祈祷惺々集/我等が聖神父階梯著者イオアンの教訓(5)
< 祈祷惺々集
我等が聖神父階梯著者イオアンの教訓
- 祈祷の説教及其の注釈
五十三、 我等が至善なる王も
此世の王の如く或は自から或は其友をもて又或時は其僕をもて知るべからざる方法により を其の兵士に つことは得て見るべきなりされどもすべては我等に存する謙遜の衣服による。- アフ、 此世の王が其僕と兵士と將士とに を つに て神が其僕に を與ふることも準じて知らるべし。けだし彼は を時として手づから與へ時としては友に由り又時としては僕によりて遣はし或は時としては其知る所とならざらんが為めに衣服を変へて其の を秘密に與ふるが如く天上永遠の王も多大奇異なる方法と働きとにより其の兵即ち修士を尊び且富ましむるなり、まして其の謙遜の たふとき衣服を けたるを見るに於てをや。
五十四、 此世の王は其の前に立ち己の
を けて敵と談話する所の者を憎むが如く主も祈祷に其の前に立ち不潔の念を く者を まん。- アフ、 此世の暫時なる王は談話するが為めに其の前に立ち も畏るるの心なく其の を横向けて王の敵と談話しこれと ひ且哄笑するものを見て怒るが如く我等が永遠の王もかくの如し、祈祷に王の前に立つも其智と其心とを王の敵なる悪しき意念と感覚と希望とに向はしめこれと内部に於て淫行醜事の談を し更にこれをもて自ら誇り高慢する所の者を憎み給ふなり。
五十五、 近づく所の犬は武器にて
ふべし、彼れいか に行為すといへども彼れに負くるなかれ。- イリ、 我等が祈祷に妨げんと欲する所の を犬とは名づくるなり、尊き十字架と祈祷の武器とをもてこれを逐ふべし、而して彼れ幾回 にして近づくといへども其姦計に はらず祈祷を行ひてこれを るべし。
- アフ、 いづれの時特に祈祷の時に於ては善く己の心を保つべし、而して此の無法の犬即ち悪意を抱きて汝の智と汝の心とを神より奪ひ他に引誘せんとして忍寄る所の の近づくを むる時は容赦なくこれを逐ふべし其の汝を誘惑せんが為めに近づくを許すなかれ、而して彼れ幾回近づくもこれを しこれを くるを むるなかれ。勇気にして立つべし、 ありても彼に所を與ふるなかれ、彼れに聴くなかれ、彼れに汝を ふを くもゆるすなかれ。
- ミンヌ 彼れが此に犬と名づくるは何かの虚託を以て心を祈祷より奪はんと試むる所の を指す、彼に対し神に祈祷するをもてこれを逐ふべし。
五十六、 涕泣をもて願ひ、従順をもて尋ね、忍耐をもて叩くべし、けだし此の方法をもて『願ふものは馬太七の八〕
べく尋ぬるものは遇ふべく叩くものは開かるるを得ん』〔- アフ、 涕泣をもて神の助を願ひ従順をもてこれを尋ね忍耐と期待とをもて主の善心の門を叩くべし。かかれば願ふものは獲云々と主の約束し給ひしこと成らん。
五十七、 慎みていかなる事情ありとも己の祈祷に於て婦人の為めに祈祷するを戒むべし然らずんば魔鬼に
られん。- イリ、 言意は婦人の為めに祈祷を行ふことなかれ、此の無論に善なる行によりて敵が汝を らざらんが為なり。
- アフ、 或る美婦人の為めに祈祷するを戒慎せよ。彼を記憶するは汝の血肉に安からざる感動を起さんこれを戒慎するは敵が此の時汝を の念に誘引し又これに由りて迷へる色慾に誘引するを免れんが為なり、けだし善を為さんと欲して汝は自から悪に陥るの きに服すべければなり。故に此の思念より るること悪魔の網より離るるが如くすべし、是れ敵が汝未熟なる施善者、即ち祈祷者を嘲笑せんが為めに汝の前に敷設する所の者なり。
五十八、 己が肉慾の行為をありしままに詳細告白するなかれ、自ら己れの為めに
とならざらんが為なり。- アフ、 自己の祈祷に於て赦免を神に祈る時己が肉慾の罪を其のあらゆる事情と共に汝の為しゝ如く詳細に告白するなかれ、かかる記憶により罪なる情慾を驚かさざらんが為め又 の望みの再生して己れを汚し自から己を売るものとならざらんが為なり。
- ミンヌ 注意して自己の祈祷に於て己の づべき行為を細密に證示せざるべし。
五十九、 汝の為めに祈祷の時をもて緊要なる事件を
するの時とならざらしむべし、 ひ霊神上の事件たりともそを するの時とならざらしむべし、然らずんば汝は毎次己の最良なるものを自ら ぼさん。- アフ、 ぢ祈祷する時はいかなる事件たりとも又聖書の箇所の事や他の霊益の事だにもそを するに従ふなかれ、然らずんば汝は最良なる を し重要なる者を はん。故に の時に於ては ぢ自ら己の心を全く集中してこれを せんことを要す、而して内部に於て神と談話すべし。けだし神に向ひ神に配せんとの思想は 奇異なる且 価値ある思想にしていづれの時にか汝の心に るべきもろもろの善念の に於て 必要なる思想なればなり。故に此等の思念中いかなる思念たりとも汝の祈祷に於て此の神の前に立つ独一要用なる思想よりも 重んぜんとするは を得たりとせんや。他の一切の念を棄てて彼れ一つを保つべし。
六十、 祈祷の
を不断に するものは かざるなり、よし くことありとも全くは れざるなり、何となれば祈祷は神の敬神的勧励〔赦助〕なればなり。- アフ、 常に祈祷の を してこれに依頼するもの霊魂は かざるなり。躓きて の罪にか陥ることありとも全くは れざる た けて死するには至らざるべし、何となれば祈祷は た直ちにこれを支持して直立せしむべければなり。祈祷は神の前に立ち神をして悔改する所の霊に憐みをあらはさしむる或る要促者ともいふべき者にして或る大なる、甘美なる且は愛すべき者たるなり。願くは神は に慈悲なる父として り き手を げ喜んで迷へる子をうけ其の言ふべからざる慰楽に入りて彼を其の に安息せしめ給はんことを。
六十一、 ア〕祈祷の利益の事は聖堂奉事の時に生ずる所の聖詠四十の十二、十三〕。
の によりて知らるべしされど其の結果の事に至ては敵に勝つによりて知られん唱詩者いふ『もし我が敵は我に勝つて喜ばずんば我れ此を以て汝の我を喜ぶを知らん』〔- アフ、 祈祷の利益は我等奉神礼の時聖堂に行くに先だち が我等に妨げを起すによりて了會するを得べし、これ我等をして神即ち裁判者の面前に集まり に対して呼ばざらしめんが為め又其の祈祷をもて彼等と戦ひ彼等を り且苦しめざらしめんが為なり。もし祈祷が神に悦ばれずして我等の為めに益あらずんば は我等の聖堂に出づるを ふることをかくの如くに めざるべく又我等が當然に聖堂に於て祈祷するを は目と耳とに由り内は意念を挑発するによりて妨ぐることをも めざらん。されども祈祷の結果に至ては神が我等に現はす所の愛によりて知るを得るなり、 し我等が全心をもて神に祈る時は安慰をもて我等に充たし又我等の敵たる が祈祷の力に られて其の諸児即ち情欲及び邪悪なる思念と共に我等より逃走するを見るや我等の敵に勝つを みし給へばなり。かくの如き神の とかくの如き神の恩寵と又其の力の祈祷によりて我等に働くを見て霊魂は喜ぶべく敵は憂ひ且悩まんこと聖なる のいふが如し、主よ我が祈祷に於て戦ふ時我を棄てず我が敵をして其の欲する如く我に勝ちて我が為に喜ばざらしめたるにより我は汝の我を愛し我れに注意し且これを守ること其僕又は友の如くするを知ると。
六十一、 カ〕唱詩者又いふ『我が心を聖詠百十八の百四十五〕これ即ち体を以ても霊を以ても を以てもよぶをいふ、けだし二三人集まる には神も にあればなり〔馬太十八の二十〕。
して ぶ』、〔- アフ、 聖堂に於ては『我が心を してよぶ』、即ち口を以ても霊を以ても智を以ても大仁慈なる神によばん、さらば彼は我れに聴きて我が を悪より救ひ給はん。そもそも主は福音経に於ていへらく主の名の為めに主を愛するによりて二三人集まる には我も彼等と共に其の にあらんと。ゆえに霊と智とが と悲嘆と感動とに於て共に するの祈祷には実に神も自からこれと共に在りてこれに有能なる力を與へ給ふなり。
六十二、 身体に属するものも心神に属するものも衆人の為め〔及び衆人に於て〕すべて一様なるにあらざるなり。甲には唱詩を早急にすることが尚多く適すべく乙には早急にせざることが尚多く適するなり、けだし甲はいふ心の奪去らるると戦ふと、されども乙はいふ不学と戦ふと。
- アフ、 身体上の力も心霊上の才能も衆人に一様平等なるにあらざるなり。身体上につきては一者は一を欲し他者は他を欲するが如く心霊上に関してもかくの如し。故に聖詩を唱ふに於ても或者は に唱ふを好み他者は徐々と唱ふを好むなり。 に唱ふ所の者等は言へらくかくの如く為すは徐々たると共に其の心が他の思念の為めに はれて奪ひ去られざらんが為めなり。而して又徐々と唱ふ者等はいふかくの如くするは する所のものを更に善く詳解して誤らざらんが為めなり、けだしいまだ正しく学習せずして に練熟せざればなりと。さりながら時と又他の諸事とに照らし彼れ此れ相比して すべし。
六十三、 もし敵の爾に近づかんに汝彼に対して切に王に呼ぶ時は勇敢なるべし、長くは労せざらん。けだし彼れ亦自ら此後速に汝より離れん、何となれば此の悪者は汝の祈祷をもて戦ひしが為めに栄冠をうくる者となるを見んことを欲せざるによる、
のみならず彼は火の如く祈祷にて攻められて逃走せんとするによる。- アフ、 もし敵が誘惑をもて汝を囲むあらんに汝これを せんが為めに切に天の王に祈願する時は王に善望を有して勇気なるべし、汝は彼等を逐ふが為めに長く労することあらざらん。彼等自らも亦 に汝より逃れん、けだし彼等は汝の祈祷するを妨げんが為め及び攻撃をもて汝を疲らし汝の勇気と忍耐とを して祈祷を棄てしめんが為めに まりぬさりながら汝の固く抵抗し己を惜まずして戦ふを 又これが為め汝の まりて勇戦する程は 美なる栄冠をうけんことを知り嫉妬の為め汝が其戦によりて栄冠の與へらるるを欲せずして直ちに逃走すべければなり。かくの如く彼等は此が為めにも逃れ去らん、まして彼等は火の如く かれ地獄の火よりも苦しく かるる祈祷の火に堪ふる能はざるに於てをや。
- イリ、 勇気を よ、即ち祈祷に於て大なる注意と勉励とを得よ、さらば祈祷に於て神を師とするを賜はらん。
- アフ、 常に己をして熱心と忍耐と勇気とをもて祈祷に立たしめよ、さらば神が自から汝を祈祷に固めて汝を教ふるに得達せん。目は 且 する天然の才能を有してこれが為めに言をもて教ふるを要せざるが如く良善なる霊魂も祈祷に於て神に向ふ時は神は自然にこれを照明し畏れと愛とをもて神の前に祈祷に立つを教へん。されば言を以ては誰も祈祷の美を他に識らしむること能はざるべく又主が自から心霊を誘導して主と共に まらしむる所以の方法を説明することも能はざるなり。けだし人に智慧を教ふるものは主なればなり。彼は照明を智に せ善良なる方向を心に入るるなり。彼はすべて信と熱心の望をもて祈祷する所の善僕を長寿をもて祝福するなり。彼は實に の如し、聖書もかくの如く我等を教へ れの の実験もかくの如く証するなり。
- ミンヌ 言意は汝は祈祷の為めに師に きを有せず、ただ其の祈祷に於る ぢ自己の熱心に於て きを有すそれが為めに神は自ら祈祷に於て汝に師たらんとす。忍耐と熱心とをもて祈祷する者に神は其の直接の照明により祈祷を教へて其の智を より救ひ心を より救ふなり。
- に又聖マクシムの説あり左の如し誠実に神を愛するものは放心せずして祈祷すべく放心せずして祈祷する者は誠実に神を愛するなり。霊魂の地に着く所の者は放心せずして祈祷すること能はず。故に人間の事物を偏愛するに智識の がるる所の者は神を愛さざらん。
- に又聖ニルの説あり左の如し、祈祷は智慧の神に上昇するなり。祈祷を尋ぬるの注意は祈祷を ん、けだし祈祷はおのづから注意に ふべければなり。我等は此事を全く心掛くべし。