新体詩抄/鎌倉の大仏に詣でゝ感あり(尚今居士)
西洋諸邦ハ勿論凡ソ地球上ノ人民其平常用フル所ノ言語ヲ以テ詩歌ヲ作ルヤ皆心ニ感スル所ヲ直ニ表ハスニアラザルナシ我日本ニ於テハ往古ハ此ノ如クナリト雖モ方今ノ學者ハ詩ヲ賦スレハ漢語ヲ用ヒ歌ヲ作レハ古語ヲ援キ平常ノ言語ハ鄙卜為シ俗ト稱シテ之ヲ採ラズ是レ豈謬見ト為サヾルヲ得ンヤ
夫レ我邦人ノ漢學ヲ修ムルヤ殆ト皆ナ所謂變則ナルモノニシテ漢土ノ本音ヲ以テ其文ヲ讀下スルモノ甚少ナシ然シテ韻書作倒等ニ因テ平仄韻字ヲ學知スルモ之ヲ用ヒテ詩ヲ作ルニ當テハ既ニ本音ヲ發スルニ非ザレバ到底室内ニ游泳ヲ試ムルガ如クニシテ隔靴ノ憾ナキ能ハズ何トナレバ凡ソ詩歌ハ意義ノ優美奇巧ナルハ素ヨリ望ム所ナレ𪜈音調ノ宜シキヲ得ルヿ亦極メテ肝要ナレバナリ而シテ音調ナルモノハ自國ノ語又ハ他國ノ語ナレバ其音聲ヲ曉熟スルニ非ザレバ其真趣ヲ翫味スル能ハザルヤ明ケシタトヘバ變則流ノ洋學書生ガ辭書ニ據リ作倒ニ從テ音聲ノ強弱ヲ學ビ詩ヲ賦スガ如シ誰カ其迂ヲ笑ハザラン又古言雅言ヲ以テ長歌知歌ヲ作リ並フルモ吾人常ニ用ザル所ナレバ稍外國語ニ類スルガ故ニ之ヲ以テ精密ニ我衷情ヲ攄ベ我思想ヲ掞スコト或ハ難カラン
果シテ然ヲバ余以為ク宜ク平常ノ語ヲ斗少シク折衷シ以テ稍新體ノ詩歌ヲ作リ充分ニ吾人ノ心ニ感スル所ヲ吐露スベキナリ然レ𪜈之ヲ言フモ為サヾレバ人或ハ目シテ妄誕漫言ノ徒ト爲サン故ニ余謭劣ヲ顧ズ頃者試ニ西洋ノ詩數首ヲ譯シ既ニ其一二ヲ新聞雜誌ニ載セシヿアリ今復此新紙ノ餘白ヲ借テ拙作二首ヲ掲ゲ江湖諸彦ノ一粲ニ供ス其一ハ自作ニ係リ(但シ始ノ一節ハ大佛財法日課勸進之序ヲ取捨シテ作レルナリ)其一ハ西詩ノ譯ニ係ル余素ヨリ文事ニ疏ク詞藻ニ精シカラス江湖諸彦ノ幸ニ我微意ヲ諒察アランヲ乞フ
尚今居士識
鎌倉の大佛詣でゝ感あり
編集今をさることかぞふれば | 六百年の其むかし |
建長のころ鎌倉に | |
總 |
御身のたけは五丈にて |
相好いとゞ圓滿し | 見者無厭の尊容は |
何れの地にも此類なし | さるに明應四年とや |
由井のつなみの難により | 大殿 |
風に暴されたまふこと | |
殆ど此に四百年 | こはこれ人に聞くところ |
余もこのころ鎌倉の | 古跡尋ねてをちこちと |
杖を引きつゝ大佛に | 詣でゝ心おちつけて |
しかと尊顏見上れば | はちすの花もおよびなき |
淨き如來の御心は | 外に |
涅槃てふ語の思はれて | 凡夫不覺の余とても |
しばしの間胸の雪 | 霽れて無明の夢は醒め |
真如の月の圓かなる | 影を見たるにあらねども |
見ゆるが如き心地せり | |
夫れ物事のなりたちは | |
昔し羅馬の帝國は | シーザルひとり智を奮ひ |
起りしものにあらすかし | 徳川氏の繁昌は |
家康ひとり徳ありて | 成りしものとな思ひそよ |
時勢人情やうやくに | 運びて此に至りてき |
鎌倉山の大佛も | 浮屠氏の教へ渡り来て |
千百年を過ぎし後 | 人の信仰厚くなり |
鑄ものゝ術も具はりて | 初めてなりしものならん |
稻多野夫人の時代には | 此大佛に打向ひ |
精神こめて手を合せ | 天下太平安穩と |
わが後生とを祈りしも | 今の明治の聖代に |
生れし人は然はせず | 佛の |
昔の事を思ひやり | 其 |
かはればかはる時勢かな | |
秋の空にも劣るまじ | |
昔の人の是といひし | 事も今では非とぞなる |
今日の |
あすの教はあさつての |
非理邪道とやなるならん | 天地萬物一定の |
規律に由りて進化すと | 學者は |
聢と心に認めたる | 人は果してなかるらん |
嗚呼盛んなる大佛よ | 六百年もたつた川 |
からくれかゐのもみぢ葉と | 流るゝ水を年々に |
人の譽むるに異ならず | 尊體此處に在ます間は |
如何に時勢の變るとも | 年々人の尋ね來て |
歎賞せざることなけん |
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