被告は、昭和五三年五月二五日の本件第三回口頭弁論期日においてなされた証人松木明、 同〔丙〕の各証言を踏まえたうえ、準備書面内を次のとおり補足し、右両名の証言が充分に信用しうることを明らかにする。
 一 被告は、準備書面㈠第二、一、4において、松木明、〔丙〕作成名義の本件海軍シャツに関する鑑定書に記載されている。ママ

「㈠付着せる斑痕イ、ロは血液である。㈡其の血液は人血である。㈢其の血液型はABO式に於てはB型、Q式に於てはQ型である。尚図参のハ点、ニ点につい て血液試験を行った処顕著な血液反応を示した。」

旨の鑑定内容は、ABO式検査については昭和二四年八月二三日ころ実施したものであり、Q式検査については同年一〇月一五日ころ実施したものであり、右二回にわたる検査結果を一通の鑑定書に記載したものであることを指摘した。そして、先日松木医師、〔丙〕技官もこれを認める証言をした。
 ところで、右事実は、前記鑑定書(乙一一一号証)と〔丙〕作成の乙一一二号証の二の報告書(写真添付)とを比較検討することによっても、容易に確認することができる。
 すなわち、右報告書中三枚目の写真にかかる説明記載に、

「四 胸の○○○ ○―○の痕の斜下方の穴は松木医師の左肩の血痕試験のため対照として切りとった処。」

とあるが、これを前記鑑定書(乙一一一号証)の図参でみると、「胸の胸の○○○ ○―○の痕」とあるのは「ヘ」及び「ニ」の部分に該り、「斜下方の穴」とあるのは「ト」の部分に該り、「左肩の血痕」とは「イ」の部分に該ることが明らかである。そうしてみると、「ト」の部分は「イ」の部分のQ式検査の際に対照として切りとったところなのであり、鑑定書には血痕付着部分のように記載されているが、右記載は誤記であったことを知ることができる(なお、右鑑定書図参の「ト」の部分の表示が、他の血痕付着部分の記載と異なり塗りつぶしていないことや、図四の重要とみられる斑痕に「ト」の部分の記載がない点に注目すべきである。また、鑑定書の「二、斑痕付着の状況」の記載中

「ヘ点及ト点は上方斑痕部に平行した近くから滴下した如く認められ」

とあるのは、「ヘ点及びト点」の誤記ということになる。そもそも「ヘ点及びト点」と記載したのでは「滴下」の表現と齟齬することになるのであり、右訂正により文意が明瞭となることは、右指摘の正しさを示すなによりの証左である。)。
 一方、鑑定書(乙一一一号証)には、本件海軍シャツの背面図を掲げ対照とした個所の記載があるから、松木医師は対照の点として「ト」の部分と背面部分の二個所を切りとっていたことがわかる。同一機会の検査の対照の点を二個所切りとる必要はないから、松木医師が本件海軍シャツについて二回にわたって検査を実施したことが明白である。すなわち、昭和二四年八月二三日ころ実施したABO式検査においては、血痕付着部分である「⊗対照の点」とある部分を切りとって検査に供し(準備書面㈠、第一、五、1参照)、その際、前記背面部分を対照の点として切りとったのであり、同年一〇月一五目ころ実施したQ式検査においては、血痕付着部分である前記「イ」の部分を切りとって検査に供し、その際前記「ト」の部分を対照の点として切りとったのである。このように本件海軍シャツ、白ズック靴に関する松木ないし松木、〔丙〕作成名叢の鑑定書には誤記や不正確な記載が散見されるのであるが、準備書面㈠第一、一〇において述べたとおり、それが意図してなしたものではないため、仔細な検討を加えることによって多くの重要な事実を知ることができるのである。
 以上の結果に照らしてみても松木医師及び〔丙〕技官の証言は充分信用しうると言える。
 二 ところで、前記「ト」の部分が血痕付着部分でないことが明らかとなったから、村上次男作成にかかる鑑定書中前記「ト」の部分に該る「h」及びその両脇汚斑「w」「k」に関する記載、例えば

「53 ……h 血液ならば、右稍上又は左稍下から来て当って出来たであろうとも考へられる。但し、現在資料Gを観察するとxやwは血液の付着する尖ったものが触れて出来たと考へられる。このもの(尖ったもの)が、hに触れて然る后に、x、wを描いたとすれば、相反する二つの方向なる点が独特である。hも亦x、wと同じく血液の付着するものが触れて出来たと考へられぬこともない。」
「60 ……汚斑hは右稍上又は左稍下から飛び来った血液の粒によって出来たとも考へられる。この汚斑も、本件の襲撃の際、凶器を刺し初めてから抜き終る瞬間迄の間に被害者の創口から直接血液を受けて生ずる可能性は甚だ少いと考へられる。しかし、先に述べた様に、被害者の創口から出る血液は加害者の右の手拳に触れる可能性があるから、こうして、方向を転じた血液の粒ならば、この汚斑hの様な汚斑を作る可能性は充分考へられる。
 汚斑xと汚斑wとは血液の付着する尖ったものが触れて出来たと考へられる。恐らくこういふ物が先づ、まだ乾燥せぬ汚斑h(血痕h)に触れ、動いてこの様な汚斑が出来たとも考へられる。之等の汚斑は本件の襲撃の際、凶器を刺し初めてから抜き終る瞬間迄の間に、被害者の創口から直接血液を受けて生する可能性はないと考へられるけれども、この様な可能性のある汚斑hから二次的に生ずる可能性は充分考へられる。」

等は否定的に解することになる。
 そのうえで右鑑定書を検討しなおすならば、前記一指摘の事実により内容に何等矛盾をきたすものではなく、むしろ、一層本件海軍シャツ付着の血痕の多くのものは位置、形、量から考えて本件犯行態様によって生じ得るとの鑑定結果に合致することになるのであって、このことは極めて重大な事実であると言わざるを得ない。
 三 被告は、準備書面㈠第一、一〇において、〔丙〕技官は松木医師のもとで実施した鑑定結果について、逐次弘前市警察署長宛に鑑定報告書を提出していたのであるが、本件公判請求後、右鑑定内容を鑑定書の形式で書証化することとされ、そのころ一括して松木明あるいは松木明、〔丙〕名義の鑑定書(本件白ズック靴、海軍シャツに関するもの)が作成されたものであることを指摘したが、松木医師、〔丙〕技官もこれを認める証言をした。
 しかるに一部に右松木・〔丙〕証言を疑うむきもあるので一言する。捜査が特に逮捕請求時や被疑者の身柄拘束後等一刻を争う状況に至ると、鑑定書のように書類の作成に手間どるものについては、とりあえず報告書形式(電話聴取書等による場合も多い)で鑑定結果を簡潔に記載して資料化し、右書面で捜査手続を進め、鑑定書の完成を待つことが通常行われているところである。本件においても、白ズック靴、海軍シャツの鑑定結果こそが捜査方針を決定するものであったから、捜査本部は信頼の厚かった松木医師にその判断を求めたのであり、右鑑定結果は、とりあえず報告書に記載されて捜査手続が進められたと推察されるのである。ところで、報告書は警察職員から署長宛に報告する形式をとるのが一般であるから、本件でいえば、〔丙〕技官が自己名義で松木医師の鑑定結果を署長宛に報告する形式がとられ、また、その内容は性格上当然鑑定経緯を詳しく報ずるものではなかったとみられる。そのため、本件公判請求後、〔丙〕作成の右鑑定報告書では立証上適切ではないとして、松木医師作成の鑑定喜を必要とするに至ったのである。そこで、〔丙〕技官が鑑定報告書をとりまとめて鑑定書とする作業を行ったのであるが、準備書面㈠第一、一〇、1記載の事情も加わったうえ、そのとりまとめ方が前述した乙一一一号証にみられるように二回にわたる鑑定結果を一回の検査結果として記載するなど極めて軽率かつ稚拙であったため、誤記等を多々生ずることとなり、また、松木医師もこれに充分検討を加えなかったため、右誤記等を発見するに至らなかったのである。
 なお、同医師の証言によると、本件捜査当時の同医師の認識としては、科捜研や三木敏行作成の鑑定書等が公判廷に提出される正規のものであり、自己名義の鑑定書は捜査過程を明らかにする捜査本部のメモ書程度のものというのであるが、当時の捜査の進展状況に照し、また事実三木鑑定等がなされていることを考えると、当時の同医師の心情を理解することができ、これを異とすることはできない。このことは、同医師が容易に発見しうる誤記を見落したり、書面中空白個所をそのままにしていたり、署名も〔丙〕技官におこなわせていることなどからも窺い知ることができる。
 ところで、〔丙〕技官は右の経緯で鑑定書を作成しおえた段階で、もはや鑑定報告書を不必要なものと即断しこれを破棄してしまったため、捜査記録中に右鑑定報告書は現存しない。しかし、鑑定報告書が存在したことは次の事実からも疑いを容れる余地はない。すなわち、昭和二四年八月二二日付の逮捕状請求書に「……該ズック靴(本件ズック靴のことである。)を 松木医師に鑑定方依頼(付着している血痕を)の結果、被害者と同様B型なること判明……」と明示して記載していることからみて、捜査本部は松木医師から本件白ズック靴に付着する血痕がB型である旨の鑑定結果を得て逮捕状請求に踏みきったことが明らかであり、右鑑定結果(その内容は本件白ズック靴に関する乙七八号証の鑑定書と同一である。)を何等かの形式で書証化して右逮捕状請求の疎明資料としたと解さざるを得ないが、捜査記録中に右疎明資料は現存していない(乙七八号証は当時作成されていなかったことが明らかであるから、同書面は疎明資料たり得ない。)。しかし、裁判官が右の点に関する何等の疎明資料がないのに逮捕状の発布をしたとは到底考えられない。故に鑑定結果について〔丙〕名義の昭和二四年八月二二日付鑑定報告書が作成され、これが疎明資料となったとみるほかない。以上の事実は、既に準備書面㈠第二、一で詳述した本件白ズック靴に関する乙七八号証の鑑定書が昭和二四年八月二二日実施の鑑定結果を記載したものであることの指摘の正しさを一層明らかにするものである(要するに、乙七八号証は右昭和二四年八月二二日付鑑定報告書に基づいて作成されたのであり、その後同報告書は破棄されたため、現存していないのである。乙七八号証には、本鑑定は、「昭和二四年十月十七日午後四時に着手し同十八日午後四時に終った。」旨記載されているが、 右記載は鑑定書の体裁を整えるための不正確な記載にすぎないことは既に指摘したとおりであるが、更に付言すると、〔丙〕技官は昭和二四年一〇月一七日東北大学法医学教室三木敏行助教授のもとに本件海軍シャツ等のQ式検査依頼のため来仙している事実があり、右事実をとらえても右記載が不正確なものであることは明白である。)。
 以上の次第であるから、松木医師及び〔丙〕技官のこの点に関する証言も充分信用しうるのである。

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