↑前年 桓公元年(紀元前711年 翌年↓巻の二 桓公春秋左氏傳

訓読文

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桓公[1]

【經】 元年、春、王の正月、公、くらゐく。三月、公、鄭伯にすゐ[2]くわいす。鄭伯、へきを以て許のでんる。夏四月丁未ていび、公、鄭伯とえつちかふ。秋、大水たいすゐあり。冬、十月。

【傳】 元年(周ノ桓王九年)春、公、位に即き、よしみを鄭にをさむ。隱公八年→)鄭人、周公しうこうまつり・つひぼうでんかへんと[3]。公、之を許す。三月、鄭伯、璧を以て許の田を假るとは、周公と祊のめのゆゑなり。夏四月丁未ていび、公、鄭伯と越[4]に盟ふは、祊(ノ田ヲ易ヘフルノ事)のれるをむすぶなり。盟つて曰く、『ちかひへば國をくることけん』と。
 秋、大水あり。およ平原へいげんに水をいだすを、大水とす。
 冬、鄭伯、盟をはいす。
 宋の華父督くわほとく[5]孔父こうほ[6]の妻をみちに見る。目逆めむかへて之をおくつて曰く、「にしてえんなり」と。(→桓公二年

  1. 桓公、名は軌、惠公の子、隱公の弟、母は仲子。[#註番号の整合のため重出]
  2. 衞の地。
  3. 隱公八年にも、祊を以て許の田に易へたることあり。
  4. 越は垂に近き地。
  5. 宋の戴公の孫。
  6. 孔父嘉、孔夫子六世の祖。