人之稱斯師也者,則謂之何?」大宰嚭曰:「古之侵伐者,不斬祀、不殺厲、不獲二毛;今斯師也,殺厲與?其不謂之殺厲之師與?」曰:「反爾地,歸爾子,則謂之何?」曰:「君王討敝邑之罪,又矜而赦之,師與,有無名乎?」
〈NDLJP:1047122/238 呉陳を侵す。祀を斬り厲を殺す。師還らんとして竟を出づ。陳の大宰嚭師に使す。夫差行人儀に謂うて曰
く、是の夫や多言なり、盍ぞ嘗みに問はざる。師は必ず名あり、人の斯の師を稱する者は則ち之を何とか
謂へると。大宰嚭曰く、古の侵伐する者は祀を斬らず、厲を殺さず、二毛を獲にせず。今斯の師や厲を殺
せるか、其れ之を厲を殺すの師と謂はざらんや。曰く爾の地を反し爾の子を歸さば、則ち之を何とか謂は
ん。曰く君王敝邑の罪を討ち、又矜れみて之を赦す、師か名無きこと有らんや。〉
顏丁善居喪;始死,皇皇焉如有求而弗得,及殯,望望焉如有從而弗及,既葬,慨焉如不及其反而息。
〈NDLJP:1047122/239 顏丁善く喪に居る。始めて死せるには、皇皇焉として求むること有りて得ざるが如し。既に[訳語疑問点]殯するに及ん
では、望望焉として從ふこと有りて及ばざるが如し。既に葬れば、慨焉として其の反るに及ばずして息ふ
が如し。〉
子張問曰:「《書》云:『高宗三年不言,言乃讙。』有諸?」仲尼曰:「胡為其不然也?古者天子崩,王世子聽於冢宰三年。」
〈NDLJP:1047122/240 子張問うて曰く、書に云ふ、高宗三年言はず、言へば乃ち讙ぶと、諸れ有りや。仲尼曰く、胡爲れぞ其れ
然らざらんや。古は天子崩ずれば、王世子政を冢宰に聽くこと三年なり。〉
知悼子卒,未葬,平公飲酒,師曠、李調侍,鼓鐘。杜蕢自外來,聞鐘聲,曰:「安在?」曰:「在寢」,杜蕢入寢,歷階而升,酌,曰:「曠飲斯。」又酌,曰:「調飲斯。」又酌,堂上北面坐飲之。降,趨而出。平公呼而進之,曰:「蕢,曩者爾心或開予,是以不與爾言;爾飲曠何也?」曰:「子、卯不樂;知悼子在堂,斯其為子、卯也大矣。曠也大師也,不以詔,是以飲之也。」「爾飲調何也?」曰:「調也君之褻臣也,為一飲一食,亡君之疾,是以飲之也。」「爾飲何也?」曰:「蕢也宰夫也,非刀匕是共,又敢與知防,是以飲之也。」平公曰:「寡人亦有過焉,酌而飲寡人。」杜蕢洗而揚觶。公謂侍者曰:「如我死,則必無廢斯爵也。」至于今,既畢獻,斯揚觶,謂之杜舉。
〈NDLJP:1047122/241 知悼子卒す、未だ葬らず。平公酒を飮む。師曠、李調侍せり。鐘を鼓す。杜蕢外より來る。鐘聲を聞きて
曰く、安くにか在る。曰く寢に在り。杜蕢寢に入り、歴階して升る。酌んで曰く、曠斯を飮め。又酎〔ママ〕んで
曰く、調斯を飮め。又酌みて堂上に北面して坐して之を飮み、降り趨りて出づ。平公呼んで之に進めて曰
く、蕢、曩には爾の心予を開くこと或らんとせり。是を以て爾と言はざりき。爾の曠に飮ましめしは何ぞ
や。曰く子卯には樂せず。知悼子の喪堂に在り、斯れ其の子卯たるや大なり。曠や大師なり、以て詔げず。
是を以て之に飮ましめたるなり。爾の調に飮ましめしは何ぞや。曰く調や君の褻臣なり、一飮一食の爲に
君の疾を忘れたり。是を以て之に飮ましめたるなり。爾の飮みしは何ぞや。曰く蕢や宰夫なり。刀匕を是
れ共するに非ずして、又敢て防を與かり知る。是を以て自ら之を飮ましめたるなり。平公曰く、寡人も亦
過あり、酌んで寡人に飮ましめよと。杜蕢洗うて觶を揚ぐ。公侍者に謂つて曰く、如し我死せば則ち必
ず斯の爵を廢すること毋れと。今に至るまで、既に獻を畢りて斯に觶を揚ぐ、之を杜擧と謂ふ。〉
公叔文子卒,其子戍請謚於君,曰:「日月有時,將葬矣。請所以易其名者。」君曰:「昔者衛國凶饑,夫子為粥與國之餓者,是不亦惠乎?昔者衛國有難,夫子以其死衛寡人,不亦貞乎?夫子聽衛國之政,脩其班制,以與四鄰交,衛國之社稷不辱,不亦文乎?故謂夫子貞惠文子。」
〈NDLJP:1047122/243 公叔文子卒す。其の子戌諡を君に請うて曰く、日月時あり、將に葬らんとす。其の名を易ふる所以の者
を請ふ。君曰く、昔者衞國凶饑せしとき、夫子粥を爲りて國の餓者に與へたり。是れ亦惠ならずや。昔者
衞國難有りしとき、夫子其の死を以て寡人を衞れり。亦貞ならずや。夫子衞國の政を聽き、其の班制を
修め、以て四鄰と交はる。衞國の社稷辱しめられず。亦文ならずや。故に夫子を貞惠文子と謂はん。〉
石駘仲卒,無適子,有庶子六人,卜所以為後者。曰:「沐浴佩玉則兆。」五人者皆沐浴佩玉;石祁子曰:「孰有執親之喪而沐浴佩玉者乎?」不沐浴佩玉。石祁子兆。衛人以龜為有知也。
〈NDLJP:1047122/244 石駘仲卒す。適子無く、庶子六人あり。後と爲すべき所以の者を卜す。曰く沐浴して玉を佩びば則ち兆
あらんと。五人の者皆沐浴して玉を佩べり。石祁子曰く、孰か親の喪を執りて而して沐浴して玉を佩ぶる
者あらんやと。沐浴して玉を佩びず、石祁子兆を得たり。衞人龜を以て知ること有りと爲せり。〉
陳子車死於衛,其妻與其家大夫謀以殉葬,定而后陳子亢至,以告曰:「夫子疾,莫養於下,請以殉葬。」子亢曰:「以殉葬,非禮也;雖然,則彼疾當養者孰若妻與宰?得已,則吾欲已;不得已,則吾欲以二子者之為之也。」於是弗果用。
〈陳子車衞に死す。其の妻其の家大夫と殉を以て葬らんことを謀る。定めて而して后に陳子亢至る。以て告
げて曰く、夫子の疾下に養ふべき莫し、請ふ殉を以て葬らん。子亢曰く、殉を以て葬るは禮に非ざるなり。
然りと雖も則ち彼の疾當に養ふべき者は、孰か妻と宰とに若かず。已むことを得ば則ち吾已めんと欲す。
已むことを得ずんば則ち吾二子者を以て之れ之を爲さんと欲すと。是に於て用ふることを果さゞりき。〉
子路曰:「傷哉貧也,生無以為養,死無以為禮也。」孔子曰:「啜菽飲水盡其歡,斯之謂孝;斂手足形,還葬而無椁,稱其財,斯之謂禮。」
〈NDLJP:1047122/245 子路曰く、傷ましき哉貧や、生けるには以て養を爲すこと無く、死せるには以て禮を爲すこと無きなり。
孔子曰く、菽を啜り水を飮みて其の歡を盡す、斯れ之を孝と謂ふ。手足の形を斂め、還く葬りて椁無く、
其の財に稱ふ、斯れ之を禮と謂ふ。〉
衛獻公出奔,反於衛,及郊,將班邑於從者而后入。柳莊曰:「如皆守社稷,則孰執羈靮而從;如皆從,則孰守社稷?君反其國而有私也,毋乃不可乎?」弗果班。
〈NDLJP:1047122/246 衞の獻公出奔す。衞に反らんとして郊に及ぶ、將に邑を從者に班ちて而して后に入らんとす。柳莊曰く、
如し皆社稷を守らば、則ち孰か羈靮を執りて從はん。如し皆從はゞ、則ち孰か社稷を守らん。君其の國に
反りて私有るは毋乃不可ならんかと。班つことを果さゞりき。〉
衛有大史曰柳莊,寢疾。公曰:「若疾革,雖當祭必告。」公再拜稽首請於尸曰:「有臣柳莊也者,非寡人之臣,社稷之臣也,聞之死,請往。」不釋服而往,遂以襚之。與之邑裘氏與縣潘氏,書而納諸棺,曰:「世世萬子孫無變也。」
〈NDLJP:1047122/246-NDLJP:1047122/247 衞に大史あり、柳莊と曰ふ。疾に寢ぬ。公曰く、若し疾革ならば、祭に當ると雖も必ず告げよと。公再
拜稽首して尸に請うて曰く、臣柳莊といふ者あり、寡人の臣に非ず、社稷の臣なり。之が死を聞く、請ふ
往かんと。祭服を釋がずして往き、遂に以て之に襚せり。之に邑を與ふ。裘氏と縣潘氏となり。書して諸
を棺に納れて曰く、世世萬子孫まで變ずること毋きなり。〉
陳乾昔寢疾,屬其兄弟,而命其子尊已曰:「如我死,則必大為我棺,使吾二婢子夾我。」陳乾昔死,其子曰:「以殉葬,非禮也,況又同棺乎?」弗果殺。
〈陳乾昔疾に寢ぬ。其の兄弟に屬し、而して其の子尊己〔ママ〕に命じて曰く、如し我死せば則ち必ず大に我が棺を
爲り、吾が二婢子をして我を夾ましめよと。陳乾昔死す。其の子曰く、殉を以て葬むるは禮に非ざるな
り、況や又棺を同じくするをやと。殺すことを果さゞりき。〉
仲遂卒于垂;壬午猶繹,《萬》入去《籥》。仲尼曰:「非禮也,卿卒不繹。」
〈NDLJP:1047122/248 仲遂垂に卒す。壬午猶ほ繹す。萬入りて籥を去る。仲尼曰く、禮に非ざるなり、卿卒すれば繹せず。〉
季康子之母死,公輸若方小,斂,般請以機封,將從之,公肩假曰:「不可!夫魯有初,公室視豐碑,三家視桓楹。般,爾以人之母嘗巧,則豈不得以?其毋以嘗巧者乎?則病者乎?噫!」弗果從。
〈季康子の母死す。公輸若方に小なり。斂するとき般機を以て封せんと請ふ。將に之に從はんとす。公肩假
曰く、不可なり。夫れ魯には初あり、公室は豐碑に視へ、三家は桓楹に視ふ。般爾人の母を以て巧を嘗み
んとす、則ち豈に以むことを得ざるならんや。其れ以て巧を嘗みる者毋しとも、則ち病む者ならんや、噫
と。從ふことを果さゞりき。〉
戰于郎,公叔禺人遇負杖入保者息,曰:「使之雖病也,任之雖重也,君子不能為謀也,士弗能死也。不可!我則既言矣。」與其鄰重汪踦往,皆死焉。魯人欲勿殤重汪踦,問於仲尼。仲尼曰:「能執干戈以衛社稷,雖欲勿殤也,不亦可乎!」
〈NDLJP:1047122/249 郞に戰ひしとき、公叔禺人杖を負うて保に入る者の息ふに遇ふ。曰く之を使ふこと病と雖も、之に任ずる
こと重しと雖も、君子爲に謀ること能はず、士死すること能はざるは不可なり。我は則ち既に言へりとて、其の鄰の重汪踦と往きて皆死せり。魯人重汪踦を殤すること勿らんと欲し、仲尼に問ふ。仲尼曰く、能く
干戈を執りて以て社稷を衞る、殤すること勿らんと欲すと雖も亦可ならずや。〉
子路去魯,謂顏淵曰:「何以贈我?」曰:「吾聞之也:去國則哭于墓而后行,反其國不哭,展墓而入。」謂子路曰:「何以處我?」子路曰:「吾聞之也,過墓則式,過祀則下。」
〈NDLJP:1047122/250 子路魯を去る。顏淵に謂つて曰く、何を以てか我に贈らん。曰く吾之を聞く、國を去れば則ち墓に哭して
而して后に行く。其の國に反れば哭せず、墓を展して入ると。子路に謂つて曰く、何を以てか我を處かん。
子路曰く、吾之を聞く、墓を過ぐれば則ち式し、祀を過ぐれば則ち下ると。〉
工尹商陽與陳棄疾追吳師,及之。陳棄疾謂工尹商陽曰:「王事也,子手弓而可。」手弓。「子射諸。」射之,斃一人,韔弓。又及,謂之,又斃二人。每斃一人,揜其目。止其御曰:「朝不坐,燕不與,殺三人,亦足以反命矣。」孔子曰:「殺人之中,又有禮焉。」
〈NDLJP:1047122/251 工尹商陽陳弃疾と呉師を追ひ之に及ぶ。陳弃疾工尹商陽に謂つて曰く、王事なり、子弓を手にして可なり
と。弓を手にす。子諸を射よと。之を射る。一人を斃し弓を韔にす。又及ぶ。之に謂ふ。又二人を斃す。
一人を斃す毎に其の目を揜ふ。其の御を止めて曰く、朝に坐せず、燕に與からず、三人を殺せば亦以て反
命するに足れりと。孔子曰く、人を殺すの中に又禮あり。〉
諸侯伐秦,曹桓公卒于會。諸侯請含,使之襲。
〈NDLJP:1047122/252 諸侯秦を伐ちしとき、曹の桓公會に卒せり。諸侯含せんと請ふ。之をして襲せしむ。〉
襄公朝于荊,康王卒。荊人曰:「必請襲。」魯人曰:「非禮也。」荊人強之。巫先拂柩。荊人悔之。
〈襄公荊に朝したる
とき、康王卒せり。荊人曰く、必ず請ふ襲せよと。魯人曰く、禮に柩〔ママ〕ざるなり。荊人之を強ふ。巫先づ柩
を拂ふ。荊人之を悔ゆ。〉
滕成公之喪,使子叔敬叔弔,進書,子服惠伯為介。及郊,為懿伯之忌不入。惠伯曰:「政也,不可以叔父之私不將公事。」遂入。
〈NDLJP:1047122/253 滕の成公の喪に、子叔敬叔をして弔して書を進めしむ。子服惠伯介たり。郊に及びて、懿伯の忌の爲に入
らず。惠伯曰く、政なり。叔父の私を以て公事を將はざるべからずと。遂に入りぬ。〉
哀公使人弔蕢尚,遇諸道。辟於路,畫宮而受弔焉。曾子曰:「蕢尚不如杞梁之妻之知禮也。齊莊公襲莒于奪,杞梁死焉。其妻迎其柩於路而哭之哀。莊公使人弔之。對曰:『君之臣不免於罪,則將肆諸市朝,而妻妾執;君之臣免於罪,則有先人之敝廬在。君無所辱命。』」
〈NDLJP:1047122/254 哀公人をして蕢尙を弔せしむ。諸に道に遇ふ。路に辟け、宮を畫きて弔を受く。曾子曰く、蕢尙は杞
梁の妻の禮を知れるに如かざるなり。齊の莊公莒を于奪に襲ふ。杞梁死す。其の妻其の柩を路に迎へて、
之を哭すること哀し。莊公人をして之を弔せしむ。對へて曰く、君の臣罪に免れずんば、則ち將に諸を市
朝に肆して、妻妾執はれんとす。君の臣罪に免れば、則ち先人の敝盧の在るあり。君命を辱くする所無
し。〉
孺子𪏆之喪,哀公欲設撥,問於有若,有若曰:「其可也,君之三臣猶設之。」顏柳曰:「天子龍輴而椁幬,諸侯輴而設幬,為榆沈故設撥;三臣者廢輴而設撥,竊禮之不中者也,而君何學焉。」
〈NDLJP:1047122/255 孺子𪏆の喪に、哀公撥を設けんと欲して有若に問ふ。有若曰く、其れ可なり。君の三臣すら猶ほ之を設け
たり。顏柳曰く、天子は龍輴にして椁幬、諸侯は輴にして幬を設け、楡沈を爲る。故に撥を設く。三臣
は輴を廢して撥を設く、禮を竊むの中らざる者なり。而るに君何ぞ學ばん。〉
悼公之母死,哀公為之齊衰。有若曰:「為妾齊衰,禮與?」公曰:「吾得已乎哉?魯人以妻我。」
〈悼公の母死す。哀公之が爲に齊衰す。有若曰く、妾の爲に齊衰するは禮か。公曰く、吾已むことを得んや、
魯人以て我が妻と爲せばなり。〉
季子皋葬其妻,犯人之禾,申祥以告,曰:「請庚之。」子皋曰:「孟氏不以是罪予,朋友不以是棄予,以吾為邑長於斯也,買道而葬,後難繼也。」
〈NDLJP:1047122/256 季子皋其の妻を葬りて、人の禾を犯せり。申祥以て告げて曰く、請ふ之を庚はん。子皋曰く。孟氏是を以
て予を罪せず、朋友是を以て予を棄てず、吾が斯に邑長たるを以てなり。道を買うて葬らんか、後繼ぎ難
きなり。〉
仕而未有祿者,君有饋焉曰獻;使焉曰寡君;違而君薨,弗為服也。
〈仕へて未だ祿有らざる者は、君焉に饋ること有れば獻ずと曰ひ、焉に使せしむときは寡君と曰ふ。違りて
君薨ずれば爲に服せざるなり。〉
虞而立尸,有几筵。卒哭而諱,生事畢而鬼事始已。既卒哭,宰夫執木鐸以命于宮曰:「舍故而諱新。」自寢門至于庫門。
〈NDLJP:1047122/257 虞して尸を立て、几筵あり、卒哭して諱む。生事畢りて鬼神始まるのみ。既に卒哭して、宰夫木鐸を執り
て以て宮を命じて曰く、故を舍てゝ新を諱めと。寢門より庫門に至る。〉
二名不偏諱,夫子之母名徵在;言在不稱徵,言徵不稱在。
〈二名は偏諱せず。夫子の母の名は徵在。在を言へば徵を稱せず、徵を言へば在を稱せざりき。〉
軍有憂,則素服哭於庫門之外,赴車不載櫜韔。
〈NDLJP:1047122/258 軍に憂あれば、則ち素服して庫門の外に哭す。赴車には櫜韔を載せず。〉
有焚其先人之室,則三日哭。故曰:「新宮火,亦三日哭。」
〈其の先人の室を焚くもの有れば則ち三日哭す。故に曰く、新宮火あるも亦三日哭すと。〉
孔子過泰山側,有婦人哭於墓者而哀,夫子式而聽之。使子(路)〔貢〕問之曰:「子之哭也,壹似重有憂者。」而曰:「然,昔者吾舅死於虎,吾夫又死焉,今吾子又死焉。」夫子曰:「何為不去也?」曰:「無苛政。」夫子曰:「小子識之,苛政猛於虎也。」
〈NDLJP:1047122/259 孔子泰山の側を過ぎしとき、婦人墓に哭する者ありて哀し。夫子式して之を聽き、子路をして之に問は
しめて曰く、子の哭するや壹に重ねて憂ある者に似たり。而ち曰く、然り。昔者吾が舅虎に死し、吾が夫
又死せり。今吾が子又死せり。夫子曰く、何爲れぞ去らざるや。曰く苛政無ければなり。夫子曰く、小子
之を識せ、苛政は虎よりも猛きなり。〉
魯人有周豐也者,哀公執摯請見之。而曰「不可」。公曰:「我其已夫。」使人問焉。曰:「有虞氏未施信於民而民信之,夏后氏未施敬於民而民敬之,何施而得斯於民也?」對曰:「墟墓之間,未施哀於民而民哀;社稷宗廟之中,未施敬於民而民敬。殷人作誓而民始畔,周人作會而民始疑。苟無禮義、忠信、誠愨之心以涖之,雖固結之,民其不解乎?」
〈NDLJP:1047122/259-NDLJP:1047122/260 魯人に周豐といふ者あり、哀公摯を執りて之を見んと請ふ。而ち曰く、不可なり。公曰く我其れ已みなん
か。人をして焉に問はしめて曰く、有虞氏未だ信を民に施さずして民之を信じ、夏后氏未だ敬を民に施さ
ずして民之を敬すと。何を施して斯を民に得たるや。對へて曰く、墟墓の間未だ敬〔ママ〕を民に施さずして民哀
しみ、社稷宗廟の中未だ敬を民に施さずして民敬す。殷人誓を作り、民始めて畔き、周人會を作りて民始
めて疑ふ。苟くも禮義忠信誠愨の心無くして以て之に涖めば、固く之を結ぶと雖も民其れ解せざらんや。〉
喪不慮居,毀不危身。喪不慮居,為無廟也;毀不危身,為無後也。
〈NDLJP:1047122/261 喪には居を慮らず、毀には身を危くせず。喪に居を慮らざるは、廟無からんとするが爲めなり。毀に
身を危くせざるは、後無からんとするが爲めなり。〉
延陵季子適齊,於其反也,其長子死,葬於贏博之間。孔子曰:「延陵季子,吳之習於禮者也。」往而觀其葬焉。其坎深不至於泉,其斂以時服。既葬而封,廣輪揜坎,其高可隱也。既封,左袒,右還其封且號者三,曰:「骨肉歸復于土,命也。若魂氣則無不之也,無不之也。」而遂行。孔子曰:「延陵季子之於禮也,其合矣乎。」
〈延陵の季子齊に適く。其の反るに於てや其の長子死せり。嬴博の間に葬る。孔子曰く、延陵の季子は呉の
禮に習へる者なりと。往いて其の葬を觀る。其の坎は深さ泉に至らず、其の斂は時服を以てす。既に葬り
て封ず、廣輪坎を揜ひ、其の高さ隱るべきなり。既に封じて、左袒して其の封を右還し、且つ號くもの三
たび。內〔ママ〕く骨肉土に歸復するは命なり。魂氣の若きは則ち之かざること無きなり。之かざること無きなり
と。而して遂に行る。孔子曰く、延陵の季子の禮に於けるや、其れ合へるかな。〉
邾婁考公之喪,徐君使容居來弔含,曰:「寡君使容居坐含,進侯玉,其使容居以含。」有司曰:「諸侯之來辱敝邑者,易則易,于則于,易、于雜者未之有也。」容居對曰:「容居聞之:事君不敢忘其君,亦不敢遺其祖。昔我先君駒王西討濟於河,無所不用斯言也。容居,魯人也,不敢忘其祖。」子思之母死於衛,赴於子思,子思哭於廟。門人至,曰:「庶氏之母死,何為哭於孔氏之廟乎?」子思曰:「吾過矣,吾過矣。」遂哭於他室。
〈NDLJP:1047122/262 邾婁の考公の喪に、徐君容居をして來り弔し含せしむ。曰く、寡君容居をして坐して含し侯玉を進めしむ
と。其の使容居以て含せり。有司曰く、諸侯の斂邑〔ママ〕に來辱する者、易なれば則ち易、于なれば則ち于、易
于雜はる者は未だ之れ有らざるなり。容居對へて曰く、容居之を聞く、君に事ふるに敢て其の君を忘れず、
亦敢て其の祖を遺れずと。昔我が先君駒王西討して河を濟る、斯の言を用ひざる所無きなり。容居は魯人
なり、敢て其の祖を忘れず。
NDLJP:1047122/263 子思の母衞に死す、子思に赴ぐ。子思廟に哭す。門人至りて曰く、庶氏の母死せり、何爲れぞ孔氏の廟に
哭するか。子思曰く、吾過てり、吾過てりと。遂に他室に哭せり。〉
天子崩,三日祝先服,五日官長服,七日國中男女服,三(日)〔月〕天下服。虞人致百祀之木,可以為棺椁者斬之,不至者,廢其祀,刎其人。
〈天子崩ずれば三日にして祝先づ服し、五日にして官長服し、七日にして國中の男女服し、三月にして天
下服す。虞人百祀の木の以て棺椁を爲るべき者を致して之を斬る。至らざる者は其の祀を廢し、其の人
を刎る。〉
齊大饑,黔敖為食於路,以待餓者而食之。有餓者蒙袂輯屨貿貿然來。黔敖左奉食,右執飲,曰:「嗟!來食。」〔餓者〕揚其目而視之,曰:「予唯不食嗟來之食,以至於斯也。」從而謝焉;終不食而死。曾子聞之,曰:「微與?其嗟也可去,其謝也可食。」
〈NDLJP:1047122/264 齊大に饑う。黔敖食を路に爲り、以て餓者を待ちて之に食はしむ。餓者あり、袂を蒙り屨を輯め、貿貿然
として來る。黔敖左に食を奉げ、右に飮を執りて曰く、嗟來り食へと。其の目を揚げて之を視て曰く、予
嗟來の食を食はず、以て斯に至れるなりと。從つて謝せども、終に食はずして死せり。曾子之を聞きて曰
く、微るべきかな。その嗟といふや去るべし、其の謝するや食ふべし。〉
邾婁定公之時,有弒其父者。有司以告,公瞿然失席曰:「是寡人之罪也。」曰:「寡人嘗學斷斯獄矣:臣弒君,凡在官者殺無赦;子弒父,凡在宮者殺無赦。殺其人,壞其室,洿其宮而豬焉。蓋君踰月而后舉爵。」
〈NDLJP:1047122/265 邾婁の定公の時に其の父を弑する者あり、有司以て告ぐ。公瞿然として席を失ひて曰く、是れ寡人の罪な
り。曰く寡人嘗て斯の獄を斷ずるを學べり。臣君を弑すれば、凡そ官に在る者は殺して赦すこと無し。子
父を弑すれば、凡そ宮に在る者は殺して赦すこと無し。其の人を殺し、其の室を壞ち、其の宮を洿にして
豬す。蓋し君は月を踰えて而る後に爵を擧ぐ。〉
晉獻文子成室,晉大夫發焉。張老曰:「美哉輪焉,美哉奐焉!歌於斯,哭於斯,聚國族於斯。」文子曰:「武也得歌於斯,哭於斯,聚國族於斯,是全要領以從先大夫於九京也。」北面再拜稽首。君子謂之善頌善禱。
〈NDLJP:1047122/266 晉文子の室を成せるを獻ず。晉の大夫發す。張老曰く、美なる哉輪たり、美なる哉奐たり。斯に歌ひ、斯
に哭し、國族を斯に聚めん。文子曰く、武や斯に歌ひ、斯に哭し、國族を斯に聚むることを得ば、是れ要
領を全くし、以て先大夫に九京に從ふなりと、北面して再拜稽首す。君子之を善く頌し善く祷すと謂へり。〉
仲尼之畜狗死,使子貢埋之,曰:「吾聞之也,敝帷不棄,為埋馬也;敝蓋不棄,為埋狗也。丘也貧,無蓋;於其封也,亦予之席,毋使其首陷焉。」路馬死,埋之以帷。
〈NDLJP:1047122/267 仲尼の畜狗死す。子貢をして之を埋めしめて曰く、吾之を聞く、敝帷弃てざるは馬を埋めんが爲めなり。
敝蓋弃てざるは狗を埋めんが爲めなりと。丘や貧にして蓋無し。其の封するに於てや亦之に席を與へて、
其の首をして陷らしむること毋れと。路馬死すれば、之を埋むるに帷を以てす。〉
季孫之母死,哀公弔焉,曾子與子貢弔焉,閽人為君在,弗內也。曾子與子貢入於其廄而脩容焉。子貢先入,閽人曰:「鄉者已告矣。」曾子後入,閽人辟之。涉內霤,卿大夫皆辟位,公降一等而揖之。君子言之曰:「盡飾之道,斯其行者遠矣。」
〈季孫の母死す、哀公弔す。曾子子貢と弔す。閽人君在るが爲に内れざるなり。曾子子貢と其の廐に入りて
容を脩む。子貢先づ入る。閽人曰く、郷者以に告げたり。曾子後れて入る。閽人之を辟く。内霤を渉れば、
卿大夫皆位を辟け、公一等を降りて之を揖す。君子之を言うて曰く、飾を盡すの道、斯れ其の行はるゝ者
遠し。〉
陽門之介夫死,司城子罕入而哭之哀。晉人之覘宋者反報於晉侯曰:「陽門之介夫死,而子罕哭之哀,而民說,殆不可伐也。」孔子聞之曰:「善哉覘國乎!《詩》云:『凡民有喪,扶服救之。』雖微晉而已,天下其孰能當之。」
〈NDLJP:1047122/268 陽門の介夫死す。司城子罕入りて之を哭して哀し。晉人の宋を覘ふ者、晉侯に反り報じて曰く、陽門の介
夫死す。而るに子罕之を哭して哀し。而して民説ぶ。殆ど伐つべからざるなりと。孔子之を聞きて曰く、
善い哉國を覘ふや。詩に云く、凡そ民に喪あれば扶服して之を救ふと。晉に微ずと雖も、天下其れ孰か能
く之に當らん。〉
魯莊公之喪,既葬,而絰不入庫門。士大夫既卒哭,麻不入。
〈NDLJP:1047122/269 魯の莊公の喪に、既に葬りて絰庫門に入らず。士大夫既に卒哭して、麻入らず。〉
孔子之故人曰原壤,其母死,夫子助之沐椁。原壤登木曰:「久矣予之不(托)〔託〕於音也。」歌曰:「貍首之班然,執女手之卷然。」夫子為弗聞也者而過之,從者曰:「子未可以已乎?」夫子曰:「丘聞之,親者毋失其為親也,故者毋失其為故也。」
〈孔子の故人を原壤と曰ふ。其の母死す。夫子之を助けて椁を沐む。原壤木に登りて曰く、久しきかな予の
音に託せざるやと。歌うて曰く、貍首の斑然たる、女手の卷然たるを執ると。夫子聞かざる者の爲して之
を過ぐ。從者曰く、子未だ以て已むべからざるや。夫子曰く、丘之を聞く、親者は其の親たるを失ふこと
毋れ、故者は其の故たるを失ふこと毋れと。〉
趙文子與叔譽觀乎九原。文子曰:「死者如可作也,吾誰與歸?」叔譽曰:「其陽處父乎?」文子曰:「行并植於晉國,不沒其身,其知不足稱也。」「其舅犯乎?」文子曰:「見利不顧其君,其仁不足稱也。我則隨武子乎,利其君不忘其身,謀其身不遺其友。」晉人謂文子知人。文子其中退然如不勝衣,其言吶吶然如不出〔諸〕其口;所舉於晉國管庫之士七十有餘家,生不交利,死不屬其子焉。
〈NDLJP:1047122/270 趙文子叔譽と九原を觀る。文子曰く、死者如し作すべくんば、吾誰と與にか歸らん。叔譽曰く、其れ陽處
父か。文子曰く、行晉國に并植にして、其の身を沒せず。其の知稱するに足らざるなり。其れ舅犯か。
文子曰く、利を見て其の君を顧みず。其の仁稱するに足らざるなり。我は則ち隨武子か。其の君を利して
其の身を忘れず、其の身を謀りて其の友を遺れず。晉人文子を人を知れりと謂ふ。文子は其の中退然とし
て衣に勝へざるが如く、其の言吶吶然として諸を其の口に出さゞるが如し。晉國に擧げし所の管庫の士七
十有餘家あり。生けるとき利に交らず、死するとき其の子を屬せず。〉
叔仲皮學子柳。叔仲皮死,其妻魯人也,衣衰而繆絰。叔仲衍以告,請繐衰而環絰,曰:「昔者吾喪姑姊妹亦如斯,末吾禁也。」退,使其妻繐衰而環絰。
〈NDLJP:1047122/272 叔仲皮子柳に學ふ。叔仲皮死す。其の妻は魯人なり、衣衰して繆絰す。叔仲衍以て告ぐ。繐衰して環絰
せんと請ふ。曰く、昔者吾が姑姉妹に喪するも亦斯の如し、吾を禁ずること末きなり。退きて其の妻をし
て繐衰して環絰せしむ。〉
成人有其兄死而不為衰者,聞子皋將為成宰,遂為衰。成人曰:「蠶則績而蟹有匡,范則冠而蟬有緌,兄則死而子皋為之衰。」
〈成の人其の兄死して衰を爲さゞる者あり。子皋將に成の宰たらんとすと聞きて、遂に衰を成す。成の人曰
く、蠶は則ち績ぎて、蟹には匡あり。范は則ち冠して、蝉には綏〔ママ〕あり。兄は則ち死して子皋之が衰を爲す。〉
樂正子春之母死,五日而不食。曰:「吾悔之,自吾母而不得吾情,吾惡乎用吾情。」
〈NDLJP:1047122/273 樂正子春の母死す。五日にして食はず。曰く、吾之を悔ゆ。吾が母にして吾が情を得ざるよりは、吾惡く
にか吾が情を用ひん。〉
歲旱,穆公召縣子而問然,曰:「天久不雨,吾欲暴尩而奚若?」曰:「天久不雨,而暴人之疾子,虐,毋乃不可與?」「然則吾欲暴巫而奚若?」曰:「天則不雨,而望之愚婦人,於以求之,毋乃已疏乎?」「徙市則奚若?」曰:「天子崩,巷市七日;諸侯薨,巷市三日。為之徙市,不亦可乎。」
〈歳旱す。穆公縣子を召して問ふ。曰く天久しく雨ふらず、吾尫〔ママ〕を暴さんと欲す、奚若。曰く天則ち雨ふら
ず、而るに人の錮疾子を暴すは虐なり、毋乃不可ならんか。然らば則ち吾巫を暴さんと欲す、奚若。曰く
天は則ち雨ふらず、而るに之を愚婦人に望む。以て之を求むるに於ては、毋乃已だ疏ならんか。市を徙さ
ば則ち奚若。曰く天子崩ずれば、巷市七日、諸侯薨ずれば巷市三日。之が爲に市を徙す亦可ならずや。〉
孔子曰:「衛人之祔也,離之;魯人之祔也,合之,善夫。」
〈NDLJP:1047122/274 孔子曰く、衞人の祔するや之を離し、魯人の祔するや之を合す。善いかな。〉
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原文:
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翻訳文:
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