弘前大教授夫人殺し事件民事上告審判決
【上告 人】 被控訴人 原告 那 須 隆 外八名 代理人 南 出 一 雄 外三八名
【被上告人】 控訴 人 被告 国 代理人 篠 原 辰 夫
【第一 審】 青森地方裁判所弘前支部 昭和五六年四月二七日判決
【第二 審】 仙台高等裁判所 昭和六一年一一月二八日判決
○判示事項
編集- 一、再審による無罪判決の確定と裁判の違法性
- 二、再審による無罪判決の確定と公訴の提起及び追行の違法性
○判決要旨
編集- 一、再審により無罪判決が確定した場合であっても、裁判官がした裁判につき国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任が認められるためには、当該裁判官が、違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情がある場合であることを要する。
- 二、再審により無罪判決が確定した場合であっても、公訴の提起及び追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があったときは、検察官の公訴の提起及び追行は、国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為に当たらない。
【参照】 (一、二につき)国家賠償法一条一項 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任する。
○主文
編集 本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
○理由
編集 上告代理人南出一雄、同松坂清、同青木正芳、同竹田周平、同尾崎陞、同北山六郎、同島田正雄、同関谷信夫、同大塚一男、同竹沢哲夫、同和島岩吉、同原田香留夫、同谷村正太郎、同川坂二郎、同真部勉、同荒木哲也、同古高健司、同上野登子、同岡田忠典、同猪崎武典、同袴田弘、同西口徹、同高橋治、同佐藤唯人、同佐川房子、同増田隆男、同佐藤正明、同犬飼健郎、同阿部泰雄、同岡田正之、同相良勝美、同檜山公夫、同西嶋勝彦、同枝川哲、同林伸豪、同角田由紀子、同大川隆康、同豊川正明、同白井正明、同鶴見祐策の上告理由第二の一、二及び第三について
裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるものではなく、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情がある場合にはじめて右責任が肯定されると解するのが当裁判所の判例(最高裁昭和五三年(オ)第六九号同五七年三月一二日第二小法廷判決・民集三六巻三号三二九頁、昭和五五年(オ)第七九二号同五七年三月一八日第一小法廷判決・裁判集民事一三五号四〇五頁)であるところ、この理は、刑事事件において、上告審で確定した有罪判決が再審で取り消され、無罪判決が確定した場合においても異ならないと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実関係の下においては、刑事第二審裁判所が上告人那須隆に対する殺人の公訴事実につき有罪の判決をし、同事件の上告審裁判所がこれを維持した点について国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものと認めることができない。したがって、被上告人の同法一条一項に基づく責任を否定した原審の判断は、正当として是認することができる。所論は、違憲をも主張するが、その実質は単なる法令違背の主張にすぎず、原判決に右違法のないことは前示のとおりである。また、所論引用の判例は、前記判断と異なる解釈をとるものではない。論旨は、独自の見解をもって原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
同第二の三ないし五及び第三について
刑事事件において、無罪の判決が確定したというだけで直ちに検察官の公訴の提起及び追行が国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為となるものではなく、公訴の提起及び追行時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、右提起及び追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが当裁判所の判例(最高裁昭和四九年(オ)第四一九号同五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁)であるところ、この理は、上告審で確定した有罪判決が再審で取り消され、無罪判決が確定した場合においても異ならないと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実関係の下においては、検察官が上告人那須隆に対する殺人の公訴事実につき有罪の嫌疑があるとして本件公訴の提起をし、その追行をしたことについて、国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものと認めることができない。したがって、被上告人の同法一条一項に基づく責任を否定した原判決は、その説示において必ずしも適切でないところがあるが、これを是認することができる。論旨は、採用することができない。
その余の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 藤島 昭 裁判官 奧野久之 裁判官 中島敏次郎)
上告代理人南出一雄、同松坂清、同青木正芳、同竹田周平、同尾崎陞、同北山六郎、同島田正雄、同関谷信夫、同大塚一男、同竹沢哲夫、同和島岩吉、同原田香留夫、同谷村正太郎、同川坂二郎、同真部勉、同荒木哲也、同古高健司、同上野登子、同岡田忠典、同猪崎武典、同袴田弘、同西口徹、同高橋治、同佐藤唯人、同佐川房子、同増田隆男、同佐藤正明、同犬飼健郎、同阿部泰雄、同岡田正之、同相良勝美、同檜山公夫、同西嶋勝彦、同枝川哲、同林伸豪、同角田由紀子、同大川隆康、同豊川正明、同白井正明、同鶴見祐策の上告理由
編集第一 はじめに
裁判は、人間社会における人間の営みであり、人間と人間の関係、人間と社会・国家の関係について、人間が“裁き”を行なうことである。
従って、裁判の中には、人間の心が存しなければならない。
しかし、我国においても長い間、国家は個人に対して斬り捨て御免で責任を負わず、個人はただただ忍従を強いられ、行政裁判所は、損害賠償を求める訴を受理さえしなかった。
このような戦前の苦しい経験の反省に立って、憲法一七条が制定され、何人も、公務員の不法行為により損害を受けたときは法律の定めにより、国又は公共団体に対してその賠償を求めることができるとされ、そのための法律として、国家賠償法が制定されたのである。
上告人那須隆は、捜査段階から裁判の全過程、そして下獄、出獄にいたる間、一貫して無実の訴を叫び続けてきた。
昭和四九年一二月、真犯人の出現を証拠として提出した再審請求も棄却された時、彼は、裁判制度の中に再審手続がなければいいと病床から悲痛な叫びを発した。
真犯人が現れ、多くの人々から長年の無実の主張の正しさを認められ、祝福されていたにも拘らず、これが裁判により否定されたからである。
昭和五一年、再審が開始され翌五二年、無罪判決にいたり、那須氏ははじめて裁判に対する一応の信頼の気持を持ちはじめた。しかし、再び今、国家賠償制度は那須氏に冤罪者にとって、いかなる意味をもつ制度かという厳しい問いを投げかけ、司法への信頼が崩れさる事態に蓬着しているのである。
国家賠償制度の中に、人間の心が通わない限り、この制度は不要であり、裁判への信頼は、地におちるのみである。
何故、誤った裁判が生みだされたのか、同じ過ちを繰り返させないために、司法関係者は一体どのような反省をしたというのか、そして、冤罪者に対し、どのような償いをしようとしているのか、このような人間として人の痛みを理解できる心の存在が、本件裁判には必要不可欠なものであった。
しかし、残念なことに、原裁判所の判示からは全くそれをうかがうことができない。
原判決は、この点において、破棄を免れない瑕疵を帯有しているものである。
第二 原判決には、法令解釈適用につき瑕疵があり、これが判決に影響を及ぼしているので、原判決は、破棄されなければならない。
一 原判決は、再審により無罪判決が確定した本件の国家賠償請求事件において、裁判自体の責任につき、
「裁判官がした争訟の裁判に上訴・再審等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるのは、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情がある場合である(最高裁判所昭和五七年三月一二日判決)」と判示する。そして、その理由を「我国現行の訴訟においては……証拠のみを通して認識された事実が時として実体真実と隔たる結果となる事態を避け難い本質を内包していることに鑑みるならば、当該裁判官が証拠力の評価に際し、裁判官に付与されている自由心証上の裁量権を敢えて逸脱し、恣意的に経験則や論理法則を無視して判決したような場合は格別、そうでない限り、当該裁判が後日再審等で覆されたことを理由に、直ちにこれを右の違法行為に該当するとしたのでは、或る意味で訴訟制度自体を否定することにつながりかねない、耐え難い結果となるからである」
と説明する。
二 しかし、右判示は、明らかに、引用する判例の理解を誤り不当に拡張しており、国家賠償法一条一項ひいては憲法一七条の解釈をも誤っているもので改められなければならないものである。
㈠ 第一に、原判決の引用する最高裁判所昭和五七年三月一二日判決は、上訴等の訴訟法上の救済方法による是正を経ていない。従って、確定した判決は、厳に適法なものとして存在している事案に関するものであり、右判例では「再審」についての訴訟法上の救済方法についての履践については、勿論、全く言及していない事案についてのものである。これに意識的に「再審」を含ましめて引用することは、不当に判旨を拡大し、異質な場合も含ましめるもので判例の正しい引用の仕方ではない。
そもそも、再審という救済方法も、訴訟法上予定されているもので、一旦確定した判決も、この救済方法により覆された場合には、かつての確定していた裁判は、違法なものとして、その存在が否定されることになるのであって、これは訴訟制度自体の否定でもなく、耐え難い結果でもない。
原判決の右判示の立場こそ、再審により覆された判決をその後においても適法なものと考えようとすることを通じ、再審により改めてなされた判決の効力を否定することになりかねない、甚だ訴訟制度を無視する立論であるとの批判を免れない。
㈡ そもそも原判決は、憲法一七条の法意につき、失念(無視)し、国家賠償法一条一項の要件についての解釈を基本的に誤っているものといわなければならない。
すなわち、憲法一七条は、「何人も公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる」と定めている。
これは、国家無責任の原則に支配され、国の賠償責任を認める法律もなく、斬り捨て御免で、ただ諦めと忍従を強いられてきた国民に対し、国又は、公共団体の違法な権力行使による被害を可及的に救済しようとして設けられたものである。
これを受けて制定された国家賠償法であるから、その解釈・適用についても右憲法の法意が充分貫かれ、被害者の可及的救済制度としての運用が計られなければならない。そしてこの構成要件の吟味にあっては、公務員の故意・過失といった要件と、損害を与えた違法な公権力の行使についての要件は、混同されることなく峻別し、充分に検討が加えられなければならない。
原判決は、この点前記の判示から明らかなとおり、これら要件を別けて吟味することなく、混同してしまい、その結果、とり返しのつかない誤りを犯してしまっているといわなければならない。
本件の場合、確定判決が、被告人であった上告人那須隆に対し、懲役一五年の刑を言渡し、これが執行されたため、同人は、自由を奪われ、長期間の獄中の生活を強いられた。そして、その後、右確定判決が、再審により誤判であることが明らかとなり、違法なるが故に取消され、消滅し、無罪の判決が改めて言渡され、これが確定したのである。従って、結果として、右上告人那須隆が違法に長期間、身体の自由を奪われ、損害を受けたのであるが、その基本となったのは、過去に言渡された有罪判決であり、それが取消されたのであるから違法であったと解されるべきものであることは多言を要しない筈である。
問題は、この違法な裁判が言渡されることにつき、当該裁判官に故意・過失があったかどうかであるが、これは前述したとおり、全く別の要件として吟味を必要とするものと言わなければならない。
しかるに、原判決は、これら国家賠償法の定める要件を混同させ、また、再審で確定判決が取消され、違法視されることに極度の拒否反応を示し、なにか再審制度が、訴訟制度の中に存在することを失念したかの如き態度で、前記法条を解釈したため、何が違法とされるのかということ、これとは別に当該裁判官の行為につき、改めて故意・過失が問われるという仕組を全く無視した判断をなすにいたっている。
その結果、原判決は、国家賠償法一条一項の公務員の公権力行使により、他人に損害を与えた場合の中から、過失によって損害を与えた場合を不当に除外し、結果としてこの部分につき国又は公共団体の責任を免除するとの誤った法令の解釈・適用を行なってしまっている。
これが、本件において判決に影響及ぼしていることは明らかであるので、原判決の破棄は免れない。
三 原判決はまた、
検察官の訴追行為等の責任について
「本件のように再審でいわゆる逆転無罪判決があったにしても、一旦は有罪判決が確定していた場合には、この有罪判決があったのは、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証すなわち有罪の嫌疑がそれぞれの時点における相手方当事者の批判に耐え、且つ各種の証拠資料を総合勘案した裁判所の合理的な判断により是認された結果であるから、右の嫌疑が根拠のないものではなかったとの推定が働くということができる。再審無罪判決により、右嫌疑が誤りであったということになっても、検察官の証拠評価や判断上の過誤は、本来審級制度を含む、当該刑事事件そのものの場で是正されるべきであり、且つそれで足りるとすべきるのであって、資格のある弁護人が選任されていてなおかつ是正できなかった以上、国家賠償法上は、止むを得ないこととしなければならない」と判示している。
原判決は右のように判示しながら、これに自信がないのか、「検察官の行為につき、国の国家賠償法上の責任が肯定されるためには、当該検察官が違法又は、不当な目的の下に捜査及び公訴提起追行をしたなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いて、これを行使したと認められるような特別な事情があることが必要とすると解するのが相当である。」とも判示する。
四 これらの判示は、明らかに論理的に矛盾している。
前段の判示においては検察官の証拠評価や判断上の過程は、本来の審級制度を含むその刑事事件そのものの場で是正されるべきで、一旦確定してしまえば、その後は、再審無罪判決になっても、その過誤は不問に付されることになると判示し、後段の判示においては、特別な場合には問題にできると判示するが、その根拠は全く示されていない。
そもそも、右前段の判示の論理に従っても、再審で無罪の判決が確定すれば、有罪を求めた嫌疑が根拠のないものであったとの推定が働くということになるのではないか。そうであるとすれば、正に、そこから訴追の嫌疑ありと判断したことの是非が問われることになり、さらに訴訟追行行為の是非が問われることになり、これらに関して故意・過失の有無が問題になるのではないか。
それは兎も角として、右後段の判示を公務員の故意・又は過失についての判断とするならば、裁判官の場合について述べたと同様に、過失ある場合を不当に免責してしまう誤った法令の解釈・適用であり、これを行為の違法性についての判示と解するならば、何故このような場合についてだけ判決が、或はそれを求めた訴訟提起・追行行為だけが違法性を帯有することになるのかについては、全く不明としかいいようのない不充分な判示との批難はまぬがれない。
五 そもそも、原判決は、「刑事事件につき無罪の判決が確定した場合に、そのことだけで直ちに起訴前の逮捕勾留、公訴の提起、追行、起訴後の勾留が違法となるものではないことは、最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日判決の示すところであり」とし、いわゆる職務行為基準説といわれる考え方を判示し、いわゆる結果違法説といわれる考え方を斥け、これに続けて、「裁判官がした争訟の裁判に上訴・再審(この部分が原裁判所の不当な挿入であることは前述したとおり)等、訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけではなく」と判示し、その後に最高裁判所昭和五七年三月一二日判決と( )書きで示しながら、これにより再審で有罪判決が覆された場合についてまで、いわゆる結果違法説は妥当しないといった判示の仕方をしている。
しかし、前述したとおり右の昭和五七年三月一二日判決は、未だ確定判決が訴訟法上の救済方法により覆されていない民事事件の判決であり、さらに前者の最高裁判所の判決は、無罪判決の確定とその公訴提起・追行等の行為の関係のもので、本件のような有罪確定判決が、再審で無罪になり、これが確定した場合に消滅したさきの有罪判決の違法性の有無についての判示したものではない。しかるに原判決は、右のような判示の仕方を通じ、あたかも有罪判決が再審で無罪になった場合でも、裁判について結果違法説が最高裁判所の判例で否定されているかのごとき判示を行なっている。これらは、不誠実で且つ、不当な判示の仕方として厳しく批判され、改められなければならないものである。
第三 原判決には、判断遺脱の理由不備があるので、原判決は破棄を免れない。
一 原判決は、前述したように国家賠償法一条一項の解釈を誤り、甚だしく限定した立場を採用した。その結果「裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて、これを行使したものと認めうるような特別な事情がある場合」「検察官が違法又は不当な目的の下に捜査及び公訴の提起・追行をしたなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認めらるような特別の事情がある場合」に関係あると思われる部分についてのみ、審理の対象とするとの前提に立ち、本件にあってそれは「本件白靴に人血が付着していることを認めるに足りる証拠のないこと及び本件白シャツの押収後捜査官がこれに血痕を付着させたことを検察官や裁判官が知っていたとの点であるが、血痕を付着させたこと及び知情の事実を直接認むべき証拠はないので、問題は、これら事実の推定根拠となる情況事実の存否である」と判示している。
二 これは、明らかに、確定した有罪判決が再審により取消され、無罪が言渡され、これが確定し、かつての有罪判決が違法なものであったと制度的に確定した場合に、その裁判に関与した裁判官・検察官のそれぞれの 行為につき、国家賠償法一条一項に定められた「故意」「過失」の有無を吟味する審理態度とは認められず、全くこれとは異質なものである。
これは、明らかに上告人らの求めた審理の対象を違法に限定しての裁判であり、特に前述したとおり、取消された裁判に関与した裁判官と検察官の過失の有無を吟味しないという点については判断の遺脱であり、結果として、原判決には理由不備の違法があると断ぜざるを得ないものである。
第四 原判決には審理不尽の瑕疵があり、その結果、判断を遺既し、理由の不備という結果に陥っているので、原判決は、破棄され、改めて審理が尽くされなければならない。
一 原判決は、前述した検察官が違法又は不当な目的の下に捜査及び公訴の提起・追行したなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認められるような特別な事情の有無について判断するとして、上告人の主張の中から本件白シャツの押収後捜査官が、これに血痕を付着させたこと及び知情の事実をとり上げ、これにつき、直接認むべき証拠はないので、これら事実の推認・根拠となる情況事実の存否を検討するとして、一審判決の認定について一部削除、改訂等を行ないながら判示している。
二 しかし、右判示によっても、一審判決の次の判示は、改められてはいない。
「検察官沖中益太は、科捜研における〔丙3〕・平嶋鑑定をもってしては本件白シャツに付着していた汚斑が人血であることを証明するには不十分であると考え、右鑑定人両名に対し、その鑑定結果について補充説明を求めるべく、昭和二四年一〇月一四日付捜査嘱託書により、東京地方検察庁にその捜査を依頼しているのであって、そのことからすれば、同検察官は、本件白シャツに付着している汚斑が人血であることを確認する必要性を十分認識し、この点に細心の注意を払っていたものと推認しうること、したがって、同月一七日、東北大学の三木助教授に鑑定を依頼するに際しては、まず第一に本件白シャツに付着している汚斑が人血であるか否かを鑑定事項とすべきであるにもかかわらず、敢えてこれを鑑定事項として掲げず、右汚斑が人血であることを前提としたうえで、その血液型がQであるかqであるかのみを鑑定事項としたこと、その後判明した前記捜査嘱託に対する回答によっても、本件白シャツに付着している汚斑が人血であるとは断定しえなかったこと、他方、松木・〔丙〕作成の同月一九日付鑑定書(本件白シャツに関する甲第九号証、乙第一一一号証)には、本件白シャツに付着している斑痕が人血である旨記載されているものの、同鑑定書の作成経緯、記載内容の正確性、松木医師はともかく〔丙〕技手は鑑定人としての学識経験を有していたか否か大いに疑問の存することなどを勘案した場合、刑事裁判の証拠たりうる正式の鑑定書とは到底いえない性質のものであること、本件公訴を提起するまで、右松木・〔丙〕鑑定書以外に本件白シャツに人血が付着していることを認める証拠は存しなかったことが認められ、また、
「弘前市警察署長は、同月一七日、東北大学医学部法医学教室の三木敏行助教授に本件白シャツ外二点の鑑定を嘱託したが、その際の鑑定事項は、⑴被疑者の血液型、⑵本件白シャツに付着している人血につき血液型はQであるかqであるか、⑶畳床藁(被害者の血液が多量付着して凝固したもの)につきその血液型はQであるかqであるか、というものであったこと、三木助教授は、同日から同月一九日まで鑑定をなし、⑴被疑者の血液はBMq型に属する、⑵本件白シャツにはQ型の血液が付着している、⑶畳床藁にはQ型の血液が付着しているとの結論を得、その旨記載した鑑定書(甲第一一号証、乙第一一四号証)を提出したこと、検察官沖中益太は、同月二〇日ころ、右鑑定書を得て、同月二四日、原告隆を殺人の罪で起訴したこと。」
との事実関係によれば、検察官沖中益太は、右松木・〔丙〕鑑定書の作成経緯等に関する右事実を十分承知していたものと推認するのが相当であり、またその職掌柄これを知るべき状況にあったものということができる。」
原判決は、この事実関係においても、検察官が違法又は不当な目的の下に捜査及び公訴提起したのではないと考えて、この事実を不問に付したのであろうか。
もし、そうであるとするならば、その判断は、権力のおごりであり、国民から負託された裁判官のそれとしては、厳しく排除されなければならない類のものである。
三 原裁判所は、前述のような国家賠償法一条一項の解釈を採ったが故に、有罪判決確定前の検察官の捜査、起訴、訴訟追行行為につき、違法又は不当な目的の下に捜査・起訴……訴訟追行したなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したかどうかを刑事確定記録を基本に審理するとの態度をとったものと解される。
そのため、殆ど再審請求審、再審異議審、再審公判において、調べられた資料や問題とされた論点について、吟味を欠落させてしまっているとしか考えられない判示を行なっている。
例えば、次の判示である。
「本件白シャツは同公判期日の昭和二四年一〇月三一日裁判所に領置され、検察官の手を離れているのである。仮に、何者かが血痕を付着させたとすると、その血液の出処が問題となるが、乙第三〇九号証中の弁護人三上直吉の弁論要旨三枚目裏によれば、原一審の弁護人は被害者の夫が後日のために保存していたのではないかとの推測をしている。しかし、同人が大学医学部の教授であることを考慮すれば血液保存は可能であるにしても、そのような人為的付着に加担したのであるとすれば、妻の敵かどうか必ずしも明確でない者を犯人に仕立て上げることに手を貸したわけであり、その結果本当の敵である他にいるかも知れない真犯人を逃すことになりかねないのであるから、およそ考え難いことである。まして、本件白シャツが裁判所に領置され古畑鑑定に付されるまでの約八ヵ月の間に、右「保存血液」を付着させるなど、殆ど不可能事に属する」
右の判示ほど、ピントのずれた判示はない。再審請求審の段階でも、再審公判段階でも、血痕についての証拠偽造の問題として問われていたのは、押収時の昭和二四年八月二四日から起訴前の一〇月一七日、三木敏行鑑定人の鑑定に付される間の問題であったのであり、この間の疑問の内容としては、単に汚斑の色調の問題だけでなく、その数が時間を経るにつれ、多くなっていったこと、鑑定依頼事項の変化などが問題とされていたのである。
そして、再審開始決定及び再審無罪判決が、「本件白シャツの血痕様斑痕の色調が、これが押収されたのちの間も多くの昭和二四年八月二四日頃引田鑑定人が見た時は帯灰暗色、同年九月一日頃、〔丙3〕・平嶋鑑定人が見た時は褐色、同年一〇月一七日頃三木鑑定人が見た時もほぼ同色であったとのことから、早い時期ほど色があせていたわけであって理解し難いことであり、そうすると、本件白シャツにはこれが押収された当時には、もともと血痕が付着してはいなかったのではないかと推察が可能となる」と判示したこともこれのみを根拠にしているのではなく、他に、凶器を隠匿したことになっている被告人が、本件白シャツは平然と着用していたこと(原判決は、この点を二〇余年を経て証人として出廷した警察官の証言により別異の認定を行なっているが)本件白シャツの汚斑の形は、被害者の血液の「噴出」または「迸出」により付着した血痕の形状とは考えられないものであること等を総合し、これらの証拠価値を否定しただけではなく、証拠偽造の可能性を示唆していたのであるが、原判決は、これらを全く看過して皮相な考察と判示のみで「再審判決の指摘は必ずしも当をえたものではないといわなければならず、他に本件白シャツに故意に血痕が付けられたとの事実を推認するに足りる情況はない」と判示する。
昭和二五年八月、古畑鑑定人が本件白シャツのみならず、被害者の血痕が侵み込んでいる畳表の血痕の血液型の鑑定を行なっていることなど考えても、再審段階で証拠偽造が問題とされたのは、裁判所の証拠保管中のできごとでなかったことは、記録を検討すれば、直ちに判明することであった。
四 原判決は
「本件白靴については、これに人血が付着していたか否かの真偽、この点の積極証拠が、証拠として十全なるのかどうか、及びこのことについての検察官の知、不知は、本件白シャツ及びこれに付着していた血痕の鑑定結果と対比しての証拠としての重要性に鑑みれば、右特別事情の存在に結びつく事情に当らないのは明らか」と判示する。
しかし、本件白靴が有罪判決の証拠にされていたことは確かな事実であるのみならず、これに血痕が付着しているということで、逮捕の端緒となり逮捕状請求の根拠にされ、これの鑑定書が存したにも拘らず、この鑑定書は検察官の手元にありながら、有罪判決確定までは勿論、再審請求審、異議審の段階でも開示されず、その後開示されたが、結局、これは血痕付着の証明力を欠くものとの厳しい批判を受けるにいたっているものであることを検討するならば、原判決の右のような判示は、正に、検察官の責任を不問に付そうとする意思にもとずく、無暴な審理放棄という外ない判示である。
第五 まとめ
司法に対する国民の信頼、それは誤りを誤りとしてただすことにより得られるもので、いたずらに確定判決に固執したり、冤罪により被害を受けた人々に対し、償いをしないことによって得られるものではない。
真の司法の権威の確立とこれに対する国民の信頼を回復するために、速やかに原判決の破棄を求めるものである。
この著作物は、日本国著作権法10条2項又は13条により著作権の目的とならないため、パブリックドメインの状態にあります。同法10条2項及び13条は、次のいずれかに該当する著作物は著作権の目的とならない旨定めています。
- 憲法その他の法令
- 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの
- 裁判所の判決、決定、命令及び審判並びに行政庁の裁決及び決定で裁判に準ずる手続により行われるもの
- 上記いずれかのものの翻訳物及び編集物で、国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が作成するもの
- 事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道
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