平安紀行

源持資


文明十あまり二とせのころ。水無月のはじめつかた。土さへさけてとか旅人のぬしのものせ[衍カ]し避暑の床をはなれて。都にまうのぼりぬ。すべて氷にかたしきほのほに身をとらかす事は。ものゝふの本意として常の產なれば。おほやけ事のかしこまりに國のかたへにとてなんおもひ立ぬるは。かはらぬわざなるベし。結城三郞兵衞藤原重純。小笠原九大夫源忠貞を城に殘し置て。日漸たけば。從兵もあへかならむとて夜をこめて馬のはなむけしたり。海の名ごり山のたゝずまひも。ふし柴のしばし計の旅の行ゑ。立かへるべきもこの秋すごさぬことながら。心ときめきてよろこびは人每にものすれば。悲しきにも心ひかれぬベし。いときなきむまごの門にまてると。むかし有けむ人のものせしもをもむきはかはりたるべし。芝といふ所をすぐるとて。

 露しけき道の芝生をふみちらしこまにまかする明暮の空

大森といふもりのかげにやすらひて。

 大森の木の下かけの凉しきにしるもしらぬも立とまりけり

河崎といふ海ちかき宿にて。使など跡にやりて。こゝにてしばしやすらへば。長光寺日耀上人くだものなど僧にもたせてをくりたまひぬ。馬むけんと立物するに。洲崎にかさゝぎのたてりければ。

 朝朗かすみうなかす川さきに波とみるまてたてるしら鷺

いさごといふ所にて。

 鷗ゐるいさこの里をきて見れははるかにかよふ沖津うら風

かの川にて。

 蜑小ふね軒はによする心ちしてなかめえならぬかの川の里

かたびらと名づくる所にて。

 日さかりはかたはたぬきて旅人の汗水になるかたひらの里

平塚にて。

 あはれてふたか世のしるし朽はてゝ形見もみえぬ平塚の里

このかたびらひらつかイのかたへにて。そのかみ三浦遠江入道定可世を遁れて身まかりしといひつたふばかりにて。しれるものなかりけり。大磯にいたりて。

 草枕をき行露も大磯の浪かけ衣ほしそわひぬる

こゆるぎの磯にて。

 浦風にまたしき秋はこゆるきの磯立ならしけふや暮なん

庚申といふ所とをしふるに。夜もすがら月をみて。

 名にしおへはねぬよの里のかり枕傾くまての月をみむとや

梅澤といふ里にて。

 春ならは旅行袖もつらからし名のみは匂ふ梅澤の里

車坂といふ里にて。夕立頻にふりきそへば。

 鳴神の聲もしきりに車坂とゝろかしふるゆふ立の空

小田原といふ所にて。

 なる子引賤かをた原みわたせは稻葉の末にさはくむら鳥

板橋といふ處にて。

 朽にける槇のいた橋苔むしてあやうなからも渡るかち人

箱根の山によぢのぼるに。從兵にひやし酒のませ。水粉みづからも喰してなん。心をやる事しばし計なり。

 箱ね山あくる雲ゐの郭公みちさまたけの一聲もうし

山中と名づくる所にて。

 越わひぬ岩かねつたふ足引の山なかくらきならの下道

ふしみといふ所にて。

 夜をこめておきにけらしな吳竹のなひくふしみのけさの白露

黃瀨川の里にて。

 山姬のいかにさらして白妙の浪の衣やきせ川のさと

富士の山雲かゝりてさらに見えず。

 心あてにそれかとそみるしら雲の八重かさなれる不士の芝山

慕景樓の午夢のたやすきにはと。故鄕ゆかしうもまたことやうにおぼえぬ。程なく雲のはなれぬれば。

 みるたひにおもしろけれはふしのねの雪は浮世の姿也けり

岩淵にて。

 をちかへりみなはさかまく岩ふちのみとりを分て渡す舟人

關澤といふ所にて。

 とりすてゝおくての早苗せき澤の井杭も今は波の埋木

沖津の宿にいたりぬ。庵原民部入道禪道駕をまげてからうたふたつつくりこされしに。みづからにかはりて。僧昌首座これも詩にて心ばへあはれに旅のこゝろばへうつしやりぬ。見わたす景色そのかみみしにもはるかにまさりたり。

 藻鹽やく煙もたえてたひ人の袖ふきかへす沖つうら風

淸見潟にて。

 きよみかた浪の關守ゆふ暮にとまるは月の光成けり

長沼にて。

 なか沼に生る眞薦をかる賤の袂もかくやぬれはまさらし

手越にて鶯の聲をとづれぬ。折ならぬ音。これもおかしかりけり。

 鶯の鳴し垣ねを過やらてこしの旅人しはしやすらふ

宇津山をこえ侍るとて。

 夏深くしけれるつたのうつもれて道たとしうつの山越

岡部にて。

 ゆふまくれ岡へにかゝる葛のはのうち吹かへす風そ凉しき

かなやの驛にて。

 思ふかな八重山こえて梓弓はるけき旅の行末の空

菊川を過るとて。昔の人世途おもはずもなし。

 二代まてしつみし人のいにしへを思ひやるたに潺湲そたつ

日坂といふ山中にて。

 はなににつさかしき山の夏木立靑葉をわけてかゝるしら雲

濱松といふ驛にて。

 浪かゝるはま松かねを枕にて幾度さめぬ夏のよの夢

あらゐの濱にて。

 吹風に波もあらゐの磯の松木陰凉しき旅の空哉

鳴海のうらにて。

 かへりみる里ははるかになるみかた沖行舟も跡のしら浪

 をく露に思ひ亂れてよもすからあはれなるみの鈴虫のこゑ

鶯の原といふ所にて。

 聞まゝにかすみし春そしのはるゝ名さへなつかし鶯の原

番場の宿にて。

 やすらはゝ馬立すへて番場つかひせこか心も妹にみせんかも

赤人のばゞつかひしてと物せし事おもひ出ずもあらざりけり。靑野が原にて。

 色わけて千種の花も咲ぬれはあをのか原も名のみ成けり

寢物語といふ所にて。

 ひとり行旅ならなくに秋のよのねもの語も忍ふはかりに

守山にて。

 有明の月の光ももる山は木の下露もかくれさりけり

老會のもりにて。

 きえねたゝ老會の杜の秋かせも心にかよふ袖の上の露

かゞみ山をみやりて。

 かはり行かけもはつかし鏡山くもれ中々みえぬはかりに

 年月のうつりきぬれはかゝみ山昔にもあらぬ陰やみゆらん

都にのぞむ日は。山あひ霧立ふさがりて侍りぬ。逢坂山をこゆるとき。

 旅人にあふさかやまは霧こめて行もかへるもわかぬころ哉

それより三條銅陀坊のかりやにいたりつきぬ。

右之紀行者。太田道灌入道平安之筆記也。以舟橋二位之本之畢。

元和二年二月中旬

沙門尊證


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