作者:塙保己一
←作者索引: は | 塙保己一 (延享3(1746) - 文政4(1821)) |
塙 保己一(はなわ ほきいち)は、江戸時代の国学者。5歳のときに疳(かん)の病気(胃腸病)にかかったのが原因で、7歳の春に失明した。書を見ることはできないので、人が音読したものを暗記して学問を進め、国学・和歌を萩原宗固(百花庵宗固)に、漢学・神道を川島貴林に、法律を山岡浚明に、医学を品川の東禅寺に、和歌を閑院宮に学んだ。明和6年(1769年)に晩年の賀茂真淵に入門し、『六国史』などを学ぶ。安永8年(1779年)、『群書類従』の出版を決意する。検校の職に進むことを願い、心経百万巻を読み、天満宮に祈願する。天明4年(1784年)、和歌を日野資枝(ひのすけき)に学ぶ。寛政5年(1793年)、幕府に土地拝借を願い出て和学講談所を開設、会読を始める。ここを拠点として記録や手紙にいたるまで様々な資料を蒐集し、編纂したのが『群書類従』である。また歴史史料の編纂にも力を入れていて『史料』としてまとめられている。この『史料』編纂の事業は紆余曲折があったものの東京大学史料編纂所に引き継がれ、現在も続けられている。同所の出版している『大日本史料』がそれである。— ウィキペディア日本語版「塙保己一」より。 |
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