卷之十一
吿子章句上
吿子曰:「性,猶杞柳也;義,猶桮棬也。以人性爲仁義,猶以杞柳爲桮棬。」孟子曰:「子能順杞柳之性而以爲桮棬乎?將戕賊杞柳而後以爲桮棬也?如將戕賊杞柳而以爲桮,則亦將戕賊人以爲仁義與?率天下之人而禍仁義者,必子之言夫!」
〈吿子曰く、性は猶ほ杞柳のごとし。義は猶ほ桮棬のごとし。人の性を以て仁義を爲すは、猶ほ杞柳を以て桮棬を爲るがごとし。孟子曰く、子能く杞柳の性に順ひて以て桮棬を爲るか、將た杞柳を戕賊して而る後に以て桮棬を爲るか。如し將た杞柳を戕賊して以て桮棬を爲らば、則ち亦た將た人を戕賊して以て仁義を爲すか。天下の人を率ゐて仁義を禍する者は、必ず子の言ならんか。〉
吿子曰性,猶湍水也,決諸東方則東流,決諸西方則西流。人性之無分於善不善也,猶水之無分於東西也。」孟子曰:「水信無分於東西,無分於上下乎?人性之善也,猶水之就下也。人無有不善,水無有不下。今夫水搏而躍之,可使過顙,激而行之,可使在山,是豈水之性哉?其勢則然也。人之可使爲不善,其性亦猶是也。」
〈吿子曰く、性は猶ほ湍水のごときなり。諸を東方に決すれば則ち東流し、諸を西方に決すれば、則ち西流す。人性の善不善を分つことなき、猶ほ水の東西を分つこと無きがごときなり。孟子曰く、水信に東西を分つこと無し。上下を分つこと無からんや。人性の善なるや、猶ほ水の下に就くがごとし。人不善あること無く、水下らざるあること無し。今夫れ水は搏ちて之を躍さば、顙を過さしむべし。激して之を行らば山に在らしむべし。是れ豈に水の性ならんや。其勢ひ則ち然るなり。人の不善を爲さしむべきこと、其性も亦猶ほ是のごときなり。〉
吿子曰:「生之謂性。」孟子曰:「生之謂性也,猶白之謂白與?」曰:「然。」「白羽之白也,猶白雪之白,白雪之白,猶白玉之白歟?」曰:「然。」「然則犬之性猶牛之性,牛之性猶人之性歟?」
〈吿子曰く、生は之を性と謂ふ。孟子曰く、生は之を性と謂ふは、猶ほ白きを之れ白しと謂ふがごときか。曰く、然り。白羽の白は猶ほ白雪の白きがごとく、白雪の白は、猶ほ白玉の白のごときか。曰く、然り。然らば則ち犬の性は猶ほ牛の性のごとく、牛の性は猶ほ人の性のごときか。〉
吿子曰:「食色,性也。仁,內也,非外也。義,外也,非內也。」孟子曰:「何以謂仁內義外也?」曰:「彼長而我長之,非有長於我也。猶彼白而我白之,從其白於外也,故謂之外也。」曰:「異於白馬之白也,無以異於白人之白也!不識長馬之長也,無以異於長人之長歟?且謂長者義乎?長之者義乎?」曰:「吾弟則愛之,秦人之弟則不愛也,是以我爲悅者也,故謂之內。長楚人之長,亦長吾之長,是以長爲悅者也,故謂之外也。」曰:「嗜秦人之炙,無以異於嗜吾炙。夫物則亦有然者也。然則嗜炙亦有外歟?」
〈吿子曰く、食色は性なり。仁は內なり、外に非ざるなり。義は外なり內に非ざるなり。孟子曰く、何を以てか仁は內、義は外なりと謂ふ。曰く、彼長じて我之を長とす。我に長あるに非ざるなり。猶ほ彼白にして我之を白とするがごとし。其白に外に從ふなり。故に之を外といふ。曰く、馬の白を白とするや、以て人の白を白とするに異なる無きなり。識らず、馬の長を長とするや、以て人の長を長とするに異なること無きか。且つ謂へ、長ずる者は義か。之を長とする者は義か。曰く、吾が弟は則ち之を愛し、秦人の弟は則ち愛せざるなり。是れ我を以て悅ぶことを爲す者なり。故に之を內と謂ふ。楚人の長を長とし、亦吾の長を長とす。是れ長を以て悅ぶことを爲す者なり。故に之を外と謂ふなり。曰く、秦人の炙を嗜むは以て吾が炙を嗜むに異なることなし。夫れ物も則ち亦然ることあり。然らば則ち炙を嗜むも亦外に有るか。〉
孟季子問公都子曰:「何以謂義內也?」曰:「行吾敬,故謂之內也。」「鄉人長於伯兄一歲,則誰敬?」曰:「敬兄。」「酌則誰先?」曰:「先酌鄉人。」「所敬在此,所長在彼,果在外,非由內也。」公都子不能答,以吿孟子。孟子曰:「敬叔父乎?敬弟乎?彼將曰:『敬叔父。』曰:『弟爲尸,則誰敬?』彼將曰:『敬弟。』子曰:『惡在其敬叔父也?』彼將曰:『在位故也。』子亦曰:『在位故也。』庸敬在兄,斯須之敬在鄉人。」季子聞之曰:「敬叔父則敬,敬弟則敬,果在外,非由內也。」公都子曰:「冬日則飮湯,夏日則飮水,然則飮食亦在外也?」
〈孟季子、公都子に問ひて曰く、何を以て義は內なりと謂ふ。曰く、吾が敬を行ふ。故に之を內と謂ふ。鄉人、伯兄より長ずること一歲ならば、則ち誰をか敬せん。曰く、兄を敬せん。酌まば則ち誰をか先にせん。曰く、先づ鄉人に酌まん。敬する所此に在り。長ずる所は彼に在り。果して外にあり。內に由るに非ず。公都子答ふる能はず。以て孟子に吿ぐ。孟子曰く、叔父を敬せんか、弟を敬せんか。彼將た曰ん、叔父を敬せん。曰く、弟尸たらば則ち誰をか敬せん。彼將た曰ん、弟を敬せん。子曰く、惡ぞ其の叔父を敬するに在らんや。彼將た曰ん、位に在るが故なり。子も亦曰く、位にあるが故なり。庸の敬は兄に在り。斯須の敬は鄉人に在り。季子之を聞きて曰く、叔父を敬すれば則ち敬し、弟を敬すれば則ち敬す。果して外に在り。內に由るには非ざるなり。公都子曰く、冬日は則ち湯を飮み、夏日は則ち水を飮む。然らば則ち飮食も亦外に在るなり。〉
公都子曰:「吿子曰:『性無善無不善也。』或曰:『性可以爲善,可以爲不善,是故文武興則民好善,幽厲興則民好暴。』或曰:『有性善,有性不善,是故以堯爲君而有象,以瞽瞍爲父而有舜,以紂爲兄之子且以爲君,而有微子啟、王子比干。』今曰『性善』,然則彼皆非歟?」孟子曰:「乃若其情則可以爲善矣,乃所謂善也。若夫爲不善,非才之罪也。惻隱之心,人皆有之;羞惡之心,人皆有之;恭敬之心,人皆有之;是非之心,人皆有之。惻隱之心,仁也;羞惡之心,義也;恭敬之心,禮也;是非之心,智也。仁義禮智,非由外鑠我也,我固有之也,弗思耳矣。故曰:求則得之,舍則失之。或相倍蓰而無算者,不能盡其才者也。《詩》曰:『天生蒸民,有物有則。民之秉彝,好是懿德。』孔子曰:『爲此詩者,其知道乎!故有物必有則,民之秉彝也,故好是懿德。』」
〈公都子曰く、吿子曰く、性は善なく不善なしと。或ひと曰く、性は以て善と爲す可く以て不善と爲すべし。是の故に文武興れば則ち民善を好み、幽厲興れば則ち民暴を好むと。或ひと曰く、性善なるあり、性不善なるあり。是の故に堯を以て君と爲して象あり。瞽瞍を以て父となして舜あり。紂を以て兄の子となし、且つ以て君と爲して微子啟・王子比干あり。今性善と曰ふ。然らば則ち彼皆な非なるか。孟子曰く、乃ち其情の若くすれば則ち以て善と爲す可し。乃ち所謂善なり。夫の不善を爲す若きは才の罪に非ざるなり。惻隱の心は人皆之れ有り。羞惡の心は人皆之れ有り。恭敬の心は人皆之れあり。是非の心は人皆之れ有り。惻隱の心は仁なり。羞惡の心は義なり。恭敬の心は禮なり。是非の心は智なり。仁義禮智外より我を鑠すに非ざるなり。我固より之を有するなり,思はざるのみ。故に曰く、求むれば則ち之を得、舍つれば則ち之を失ふ。或は相倍蓰して算無き者、其才を盡すこと能はざる者なり。詩に曰く、天蒸民を生ず。物あれば則あり。民の彝を秉る。是の懿德を好むと。孔子曰く、此の詩を爲る者は其れ道を知るか。故に物あれば則あり。民の彝を秉るなり。故に是の懿德を好む。〉
孟子曰:「富歲,子弟多賴;兇歲,子弟多暴。非天之降才爾殊也,其所以陷溺其心者然也。今夫麰麥,播種而耘之,其地同,樹之時又同,浡然而生,至於日至之時,皆熟矣。雖有不同,則地有肥磽,雨露之養、人事之不齊也。故凡同類者,舉相似也,何獨至於人而疑之?聖人與我同類者。故龍子曰:『不知足而爲屨,我知其不爲蕢也。』屨之相似,天下之足同也。口之於味,有同嗜也,易牙先得我口之所嗜者也。如使口之於味也,其性與人殊,若犬馬之與我不同類也,則天下何嗜皆從易牙之於味也?至於味,天下期於易牙,是天下之口相似也。惟耳亦然,至於聲,天下期於師曠,是天下之耳相似也。惟目亦然,至於子都,天下莫不知其姣也;不知子都之姣者,無目者也。故曰:口之於味也,有同嗜焉;耳之於聲也,有同聽焉;目之於色也,有同美焉。至於心,獨無所同然乎?心之所同然者,何也?謂理也,義也。聖人先得我心之所同然耳。故理義之悅我心,猶芻豢之悅我口。」
〈孟子曰く、富歲には子弟賴多く、兇歲には子弟暴多し。天の才を降すこと爾く殊なるに非ざるなり。其の其心を陷溺する所以の者然るなり。今夫れ麰麥は種を播して之を耘す。其地同じく之を樹うる時又同じ。浡然として生ず。日至の時に至りて皆熟す。同じからざるありと雖も、則ち地に肥磽あり。雨露の養、人事の齊しからざるなり。故に凡そ類を同じくする者は舉な相似たり,何ぞ獨り人に至りて之を疑はん。聖人も我と類を同じくする者なり。故に龍子曰く、足を知らずして屨を爲るも、我れ其の蕢たらざるを知るなり。屨の相似たるは天下の足同じければなり。口の味に於ける同じく嗜むことなるなり,易牙は先づ我が口の嗜む所を得たる者なり。如し口の味に於ける其性の人と殊なること、犬馬の我と類を同じくせざるが若くならしめば、則ち天下何ぞ嗜むこと皆易牙の味に於けるに從はんや。味に至りては天下易牙に期す。是天下の口相似たればなり。惟耳も亦然り。聲に至りては天下師曠に期す。是れ天下の耳相似たればなり。惟目も亦然り。子都に至りては天下其の姣を知らざることなきなり。子都の姣を知らざる者は目なきなり。故に曰く、口の味に於けるや、同じく嗜むとことあり。耳の聲に於けるや、同じく聽くことあり。目の色に於けるや、同じく美することあり。心に至りては、獨り同じく然りとする所無からんや。心の同じく然りとする所の者は何ぞや。謂く理なり、義なり。聖人は先づ我が心の同じく然りとする所を得たるのみ。故に理義の我心を悅ばしむるは猶ほ芻豢の我口を悅ばしむるがごとし。〉
孟子曰:「牛山之木嘗美矣。以其郊於大國也,斧斤伐之,可以爲美乎?是其日夜之所息,雨露之所潤,非無萌蘗之生焉,牛羊又從而牧之,是以若彼濯濯也。人見其濯濯也,以爲未嘗有材焉,此豈山之性也哉?雖存乎人者,豈無仁義之心哉?其所以放其良心者,亦猶斧斤之於木也。旦旦而伐之,可以爲美乎?其日夜之所息,平旦之氣,其好惡與人相近也者幾希,則其旦晝之所爲,有梏亡之矣。梏之反覆,則其夜氣不足以存。夜氣不足以存,則其違禽獸不遠矣。人見其禽獸也,而以爲未嘗有才焉者,是豈人之情也哉?故茍得其養,無物不長;茍失其養,無物不消。孔子曰:『操則存,舍則亡。出入無時,莫知其鄉。』惟心之謂與!」
〈孟子曰く、牛山の木嘗て美なり。其の大國に郊たるを以て斧斤之を伐る、以て美となすべけんや。是れ其日夜の息する所、雨露の潤す所、萌蘗の生なきに非ず。牛羊又從つて之を牧す。是を以つて彼の若く濯濯たるなり。人其濯濯たるを見るや、以て未だ嘗て材あらずと爲す。此れ豈に山の性ならんや。人に存する者と雖も、豈に仁義の心なからんや。其の其良心を放つ所以の者、亦猶ほ斧斤の木に於けるがごときなり。旦旦にして之を伐る。以て美と爲すべけんや。其日夜の息する所、平旦の氣、其好惡人と相近き者は幾ど希し、則ち其の旦晝の爲す所之を梏亡するあり。之を梏して反覆すれば、則ち其夜氣以て存するに足らず。夜氣以て存するに足らざれば、其の禽獸を違ること遠からず。人其禽獸なるを見て以て未だ嘗て才あらずとなす者は、是れ豈に人の情ならむや。故に茍も其養を得れば、物として長ぜざるなく、茍も其養を失へば、物として消ぜざるなし。孔子曰く、操れば則ち存し、舍つれば則ち亡す。出入時なく、其鄉を知ること莫し。惟れ心の謂か。〉
孟子曰:「無或乎王之不智也。雖有天下易生之物也,一日暴之,十日寒之,未有能生者也。吾見亦罕矣,吾退而寒之者至矣,吾如有萌焉何哉!今夫弈之爲數,小數也;不專心致志,則不得也。弈秋,通國之善弈者也。使弈秋誨二人弈:其一人專心致志,惟弈秋之爲聽;一人雖聽之,一心以爲有鴻鵠將至,思援弓繳而射之。雖與之俱學,弗若之矣。爲是其智弗若與?曰:非然也。」
〈孟子曰く、王の不智を或むなかれ。天下生じ易き物ありと雖も、一日之を暴し十日之を寒せば、未だ能く生ずる者あらざるなり。吾見ゆること亦罕なり、吾れ退きて之を寒する者至る。吾れ萌すあるを如何せんや。今夫れ弈の數たる小數なり。心を專にし志を致さざれば則ち得ざるなり。弈秋は通國の弈を善くする者なり。弈秋をして二人に弈を誨へしめん。其一人は心を專にし志を致して、惟弈秋に之を聽くことを爲す。一人は之を聽くと雖も、一心に以爲らく、鴻鵠ありて將に至らむとす。弓繳を援きて之を射んことを思ふ。之を俱に學ぶと雖も之に若かず。是れ其智の若かざるが爲めか。曰く、然るに非ざるなり。〉
孟子曰:「魚,我所欲也;熊掌,亦我所欲也。二者不可得兼,舍魚而取熊掌者也。生,亦我所欲也;義,亦我所欲也。二者不可得兼,舍生而取義者也。生亦我所欲,所欲有甚於生者,故不爲茍得也。死亦我所惡,所惡有甚於死者,故患有所不辟也。如使人之所欲莫甚於生,則凡可以得生者,何不用也?使人之所惡莫甚於死者,則凡可以辟患者,何不爲也?由是則生而有不用也,由是則可以辟患而有不爲也。是故所欲有甚於生者,所惡有甚於死者,非獨賢者有是心也,人皆有之,賢者能勿喪耳。一簞食,一豆羹,得之則生,弗得則死。呼爾而與之,行道之人弗受;蹴爾而與之,乞人不屑也。萬鍾則不辨禮義而受之。萬鍾於我何加焉?爲宮室之美、妻妾之奉、所識窮乏者得我與?鄉爲身死而不受,今爲宮室之美爲之;鄉爲身死而不受,今爲妻妾之奉爲之;鄉爲身死而不受,今爲所識窮乏者得我而爲之──是亦不可以已乎?此之謂失其本心。」
〈孟子曰く、魚は我が欲する所なり。熊掌も亦我が欲する所なり。二者兼ぬることを得べからざれば、魚を舍てて熊掌を取る者なり。生も亦我が欲する所なり。義も亦我が欲する所なり。二者兼ぬること得べからざれば、生を舍てて義を取る者なり。生も亦我が欲する所、欲する所生より甚しき者なり。故に茍も得ることを爲さざるなり。死も亦我が惡む所、惡む所死より甚しき者あり。故に患も辟けざる所あり。如し人の欲する所をして生より甚しきこと莫からしめば、則ち凡そ以て生を得べき者何ぞ用ひざらん。人の惡む所をして死より甚しき者莫からしめば、則ち凡そ以て患を辟くべき者、何ぞ爲さざらん、是れに由れば則ち生く、而して用ひざるあり。是れに由れば則ち以て患を辟くべし、而して爲さざるなり。是の故に欲する所生より甚しき者あり。惡む所死より甚しき者あり。獨り賢者のみ是の心あるに非ざるなり。人皆な之れあり。賢者は能く喪ふこと勿きのみ。一簞の食一豆の羹、之を得れば則ち生き、得ざれば則ち死す。呼爾として之を與ふれば道を行く人も受けず、蹴爾として之を與ふれば乞人も屑しとせざるなり。萬鍾は則ち禮義を辨ぜずして之を受く。萬鍾我に於て何ぞ加へん。宮室の美妻妾の奉、識る所の窮乏の者我に得るが爲めか。鄉には身の死するが爲めにして受けず。今は宮室の美の爲めに之を爲す。鄉には身の死するが爲めにして受けず。今は妻妾の奉の爲めに之を爲す。鄉には身の死するが爲めにして受けず。今は識る所の窮乏の者の我に得るが爲めに之を爲す。是れ亦た以て已むべからざるか。此れを之れ其本心を失ふと謂ふ。〉
孟子曰:「仁,人心也。義,人路也。舍其路而弗由,放其心而不知求,哀哉!人有雞犬放,則知求之,有放心,而不知求。學問之道無他,求其放心而已矣。」
〈孟子曰く、仁は人の心なり。義は人の路なり。其路を舍てて由らず。其心を放ちて求むることを知らず。哀しいかな。人雞犬放るゝことあれば、則ち之を求むることを知る。放心ありて而して求むることを知らず。學問の道他なし。其放心を求むるのみ。〉
孟子曰:「今有無名之指,屈而不信,非疾痛害事也。如有能信之者,則不遠秦楚之路,爲指之不若人也。指不若人,則知惡之;心不若人,則不知惡。此之謂不知類也。」
〈孟子曰く、今無名の指屈して信びざるあり。疾痛して事に害あるに非ざるなり。如し能く之を信ぶる者あらば、則ち秦楚の路を遠しとせず。指の人に若かざるが爲めなり。指の人に若かざるは則ち之を惡むことを知る。心の人に若かざるは則ち惡むことを知らず。此れ之を類を知らずと謂ふなり。〉
孟子曰:「拱把之桐、梓,人茍欲生之,皆知所以養之者。至於身,而不知所以養之者,豈愛身不若桐、梓哉?弗思甚也。」
〈孟子曰く、拱把の桐梓、人茍も之を生ぜんと欲すれば、皆之を養ふ所以の者を知る。身に至りては之を養ふ所以の者を知らず。豈に身を愛すること桐梓に若かざらんや。思はざること甚しきなり。〉
孟子曰:「人之於身也,兼所愛;兼所愛,則兼所養也。無尺寸之膚不愛焉,則無尺寸之膚不養也。所以考其善不善者,豈有他哉?於己取之而已矣。體有貴賤,有小大。無以小害大,無以賤害貴。養其小者爲小人。養其大者爲大人。今有場師,舍其梧槚,養其樲棘,則爲賤場師焉。養其一指,而失其肩背,而不知也,則爲狼疾人也。飮食之人,則人賤之矣,爲其養小以失大也。飮食之人,無有失也,則口腹豈適爲尺寸之膚哉?」
〈孟子曰く、人の身に於けるや、愛する所を兼ぬ。愛する所を兼ぬれば則ち養ふ所を兼ぬるなり。尺寸の膚も愛せざる無ければ、則ち尺寸の膚も養はざるなきなり。其善不善を考ふる所以の者豈に他あらんや。己に於て之を取るのみ。體に貴賤あり小大あり。小を以て大を害することなく、賤を以て貴を害することなし。其小を養ふ者は小人と爲り、其大を養ふ者は大人と爲る。今場師あり。其梧槚を舍てて其樲棘を養はば則ち賤場師と爲さん。其一指を養ひて其肩背を失ひて知らざれば、則ち狼疾の人と爲さん。飮食の人は則ち人之を賤む。其小を養ひ以て大を失ふが爲めなり。飮食の人失ふこと有る無ければ、則ち口腹豈に適尺寸の膚の爲めならんや。〉
公都子問曰:「鈞是人也,或爲大人,或爲小人,何也?」孟子曰:「從其大體爲大人,從其小體爲小人。」曰:「鈞是人也,或從其大體,或從其小體,何也?」曰:「耳目之官不思,而蔽於物。物交物,則引之而已矣。心之官則思;思則得之,不思則不得也。比天之所與我者,先立乎其大者,則其小者不能奪也。此爲大人而已矣。」
〈公都子問ひて曰く、鈞しく是れ人なり。或は大人と爲り、或は小人と爲るは何ぞや。孟子曰く、其大體に從へば大人と爲り、其小體に從へば小人と爲る。曰く、鈞しく是れ人なり。或は其大體に從ひ、或は其小體に從ふは何ぞや。曰く、耳目の官は思はずして物に蔽はる。物、物に交はれば則ち之を引くのみ。心の官は則ち思ふ。思へば則ち之を得、思はざれば則ち得ざるなり。天の我に與ふる所の者を比し、先づ其大なる者を立つれば、則ち其小なる者奪ふこと能はざるなり。此れ大人となるのみ。〉
孟子曰:「有天爵者,有人爵者。仁義忠信,樂善不倦,此天爵也。公卿大夫,此人爵也。古之人,修其天爵而人爵從之。今之人,修其天爵以要人爵。既得人爵而棄其天爵,則惑之甚者也,終亦必亡而已矣。」
〈孟子曰く、天爵なる者あり、人爵なる者あり。仁義忠信善を樂みて倦まざるは此れ天爵なり。公卿大夫は此れ人爵なり。古の人は其天爵を修めて人爵之に從ふ。今の人は其天爵を修めて以て人爵を要む。既に人爵を得れば、其天爵を棄つるは則ち惑へるの甚しき者なり。終に亦必ず亡はんのみ。〉
孟子曰:「欲貴者,人之同心也。人人有貴於己者,弗思耳矣。人之所貴者,非良貴也。趙孟之所貴,趙孟能賤之。《詩》云:『既醉以酒,既飽以德。』言飽乎仁義也,所以不愿人之膏粱之味也。令聞廣譽施於身,所以不愿人之文繡也。」
〈孟子曰く、貴きを欲するは人の同じき心なり。人人己に貴き者あり。思はざるのみ。人の貴くする所の者は良貴に非ざるなり。趙孟の貴くする所は趙孟能く之を賤しくす。詩に云く、既に醉ふに酒を以てし、既に飽くに德を以てすと。仁義に飽くを言ふなり。人の膏粱の味を愿はざる所以なり。令聞廣譽身に施く、人の文繡を愿はざる所以なり。〉
孟子曰:「仁之勝不仁也,猶水之勝火。今之爲仁者,猶以一杯水救一車薪之火也。不熄,則謂之水不勝火。此又與於不仁之甚者也,亦終必亡而已矣。」
〈孟子曰く、仁の不仁に勝つや、猶ほ水の火に勝つがごとし。今の仁を爲す者は、猶ほ一杯の水を以て一車薪の火を救ふがごときなり。熄まざれば則ち之を水火に勝たずと謂ふ。此れ又不仁に與するの甚だしき者なり,亦終に必ず亡びんのみ。〉
孟子曰:「五穀者,種之美者也。茍爲不熟,不如荑稗。夫仁亦在乎熟之而已矣。」
〈孟子曰く、五穀は種の美なる者なり。茍も熟せざることを爲さば、荑稗に如かず。夫れ仁も亦之を熟するに在るのみ。〉
孟子曰:「羿之敎人射,必志於彀;學者亦必志於彀。大匠誨人,必以規矩;學者亦必以規矩。」
〈孟子曰く、羿の人に射を敎ふる。必ず彀に志さしむ。學ぶ者も亦必ず彀に志す。大匠の人に誨ふる必ず規矩を以てす。學ぶ者も亦必ず規矩を以てす。〉