弾劾裁判所報/マッカーサー草案と裁判官弾劾制度


はじめに

 昨今憲法改正論議が喧しい。いずれ裁判官弾劾制度も論議の的になるであろう。そのときのために、憲法制定過程において、とりわけマッカーサー草案の段階において、この制度に関しどのような論議、検討が行われたかを、今改めてふり返ることは無駄ではないと考える。

Ⅰ マッカーサー草案段階における論議

 戦後我が国において、弾劾制度に関する論議が登場するのはまずいわゆる「アチソン12項目」のうちの1つとしてであろう。
 昭和20年10月4日、マッカーサーGHQ最高司令官近衛文麿公爵と2回目の会談を行い、近衛が憲法に関する提案を天下に公表することを示唆すると共に、この件に関してはGHQ政治顧問アチソンと相談することをすすめたといわれる。そこで近衛は同年10月8日高木八尺博士らと共にアチソンを訪ね、憲法改正について意見を求めたところ、彼は改正上基礎的とされる12の項目を挙げて説明した。その中に「9 官吏の弾劾ならびにリコールの規定」が含まれていた[1]
 その後周知のように近衛の改正案作成の作業は実りのないまま終結し、政府に置かれた松本烝治国務大臣を長とする憲法問題調査委員会が作業を継続する。
 同年12月頃になると、憲法改正への動き、関心は急速に高まり、改正の具体的な案が民間の諸団体や個人から発表され、年が明けると各政党もそれぞれの案を公表することとなった。その中で「憲法研究会」(室伏高信岩淵辰雄馬場恒吾高野岩三郎森戸辰男杉森孝次郎鈴木安蔵等)の改正案では、弾劾について、「議会」に関する1項目として次のように規定されていた[2]

1 議会は憲法違反其の他重大なる過失の廉により大臣並官吏に対する公訴を提起するを得。之が審理の為に、国事裁判所を設く。

 一方GHQ民政局では、内々にラウエル陸軍中佐を中心に憲法改正の準備作業が始められている。その成果として、同氏は昭和20年12月6日「日本の憲法についての準備的研究と提案」と題する論文を作成し、その中で立法権に関する提案として次のように記している[3]

(7)立法部は、次の事項につき専属的権限を有すべきこと。すなわち、課税貨幣の鋳造国庫からの支出および金銭の借入れ軍備の量の決定俸給の基準の決定条約の批准、憲法改正の承認、弾劾の訴追とその審判

 また、ラウエル中佐は、前述の憲法研究会案を検討し、「(12月6日付の)レポートで提案している点は、特に自分の見解を記した諸点のほかは、実質的には、この憲法研究会案でもとりあげられている」と評価している[4]
 昭和21年2月1日、毎日新聞は突如政府の憲法問題調査委員会の改正案を報道した。この案が天皇制の実質に変更を加えていない極めて保守的なものであったことは周知のとおりである。
 これに業を煮やしたマッカーサー最高司令官は、日本政府の作業を待たず、民政局内において改正案の作成に当たらせる決断をし、その旨をホイットニ一民政局長に指示したとされる。いわゆるマッカーサー草案の起草であるが、同年2月4日民政局の会合において同局長は、作業は小委員会方式で行うこと、その作業はケイディス陸軍大佐、ハッシー海軍中佐及びラウエル陸軍中佐の3名から成る運営委員会によって調整さるべきこと、この作業は日本政府側との会談が行われる予定の2月12日までに完成させること等を指示した。
 当初、弾劾制度に関して「天皇・条約・委任条項に関する委員会」と運営委員会との会合(昭21.2.6)において次のような論議があったことが記されている[5]

3. 弾劾

 〔小委員会の〕原案では、この条文は、すべての国の官吏は、叛逆、収賄その他重大な犯罪または軽罪を理由に弾劾の訴追を受け、有罪の判決を受けたときには、罷免される旨を規定していた。運営委員会は、弾劾に関する条文を削除し、弾劾の制度を設けるのは司法部のメンバーの罷免に限るのがよいという意見を述べた。公務員の罷免のための一般的なテクニックとしては、弾劾は面倒で時間がかかり、公務員に対し告発がなされるごとに、国会が弾劾裁判所として審理に当たる必要が生ずることになる。〔それよりも〕不信任決議によって内閣総理大臣を罷免することができ、内閣総理大臣は自由に各国務大臣を罷免することができ、公務員の罷免も可能であり、また、国会は議員の除名に関し自ら規則を設けうるものとすることができ、公選によるその他の公務員はリコールによって罷免されうるとするのがよい、としたのである。〔また〕地方自治の章に、有罪判決を受けた地方公務員はその地位を失う旨の規定を、追加すべきであるとしたのである。

 このあと弾劾制度に関しては、「立法権に関する委員会」と運営委員会との会合(昭21.2.7)において次のような論議があったとされる[6]

9. ケイディス大佐は、弾劾の訴追を受けた裁判官の審理に当たる弾劾裁判所が国会議員によって構成されることが、望ましいかどうかを問題とした。スウォウプ海軍中佐とラウエル中佐は、司法部が司法部のメンバーに対する弾劾裁判所となることは不可能だから、司法部のメンバー〔に対する弾劾〕の審理にあたりうる機関としては、国会しかないと論じた。ついでケイディス大佐は、弾劾手続において罷免の裁判をするのに3分の2の多数を要するとするのは、要件が高すぎて弾劾の成立が難しくなるとした。国会を司法部〔のメンバー〕に対する弾劾裁判所として用いるが、罷免の裁判をするのに3分の2の多数を要求することはやめるという決定をすることで、妥協が成立した。

 そして、立法権に関する委員会は、国会に関する章の一条として次の内容を民政局長に報告している[7]

    第4章 国会

第1条~第17条 略

第18条 国会は、法律の定めに従い、〔弾劾の〕訴追を受けた裁判官を裁判するため、その議員のなかから選んだ者で弾劾裁判所を組織するものとする。

 他方、裁判宮の身分保障に関し「司法権に関する委員会」が民政局長に対し次のような案を報告している[8]。(同委員会と運営委員会との聞において弾劾制度に関する論議はない。)

    第5章 司法

第57条 強力で独立の司法部は国民の権利の防塁であるから、すべて日本の司法権は、最高裁判所および国会が時宜により設置する下級裁判所に属せしめられる。(中略)〔裁判官に対する〕懲戒処分行政機関が行なうことはできず、〔裁判官の〕罷免は、公の弾劾による場合に限られる。

 このような経過を辿ってマッカーサー草案は同年2月12日最高司令官の承認を受けて確定され、翌2月13日日本政府に提示された。
 この確定案では、前述の国会の章の第18条は殆んどそのままであるが(条文は第58条として)、司法の章の第57条は次のように変更されている[9]

    第6章 司法

第68条・第69条 略

第70条 裁判官の罷免は、公の弾劾による場合に限られる。裁判官に対する懲戒処分を行政機関が行うことは、できない。

 このマッカーサー草案を受け取った日本政府は、これを急いで翻訳し、2月25日及び26日の閣議で配布した。そして、この案を基礎とする日本側の改正案を急ぎ作成することを決定し、3月2日完成した。(この案を「3月2日案」という。)3月2日案は、3月4日、日本文のまま松本国務大臣がGHQに持参した。GHQは、これを急ぎ英訳し、松本大臣と検討に入ったが、天皇に関する部分から激論となり、松本大臣は後を佐藤達夫内閣法制局第1部長に託し辞去した。その後GHQは同日中に確定草案を作成するとし、佐藤部長1人の説明と意見を聴きつつ、夜を徹し、翌5日の午後まで逐条の検討を行った。この結果の案文が閣議で了解せられ、3月6日天皇の勅語と共に「憲法改正草案要綱」として発表されたのである。

Ⅱ 憲法調査会(内閣)における論議

 昭和32年8月第1回総会を開いて発足した憲法調査会は、約7年にわたって調査審議を進め、昭和39年7月の第131回総会において報告書をとりまとめた。この間、同調査会は第8回総会(昭32.12)において「憲法制定の経過に関する小委員会」を設置し、佐藤達夫参考人から逐条で憲法条文の沿革について聴取している。そのうち弾劾制度に関する論述は以下のとおりである。

(1)第78条に関する部分[10]

 「その次は78条です。これはマ草案の70条で、判事は公開の弾劾によりてのみ罷免できること、あと行政機関は懲戒処分をやれないということだけでありました。公開の弾劾だけしか罷免できないということでは、これは裁判官が気狂いになったような場合には困りはしないかということで、3月2日案では「前3条に掲ぐる場合の外」とやりまして、87条で「刑法の宣告、弾劾裁判所の判決又は懲戒事犯若は心身耗弱を理由とする裁判所の罷免判決に依るに非ざれば罷免せらるることなし。」「弾劾に関する事項は法律を以て之を定む。」という様な形で持ち込んだわけです。これは徹夜の会議で、なぜそんなよけいなことを入れてきたかという質疑がございました。心身耗弱、身体の故障の場合、弾劾手続による以外にやめられないというのではおかしいという説明をしたところが、もっともだということで、要綱74のような形になりました。「裁判官は裁判に依り心身の耗弱又は身体の故障の為職務を執ること能わずと決定せられたる場合を除くの外、公開の弾劾」というふうに「心身の耗弱」のところだけ取り入れたわけです。そのときに懲戒による罷免というのはどうだということを申しましたが、これはやはり弾劾の問題になるべきだということを向うで申しておりました。その後の形は別に申し上げる変化はございません。」

(2)第64条に関する部分[11]

 「その次は弾劾に関する64条。これもマ草案の58条にあったわけです。3月2日案でもそれを取り入れておりました。この点については、弾劾に関する事項は法律をもって定めるということを一項目、徹夜の審議の際に加えてもらったわけでありまして、あと別段申し上げることはないわけです。」

(なお、憲法調査会では、第2委員会において訴追委員会及び弾劾裁判所の各事務局長が参考人として運用の実態を説明した際、高柳賢三会長が弾劾裁判所に対する政党政治の影響について意見を述べている。)

おわりに

 弾劾制度に関し、マッカーサー草案をめぐって交された論議を瞥見したのであるが、概ね上述したものに尽きるように思われる。他の重要資料を見落としていることも考えられるが、それにしても物足りなさを感じるのは筆者だけであろうか。今次の憲法改正の動向が、弾劾制度も含めた全面的なものに進んで行くのであれば、諸外国の弾劾法制への目配りなど、もっと緻密で旺盛な論議を期待したいものである。

(あまのえいたろう=元裁判官弾劾裁判所事務局長)

原注

  1. (1)「日本国憲法制定の過程Ⅱ解説」(以下「本書Ⅱ」という。)12頁
  2. (2)「日本国憲法制定の課程Ⅰ原文と翻訳」(以下「本書Ⅰ」という。)483頁
  3. (3)本書Ⅰ19頁
  4. (4)本書Ⅱ19頁
  5. (5)本書Ⅰ139頁
  6. (6)本書Ⅰ157頁
  7. (7)本書Ⅰ163頁
  8. (8)本書Ⅰ191頁
  9. (9)本書Ⅰ293頁
  10. (10)憲法制定の経過に関する小委員会報告書第27回議事録37頁
  11. (11)同委員会第28回議事録14頁


 

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