一 本件海軍シャツに関する再審判決の判断の誤りについて

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 被告は、当初から、本件白ズック靴、同海軍シャツに付着していた血痕について、原告主張の如き捜査当局の意図的な付着による証拠偽造の疑念を差しはさむべき余地が全くないことを強く主張し、その立証のため、新たに青森県警察本部鑑識課で保管し本件訴訟の提起までかえりみられることのなかった本件鑑識関係文書を提出し、かつ、証人松木明、同〔丙〕等被告申請証人に対してはできうる限り記憶を喚起させて正確な証言を求めるよう努めてきたところであるが、御庁におけるこれまでの審理の結果、右の被告の主張は明白にすることができたものと信ずる。
 ところで、再審判決の判文中「本件白シャツにはこれが押収された当時には、もともと血痕は付着していなかったのではないかという推察が可能となる」(傍点は被告指定代理人)旨述べる個所があり、原告の主張も概ねこれを拠り所とするものとみられるので、なお右の点について若干の考察を加えておく。

   まず再審判決には、本件ズック靴、同海軍シャツに対する証拠価値判断の基本的考察方法を誤った 重大な欠陥がある。
 すなわち、再審判決は本件捜査の推移を充分念頭においたうえ松木ないし松木・〔丙〕作成名義の本件白ズック靴、同海軍シャツに関する鑑定書等の証拠価値を十分に検討すべきであったのに、その内容、形式を表面的に観察するにとどまったため、松木医師、〔丙〕技官の鑑定作業の経緯と真相を知る機会を失してしまった。繁を厭わず再審判決の誤りを指摘すると、同判決は、(イ)〔丙〕技官は松木医師のもとで実施した鑑定結果について、逐次弘前市警察署長宛に鑑定報告書を提出していたが、本件公判請求後、〔丙〕作成の本鑑定報告書では立証上適切ではないとして、右鑑定内容を鑑定書の形式で書証化することとされ、そのころ一括して松木明あるいは松木明・〔丙〕名義の鑑定書(本件白ズック靴、海軍シャツに関するもの)が作成されたこと、(ロ)また〔丙〕技官が鑑定報告書をとりまとめて鑑定書とする作業を行った際、そのとりまとめ方が軽率かつ稚拙であったため誤記等の形式的不備を多々生ずることとなり、また、松木医師も漫然右誤記等を看過したため右鑑定書記載の作成日付及び検査実施日付等は、鑑定書としての体裁を整えるだけとも言える不用意な記載がされていて正確ではないことという重要な事実を看過した。かように再審判決は、本件刑事事件の真相解明に不可欠な事実である右鑑定書記載の検査が現実に何時実施されたのか、その検査結果は正しいかという事実確定の必要性の認識において、基本的な視点が完全に欠落しているのである。そればかりでなく、再審判決は、逆に右鑑定書の作成日付検査実施日等についての不用意かつ不正確な記載から、本件海軍シャツ付着の血痕についてありうべからざる事実推定を行う心証を抱くに至ったとしか思わざるを得ないのである。
 被告はこのような状況のもとでなされた再審判決の前記の如き「推察」には到底承服することができない。しかし、被告はこの点に関し既に準備書面㈠において詳述しているのでこれ以上の再論を避けることとする。

   次に再審判決には、本件海軍シャツの押収経緯の誤解又は不十分な理解による証拠価値判断の誤りがある。
 すなわち、再審判決は、本件刑事事件の原第一第二審で取調済である「昭和二四年八月二二日付捜索差押許可状、司法警察員作成の同日付捜索調蓄、差押調書、原一審検証調書の各記載および原一審証人〔丙9〕、同那須とみならびに被告人の原一審公判廷における各供述記載によって、「被告人は本件で逮捕された当日である昭和二四年八月二二日には、午前八時頃から本件白シャツを着て自宅庭の松の木の手入れをしていたところ、警察官から弘前市警察署までくるように言われたため、同シャツを脱いで被告人方玄関から入って右側八畳間の東側に接した六畳間の鴨居に打ちつけてあった衣服掛けにこれを掛けて着替えの上同警察署に出頭したが、その後同日午後四時一五分から一時間にわたって警察官により家宅捜索がなされ、本件白シャツが右衣服掛より押収された」旨認定しているが、以下に述べるとおり、はたして前記証拠によって右のように認定しうるかどうかは大いに疑問である。
 まず再審判決が指示する前託証拠のうち、本件海軍シャツの捜索差押状況(右海軍シャツがいかなる場所にいかなる状態で存在したか)の考察にあたっては、捜索、差押調書にこれに関する記載がないため、 第一審で昭和二五年六月二七日実施された検証の結果が客観的には唯一にして最も重要な資料であることを銘記しなければならない。そして右資料によれば本件海軍シャツの捜索差押状況については、本件原第一審中に争いとなり、右検証の目的もこれの確定にあったことを知ることができる。
 そこで右検証調書の内容を検討するに、〔丙10〕、〔丙9〕、那須とみ、 被告人(那須隆)の四名が立会っており、その指示説明は、

㈠ 立会人〔丙10〕の指示説明

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 去年八月二十二日被告人が本件殺人事件の容疑者として逮捕された後凶器等があるのではないかと考へ本現場に〔丙9〕部長〔丙14〕〔丙15〕〔丙20〕各刑事と一緒に来て家屋内は勿論井戸、便所、下水流場、貯池、小舎等一切捜索した事は間違ありません 本件で血がついていると云って押収され証拠品となってゐる白海軍用開襟シャツは幅二尺長さ四尺高さ二尺五寸位の丁度りんご箱より大の黒塗り箱に衣類と共に入って居たのから被告人の母が取り出した様に記憶して居ます その様な箱はD部屋の押入に二、三個入って居り中味は紙貼りをして居た様でしたが別に蓋を取って見せてはくれませんでした その時他にいろんな衣類も一杯見ましたが押収目録の謄本を渡すべく作成させた時〔丙15〕刑事に対して白シャツ半ズボンと云った様に記憶して居ります

㈡ 立会人〔丙9〕の指示説明

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 去年の八月二十二日頃被告人が本件殺人犯容疑者として逮捕された日に本件犯行に使用したる凶器その他証拠品となるものがありやしないかと思い〔丙10〕警部補〔丙15〕〔丙14〕〔丙20〕各刑事等と共に本現場の家宅捜索を施行した事は間違ありません その際便所、井戸その他覚しき所全部を捜索しましたが凶器の発見は出来ませんでした 当時私達はD部屋で確か被告人の母が顕示した被告人の衣類日用品等を拡げて見ました その際見た被告人の衣類の中にはシャツ等があり然もそのシャツの中には紐がついたものもありましたがそれが何故であったか現在記憶ありません 又当時C部屋の①個所の鴨居に吊るし架けられて居たシャツ一枚をも押収した事も間違いありません その下方の畳上にズボンや革バンドがあった様でした 唯そのシャツには紐がついて居なかった様でした 本件公判で血がついてゐると云ふ事で証拠品となって裁判所で領置してある白開襟シャツがそれであったか何うか現品を見なければ断言出来ません
 当時の家宅捜索に要した時間は一時間以上と考へますがはっきりしません 又捜索に際しては〔丙10〕警部補が何時も我々係官と行動を共にして居た訳ではありませんから何時拳銃を発見 押収したか私には判りません

㈢ 立会人那須とみの指示説明

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 私方の間取り並に犯行当時に於ける模様については夫〔丁2〕が説明した通り殆ど間違なく唯D部屋に臥して居た〔丁4〕の頭は確か南側であった様に記憶して居ります本件発生により隆が容疑者として逮捕された後二回家宅捜索を受けましたが中一回目は私が立会い、二回目は夫〔丁2〕が立会いました 私が立会った時は去年の八月二十二日でその時隆が逮捕されて行く際着替へて行った所謂作業を脱いで行った所は①地点でした 此処にあったシャツは畳の上にズボン、革バンドと共に置かれ紐のついた腕の細いものでした 別にそのシャツは鴨居に架け下げてありませんでした 又私方では各家族の衣類等は各個に箪笥の抽斗に名を表記して区別して居ります 従いまして家宅捜索を受けた当時は係官の命令通り隆の分丈け箪笥から出して見せた丈けでした 別に黒塗りのりんご大の箱等出して〔丙10〕警部補に見せた事は記憶ありませんしそんな箱は私方に一つもありません

㈣ 被告人の指示説明

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 去年八月二十二日私が本件証拠品となってゐる即ち血のついてゐると云ふシャツは庭の松の木手入れの際着て居りました そして休んで居ました時に警察官が二人来て〔乙40〕方の井戸を教へてくれと云って来ましたから「何するんだ」と聞きましたら凶器を探すんだと云って居りました それで私も磁石を糸に結びつけて試してみたりしましたが何にも反応が出ませんでしたから帰りました その後程なくして警察官が一寸本署まで来る様にと云って来たので当時着て居たシャツをで脱ぎ鴨居に打ちあった服架けにかけて行きました(以上の傍点は被告指定代理人)

というのであり、これらの指示説明からどのようにして再審判決の前記のような認定に至ったのか理解に苦しむところである。ちなみに原審(第一、第二審)では、本件海軍シャツの捜索差押状況について判旨するところがなく、格別の不審を抱いた節はみうけられない。
 被告としては、もし再審判決が本件海軍シャツの捜索差押状況を確定すべき必要性に想いを致したのであれば、乙八六号証を検討のうえ、少なくともまず本件海軍シャツの第一発見者は〔丙10〕か〔丙9〕かを明確にすべきものをその解明もせず、どういう理由によるのか判然としないが前記のような認定をした点には、非難を加えないわけにはいかない。
 本件訴訟において、証人〔丙10〕は、前記検証調書記載の指示説明のとおりの経緯で本件海軍シャツを発見したこと、自己が右シャツの第一発見者であること、本件海軍シャツに血痕様の斑痕のあるのを認めこれを差押えることにしたこと、現場では他の捜査員らが多くの衣類等を検分中でありこれらと区別するためとりあえず右シャツを鴨居に打ちかけておいたこと、同人は捜索途中で那須隆を同行してその場を立去ったため本件海軍シャツの差押手続を〔丙9〕に指示したことを証言しているのである。〔丙10〕の右証言は〔丙9〕の前記指示説明とも矛盾するわけでなく充分信用し得るだけの内容を有し、たやすく排斥できるものではない(なお、被告の準備書面㈠、第一、三本件海軍シャツの押収の記載中「ところで〔丙10〕警部補は、……着がえたものであった。)」を本準備書面で述べたとおり訂正する。)。
 このような次第であるから、再審判決が本件海軍シャツの捜索差押状況について述べるところは、到底承服し難く、慎重な検討を要するのである。

   再審判決の本件海軍シャツ付着血痕の色合いについての判断は、同シャツの証拠価値を否定するため、これを見分した者の表現の差異をことさらにとりあげてしたもので、不当である。
 さらに再審判決は、鑑定人間あるいは捜査関係者間で、本件海軍シャツ付着の血痕の色合いについて表現の異なることを挙げる。しかし、色の区別は我々の日常経験に照らしてみても微妙かつ困難であるから、その表現の相違は、それ自体を強調するのではなく、全証拠との関連を念頭において適正な証拠評価を試みるべきものである。まして二〇年余りも前に見た色合いについては尚更のことである。このことについては、特に捜査関係者の色に関する証言の評価に関連して既に準備書面㈠、第三、四で指摘した。
 ところで、そもそも本件海軍シャツ付着の血痕の色合いに対する 各鑑定間の表現が、再審判決が強調する程相違するといえるかおおいに疑問であるので、以下に若干検討を加えておく。
 被告は引田医師のもとに本件海軍シャツが運び込まれなかったこと、従って同医師は右シャツの検分をしていないことを強く主張(準備書面㈠、第二、二参照)するものであるが、検分したことがあったと仮定しても、刑事事件における引田証言の表現するところでは、「褪灰暗色」、「あせた様な褐色」、「帯灰暗色」、「灰色がかったあせた様な黒ずんだ色」などと言っており、科捜研の鑑定では「褐色」、三木鑑定では「赤褐色」と表現されている。三木鑑定にいう「赤褐色」は、同人が古畑教授直系の法医学者であるから、同教授の「私の赤褐色というのは赤味がとれて褐色となったものを指すのです」と証言するのと同趣旨と解せられる。そこで、古畑教授の「褐色の中には、赤と暗とがあるのです。」「その時の色の度合、溶解の度合でいろいろ呼んでいるのが大体の標準でありますが、その外に見る人の眼によっても違いますから、はっきり決めることはむずかしいと思います。」旨の証言に照らして検討してみると、いずれも通常ひろく褐色と呼ばれている範疇のものとして了解することが十分可能なのである。右相違を過度に強調するならば、各鑑定の都度原告らが主張するところの偽造がおこなわれたと「推察」する他なく、もはや合理的推測の域を超えることになるであろう(なお、引田医師は、仮に本件海軍シャツを検分したとしても単に一見したに過ぎず鑑定の呈をなしていないこと、その血痕の表現も前記のとおり一貫しておらず、同一色といい難い程証言が変転していること、付着斑痕を血痕と感じたかその他の汚れと感じたかの区別さえ明確な証言をしていないこと、同医師の「血痕の経時的変色に就いて」の表現方法は法医学者の共通の認識とはなっていないことなどからみて同証言のみに過大な評価を与えることは不当という他ない。準備書面㈠、第二、二参照)。
 右色合いの表現の相違についても、前記1で指摘した視点を基本にすえ、各鑑定を時間的推移(現実に検査を実施した日時)に従い、且つ、本件白ズック靴、同海軍シャツを統一して考察(この点は捜査機関の意図を理解するうえで極めて重要である。)することが肝要なのであり、各鑑定を単に平面的に羅列して比較検討しても真相を発見する有効な考察方法足りえない。しかも被告指摘の右考察方法によれば、既に準備書面㈠、第三、一で述べたとおり、再審判決がいう様な「推察」の余地は全くなく、容易に原告らのいうような偽造等の疑惑は払拭し得るのである(なお、右指摘では偽造を引田医師の鑑定後で科捜研に嘱託するまでの間に想定したが、科捜研の鑑定後で三木助教授に対する鑑定嘱託までの間(権威筋である科捜研の鑑定後に偽造が行われたと想定すること自体相当無理な設定であることを付言しておく。)に想定するも、右指摘と同様の結果をみるに至ることはあえて述べるまでもないであろう。)。

二 原告那須隆を除くその余の原告らの請求について

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 原告らのうち原告那須隆以外の原告らは、原告那須隆が不法に起訴され有罪の判決を受けたことによって損害を蒙ったとして本件訴を提起し追行しているが、その請求の法律的構成は必ずしも明確ではない。しかし、被告は本件刑事事件の捜査、公訴の提起、追行、裁判になんら違法はないと確信するので、あえてこの点につき論ずる必要はないのであるが、念のためにこれに関し一言触れておく。
 1 本件刑事事件の捜査、公訴の提起・追行、有罪判決等一連の手続乃至行為により、亡〔丁2〕が原告那須隆の訴訟費用、弁護士費用等の支出を余儀なくされたこと、亡 〔丁2〕及び原告隆を除くその余の原告らが社会から白眼視され、種々の不利益を蒙ったことをそれぞれ損害として捉え、同原告ら自身に対する不法行為を主張するのであれば、同原告らのいう損害は、右一連の刑事事件の手続乃至行為と相当因果関係を欠く単なる事実上の不利益であって民法七〇九条の損害とはいえないから、不法行為の主張としては主張自体失当である。けだし、刑事事件の被疑者被告人の近親者がこれらの者に対し当然にその費用を負担すべき義務はないし、また検挙、訴追され有罪判決を受けた者の近親者が社会から蒙る事実上の不利益については、むしろそのような不利益な結果をもたらす社会乃至は個々の社会人の側にのみ問題があるからである。
 2 つぎに同原告らが、原告那須隆の受けた苦痛に関し民法七一一条に基づき慰藉料を請求するというのであれば、同原告らのうち原告那須とみを除く原告らは同条所定の近親者ではなく、同条は兄弟姉妹にまで類推適用できないから主張自体失当となる。また判例は、民法七一一条に基ずく慰藉料請求権は、生命侵害のときだけでなく身体傷害のときにも発生するが、そのためには、被害者の近親者において、被害者が生命を害されたときにも比肩すべき精神上の苦痛を受けた場合、又は右場合に比して、著るしく劣らない程度の精神上の苦痛を受けた場合にかぎり、自己の固有の権利として慰籍料を請求しうる(最高裁昭和三三年八月五日第三小法廷判決民集一二巻一二号一九〇一頁、同四二年一月三一日第三小法廷判決民集二一巻一号六一頁)とする。この立場に立っても同条を無限定に拡張解釈できるというわけではなく、同条の文言からの違法行為と損害の態様を生命侵害に限っている点を考慮すれば、同条の拡張解釈として許容される限度は、生命侵害に準ずべき身体傷害にのみ限られるというべきである。そうすると、亡〔丁2〕及び原告那須とみの場合、その子たる原告那須隆において本件一連の刑事手続により身体傷害を受けた事実はなく、かつまた同原告が刑事手続の客体とされたことを理由とする精神的苦痛は右判決のいう苦痛とは異るものであって、同条による慰藉料請求権は発生することはないのである。

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