卷之六
滕文公章句下
陳代曰:「不見諸侯,宜若小然。今一見之,大則以王,小則以霸。且《志》曰:『枉尺而直尋。』宜若可爲也。」孟子曰:「昔齊景公田,招虞人以旌,不至,將殺之。『志士不忘在溝壑,勇士不忘喪其元。』孔子奚取焉?取非其招不往也。如不待其招而往,何哉?且夫枉尺而直尋者,以利言也。如以利,則枉尋直尺而利,亦可爲與?昔者趙簡子使王良與嬖奚乘,終日而不獲一禽。嬖奚反命曰:『天下之賤工也。』或以吿王良,良曰:『請復之。』强而後可,一朝而獲十禽。嬖奚反命曰:『天下之良工也。』簡子曰:『我使掌與女乘。』謂王良。良不可,曰:『吾爲之范,我馳驅,終日不獲一;爲之詭遇,一朝而獲十。《詩》云:「不失其馳,舍矢如破。」我不貫與小人乘,請辭。』御者且羞與射者比。比而得禽獸,雖若丘陵,弗爲也。如枉道而從彼,何也?且子過矣,枉己者,未有能直人者也。」
〈陳代曰く、諸侯を見ざるは、宜に小なるが若く然るべし。今一たび之を見る。大なれば則ち以て王たらしめん、小なれば則ち以て霸たらしめん。且つ志に曰く、尺を枉げて尋を直くすと、宜に爲す可きが若くなるべし。孟子曰く、昔齊の景公田す。虞人を招くに旌を以てす。至らず。將に之を殺さんとす。志士は溝壑に在るを忘れず。勇士は其元を喪ふを忘れず。孔子奚を取る。其招くに非ざれば往かざるを取るなり。其招くを待たずして往くが如きは何ぞや。且つ夫れ尺を枉げて尋を直くすとは、利を以て言ふなり。如し利を以てせば、則ち尋を枉げ尺を直くして利あらば、亦爲す可きか。昔者趙簡子、王良をして嬖奚と乘らしむ。終日にして一禽を獲ず。嬖奚して反命して曰く、天下の賤工なりと。或ひと以て王良に吿ぐ。良曰く、請ふ之を復せん。强ひて而る後可く。一朝にして十禽を獲たり。嬖奚反命して曰く、天下の良工なり。簡子曰く、我女と乘ることを掌らしめんと。王良に謂ふ。良可かず。曰く、吾之が爲めに我が馳驅を范すれば、終日一を獲ず。之が爲めに詭遇すれば、一朝にして十を獲。詩に云ふ、其馳を失はざれば、矢を舍ちて破るが如しと。我小人と乘るに貫はず、請ふ辭せんと。御者すら射者と比するを羞づ。比して禽獸を得る、丘陵の若しと雖も、爲さざるなり。道を枉げて彼に從ふが如きは何ぞや。且つ子過てり。己を枉ぐる者、未だ能く人を直くする者あらざるなり。〉
景春曰:「公孫衍、張儀豈不誠大丈夫哉?一怒而諸侯懼,安居而天下熄。」孟子曰:「是焉得爲大丈夫乎?子未學禮乎?丈夫之冠也,父命之;女子之嫁也,母命之,往送之門,戒之曰:『往之女家,必敬必戒,無違夫子。』以順爲正者,妾婦之道也。居天下之廣居,立天下之正位,行天下之大道;得志與民由之,不得志,獨行其道;富貴不能淫,貧賤不能移,威武不能屈──此之謂大丈夫。」
〈景春曰く、公孫衍、張儀は豈に誠の大丈夫ならざらんや。一たび怒りて諸侯懼れ、安居して天下熄む。孟子曰く、是れ焉ぞ大丈夫爲るを得んや。子未だ禮を學ばざるか。丈夫の冠するや、父之を命じ、女子の嫁するや、母之を命ず。往くに之を門に送り、之を戒めて曰く、往いて女の家に之き、必ず敬し、必ず戒め、夫子に違ふなかれと。順を以て正と爲す者は妾婦の道なり。天下の廣居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行ひ、志を得れば民と之に由り、志を得ざれば獨り其道を行ふ。富貴も淫する能はず、貧賤も移す能はず、威武も屈する能はず。此を之れ大丈夫と謂ふ。〉
周霄問曰:「古之君子仕乎?」孟子曰:「仕。傳曰:『孔子三月無君,則皇皇如也。出疆必載質。』公明儀曰:『古之人三月無君則弔。』」「三月無君則吊,不以急乎?」曰:「士之失位也,猶諸侯之失國家也。《禮》曰:『諸侯耕助,以供粢盛。夫人蠶繅,以爲衣服。犧牲不成,粢盛不潔,衣服不備,不敢以祭。惟士無田,則亦不祭。』牲殺器皿衣服不備,不敢以祭,則不敢以宴,亦不足吊乎?」「出疆必載質,何也?」曰:「士之仕也,猶農夫之耕也。農夫豈爲出疆舍其耒耜哉?」曰:「晉國亦仕國也,未嘗聞仕如此其急。仕如此其急也,君子之難仕,何也?」曰:「丈夫生而愿爲之有室,女子生而愿爲之有家。父母之心,人皆有之。不待父母之命、媒妁之言,鉆穴隙相窺,逾墻相從,則父母、國人皆賤之。古之人未嘗不欲仕也,又惡不由其道。不由其道而往者,與鉆穴隙之類也。」
〈周霄問うて曰く、古の君子仕ふるか。孟子曰く、仕ふ。傳に曰く、孔子三月君なければ、則ち皇皇如たり。疆を出づれば必ず質を載す。公明儀曰く、古の人、三月君なければ則ち弔すと。三月君無ければ則ち弔す、以だ急ならずや。曰く、士の位を失ふや、猶ほ諸侯の國家を失ふがごとし。禮に曰く、諸侯は耕助し、以て粢盛に供し、夫人は蠶繅し、以て衣服を爲る。犧牲成らず、粢盛潔からず、衣服備はらざれば、敢て以て祭らず。惟ふに士田無ければ、則ち亦祭らず。牲殺、器皿、衣服備はらざれば、敢て以て祭らず。則ち敢て以て宴せず。亦弔するに足らざるか。疆を出づれば必ず質を載するは何ぞ。曰く、士の仕ふるや、猶ほ農夫の耕すがごとし。農夫豈に疆を出づる爲めに、其耒耜を舍てんや。曰く、晉國も亦仕國なり。未だ嘗て仕ふること此の如く其れ急なるを聞かず。仕ふること此の如く其れ急ならば、君子の仕を難ずるは何ぞ。曰く、丈夫生れては之が爲めに室有るを愿ひ、女子生れては之が爲めに家有るを愿ふは父母の心、人皆之れ有り。父母の命、媒妁の言を待たず。穴隙を鉆りて相窺ひ、墻を逾えて相從はば、則ち父母國人皆之を賤まん。古の人未だ嘗て仕を欲せずんばあらず。又其道に由らざるを惡む。其道に由らずして、往く者は、穴隙を鉆ると之れ類するなり。〉
彭更問曰:「後車數十乘,從者數百人,以傳食於諸侯,不以泰乎?」孟子曰:「非其道,則一簞食不可受於人。如其道,則舜受堯之天下,不以爲泰,子以爲泰乎?」曰:「否。士無事而食,不可也。」曰:「子不通功易事,以羨補不足,則農有餘粟,女有餘布。子如通之,則梓匠輪輿皆得食於子。於此有人焉;入則孝,出則悌,守先王之道,以待後之學者,而不得食於子。子何尊梓匠輪輿而輕爲仁義者哉?」曰:「梓匠輪輿,其志將以求食也。君子之爲道也,其志亦將以求食與?」曰:「子何以其志爲哉?其有功於子,可食而食之矣。且子食志乎?食功乎?」曰:「食志。」曰:「有人於此,毀瓦畫墁,其志將以求食也,則子食之乎?」曰:「否。」曰:「然則子非食志也,食功也。」
〈彭更問うて曰く、後車數十乘、從者數百人、以て諸侯に傳食す。以だ泰ならずや。孟子曰く、其道に非ざれば、則ち一簞の食も人より受く可からず。如し其道ならば、則ち舜堯の天下を受くるも、以て泰と爲さず。子以て泰と爲すか。曰く、否。士、事なくして食むは不可なり。曰く、子、功を通じ事を易へ、羨れるを以て不足を補はずんば、則ち農に餘粟あり、女に餘布あらん。子如し之を通ぜば、則ち梓匠輪輿、皆食を子に得ん。此に人有り、入りては則ち孝、出でては則ち悌、先王の道を守り、以て後の學者を待つ。而して食を子に得ず。子何ぞ梓匠輪輿を尊んで、而して仁義を爲す者を輕ずるや。曰く、梓匠輪輿は、其志將に以て食を求めんとするなり。君子の道を爲すや、其志亦將に以て食を求めんとするか。曰く、子何ぞ其志を以て爲さんや。其の子に功有らば、食せしむべくして之に食せしめん。且つ子志に食せしむるか、功に食せしむるか。曰く、志に食せしむ。曰く、此に人有り。瓦を毀ち、墁に畫く、其志將に以て食を求めんとするなり。則ち子之に食せしむるか。曰く、否。曰く、然らば則ち子志に食せしむるに非ざるなり、功に食せしむるなり。〉
萬章問曰:「宋,小國也,今將行王政,齊楚惡而伐之,則如之何?」孟子曰:「湯居亳,與葛爲鄰。葛伯放而不祀,湯使人問之曰:『何爲不祀?』曰:『無以供犧牲也。』湯使遺之牛羊,葛伯食之,又不以祀。湯又使人問之曰:『何爲不祀?』曰:『無以供粢盛也。』湯使亳衆往爲之耕,老弱饋食。葛伯率其民,要其有酒食黍稻者奪之,不授者殺之。有童子以黍肉餉,殺而奪之。《書》曰:『葛伯仇餉』,此之謂也。爲其殺是童子而征之,四海之內皆曰:『非富天下也,爲匹夫匹婦復讎也。』湯始征,自葛載。十一征而無敵於天下。東面而征,西夷怨;南面而征,北狄怨,曰:『奚爲後我?』民之望之若大旱之望雨也。歸市者弗止,蕓者不變。誅其君,弔其民,如時雨降,民大悅。《書》曰:『徯我后,后來其無罰。』『有攸不惟臣,東征,綏厥士女。篚厥玄黃,紹我周王見休,惟臣附于大邑周。』其君子實玄黃于篚以迎其君子,其小人簞食壺漿以迎其小人。救民於水火之中,取其殘而已矣。《太誓》曰:『我武惟揚,侵于之疆。則取于殘,殺伐用張,于湯有光。』不行王政云爾;茍行王政,四海之內皆舉首而望之,欲以爲君。齊楚雖大,何畏焉?」
〈萬章問うて曰く、宋は小國なり、今將に王政を行はんとす。齊楚惡んで之を伐たば、則ち之を如何せん。孟子曰く、湯は亳に居り、葛と鄰たり。葛伯放にして祀らず、湯人をして之を問はしめて曰く、何爲れぞ祀らざる。曰く、以て犧牲に供するなきなり。湯之れに牛羊を遺らしむ。葛伯之を食ひ、又以て祀らず。湯又人をして之れを問はしめて曰く、何爲れぞ祀らざる。曰く、以て粢盛に供するなきなり。湯亳の衆をして往いて之れが爲に耕さしむ。老弱食を饋くる。葛伯其民を率ゐ、其の酒食黍稻ある者を要して之れを奪ふ。授けざる者は之れを殺す。童子あり黍肉を以て餉くる。殺して之れを奪ふ。書に曰く、葛伯餉に仇すと。此れ之れの謂ひなり。其の是童子を殺す爲にして之れを征す。四海の內皆曰く、天下を富めりとするに非ず、匹夫匹婦の爲めに讎を復するなり。湯始めて征する葛より載む。十一征して、天下に敵なし。東面して征すれば、西夷怨み、南面して征すれば、北狄怨む。曰く、奚爲ぞ我を後にすると。民の之を望むこと、大旱の雨を望むが若きなり。市に歸する者は止まらず、蕓る者は變ぜず、其君を誅し、其民を弔し、時雨の降るが如し。民大に悅ぶ。書に曰く、我が后を徯つ。后來らば其れ罰なけん。惟れ臣たらざる攸あり、東征して厥士女を綏んず。厥玄黃を篚にし、我が周王に紹して休を見る。大邑周に臣附するを惟ふ。其君子は玄黃を篚に實し、以て其君子を迎へ、其小人は簞食壺漿して、以て其小人を迎ふ。民を水火の中に救ひ、其殘を取るのみ。太誓に曰く、我が武惟れ揚り、之れが疆を侵す。則ち殘を取る。殺伐用て張り、湯に于て光ありと。王政を行はざるのみ。茍も王政を行はば、四海の內、皆首を舉げて之を望み、以て君と爲さんと欲す。齊楚大なりと雖も、何ぞ畏れん。〉
孟子謂戴不謂曰:「子欲子之王之善與?我明吿子:有楚大夫於此,欲其子之齊語也,則使齊人傅諸?使楚人傅諸?」曰:「使齊人傅之。」曰:「一齊人傅之,衆楚人咻之,雖日撻而求其齊也,不可得矣。引而置之莊岳之間數年,雖日撻而求其楚,亦不可得矣。子謂薛居州,善士也,使之居於王所。在於王所者,長幼卑尊皆薛居州也,王誰與爲不善?在王所者,長幼卑尊皆非薛居州也,王誰與爲善?一薛居州,獨如宋王何?」
〈孟子、謂戴不に謂つて曰く、子は子の王の善を欲するか、我明に子に吿げん。此に楚の大夫在らんに、其子の齊語せんことを欲せば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか、楚人をして諸に傅たらしめんか。曰く、齊人をして之れに傅たらしめん。曰く、一の齊人之に傅し、衆楚人之れに咻しくせば、日に撻ちて其齊なることを求むと雖も、得べからず。引きて之れを莊岳の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其楚ならんことを求むと雖も、亦得べからず。子は薛居州を善士なりと謂ひ、之れをして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王誰れと與に不善をなさん。王の所に在るもの、長幼卑尊、皆薛居州に非ざるならば、王誰と與に善をなさん。一の薛居州、獨り宋王を如何にせん。〉
公孫丑問曰:「不見諸侯,何義?」孟子曰:「古者不爲臣不見。段干木逾垣而辟之,泄柳閉門而不納。是皆已甚;迫,斯可以見矣。陽貨欲見孔子,而惡無禮。大夫有賜於士,不得受於其家,則往拜其門。陽貨矙孔子之亡也,而饋孔子蒸豚,孔子亦矙其亡也而往拜之。當是時,陽貨先,豈得不見?曾子曰:『脅肩諂笑,病于夏畦。』子路曰:『未同而言,觀其色,赧赧然,非由之所知也。』由是觀之,則君子之所養,可知已矣。」
〈公孫丑問ふ、曰く、諸侯を見ざるは何の義ぞ。孟子曰く、古者は臣たらざれば見えず。段干木は垣を逾えて之れを辟け、泄柳は門を閉ぢて納れず。是れ皆已甚し。迫ぢば斯に以て見るべし。陽貨孔子を見んと欲す。而して禮なきを惡む。大夫士に賜ふあり。其家に受くるを得ざれば、則ち往いて其門に拜す。陽貨孔子の亡きを矙ひ、而して孔子に蒸豚を饋くる。孔子また其亡きを矙ひ、而して往いて之を拜す。是時に當りて陽貨先んぜり。豈に見ざるを得んや。曾子曰く、肩を脅し諂ひ笑ふは、夏畦よりも病る。子路曰く、未だ同じからずして言ふ、其色を觀れば赧赧然たり。由の知る所に非ざるなり。是に由て之れを觀れば、則ち君子の養ふ所は知るべきのみ。〉
戴盈之曰:「什一,去關市之征,今茲未能。請輕之,以待來年,然後已,何如?」孟子曰:「今有人日攘其鄰之雞者,或吿之曰:『是非君子之道。』曰:『請損之,月攘一雞;以待來年,然後已。』如知其非義,斯速已矣,何待來年?」
〈戴盈之曰く、什が一にして關市の征を去るは、今茲は未だ能はず。請ふ、之れを輕くして以て來年を待ち、然る後に已めん。何如と。孟子曰く、今、人日〻に其鄰の雞を攘む者あらん。或ひと之に吿げて曰く、是れ君子の道に非ずと。曰く、請ふ之れを損し月に一雞を攘み、以て來年を待ち、然る後に已めんと。如し其の義に非ざるを知らば、斯に速に已めん。何ぞ來年を待たん。〉
公都子曰:「外人皆稱夫子好辯,敢問何也?」孟子曰:「予豈好辯哉?予不得已也。天下之生久矣,一治一亂。當堯之時,水逆行,泛濫於中國。蛇龍居之,民無所定。下者爲巢,上者爲營窟。《書》曰:『洚水警餘。』洚水者,洪水也。使禹治之。禹掘地而注之海,驅蛇龍而放之菹,水由地中行,江、淮、河、漢是也。險阻既遠,鳥獸之害人者消,然後人得平土而居之。堯舜既沒,聖人之道衰。暴君代作,壤宮室以爲污池,民無所安息;棄田以爲園囿,使民不得衣食。邪說暴行又作。園囿污地沛澤多,而禽獸至。及紂之身,天下又大亂。周公相武王,誅紂、伐奄,三年討其君;驅飛廉於海隅而戮之;滅國者五十;驅虎豹犀象而遠之。天下大悅。《書》曰:『丕顯哉文王謨!丕承哉武王烈!佑啟我後人,咸以正無缺。』「世衰道微,邪說暴行有作。臣弒其君者有之,子弒其父者有之。孔子懼,作《春秋》。《春秋》,天子之事也。是故孔子曰:『知我者,其惟《春秋》乎!罪我者,其惟《春秋》乎!』聖王不作,諸侯放恣,處士橫議。楊朱、墨翟之言盈天下。天下之言,不歸楊則歸墨。楊氏爲我,是無君也。墨氏兼愛,是無父也。無父無君,是禽獸也。公明儀曰:『庖有肥肉,廄有肥馬,民有饑色,野有餓莩,此率獸而食人也。』楊墨之道不息,孔子之道不著,是邪說誣民、充塞仁義也。仁義充塞,則率獸食人,人將相食。吾爲此懼,閑先聖之道,距楊墨、放淫辭,邪說者不得作。作於其心,害於其事;作於其事,害於其政。聖人復起,不易吾言矣。昔者禹抑洪水而天下平,周公兼夷狄、驅猛獸而百姓寧,孔子成《春秋》而亂臣賊子懼。《詩》云:『戎狄是膺,荊舒是懲;則莫我敢承。』無父無君,是周公所膺也。我亦欲正人心、息邪說、距詖行、放淫辭,以承三聖者。豈好辯哉?予不得已也。能言距楊墨者,聖人之徒也。」
〈公都子曰く、外人皆夫子辯を好むと稱す。敢て問ふ何ぞや。孟子曰く、予豈に辯を好まんや。予已むを得ざるなり。天下の生は久し、一治一亂す。堯の時に當つて、水逆行して中國に泛濫す。蛇龍之れに居り、民定まる所なし。下なる者は、巢を爲り、上なる者は、營窟を爲る。書に曰く、洚水餘を警むと。洚水とは洪水なり。禹をして之れを治めしむ。禹地を掘りて之れを海に注ぎ、蛇龍を驅りて之れを菹に放つ。水地中より行く。江・淮・河・漢是れなり。險阻既に遠かり、鳥獸の人を害する者消す。然して後人平土を得て之れに居る。堯舜既に沒し、聖人の道衰へ、暴君代〻作り、宮室を壤ちて以て污池と爲す。民安息する所なし。田を棄てて以て園囿と爲し、民をして衣食を得ざらしむ。邪說暴行又作り、園囿、污地、沛澤多くして、而して禽獸至る。紂の身に及び、天下又大いに亂る。周公、武王を相けて、誅を紂ち奄を伐つ。三年其の君を討ち、飛廉を海隅に驅りて之れを戮す。國を滅す者五十、虎豹犀象を驅りて之を遠ざけ、天下大に悅ぶ。書に曰く、丕に顯なるかな文王の謨、丕に承げるかな武王の烈、我が後人を佑啟し、咸正を以てし缺くるなからしむと。世衰へ道微にして、邪說暴行有作る。臣にして其君を弒する者之れ有り、子にして其父を弒する者之れ有り。孔子懼れて、春秋を作る。春秋は天子の事なり。是故に孔子曰く、我を知る者は、其れ惟春秋か。我を罪する者は、其れ惟春秋かと。聖王作らず、諸侯放恣、處士橫議し、楊朱・墨翟の言天下に盈つ。天下の言、楊に歸せざれば則ち墨に歸す。楊氏は我が爲めにす。是れ君なきなり。墨子は兼愛す、是れ父なきなり。父なく君なきは、是れ禽獸なり。公明儀曰く、庖に肥肉有り、廄に肥馬有り、民に饑色有り、野に餓莩有り。此れ獸を率ゐて人を食ましむるなり。楊墨の道息まず、孔子の道著はれず、是れ邪說民を誣ひ、仁義を充塞すればなり。仁義充塞すれば、則ち獸を率ゐて人を食ましむ。人將に相食まんとす。吾此れが爲めに懼れ、先聖の道を閑り、楊墨を距ぎ、淫辭を放ち、邪說者作るを得ざらしむ。其心に作れば其事に害あり、其事に作れば其政に害あり。聖人復起るも、吾が言を易へず。昔者禹洪水を抑めて天下平かに、周公夷狄を兼ね、猛獸を驅りて百姓寧し。孔子春秋を成して、而して亂臣賊子懼る。詩に云ふ戎狄は是れ膺ち、荊舒は是れ懲す。則ち我れ敢て承くる莫しと。父なく君なきは、是れ周公の膺つ所なり。我亦人心を正し、邪說を息め、詖行を距ぎ、淫辭を放ち、以て三聖者を承がんと欲す。豈に辯を好まんや。予已むを得ざるなり。能く言ひて楊墨を距ぐ者は、聖人の徒なり。〉
匡章曰:「陳仲子豈不誠廉士哉?居於於陵,三日不食,耳無聞,目無見也。井上有李,螬食實者過半矣,匍匐往將食之,三咽,然後耳有聞、目有見。」孟子曰:「於齊國之士,吾必以仲子爲巨擘焉。雖然,仲子惡能廉?充仲子之操,則蚓而後可者也。夫螾上食槁壤,下飮黃泉。仲子所居之室,伯夷之所筑與?抑亦盜跖之所筑與?所食之粟,伯夷之所樹與?抑亦盜跖之所樹與?是未可知也。」曰:「是何傷哉?彼身織屨、妻辟纑,以易之也。」曰:「仲子,齊之世家也。兄戴,蓋祿萬鍾。以兄之祿爲不義之祿而不食也,以兄之室爲不義之室而不居也,避兄、離母,處於於陵。他日歸,則有饋其兄生鵝者,己頻戚曰:『惡用是鶃鶃者爲哉?』他日其母殺是鵝也,與之食之。其兄自外至,曰:『是鶃鶃之肉也。』出而哇之。以母則不食,以妻則食之;以兄之室則弗居,以於陵則居之。是尚爲能充其類也乎?若仲子者,螾而後充其操者也。」
〈匡章曰く、陳仲子は、豈に誠の廉士ならずや。於陵に居る、三日食はず。耳聞くなく、目見るなきなり。井上に李あり、螬の實を食ふ者半に過ぐ。匍匐して往きて將に之を食はんとす。三咽して、然る後耳聞くあり、目見るあり。孟子曰く、齊國の士に於て、吾必ず仲子を以て巨擘と爲さん。然りと雖も仲子惡ぞ能く廉ならん。仲子の操を充てば、則ち蚓にして而る後に可なる者なり。夫れ蚓は上槁壤を食ひ、下黃泉を飮む。仲子の居る所の室は、伯夷の筑く所か、抑も亦盜跖の筑く所か、食ふ所の粟は、伯夷の樹うる所か、抑も亦盜跖の樹うる所か、是れ未だ知る可からざるなり。曰く、是れ何ぞ傷まんや。彼れ身は屨を織り、妻は辟纑して以て之れに易ふるなり。曰く、仲子は齊の世家なり。兄戴が蓋の祿萬鍾、兄の祿を以て不義の祿と爲して食はざるなり。兄の室を以て不義の室と爲して居らざるなり,兄を避け母を離れ、於陵に處る。他日歸れば、則ち其兄に生鵝を饋る者あり。己頻戚して曰く、惡ぞ是鶃鶃の者を用つて爲んやと。他日其母是の鵝を殺す。之に與へて之れを食はしむ。其兄外より至りて曰く、是れ鶃鶃の肉なりと。出でて之れを哇く。母を以てすれば則ち食はず、妻を以てすれば則ち之れを食ふ。兄の室を以てすれば則ち居らず、於陵を以てすれば則ち之れに居る。是れ尚ほ能く其類を充つと爲すか。仲子の若き者は、蚓にして而る後に其操を充つる者なり。〉