弘前大教授夫人殺し事件刑事上告審判決

○殺人銃砲等所持禁止令違反被告事件(昭和二七年(あ)第四一一三号 同二八年二月一九日第一小法廷判決 棄却

【上告人】 被告人 那 須 隆 および原審弁護人 竹 田 藤 吉 三 上 直 吉
【第一審】 青森地方裁判所弘前支部 【第二審】 仙台高等裁判所

◎判示事項

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一、鑑定の意義
二、鑑定人とその鑑定を為すに必要な特別の知識経験

◎判決要旨

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一、鑑定は、裁判所が裁判上必要な実験則等に関する知識経験の不足を補給する目的で、その指示する事項につき、第三者をしてあらたに調査をなさしめて、法則そのものまたこれを適用して得た具体的事実判断等を報告せしめるものである。
二、鑑定人がいわゆる鑑定事項の調査をなすに際して、特別な知識経験を必要とする場合、その知識経験は必ずしも鑑定人その人が自ら直接経験により体得したもののみに限定すべきいわれはなく、鑑定人は他人の著書等によるとその他如何なる方法によるとを問わず、必要な知識を会得した上、これを利用して鑑定をなすことができる。

◎主文

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 本件上告を棄却する。

◎理由

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 弁護人竹田藤吉の上告趣意について。
 論旨第一点及び第二点の所論はいずれも憲法違反を云々するけれども、その実質は単なる訴訟法違反の主張を出でないものであり、同第三点の所論は単なる訴訟法違反を前提として事実誤認を主張するものであり、すべて刑訴四〇五条の上告理由に当らない。そして、鑑定は裁判所が裁判上必要な実験則等に関する知識経験の不足を補給する目的でその指示する事項につき第三者をして新たに調査をなさしめて法則そのもの又はこれを適用して得た具体的事実判断等を報告せしめるものである。人類の知識経験は人類の共有すべき資産である。他人の発見した自然法則と雖もその人の示教又は著書等によりこれを自己の知識とすることができる。鑑定人がいわゆる鑑定事項の調査をなすに際して特別な知識経験を必要とする場合その知識経験は必ずしも鑑定人その人が自らその直接経験により体得したもののみに限定すべきいわれはない。鑑定人は他人の著書等によるとその他如何なる方法によるを問わず、必要な知識を会得した上、これを利用して鑑定をなすに何等の妨げもない。されば所論の確率論が本来小松勇作教授の調査になるものであつたとしても、本件において古畑鑑定人はその確率論を理解承認し自己の知識としてこれを応用し、所論両個の人血痕が、その血液型の同一なることその附着した時期の時間的に間隔を認め得ないこと等に徴し、確率上同一人の血液であると考えても差支ない旨鑑定したものであること明白であるから、原判決が所論の鑑定を事実認定の資料に供したとてこれを目して違法ということはできない。されば論旨第一点の所論は単なる訴訟法違反の主張としても理由はないのである。また、原判決が論旨第二点所論の第一審押収にかかる海軍用開襟白シヤツ(証第三号)の存在を証拠として引用した趣旨は、必ずしも論旨にいうが如くその血痕の附着状況、殊に血痕の色調を証拠とした意味ではなく、論旨にいわゆる血痕をクリ抜いた後のシヤツそのものの存在を、原判決挙示の他の証拠殊に右の開襟白シヤツが被告人のもので被告人の着用していたものであることを自認している被告人の供述、その他被害者の母証人〔乙2〕の「本件犯行当時被告人は白い開襟シヤツらしいものを着て居た」旨の証言等と相侯つて本件殺人を認むべき情況証拠の一つとして引用したものであることは、原判文を通読すれば容易に了解し得るのである。そしてこの証第三号の白シヤツが前示の意味において情況証拠たり得るものであることは多言を要しないところであり、しかも第一審第一回公判において、適法に証拠調がなされていることが認められるのであるから(記録第一冊一三丁以下参照)原判決が所論の白シヤツの存在を証拠として引用したことに何等の違法もない。論旨第二点の所論も亦単なる訴法違反の主張としても理由なきものである。
 弁護人三上直吉の上告趣意について。
 憲法三七条一項にいわゆる公平な裁判所の裁判とは、その組織構成において偏頗の虞れのない裁判所による裁判の意と解すべきことは当裁判所大法廷の判例とするところである。されば論旨第一点の所論は、右と異なる見地に立つて憲法三七条一項の違反を主張する部分は明らかにその理由なく、結局その実質は単なる訴訟法違反の主張に帰着し、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。のみならず、所論起訴状の記載については、原審で控訴趣旨として主張されなかつたところであり、従つて原審も何等の判断もしていない事項であるから、これを上告理由として新たに主張することは許されないところである。その他論旨第二点及び第四点の所論は事実誤認の主張であり、論旨第三点及び第五点の所論は単なる訴訟法違反の主張であり、いずれも刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
 なお記録を精査しても、本件では刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

 よつて刑訴四〇八条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩松三郎 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎

弁護人竹田藤吉の上告趣意

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第一点 原判決はその証拠説明の⑻において、
原審鑑定人古畑種基作成の鑑定書中の記載、特に「海軍用開襟シヤツ(証第二号とあるのは証第三号の誤と認める)附着の人血痕はBMQE型であり、畳表(証第二十一号、被害者〔甲〕の血液の附着しているもの)附着の人血もBMQE型であつて、その血液型は完全に一致し、同一人のものと推定される」(中略)「右両者の血液型が同一人の血液である確率は〇・九八五又は九八・五%であり、理論上○・九八五の確率があるということは実際上は同一人の血液であると考えて差支ないことを示している」旨の記載。
を援用したのであるが、右確率に関する鑑定は証拠能力がなく、従つて有罪の証拠とすることができないものと信ずる。左にその理由を述べる。
右確率の計算は東京大学教授小松勇作氏の調査に成るものであって古畑鑑定人自身の鑑定ではない。(原審第二回「昭和二六年八月二一日」における証人古畑種基供述記載の弁護人尋問第二問答参照)いいかえれば鑑定人が自己の特別なる知識経験に基く実験の報告をなしたというものではなく数学家である小松氏の知識経験に基く判断の報告を自己の鑑定に併せ報告したものであるが、この場合小松氏の立場は古畑氏の助手というべきものではなく法医学とは独立したる統計学の一部門に属する確率論を以て古畑氏の参考に供したものである。又旧刑訴法第三二〇条に所謂官公署の指定したる者という立場でもない。而かも旧刑訴法第三二〇条は新刑訴法の採用するところではない。勿論小松氏は鑑定人として宣誓したものではなく、裁判所に対し何等の責任をも有するものではない。即ち原判決は鑑定人として証拠調を経ず従つて当然に証拠能力を有しない証拠を採つて有罪の認定をしたものというべく、憲法に違反し破棄を免れないものと信ずる。而して本問の場合は憲法に直接明文の規定がないのであるが証拠能力を有しない証拠を採つて有罪の認定ができないことは憲法第三七条第二項第三八条第二項等の規定に見るも明かなところであると信ずる。
第二点 原判決はその証拠説明の(29)において
 原審押収にかかる海軍用開襟白シヤツ(証第三号)(中略)の存在
を援用したのであるが証第三号シヤツに関する証拠調は適式に行われず結局証拠調の手続を経ないものであるというに帰着すべく之を証拠に供したるは違法であると信ずる。左にその理由を述べる。
証第一号シヤツに証拠力ありとするのはシヤツそのものの存在ではなく、シヤツに附着したといわるる血痕の附着状況殊に血痕の色調であつたのである。然るに被告人は捜査の始めから公判手続の終了するに至るまで之等の状況を見せて貰つたものではない。公判において展示されたものは血痕附着部分をクリ抜かれた後の(少くとも第一審鑑定人三木敏行作成鑑定書説明の「左側の襟の左寄りに豌豆大の赤褐色の色痕」は完全にクリ抜かれた後の)シヤツであって到底右附着状況を見ることのできないのであつたのである。それは鑑定上必要があつてクリ抜いたものを今更不能を強ゆる議論であるというのあらば更に一言せんに、鑑定によって消え失せることは鑑定嘱託の際わかつて居ることであるから鑑定に出す前に之を被告人に示し、一応その弁解を取つて置ことこそ被告人保護の規定に忠実であるというべきにそのことなくして最後まで之を被告人に示さなかつたことは遺憾至極である。而かも原判決の如きは第一審判決の理由において「しかるに被告人は、犯行当時アリバイを主張し(中略)血痕の附着してる筈なしと強弁するのみで云々」と説明しているのであるが、この場合何故に血痕附着のままのシヤツを被告人に示すことをしなかつたかを疑うものである。被告人は自分に人を殺したという覚えがなければこそ血がついてる理由がないと強調ができたのであると信ずる。
本件シヤツが押収されてから最初にシヤツの鑑定嘱託を受けた専門家は引田一雄医学博士である。同氏はシヤツに附着する斑痕の色調を帯灰暗色という言葉を以て表現して居るのであるが、灰色の斑痕は被告人が終戦後大湊海軍から貰い受けた後何回となく洗濯して落ちなかつたものであって、引田氏は恐らくこの斑痕を見たものと考えられるのである。然るに弘前警察署員某が右の鑑定嘱託を撤回することもなく引田氏鑑定の中途において右のシヤツその他を持帰つたというのであるから、この場合の弘前警察署員の態度は不公明極まるものといわれても弁解の余地なかるべく、引田氏は不尠侮辱をすら感じたというのである。而かも引田氏に次いでシヤツの鑑定嘱託を受けた専門家は弘前市の公安委員である松木明博士なのであるが、同氏は何故に「自分一人では鑑定ができない」といい市の鑑識係〔丙〕氏に共同鑑定を求めたかを疑うものである。同氏はシヤツ以外の物件についての血痕鑑定は単独に之を済ましているのである。
以上の如き不公明なる態度は被告人に対し血痕附着状況を示し弁解をとつておくことによつて一掃されたことを思うにつけても、本件シヤツに関する証拠調は、血痕の附着状況殊に血痕の色調を被告人に示すことにより完全に施行されたといい得べく、血痕をクリ抜いた後のシヤツを示しただけでは完全な証拠調ということができないと信ずる次第である。
果して然らば証第三写海軍開襟シヤツの存在をとつて有罪の証拠に供したる原判決は憲法の精神に反し証拠能力を有しない証拠を採つて有罪の認定をなしたる違法があるというべきである。
第三点 以上の論点にして仮に理由なしとせば弁護人は更に、原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がありこれを破棄しなければ著しく正義に反するものありと信ずるので御職権の発動を促すものである。即ち
一、原判決は第一審判決破棄理由の説明(第二項)において「前記確率を全きものにし、推定を認定に高める諸案件が具わるのである」とし、第五項の説明において「原判決が犯罪の証明十分ならずとしたのは、恐らく特に動機の不明確を指しているものと認められる。動機の点は、成程殺人の如き事案にあつては犯罪事実の認定上必要欠くべからざるものである。しかし犯罪と被告人との結びつきを証するものが、被告人の法廷外の自白のみしかない案件では動機と認むべきものが証拠上存在しないか、或は存在すると認められても該動機と犯行とが経験則上齟齬する如き場合には、それを犯罪の証明不十分とすることも考え得るが、犯罪と被告人との結びつきを確固たらしめるに足る客観的証拠の存する案件では動機と目すべきものが一応推認され、且つその推認された動機と犯行とが経験則上齟齬しない場合に、動機の不明確の故のみを以て直ちに、これを犯罪の証明十分ならずとなすが如きは、むしろ、それこそ経験則乃至実験則に違背すべきものというべきである。」とするのである。
二、右説明によれば、原判決は、確率を以て本件を有罪とするための基礎的唯一の証拠にして重要欠くべからざるものとしたことがわかるのであるが、一方、この確率に関する鑑定は証拠調の手続を経ないものであり、その結果はこれを証拠となすことができない、勘くとも「厳格なる証明」を要する事実の証拠とすることができないのであることは前第一点論述の通りであるから、結局原判決は証拠裁判主義に反し証拠に拠らずして裁判をなしたるに帰すべく、ために判決に影響を及ぼすべき重大な事での誤認がありこれを破棄しなければ著しく正義に反するものありと信ずる所以である。

弁護人三上直吉の上告趣意

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第一点 原審では第一審の裁判は重大な事実誤認ありとして右判決を破棄されたが弁護人見解に依れば本件は「被告人が美貌の松永夫人を殺害したとの案件で起訴状の冒頭「被告人は変態性慾者であるが」と記載し居り起訴事実を通読すれば本件に於て斯様の記載は裁判官に予断を生ぜしむる虞ある事項にあたると言わざるを得ない。此の起訴の瑕疵を無視して審理及裁判を進行したるは刑事訴訟法第二百五十六条第六項、同第三百三十八条「四」、憲法第三十一条、同第三十七条の違反あるものである。
第二点、原審判決には反て重大なる事実誤認ありと思料す。
本件〔甲〕殺害は昭和二十四年八月六日で国立弘前大学の新設日尚浅き頃とて地方人の風評百出之等先入観を植付けられた捜査機関亦幼稚一件記録を通じて左記を見る。㈠ 本件証第三号領置され弘前警察署より医士引田一雄に鑑定を許され同氏は罪証を発見せずして昭和二十四年八月二十四日返還した。㈡ 同年九月一日直ちに国家地方警察本部科学捜査研究所法医課へ送附され同所は同月十二日鑑定終了尚所要の結果を見ずして返送した。㈢ 尓後理由なく従らに三十五日を空過して同年十月十七、十八の両日に渉り三木敏行、同松木明に記第三号の血痕鑑定を託した。㈣ 斯くして㈡の場合可検物は前記法医課に依て(鑑定書の如く)「褐色汚斑」として受取られたものが前項の場合三木、松木両氏共「赤褐色」として受取られた。 ㈤ 第一審証人〔乙2〕供述「畳一畳には非常に血がついて居りましたがそれは血の海と云つた具合でした」 ㈥ 原審証人〔丙〕供述「問 被害者の血液型の検査に使用した血液は何処から取つたか 答 畳に浸み込んでいたのを使用しました」総て血の色は時の経過と共に変じ赤より褐に変るは一定不動の原則で断じて褐より赤褐に逆行することなし。法医学の教うる所に依れば今の世凝血の溶解、流動、迸出、辷出、飛着等人工のまゝである。
第三点 原審は自判(事実)㈠認定につき鑑定人丸井清泰作成の鑑定書を証拠として挙示したるも同審には(書中被疑者とあるは被告人を指す)、「被疑者は現在妄覚、妄想、等を経験保持している形跡なく過去に於てもこれらを経験し保持した形跡がない」「聯想考慮の進行に異常なく考慮の内容は低能状態、癡呆がないと云う意味に於て貧弱ではなく又妄想妄覚がないと云う意味に於て考慮の内容に誤謬がない」「被疑者は強迫観念、強迫感情、即ち恐怖症、強迫行為を持つて居ない」「被疑者の一般感情、高等感情には少なくとも著しい鈍摩や欠陥は認められない」「被疑者は本件犯行当時に於ても正常健康なる精神状態から著しくかけはなれた状態には居らなかつた」「被疑者には先天性精神薄弱、後天性癡呆は認め得ない」とあり、右は無欠なる常人の性行なり原審が斯る文書を前記(事実)㈠の如き認定の資料に供したるは正に証拠に拠らざるか又は理由に齟齬あるものである。
第四点 本件〔甲〕の場合真に不意の受傷であるならば世に呼ばれた際或は夫藤雄の名を呼ぶか或は母に縋るのが人情である。第一審〔乙2〕供述「唯一言死んで了うわと絶え絶えに伝つた丈でした」 此人情上あるべからざる言動は正に被害者が予期又は予感に出たのと信ぜらる。更に左記事実は之を裏付けるのである。
第一審証人〔乙2〕供述「其際何時も施錠されて居ります六日の晩丈けは差込錠を施して居なかつたと考えられます。〔甲〕の右側で左手で抱き起した様に記憶して居ります其の時の位置は犯人が居た個所と同じ所でした」同証人〔乙〕供述「夫人は床から外れ然も布団敷布や畳などが血だらけになつて居り同人の咽喉から血が出て居りましたそこへ〔乙2〕が来て可愛想だから床に寝させてやつてくれと云うので同人が頭部を私が両足を持ち畳から布団に寝させてやりました」。由之観此本件殺人は犯行の何人たるを問はず被害者の意に反したる傷害にあらず。
第五点 動機なくして行動ある可らず原審が動機不明のまゝ被告の本件犯行を認定したるは理由不備である。

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  1. 法律命令及官公󠄁文󠄁書
  2. 新聞紙及定期刊行物ニ記載シタル雜報及政事上ノ論說若ハ時事ノ記事
  3. 公󠄁開セル裁判󠄁所󠄁、議會竝政談集會ニ於󠄁テ爲シタル演述󠄁

この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。