弘前大教授夫人殺し事件刑事控訴審判決

 昭和二十六年(う)第二九八号

判決 編集

本  籍 〔略〕
住  居 〔略〕

無  職     那   須   隆      
大正十二年九月十一日生    


 右の者に対する殺人及び銃砲等所持禁止令違反被告事件について、昭和二十六年一月十二日青森地方裁判所弘前支部の言渡した判決に対し、原審検察官沖中益太から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文 編集

原判決を破棄する。
被告人を懲役拾五年に処する。
原審押収の拳銃一挺(証第一号)はこれを沒収する。
原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由 編集

 原審検察官沖中益太の控訴趣意は、その提出の控訴趣意書(ただし第六点を除く)記載のとおりであり、これに対する弁護人三上直吉同竹田藤吉の答弁は、その原審に提出した各弁論要旨と題する書面記載のとおりであるから、これを引用する。以下これについての判断を示す。
 原審検察官の控訴趣意第二点について。
 原判決は、被告人が昭和二十四年八月二十二日頃一日間拳銃一挺を不法に所持した旨の事実を認定しているが、その拳示する証拠によれば、被告人は、起訴せられたとおり、昭和二十一年十月十五日頃から右日時迄約二年十月間これを不法に所持していたことが明かである。されば、原判決には理由のくいちがいがあるものというべく、破棄を免れない。論旨は、結局、理由あるに帰する。
 同第四点について。
 原判決は、本件公訴事実中、被告人が、弘前大学医学部教授松永藤雄の妻〔甲〕の美貌に執心し、本件昭和二十四年八月六日夜十一時過頃、弘前市大字在府町〔乙〕方離座敷階下十畳間に実母及び子供と熟睡中の〔甲〕を殺害して変態性慾の満足を得る目的で、その寝室に忍󠄁込み、枕元に座し、所携の鋭利な刃物で、同女の頸部を一突きに刺して死亡させたとの事実に対し、その証明十分ならずとのみ説明して、無罪の言渡をしている。しかし、当裁判所の審査したところによれば、たやすく、原判決の如き結論に到達することはできないのであつて、原判決には重大な事実の誤認があるものと謂わざるを得ない。卽ち、次にその説明をする。
 原審第四回公判調書中証人〔乙2〕の供述記載によれば、本件犯人は犯行当時白い開襟シヤツを着ていたことが明かである。而して、原審鑑定人古畑種基、同三木敏行、木村男也、当審鑑定人村上次男作成の各鑑定書の記載及び当審第二回公判調書中証人古畑種基の供述記載によれば、被害者〔甲〕の血液はBMQE型であり、被告人の血液はBMq型であること、被告人が本件の頃も着用していたことを自認する海軍用開襟白シヤツ(証第三号)に附着している血液はBMQE型であり、その附着時期は被害者〔甲〕が殺害されて血液が流出した時それが畳表(証第二十二号)に附着した時期と時間的間隔が認められないこと、以上の場合、他の諸条件を考慮の外におき、右開襟シヤツの血液は被害者〔甲〕の血液が附着したものであるとみる確率は九八・五%であること、しかるに、被害者〔甲〕は総頸動脈を切断されたものであり、右開襟シヤツ附着の血液の大部分は、その位置、形、量からして、動脈から迸出した返り血をあびたものとみられるから、右の確率は更に大となり、BMQE型の血液の人が被害者〔甲〕以外に何人あろうとも、その誰かが本件犯行時刻頃被告人の傍に居て、しかもその動脈から血液を噴出させて、被告人の着ていた右開襟シヤツに血痕を飛散させたものであるという立証がつかない限り、右開襟シヤツ附着の血液は被害者〔甲〕の血液であると推定されることが認められる。
 しかるに、被告人は、犯行当時のアリバイを主張し、それが次々に崩れるや、当時の記憶は一切空白なりとうそぶき、三転して当夜は外出したことなしと言い、而して、問題の海軍用開襟白シヤツ(証第三号)については、血痕の附着している筈なしと強弁するのみで、これに対する合理的説明をなす能わず、かくて、前記推定を覆すべき証拠は何等ないのみか、却て、後記自判の際の証拠説明に詳記する如く、前記確率を全きものにし、推定を認定に高める他の諸条件が具わるのである。
 卽ち、被告人が本件の頃も穿いていたことを自認する白ズツク靴(証第二号)に噴出飛散したB型と思われる人血の細滴が附着していること、被害者方から被告人方隣家に到るまでの道路上、及び隣家宅地から被告人方へぬける部分の境界生垣の笹の葉上に、合計約三十余滴の小さな血液滴跡が発見され、それは全部人血で、検定可能のものは皆B型と判定されたこと、犯人を目撃した被害者の実母〔乙2〕は、被告人を面通しで見た時、被告人が犯人と全く同じであり、卒倒するように感じた程であること、本件犯行の時刻の前後、被害者方附近で、開襟らしい白シヤツを着て半ズボン様のものを穿いた、しかも被告人の歩き方の特徴である内股に歩き、殆んど足音をたてない被告人に似た男に出遭つた証人が数人あること、及び被告人自身、警察で、私は本件八月六日の夜十一時二十分に帰宅したが、それ以後他の何処かで私を見たものがあればそれを認めるし、又被害者の実母が私であるというのであればそれも認める旨、私は記憶のない点と証人のことで困つているが、裁判の結果無期懲役になろうと何うなろうと、裁判長の認定に任せ、、ママ控訴する気持はない旨自供していること等の諸事実が存するのである。
 以上を綜合して考えると、本件犯行の犯人は被告人なりと断ぜざるを得ない。
 尤も本件犯行の兇器は発見されていないし、被告人が変態性慾の満足を得る目的で本件犯行をなしたと認むべき確証はない。本件傷害を与えた兇器は通常ありふれた鋭利な刃物であるとされ、被告人も大型ナイフを所持していたことが認められるから、兇器が発見されない点は、毫も前記認定の妨とならない。原判決が犯罪の証明十分ならずとしたのは、恐らく、特に動機の不明確を指しているものと認められる。
 動機の点は、成程、殺人の如き事案にあつては、犯罪事実の認定上必要欠くべからざるものである。しかし、犯罪と被告人との結びつきを証するものが、被告人の法廷外の自白のみしかない案件では、動機と認むべきものが証拠上存在しないか、或は存在すると認められても該動機と犯行とが経験則上齟齬する如き場合には、これを犯罪の証明不十分とすることも考え得るが、犯罪と被告人との結びつきを確固たらしめるに足る客観的証拠の存する案件では、動機と目すべきるのが一応推認され、且つその推認された動機と犯行とが経験則上齟齬しない場合に、動機の不明確の故のみを以て、直ちに、これを犯罪の証明十分ならずとなすが如きは、むしろ、それこそ経験則乃至実験則に違背するものというべきである。
 本件についてこれをみるに、本件殺人と被告人との結びつきを確固たらしめるに足る客観的証拠の存することは前記説明のとおりである。しかも、本件犯行の動機が、物盗り怨恨乃至痴情関係でないことは記録上及び当審における事実調の結果に徴し明かである。(弁護人は、被害者〔甲〕が実母に抱かれてその名を呼ばれた時、微かに「死んでしまう」と答えたという言葉を捉えて、人には親にも夫にも言えない秘密があるとし、或は被告者の夫松永博士が悲報をうけた時、必ず復讐してみせると心に誓つたという供述を捉えて、本件の動機は怨恨なりと主張するけれども、何の裏付けもなく、かかる言葉自体からそのような臆測をすることは、全く独自の見解というの外ない。)しかるに、後記自判の際の証拠説明に詳記する如く、被告人は精神医学上所謂変質状態の基礎である生来性神経衰弱症者であつて変質的傾向とみられる性行があり、原審鑑定人丸井淸泰の鑑定書によれば、被告人の無意識界には残忍性、サデイスムス的傾向を包蔵しており、又、婦人に対する強い興味が鬱積していたのとみるべきであるとされるのである。これと本件犯行の手口、態様に鑑みるときは、本件犯行の動機は、被告人のこの変質的傾向に由来するるのと推認することは可能である。当審鑑定人石橋俊実の鑑定書も、目下の段階では、被告人が変態性慾者であると確実に断定は下し得ないというに過ぎない。而して右推認が経験則に反するものとは認められない。
 されば、本件犯行の動機が不明確なりとして、直ちに、犯罪の証明十分ならずとなすを得ない。
 次に、弁護人の所論について一言するに、先ず所論は、三木鑑定の対象となつた本件開襟シヤツの豌豆大の赤褐色の血痕は、事件後に工作されたものであると主張するのであるが、記録を精査し、当審の事実調の結果に徴しても、かかる事実を認むべき証拠は毫末もない。ただ、当審証人引田一雄に対する尋問調書によれば、最初同証人が本件開襟シヤツを受け取つた時これに赤褐色の斑点はなく、それは帯灰暗色のものであつたというのであるが、当審第二回公判調書中証人古畑種基の供述記載によれば、それは色調の判定についての相違に基くものであることが明かであり古畑証人も右開襟シヤツの血痕の色調を赤褐色としているのであり、しかも、同人によれば、死後十六日以上も経過した人の血液を所論の如く人工的に附着させることは事実上殆んど不可能であるとされ、而して、同証人は右開襟シヤツの血痕(前記三木鑑定の対象となつた部分以外の血痕)はBMQE型であると判定し、原審第十二回公判調書中証人松木明の、原審第三回公判調書中証人〔丙〕の各供述記載によれば、右両人も右開襟シヤツの血痕(同上)をBMQ型と判定したことが認められるから、この点に関する所論は採用の限りでない。血液のBMQE型の人は被害者〔甲〕以外に沢山いるから、本件開襟シヤツの血痕を以ては個人識別には役立たないとの所論に対しては、既に前記確率のところで説明したとおりである。道路上の血痕は犯人の兇器から滴下したものとみるのは常識に反するとの所論に対しては、原審鑑定人古畑種基の鑑定書により、その説明十分である。丸井鑑定書が鑑定の資料とする中に本件の証拠となり得ない司法警察員に対する供述調書の一部存するととは所論のとおりであるが、被告人及び弁護人は右鑑定書を証拠とするととに同意しているのみでなく、その鑑定資料として引用された供述部分が公判廷における供述と実質上異るのは〔乙3〕のみであるから、これがために、所論のように、鑑定の結果に影響するものとは到底考えられない。その他の所論に対しては、既に前記説明したところに照らし、更に説明するの要をみない。
 敍上説明のとおりで、本件犯行の動機が不明確であるとの理由で、将又、血液のBMQE型の人は被害者〔甲〕以外にも何人いるから、本件開襟シヤツ附着の血痕は被害者の血液とは限らないとの理由で、犯罪の証明十分ならずとする見解は、当裁判所の到底これを採用するを得ないところである。要するに、原判決は、判決に影響を及ばすことが明かな事実の誤認があり、破棄を免れない。論旨は理由がある。
 以上の次第で、原判決は全部これを破棄すべきものである。
 そこで、爾余の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条第三百七十八条第四号により、原判決を破棄し、同法第四百条但書により、被告事件につき更に判決する。

(事実) 編集

㈠ 被告人は、精神医学上いわゆる変質状態の基礎状態である生来性神経衰弱症者であつて、変質的傾向とみられる性行があつた。かつて、深夜熟睡中の友人の枕元に立膝して、その首を絞めつけ、君は寝首をかかれても判らないよと言つたり、強て、新婚の友人夫婦と同室に寝たり、好んで、夫不在中の他人の妻を訪ねて、食事をしたりなどした。また、音をたてずに、戸障子をあけたり、歩いたりする方法や、相手を熟睡させる方法を話したり、証拠を残さずに人を殺せると話したりなどしたこともあつた。
  被告人居宅から三町足らずの、弘前市大字在府町〔略〕〔乙〕方離座敷に、国立弘前大学医学部教授医学博士松永藤雄が、美貌の噂ある妻〔甲〕(当時三十年)及び子供二人と住んでいた。被告人も、ワンピースにサンダル姿の〔甲〕夫人を見たことがあつた。
  偶々昭和二十四年八月三日、約一週間の予定で、松永教授は、療養相談所開設等の用件で、長男を連れて酸ケ湯温泉へ赴き、〔甲〕の実母〔乙2〕が泊りに来て居た。同月六日夜は、蒸暑い晚で、右離座敷階下十畳間に、蚊張を吊つて、その中に、縁側に近く〔甲〕、次に長女、実母の順で、二烛光の電燈をつけたまま、寝に就いた。午後十時過頃、昼の疲れで、ガラス戸の施錠も忘れたものの如く、一同熟睡に落ちてしまつた。
  同夜午後十一時過頃、被告人は、右寝室にこつそり入り、〔甲〕の右側枕元に、しやがむようにして前屈みになり、殺意を以て、所携の鋭利な刃物で、仰臥している〔甲〕の左側頸部を、右から一突きに刺して、左側総頸動脈等を裁断し、因つて、同女をして、その場で出血による失血のため、間なく死亡するに至らしめたものである。
㈡ なお、被告人は、法定の除外事由なく、昭和二十一年十月十五日頃から昭和二十四年八月二十二日迄の間、外国製六連発旧式拳銃一艇(証第一号)を、肩書本籍地の居宅に蔵匿して所持していたものである。

(証拠) 編集

判示㈠内の事実中
 第一段の事実は、

⑴ 原審鑑定人丸井淸泰作製の鑑定書中の記載。
⑵ 原審第四回公判調書中証人〔乙4〕、同〔乙5〕、同〔乙6〕の各供述記載

により、これを認め、
 第二段及び第三段の事実は、

⑴ 原審第三回公判調書中証人〔乙〕の供述記載
⑵ 原審検証調書(昭和二十五年四月二十一日附)中の記載
⑶ 原審第四回公判調書中証人〔乙4〕の原審第八回公判調書中証人〔乙7〕の各供述記載(被告人が本件以前松永夫人を見ていた事実に付)
⑷ 当審証人松永藤雄、同〔乙2〕に対する各尋問調書中の供述記載
⑸ 原審第四回公判調書中証人〔乙2〕の供述記載

により、これを認め、
 第四段の事実は、

⑴ 第一段乃至第三段認定の事実及びこれに対し掲げた証拠
⑵ 原審第四回公判調書中証人〔乙2〕の供述記載、特に「判示夜、何か圧迫されるような夢を見て、はつと目を覚した。〔甲〕の方を見ると、白い開襟シヤツらしい物を着た若い男が、同女の枕元に前屈みにしやがんでいたので、私は飛起き、〔甲〕と叫ぶと、その男は蚊帳をまくり、外の方へ逃げて行つた。犯人は座つていたか、しやがんでいたか判らないが、〔甲〕を覗き見るようにしており、私が目を覚した時、何も音や声は聞かなかつた。犯人は白い開襟シヤツ、白か国防色か判らないズボンを穿いていた。犯人の横顔と、逃げる時の後姿を見たが、皮のバンドをしており、脛が見受けられ、腕の半分程出ているのを見た。」「その時見た犯人は、この被告人那須に間違いない。警察で面通しで見た時は、現在よりも、もつと同一な様に見受けた。当時から犯人は被告人に間違いないと確信している。面通しで見た時には、被告人が当時見た犯人と全く同じであり、卒倒する様に感じた程であつた。」旨の供述記載
⑶ 被告人の司法警察員に対する第十一回供述調書(昭和二十四年九月三日付)中同人の供述記載、特に「私が八月六日の夜十一時二十分に家に帰つているが、若しそれ以後他の何処かで、私を見た人があれば、それを認める。又、被害者の母が、私であるというのであれば、それも認める。」旨の供述記載、並に被告人の司法警察員に対する第二十一回供述調書(昭和二十四年九月八日附)中同人の供述記載、特に「私はこれまで殺人事件で色々取調をうけているが、私の記憶がない点と証人のことで困つている。裁判の結果無期懲役になろうが何うなろうが裁判長の認定に任せる。控訴する気持はない。」旨の供述記載
⑷ 原審第二十三回公判調書中証人〔丙2〕の「本件発生後満一月目の晩夕食後一応取調べたいと思い、被告人の所へ行くと、被告人は、今晩だけは何聞いてくれるなと言つた。被告人は悲壮な顔をして月を眺め、頭を垂れて、取調べないようにと言つた。」旨の供述記載
⑸ 被告人の当審公廷における「私は弘前市警の鑑識課に血液を提供したことがある」旨の供述、及び原審第一回公判調書中被告人の「示された海軍用開襟白シヤツ(証第三号)は私の物で、本件の発生した八月六日頃も着ていたと思う。又、示され次白ズツク靴(証第二号)は私の物で、本件発生の頃も穿いていたことは間違ない。」旨の供述記載
⑹ 起訴前の鑑定人〔丙3〕同平島侃一作成の鑑定書中の記載、特に「被疑者那須隆の血液及び被害者〔甲〕の血液はいずれもBM型である。」旨の記載
⑺ 起訴前の鑑定人三木敏行作成の鑑定書の記載、特に「被疑者那須隆の血液はBMq型であり、被害者〔甲〕の血液はQ型である。海軍用開襟シヤツに附着している血液はQ型である。」旨の記載
⑻ 原審鑑定人古畑種基作成の鑑定書中の記載、特に「海軍用開襟シヤツ(証第二号とあるのは証第三号の誤と認める)附着の人血痕はBMQE型であり、畳表(証第二十二号、被害者〔甲〕の血液の附着しているもの)附着の人血もBMQE型であつて、その血液型は完全に一致し、同一人のものであると推定される。」「右両者の血液が附着した時期は、時間的に間隔を認めることはできない。」「右両者の血液が同一人の血液である確率は〇・九八五又は九八・五%であり、理論上〇・九八五の確率があるということは、実際上は同一人の血液であると考えて差支ないことを示している。」旨の記載
⑼ 当審第二回公判調書中証人古畑種基の供述記載、特に「鑑定書記載の如く確率が九八・五%と判定された外海軍用開襟シヤツの血痕が、血の飛沫が附着したものと認められる状況、及び右開襟シヤツに被害者(畳に血を流した人)以外のこれと同一血液型の人の血が附着したとすれば、その人が右の様な状況で出血した事実がなければならず、このようなことから同一人の血液であると推定したのである。尤も、右開襟シヤツに附着した血痕が、被害者以外のこれと同一血液型の人の血を附着したものであるという証明が出来れば、右の推定を覆す問題が始めて生ずる。」旨の記載
⑽ 当審鑑定人村上次男の鑑定書中の記載、特に「被害者と加害者の位置、体位等が判示の如くであることを基礎とし、加害者が証第三号の開襟シヤツを着ていて、兇器を刺し始めて抜き終る迄の瞬間に、被害者の創口からの血液を直接受けたことを前提とすれば、証第三号附着の血痕のうち、多くのものは、その位置、形、量から考えて、その様にして生じ得ると考えられる。又被害者の迸血が加害者の手拳等に触れて方向を転じて附着して生じ得ると考えられるものや、一旦加害者の体部衣類等に附着した後、二次的に受けて生じ得ると考えられるものもある。」旨の記載
⑾ 原審第三回公判調書中証人松永藤雄の「松木博士と〔丙〕技師の検査では、被害者たる妻の血液も、容疑者那須の血液も、共にBM型を呈した。そこで、更に村上教授からQ型検査の血液を送つて貰つて、検査したところ、被害者のはBMQとなり、容疑者のはBMqとなつた。尚、容疑者の衣類をも調査し、ここに血液型の大家三木博士の鑑定書となつて、全く動かすことのできない結果がでた。」旨の供述記載
⑿ 起訴前の鑑定人松木明、同〔丙〕作成の鑑定書(昭和二十四年十月十九日附の白ズツク靴に関するもの)中の記載、特に「鑑定資料白ズツク靴には、人血が附着し、その型はB型と思われる。」「それは噴出した血液の細かなものが飛び着いたものと思われる。」旨の記載
⒀ 原審第六回公判調書中証人〔乙8〕の「証第二号の白ズツク靴は、昭和二十四年七月初旬頃被告人に頼まれて一週間位かかつて修理したが、その時には、その白ズツク靴には汚点はなかつた。」旨の供述記載
⒁ 鑑識係技手〔丙〕作成の血痕滴跡状況報告書及び添付図面中の記載(被害者居宅のある〔乙〕邸内から同家大門出入口附近、その前の道路上、〔乙9〕方前道路上を経て木村産業研究所前道路上に至る迄の血痕、更に被告人那須方隣家の〔乙10〕方小門内外、同人方玄関前敷石上、右〔乙10〕方宅地から被告人方へ抜ける部分の境界生垣の笹の上に於ける血痕)及び原審第一回検証調書中これに関する部分の記載
⒂ 起訴前の鑑定人引田一雄作成の鑑定書(昭和二十四年八月七日附)中の記載、特に「被害者宅前敷石上、門前附近及び〔乙9〕宅前路上に点在する血痕はB型の人血である。」旨の記載、及び同鑑定人松木明作成の各鑑定書(昭和二十四年八月十五日附一通、同月三十日附四通)中の記載、特に「木村産業研究所前道路上〔乙10〕方玄関前敷石上の血痕は人血でB型であり、同家と被告人方との境界の笹の葉の上のものは人血であるが型は不明である。」旨の記載
⒃ 原審鑑定人古畑種基作成の鑑定書中「〔乙〕邸内より木村産業研究所前路上を経て〔乙10〕邸内に入り更に被告人方に達する人血痕は、加害者が逃走する際、加害者自身から或は加害者の携行した物件から、血液が滴下して生じたものと考えられる。」旨の記載
⒄ 当審証人〔乙11〕に対する尋問調書中同人の「犯行のあつた夜、私は中々眠れないでいる中、赤坊が目を覚したので、乳をやつていたところ、私方前の道路を、木村産業研究所の方から〔乙10〕方の方へ、白いシヤツを着て半ズボンを穿いた人が走つて行くのを見た。足音は全然聞定なかつた。月夜で、多少前かがみになつて走つていたが、そんなに早いとは思われなかつた。」旨の供述記載(同人方は血痕のあつた道路に面している)
⒅ 原審第一回検証調書中の記載、特に「〔乙10〕方宅地と被告人方との境界に生垣があるが、〔乙10〕方さわら生垣の西端から北方二尺二寸の間が生垣なく、そこから被告人那須方の宅地へ行ける様になつており、又、被告人方裏から覚仙町へ出ることは不可能とみられた」旨の記載、並に当審検証調書中の記載、特に「〔乙〕方は、潜門には施錠がなく、いつでも開閉自在であるし、西側南側は共に粗雑な生垣で、空間が隨所にあつて潜り抜けも可能であり、高さもそれ程でなくて飛越も可能と認められ、東側の生垣も、無理すれば潜り拔け可能と認められた。」旨の記載
⒆ 原審第五回公判調書中証人〔乙12〕の「犯行のあつた夜、十時一寸過ぎ頃、木村産業研究所前の道路の電柱の附近で、音も立てずに私の方へ近ずいてきた男に出遭つた。上衣は白く見え、ズボンはそれより濃く見えた。恐ろしかつたので、振返つて見ると、半ズボンか長ズボンを捲くつたものか知れないが、腕の方は出ていた。開襟シヤツの様に記憶する。殆んど足音を立てなかつた。足を内股に変つた歩き方であつた。」旨の供述記載、及び犯行の時刻の前後頃に、被害者方附近で、右同様の男に出遭つたことに関し、原審第四回公判調書中証人〔乙13〕、同〔乙14〕、同〔乙15〕、同〔乙16〕、同〔乙17〕の各供述記載
⒇ 原審第六回公判調書中証人〔乙18〕の「被告人の歩き方は、内股で膝頸を余り延ばさないし、余り足音を立てない。」旨の供述記載
(21) 〔丁〕の検察官に対する第一回供述調書中の供述記載、特に「犯行のあつた夜、兄隆は午後七時半頃シヤツとズボンを着て何処かへ出て行き、私が九時頃寝た時は、未だ帰らなかつた。夜中に目が覚めたところ、隆は十畳間に寝て六畳の間の母と話していた。その時刻を警察で調を受けた時、翌日午前三時頃と述べたが、帰宅してから母に相談すると、その晚の十一時過ぎであると言われたから、左様だと思う。」旨の供述記載
(22) 原審第九回公判調書中証人〔乙19〕の「本件のあつた翌朝七時頃、私方〔戊〕寺の本堂から玄関に出た時、被告人が〔乙20〕方の墓の方から出て来たのに会つた。このような早朝に墓参りに来る人はない」旨の供述記載
(23) 原審第四回公判調書中証人〔乙5〕の「事件後私方へ那須隆が来て泊つた時、よく眠らなかつたようで、夢でも見たのか大変うなされていたので、今起してやろうかと思つた程であつた。何だか人が死んだ夢を見たり、松永宅の現場を廻る夢をみたりしたそうであつた。」旨の供述記載、並に証人〔乙5〕の「事件後那須隆は私方へ来て、自分には一生忘れることのできないことがある、それを思出して寝るのだと言つた。」旨の供述記載
(24) 原審第六回公判調書中証人〔乙18〕の「昭和二十三年秋頃、〔乙20〕方で、被告人が大型ナイフを右ズボンのポケツトから出したのを見たことがある。刃渡は二寸以上三寸位であつた。」旨の供述記載、並びに被告人が大型ナイフを所持していたことに関し原審第七回公判調書中証人〔乙21〕、〔乙22〕の各供述記載
(25) 原審第七回公判調書中証人〔乙3〕の「被告人は学校時代五年間も劍道をやり、和術もやつた。和術とは唐手に似た所もあるが、座つて相手を転ばしたり、又手に劍を持つてしたりする」旨の供述記載、並に原審第十八回公判調書中証人〔乙23〕の「被告人は和術を二年位やつた。和術は急所をつくので、何処が急所であるか位は、常識として指導をうける。」旨の供述記載
(26) 原審第四回公判調書中証人〔乙4〕の「被告人は、巡査をしているとき、賊に組伏せられたが、下から相手の咽喉を押さえて相手を倒して、捕えることができたと被告人から話されたととがある。」旨の供述記載
(27) 起訴前の鑑定人丸井淸泰作成の鑑定書中の記載、特に「被疑者那須は表面柔和に見えながら、内心即ち無意識界には残忍性、サデイスムス的傾向を包蔵しており、相反性の性格的特徴を顕著に示す。」「被疑者の精神の深層卽ち無意識界には、婦人に対する強い興味が欝積していたものとみることができる。」「本件犯行の起つた日時及びその直後における被疑者那須の行動、被害者に対する関係その他被疑者那須の警察官及び検察官に対する供述を検討してみると、精神医学者、精神分析者としての鑑定人は、凡ての事実を各方面から又あらゆる角度から考察し、被疑者那須は少くとも、心理学的にみて、本件の真犯人であるとの確信に到達するに到つた。」旨の記載
(28) 起訴前の鑑定人木村男也作成の鑑定書中の記載、特に被害者〔甲〕の受傷の部位程度、死因及び使用された兇器、傷害の態様に関する記載
(29) 原審押収にかかる海軍用開襟白シヤツ(証第三号)、白ズツク靴(証第二号)、血痕附着の畳床の一部(証第四号)及び同様の畳表(証第二十二号)の存在

を綜合して、これを認め、
判示㈡の事実は、

⑴ 被告人の検察官に対する昭和二十四年十月十四日附供述調書中の供述記載
⑵ 原審押収の拳銃一挺(証第一号)の存在

を綜合して、これを認めることができる。

(適条) 編集

 被告人の判示所為のうち、殺人の点は刑法第百九十九条に、拳銃不法所持の点は昭和二十七年三月二十八日法律第十三号昭和二十五年十一月政令第三百三十四号附則第三項銃砲等所持禁止令第一条第二条同令施行規則第一条第一号罰金等臨時措置法第二条に該当するので、前者につき有期懲役刑を、後者につき懲役刑を選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪なので、同法第四十七条第十条により、重い殺人の罪の刑に,同法第四十七条但書の制限内で併合罪の加重を施し、その刑期範囲内で、被告人を懲役十五年に処し、なお原審押収の拳銃一挺(証第一号)は、判示㈡の罪の組成物件で、何人の所有を許さない法禁物であるから、同法第十九条第一項第一号第二項に則り、これを沒収することとし、原審及び当審における訴訟費用の負担につき、刑事訴訟法第八十一条第一項を適用する。

 よつて、主文のとおり判決する。

検察官 吉岡述直出席

昭和二十七年五月三十一日

仙台高等裁判所第二刑事部乙           
裁判長裁判官 中 兼 謙 吉     
裁判官 斎 藤 寿 郎     
裁判官 細 野 幸 雄     

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  1. 法律命令及官公󠄁文󠄁書
  2. 新聞紙及定期刊行物ニ記載シタル雜報及政事上ノ論說若ハ時事ノ記事
  3. 公󠄁開セル裁判󠄁所󠄁、議會竝政談集會ニ於󠄁テ爲シタル演述󠄁

この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。