第三拾四號

今般朝鮮國ト別册ノ通リ條約取結相成候條此旨布告候事
明治九年三月廿二日太政大臣三條實美

修好條規

大日本國
大朝鮮國ト素ヨリ友誼ニ敦ク年所ヲ歴有セリ今兩國ノ情意未タ洽ネカラサルヲ視ルニ因テ重テ舊好ヲ修メ親睦ヲ固フセント欲ス是ヲ以テ日本國政府ハ特命全權辨理大臣陸軍中將兼參議開拓長官黑田淸隆特命副全權辨理大臣議官井上馨ヲ簡ミ朝鮮國江華府ニ詣リ朝鮮國政府ハ判中樞府事申櫶都摠府副摠管尹滋承ヲ簡ミ各奉スル所ノ  諭旨ニ遵ヒ議立セル條款ヲ左ニ開列ス

第一款

朝鮮國ハ自主ノ邦ニシテ日本國ト平等ノ權ヲ保有セリ嗣後兩國和親ノ實ヲ表セント欲スルニハ彼此互ニ同等ノ禮義ヲ以テ相接待シ毫モ侵越猜嫌スル事アルヘカラス先ツ從前交情阻塞ノ患ヲ爲セシ諸例規ヲ悉ク革除シ務メテ寛裕弘通ノ法ヲ開擴シ以テ雙方トモ安寧ヲ永遠ニ期スヘシ

第二款

日本國政府ハ今ヨリ十五個月ノ後時ニ隨ヒ使臣ヲ派出シ朝鮮國京城ニ到リ禮曹判書ニ親接シ交際ノ事務ヲ商議スルヲ得ヘシ該使臣或ハ留滯シ或ハ直ニ歸國スルモ共ニ其時宜ニ任スヘシ朝鮮國政府ハ何時ニテモ使臣ヲ派出シ日本國東京ニ至リ外務卿ニ親接シ交際事務ヲ商議スルヲ得ヘシ該使臣或ハ留滯シ或ハ直ニ歸國スルモ亦其時宜ニ任スヘシ

第三款

嗣後兩國相往復スル公用文ハ日本ハ其國文ヲ用ヒ今ヨリ十年間ハ添フルニ譯漢文ヲ以テシ朝鮮ハ眞文ヲ用フヘシ

第四款

朝鮮國釜山ノ草梁項ニハ日本公館アリテ年來兩國人民通商ノ地タリ今ヨリ從前ノ慣例及歳遣船等ノ事ヲ改革シ今般新立セル條款ヲ憑準トナシ貿易事務ヲ措辨スヘシ且又朝鮮國政府ハ第五款ニ載スル所ノ二口ヲ開キ日本人民ノ往來通商スルヲ准聽スヘシ右ノ場所ニ就キ地面ヲ賃借シ家屋ヲ造營シ又ハ所在朝鮮人民ノ屋宅ヲ賃借スルモ各其隨意ニ任スヘシ

第五款

京圻忠淸全羅慶尚咸鏡五道ノ沿海ニテ通商ニ便利ナル港口二個所ヲ見立タル後地名ヲ指定スヘシ開港ノ期ハ日本歷明治九年二月ヨリ朝鮮歷丙子年正月ヨリ共ニ數ヘテ二十個月ニ當ルヲ期トスヘシ

第六款

嗣後日本國船隻朝鮮國沿海ニ在リテ或ハ大風ニ遭ヒ又ハ薪粮ニ窮竭シ指定シタル港口ニ達スル能ハサル時ハ何レノ港灣ニテモ船隻ヲ寄泊シ風波ノ險ヲ避ケ要用品ヲ買入レ船具ヲ修繕シ柴炭類ヲ買求ムルヲ得ヘシ勿論其供給費用ハ總テ船主ヨリ賠償スヘシト雖モ是等ノ事ニ就テハ地方官人民トモニ其困難ヲ體察シ眞實ニ憐恤ヲ加ヘ救援至ラサル無ク補給敢テ吝惜スル無ルヘシ倘又兩國ノ船隻大洋中ニテ破壞シ乘組人員何レノ地方ニテモ漂着スル時ハ其地ノ人民ヨリ即刻救助ノ手續ヲ施シ各人ノ性命ヲ保全セシメ地方官ニ屆出該官ヨリ各本國ヘ護送スルカ又ハ其近傍ニ在留セル本國ノ官員ヘ引渡スヘシ

第七款

朝鮮國ノ沿海島嶼岩礁從前審撿ヲ經サレハ極メテ危險トナスニ因リ日本國ノ航海者自由ニ海岸ヲ測量スルヲ准シ其位置淺深ヲ審ニシ圖誌ヲ編製シ兩國船客ヲシテ危險ヲ避ケ安穩ニ航通スルヲ得セシムヘシ

第八款

嗣後日本國政府ヨリ朝鮮國指定各口ヘ時宜ニ隨ヒ日本商民ヲ管理スルノ官ヲ設ケ置クヘシ若シ兩國ニ交渉スル事件アル時ハ該官ヨリ其所ノ地方長官ニ會商シテ辨理セン

第九款

兩國既ニ通好ヲ經タリ彼此ノ人民各自己ノ意見ニ任セ貿易セシムヘシ兩國官吏毫モ之レニ關係スルヿナシ又貿易ノ限制ヲ立テ或ハ禁沮スルヲ得ス倘シ兩國ノ商民欺罔衒賣又ハ貸借償ハサルヿアル時ハ兩國ノ官吏嚴重ニ該逋商民ヲ取糺シ債欠ヲ追辨セシムヘシ但シ兩國ノ政府ハ之ヲ代償スルノ理ナシ

第十款

日本國人民朝鮮國指定ノ各口ニ在留中若シ罪科ヲ犯シ朝鮮國人民ニ交渉スル事件ハ總テ日本國官員ノ審斷ニ歸スヘシ若シ朝鮮國人民罪科ヲ犯シ日本國人民ニ交渉スル事件ハ均シク朝鮮國官員ノ査辨ニ歸スヘシ尤雙方トモ各其國律ニ拠リ裁判シ毫モ回護袒庇スルヿナク務メテ公平允當ノ裁判ヲ示スヘシ

第十一款

兩國既ニ通好ヲ經タレハ別ニ通商章程ヲ設立シ兩國商民ノ便利ヲ與フヘシ且現今議立セル各款中更ニ細目ヲ補添シテ以テ遵照ニ便ニスヘキ條件共自今六個月ヲ過スシテ兩國別ニ委員ヲ命シ朝鮮國京城又ハ江華府ニ會シテ商議定立セン

第十二款

右議定セル十一款ノ條約此日ヨリ兩國信守遵行ノ始トス兩國政府復之レヲ變革スルヲ得ス以テ永遠ニ及ホシ兩國ノ和親ヲ固フスヘシ之レカ爲ニ此約書二本ヲ作リ兩國委任ノ大臣各鈐印シ相互ニ交付シ以テ憑信ヲ昭ニスルモノナリ

大日本國紀元二千五百三十六年明治九年二月二十六日


大日本國特命全權辨理大臣陸軍中將兼參議開拓長官黑田淸隆 印

大日本國特命副全權辨理大臣議官井上馨 印


大朝鮮國開國四百八十五年丙子二月初二日


大朝鮮國大官判中樞府事申櫶 印

大朝鮮國副官都摠府副摠管尹滋承 印

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