壜の中に見出された手記
如何なる人と雖も生きるべき一瞬の命しか残されなかつた時に於いて、敢へて己を佯る何物をも遺さうとはしないであらう。
キノオの「アテイス」
私は自分の国や家族に就いては殆ど語るべきことを持たない。虐遇と永い星霜とは、私を国から追放し家族から遠ざけてしまつた。親譲の財産に依つて、私は普通程度の教育を受けることが出来たが、思慮深い私の性質は弱年の頃矻々として築き上げた学問の貯へに順序を立てることを可能ならしめた。その中で独逸の倫理学者の著作は私に最も大きな喜びを与へた、と言ふのは彼等の素晴しい雄弁に対する私の浅はかな驚歎の故にではなく、賦性の手厳しい思考力から私には容易に彼等の虚言を見抜き得た故にである。私は屢々自分の稟性の潤なき事に就いて非難された。私の想像力の欠乏は恰も罪悪ででもあるかの如くに詰責された、そして私の持説の懐疑的であつたことは常に私を有名ならしめた。まことに物理学に対する旺んな興味は、私の心を此年頃に甚だ有りがちな過ちで染めてしまつたらしい――と言ふのは私は総ての出来事を、斯る論及なぞは到底許さるべくも見えないものであつても、その科学の原則に論及したがる習慣に陥つてゐたのである。ともあれ私程、怪詭妖譚の類に依つて、厳粛なる真理の境域から誘き出され難い者はなかつたであらう。私が斯く多くの前置を述べる所以は、これから物語らうとする、たあひもない仮作譚なぞはこれに比べたら徒らな死文字に等しかつたに違ひない程の不思議な物語が、正真正銘な心の経験とは考へられずに粗雑な空想の戯言の如く思ひちがひされることを虞れたからである。
外国に数年を過ごした後、一干八百――年私はジャバの中でも富裕な人口も多いバタヴィア島の港を出帆してサンダ群島へ向かつた。私がその船の船客となつたのは、仇敵の如くに私を追ひ立てる神経の不休息から逃れたかつたのに他ならない。
我々の乗船はボンベイで造られた四百噸許りの美しい銅を張つたマラバア・チークの船であつた。そしてラッカディヴ諸島からの棉花と油とを積み込んでゐた。また甲板には椰木皮繊維、椰子糖、乳酪油、椰子の実、及び阿片の箱少数を載せてゐた。積込み方が不器用だつたので船体はその為に屢々ぐらついた。
我々は僅の順風に乗つて出帆して、幾日かの長い間をジャバの東海岸に沿つて進んで行つたが、航海の単調を紛らすものと言つては、僅かに我々の目ざしてゐる群島から来た船脚の軽い小船と時折出逢ふ事位であつた。
或る夕暮れ時であつた。私は船尾の欄杆に倚れてゐたのだが、ふと西北の方角に当つて非常に際立つてぽつつりと浮かんだ雲を見出した。色なり形なりが、確にバタヴィア出港以来初めて見る雲であつた。私はそれを注意深く、日の沈むまで見守つてゐたが、見てゐる中にそれは東へ西へ、一つぱいに延び広がつて行つて、まるで低い陸地の長い線とも思はれる程も、霧の細長い帯をもつて水平線を囲んで了つたのである。間もなく私の注意は朱黝い月の出と、唯ならぬ海の気配とに驚かされた。海には急速な変化が行はれてゐて、水は常よりも余程透明に見えた。海底まで私の眼ははつきり見ることが出来たので、測鉛を引き上げてたしかめると、船は今五十尋の処にゐた。やがて大気は堪へ難く熱して来た。あたかも灼熱された鉄からでも発するやうな螺旋状に立ちのぼる瘴気がこもつてゐるのであつた。夜に入ると風の吐息は悉く死んでしまつて、更に何ともたとへ難い全き静寂がやつて来た。船尾の高甲板に灯された蠟燭の炎は微かなそよぎさへも見せずに燃えてゐたし、拇指と他の指との間に懸つた長い髪の毛すら揺らぐことがなかつた。併し、船長は何等の危険の兆候も見えないと言つて、それに船はそのまゝ陸の方に流されてゐたので、帆をたゝみ、錨を卸ろすやうに命令を下した。そして一人の見張りも置かれずに、殆ど
馬来人ばかりの水夫等は甲板の上にごろごろ寝そべつてしまつた。私は襲ひかゝつて来る不気味な予感を打消すことが出来なかつたので――下へ降りて行つた。実際、私には総ての様子が、どうしても毒熱風の兆候らしく思はれてならなかつたのである。私は船長にその恐怖を訴へたのだが、船長は些の注意も払はぬどころか、返事すらしてくれなかつた。併し不安の余り到底眠る事の出来なかつた私は真夜中頃起き上つて甲板へ出て行つた。
後甲板階段を上り切らうとした時、私は何かがぶんぶん捻るやうな凄じい物音に驚かされた。それは恰度水車の輪が烈しく廻転する時に起こるやうな響であつた。ところが、その物音の原因をたしかめ得るよりもさきに、私は船の中心が慄へ戦いてゐるのを発見した。次の瞬間、逆巻く白浪が危く船を覆へすばかりに襲ひかゝつて来ると、どつと縦ざまに掠めて、甲板の上を船首から船尾にかけてを洗ひ去つた。
この突風の極度の兇暴さは却つて船を救つた。全く水に浸つてしまつたにも拘らず、マストが船外に落ちたために、暫く海面から起き上ると、鳥渡の間暴れ狂ふ嵐の下によろめいてゐたが、遂に正しい位置になほることが出来た。
如何なる奇蹟のお蔭で私が破滅を免れたのか説明することは不可能である。私は気を失つてゐたのだが波に打たれて我に返つて見ると、自分の体が船尾材と舵との間に押し込まれてゐたことを知つた。眩暈を感じながら、非常な苦心で足を踏みしめて四辺を見廻すと、船は凄じい白浪の真只中にゐるのであつた。船を呑み込んだ山の如き泡立つた大海の渦巻は、到底如何なる想像も及び難い恐しいものであつた。
間もなく私は年老いた瑞典人の声を耳にした。彼は出帆の間際にこの船に乗り込んだのであつた。私があらん限りの声で呼びかけると、彼は直ぐに蹌踉きながら船尾の方へやつて来た。我々はそこで、自分達二人だけがこの災厄の生残者であることを知つた。我々を除いて甲板の上の一切の物が洗ひ浚はれてしまつたのだ。船長を初め船員共は眠つてゐる間にやられたに違ひない。船室にはすべて水が奔注してゐた。何の援助もなくして我々の手で船を救ふ見込みはなかつたし、それに刻々と沈みつつあると言ふ意識は我々の努力を麻󠄁痺させるに充分であつた。錨綱は勿論最初の颶風で捆索の如く切断されてしまつたが、左もない時には船はひとたまりもなく覆へされてゐたであらう。我々は恐しい速力で海上を疾つてゐた。波は砕けずに船の上を越えて行つた。艫の骨組は無残に打ち砕かれて、その他の部分も大概ひどく傷はれてしまつたが、併し非常に嬉れしかつたことにも我々はポンプが未だ塞がれていないのと底荷がそのまゝであることを発見した。暴風の頂上は已に吹き過ぎてゐたので、風の危険は少く〔ママ〕なつたわけだが、我々のこんな覚束ない船体では、風の凪いだ後に来る大浪に依存つて微塵に打ち砕かれてしまふことは明か〔ママ〕であつた。とは言へ、この極めて正しい意見は直ぐには実証されなかつた。まる五日五夜の間――その間の我々の生活は非常な困難のもとに水夫部屋から取つて来ることの出来た椰子糖に依つて保たれた――船体は、最初の毒熱風程狂暴ではなかつたにせよ、私がその以前に出遭つた如何なる暴風にも勝る短い矢継早やに起る〔ママ〕疾風を受けて、測り難い速力で飛走してゐた。航路は、初めの四日間は少し変つたのみで東南微南の方角をとつてゐたので、ニューオランダ (オーストレリアの事) の岸に沿つて下つてゐた筈である。五日目になると、風は更に一点だけ北に変つたのだが、俄に寒気が烈しくなつた。太陽は鈍い病的な黄色い輝きを帯びて、水平線よりほんの僅かしか上らなかつた。雲の姿は見られなかつたが、風は次第に募つて間歇的に定りなく吹きすさんだ。どうやら正午時分と思はれる頃、我々の注意は再び太陽に奪はれた。それは恐らく光が気極したとでも言ふのであらう、反射もなく懶く陰欝に昏くなつた。そして脹れ上つた海に沈みながら、恰も途方もない力に依つて突然かき消されたかの如く、その中心の閃光を失つた。幾尋とも測り知れぬ大洋の中へ落ち込んで行くそれは、たずゞ朦朧たる銀の輪であつた。
我々は甲斐なく六日目の日の明けるのを待ち憧れた――その日は私には未だ来なかつた――また瑞典の男には永遠にやつて来なかつたのである。それ以後我々は真黒な闇にのみ込まれて、船から二十歩先のものをも見ることが出来なかつた。我々を包む永劫の夜、熱帯の海で屢々見慣れた燐光にも最早や頼ることが出来なかつた。風は不滅の狂暴さを以て荒れ続けてゐたが、今まで我々に従いて来てゐるやうな普通の寄波や泡は既になくなつてゐた。我々を取り囲くすべては、恐怖と、重々しい憂鬱と、それから真黒な気の遠くなるやうな黒檀の沙漠とであつた。迷信的の恐怖は次第に老瑞典人の心に這ひ込んで行つた。また私自身の魂は無言の驚異に包まれた。我々は、船が最早や役に立たぬ以上に毀れ果ててゐることも忘れて、たゞ後檣の折れ残つた根にお互の体を固く結びつけたまゝ、悲しく海の世界を眺めるばかりであつた。我々は時を計る術もなかつたし、位置の推測すら不可能だつた。併し、我々が、どんな航海者も曽て来たことのない遠い南方にゐることだけは解つてゐたので、普通にある氷の障碍に出遭はぬことにおどろいた。だが、我々は絶えず破滅に脅かされてゐた――すべての山の如き巨浪が我々を顚覆させようとあせつた。それらの大濤は我々の想像し得る如何なるものよりも逈に厖大で、我々が忽ちそれに呑み込まれてしまはないのは洵に奇蹟であつた。友は私に船荷の軽いことを語つて、この船のすぐれた出来を憶ひ出させてくれたが、併し望みそれ自身全く望みないものであることを感ぜずにはゐられなかつた。ひたすら、何者の力を以てしても一時間と延ばすことは不可能であらうところの死を陰鬱に待ち受けるより他なかつた。黒い茫漠たる海は愈々凄愴として来た。ある時には信天翁の飛び上がるのに息を塞まらせた――またある時には、眩暈のする程の速さで水地獄へ落ち込んで行つたが、その底の空気は澱み全く静まり返つて海魔の眠を妨げるものは些もなかつたのである。
我々がこの深淵の一つの底にあつた時である。突然友のけたたましい叫び声が凄じく夜を引き裂いた。「見ろ! 見ろ!」私の耳許で彼は喚いた。全能の神よ! 見ろ! 見ろ!」彼の言ふが如く、私は一つの懶い陰気な赤い燈火の閃きが、我々の落込んでゐた宏大な裂け目の面を流れ下ちて来て、我々の甲板に気まぐれな光を投げかけてゐるのに気がついた。ふと眼を上げて眺めると、私の血は凍りついてしまつた。我々の真上のゾッとする程の高さのところに、恐らく四千噸もあらうかと思はれる巨大な船が、将に驀地に落ちかゝつて来やうとしてゐたではないか。それは、彼自身の高さの百倍にも超ゆる波の頂に押し上げられてゐるのであつたが、なほその姿は世にある如何なる軍艦も、また如何なる東印度貿易船も及ぶべくもなかつた。尨大な船体は煤けた黒色で、しかもありふれた彫刻などは施されてゐなかつた。砲門から一列の真鍮の大砲が突き出て、索具にゆらめく無数の戦闘用の燈火は磨き上げられた砲身に輝り輝いてゐた。併し、我々に何よりも深い驚きと恐怖とを覚えさせたものは、その船がこの滅法な海の只中を、しかもこの逆ひ難い颶風を衝いて、総帆を張り切つて進んでゐることであつた。最初に我々がその船を見出した時には、彼女がそのさきの暗い恐るべき深淵から緩やかに上りかけたところであつたため、我々は船首だけを見ることが出来たのである。慄然たる一瞬間、彼女は眩むばかりの頂上で恰もその壮大なる船体で沈思するかのやうに立ち止つたが、さて烈しく身震ひし、よろめいたかと思ふと――落下して来た。
この咄嗟のひまに、如何なる突然の沈著〔ママ〕が私の心を支配したのか。私は出来るだけ後方へ身をたじろがせながら、真向から襲ひかゝつて来る破滅を、恐れることなく待つた。我々の船は遂に身悶えをやめると、頭から沈みはじめた。それで、落下した巨塊は殆ど水中に没した部分と激突したのだが、その結果として、私は抵抗し難い猛烈さをもつて、その見知らぬ船の索具の上へ投げ出されたのであつた。
その時、この船は船首を風上へ廻しかけてゐたので、そのどさくさ紛れに私は乗船員達に気取られずに済んだ。そして私は容易に彼等の眼をぬすんで前船艙まで行きつくと、少し開かれてゐた艙口から船艙の中へ忍び込むことが出来た。どうしてそんな真似をしなければならなかつたのかは私にも殆ど解らない。恐らく最初この船の航海者等を見た時に、私の心を囚へた漠とした畏れが、私にさうさせたものであらう。私は一瞥したときにそんな不思議な不安を与へられた人々を俄に信じ兼ねた。私はそこで、船艙の中で隠場所を見つけようと考へたのだつた。仕切板の小部分を動かすと、大きな船骨の間に甚だ適当な避難所が見出された。
私の仕事が未だ終らない中に、跫音が聞えて来たので、私は已なく其儘それを用ひなければならなかつた。一人の男が私の隠れてゐる前を、弱々しい覚束ない足どりで通り過ぎた。顔は見えなかつたが、大体の様子を見ることは出来た。甚しい老齢と羸弱の徴が現はれてゐた。彼の膝は老年の重荷のために蹌跼き、全身は苦難のために戦いてゐた。彼は私には理解出来ない国語で、彼自身に破れた低い声で囁いて、さて船艙の一隅に堆み重ねられた単純らしい器械や朽ち果てた海図の間を手探つた。その様子には、老いほうけた気むづかしさと厳かな神の如き気品とを無造作にまぢへたやうなものが見られた。彼はやがて甲板に出て行つて、それつきり帰つて来なかつた。
名づけやうのない一つの感じが私の心に行き渡つた――分析することも許されぬ感情、既得の知識ではあまりに不充分であり、また恐らくこの先も私にそれを解く鍵を与へられることはあるまいと思はれるところのものである。私自身の如き心を持ち合せた者にとつて、この後の考へは堪へ難いことであつた。私は決して――私は知つてゐる――決して、
自分の概念について納得することは出来ないであらう。併しそれらの根源が全く奇怪千万な原因から出てゐる以上、斯うした概念が漠然としてゐることは不思議ではない。一つの新しい感覚――一つの新しい現実が私の心に加へられたのである。
私がこのおそろしい船の甲板を初めて踏んでから既に永い時が経つた。そして私の運命の光は、次第にその焦点をあつめて行くやうに思はれる。不可解な人々! 私の見抜くことの出来ない黙想に包まれながら、彼等は常に私の存在を気づかずにとほり過ぎるのであつた。いまや、身を隠すのなぞはまつたく無用な莫迦げたこととなつた。人々は決して私を見ようとしないのである。私が運転士の目の前を真面にとほりすぎたのはつい先刻のことである。私が現に記しつゝあるものを書くのに必要な品は、此頃勇を鼓して船長の私室から持つて来たものである。私はこの日記を絶やすことなくときどき書記して行くつもりだ。これを世に伝へる機会は真実得られないまでにも、それをこゝろみることだけには失敗しないであらう。最後の時が来たならば、私はこの手記を壜に封じ込んで海中へ投ずるのだ。
思ひがけない出来事が私に熟考の余地を与へた。そんなことが図り得べからざる機会を生むのであらうか? 私は誰にも見咎められずに甲板に出て、小短艇の底に堆まれた段索や古い帆布の中に身をよこたへてゐた。そして不思議な自分の運命についてかんがへ沈みながら、私は知らず知らずタール刷毛で、傍の樽の上にきちんとたたんで置かれてあつた副横帆の縁を汚してしまつた。その帆は今船の上に張られてゐる。そしてなに心なく触れた筆の痕は「発見」と言ふ言葉になつて広がつてゐた。
私は最近、この船の構造について多くの観察をとげた。よく武装はされてゐるが、思ふにこれは軍艦ではないらしい。索具の造りなり、全体の艤装なりに依つて軍艦でないと言ふことは容易に認め得たが、さてそれでは何であるかと言ふのに、恐らくそれは私にも測り難い。併し、その不思議な船体の型、奇妙な形の円材、覆ひかぶさつてゐる巨大な帆布、単純な船首、古びた船尾、それらのすべてに、私の心をかすめて何故とも知らない懐しい感情が閃めく。それは常にぼんやりとした思出の影と説明し難い古い異国の年代記と迥かなる昔の記憶とをまぢへてゐた。
私は船骨を眺めてゐた。船は私の見も知らぬ材料で造られてあつた。その木は船材としては甚だ不適当な特殊な質のものであるのに私はおどろかされた。と言ふのは、非常に孔だらけなもので、それはたゞ歳月に伴ふ腐蝕ばかりではなく、航海中に虫に喰はれたものと考へられるのだつた。多少穿鑿好き過ぎるかも知れないが、若し西班牙樫か何かが不自然な作用に依つて膨張されるものとしたならば、これは正しくスペイン樫のすべての特長を具えてゐた。
上の一節を記してゐる中に、老練な和蘭の老航海者の奇妙な格言が思ひ出された。彼の誠実に誰か疑をはさむ者がある時に、彼は口癖のやうにかう言つた。「真実だとも。船の体が、まるで生きた水夫の体のやうに大きく膨れて行く海のあることが真実のやうに。」
一時間
許り前に、私は大胆にも乗組員の群れの
間に自分の身を割りこませた。彼等は私に少しも注意を払はぬばかりではなく、私が
彼等の真中に立つてゐるにも
拘らず、彼等は全然私の出現に気づかないかのやうに見えた。彼等は
尽く、初め私が
船艙で見かけた一人のやうに、
白髪の老人達であつた。彼等の
膝はよわ
〳〵しく
慄へ、肩は老いくちて
二重にまがり、皺だらけの皮膚は風にカサカサと鳴り、声は
嗄れて低く
震へ、眼には老い
呆けた
泪がかゞやき、そして灰色の髪は嵐の中になびいてゐた。彼等の周囲には、甲板の到るところに、
異形な古めかしい構造の数理学の器械がとりちらされてあつた。
少し前に私は副横帆の結びつけられたことを述べて置いた。船はその時から風を真後から受けるやうになつて、檣冠から副横帆の下桁にいたるまで、総帆を張りつくして、まつしぐらに南に向つてその恐るべき航行をつゞけてゐた。そして中檣帆の桁端をば絶えず、人間の心が想像し得るかぎりの最も凄じい波の地獄の中にまろばしてゐるのであつた。私は急いで甲板を降りた。船員たちは少しも不便を感じないらしかつたが、私にはとても立つてゐることが出来なかつたのである。波のためにこの尨大な船体がひとたまりもなく呑み込まれずにゐることが、まことに私には奇蹟中の奇蹟とも思はれた。我々は正しく深淵の中に最後の突入をすることもなく。常に永劫の際辺をさまよひつづけるべく運命づけられたのであらう。我々は、私が曽て見た如何なる波よりも千倍も巨大な波濤から、矢の如く飛ぶ鷗よりも軽々しくすべり落ちたかと思ふと、水は深海の悪魔の如く、破壊を禁じられて単に脅すことのみにとどまる悪魔の如くに、その頭を我々の上に擡げかゝるのであつた。私は、幾度となく繰り返される危難脱出を、実にさうした結果を齎し得る自然の法則に帰因するやうになつた。この船が或る強い潮流か、若しくは猛烈な海底の逆流の作用を受けてゐるものと思ふの他なかつた。
私は船長を、その船室で、まともに見た――併し果して彼は私に何の注意も払わなかつた。ふと見た目にも、彼が人間以上の何者にも映りはしなかつたが、彼の様子には不思議な感情をまぢへて、包みきれぬ威厳と畏れとが漂つてゐた。背丈は略私と似て、約五呎八吋位である。そしてよくひきしまつた均勢のとれた体格をしてゐたが、逞しいと言ふ程でもなくまた他に著しく目立つたところもなかつた。併し彼の面に漲つてゐる表情は異様なものであつた――それは烈しい、不思議な、竦然たる老年の徴で、そして私の心の中にある説明し難い感情を惹き起すのに充分なものがあつた。彼の額には皺こそ少なかつたが、恐るべき永い星霜の姿が刻まれてゐた。その灰色の頭髪は過去の記録であり、更に灰色の眼は未来を占ふ巫女であつた。船室の床には、奇体な鉄鋲でとめた一折判の本や、徽だらけの科学器具や、廃れて長い間忘れられてゐた海図などが散らばつてゐた。彼は両手の上に頭を屈めて、一枚の紙を落着かない燃えるやうな眼ざしで瞶めてゐた。それは見たところ委任状らしく、兎に角、君主の署名がしてあつた。彼は――恰度私が最初船艙で見かけた船員のやうに――彼自身に向つて、低く何か不平らしい語調で異国の言葉を呟いてゐたが、その声は一哩もの遠方から私の耳に響いて来るやうに思はれた。
船及び船中のすべての物が、古い昔の気分で仕立てられてあつた。船員たちは幾世紀もの昔の幽霊の如くにあちらこちらと跳び歩いてゐた。彼等の眼には熱心なしかも穏かならぬ気配が溢れてゐた。そして戦燈用の燈火のぎらぎらした耀きの中に私の行途を遮つて彼等の姿が落ちるのを見る時、私は、一生を骨董商として過して、バルベックやタドモアやペルセポリスの朽ちかゝつた円柱の影ならば幾度も見なれてゐたにも拘らず、曽て感じたこともない、今は魂それ自身が廃墟になつてしまつたかの如き感じに打たれるのであつた。
私は四辺を見廻した時、以前の私の不安を恥しく思つた。
私が若しこれまで我々につき纏つて来た迅風に慄へるくらゐでは、小旋風とか毒熱風なぞの言葉はまつたく取るに足らない無効なものであることを理解するであらうところの、大洋と風との戦にはおそろしさのあまり到底堪へ切れなかつたのではあるまいか? 船を取りまく一切の外景は、永劫の夜の暗黒と、泡のない茫漠たる水であつた。しかし、船の両側約一リーグの辺には、ぼんやりと此処彼処に宏大なる氷の城壁が、物寂しい中空に屹り立つてゐるのが見られた。恰も宇宙を覆ふ壁のやうに。
私の想像通りに船は果して潮流の中にあつたのだ――若しもさうした名が、白氷に咆哮し叫び狂ひ、恰も瀑の中へ真逆様に突進するやうな激しさで南方に轟き渡つてゐる潮に与へられるのに適当なものであるとしたなら。
私の心の恐怖を言ひ表はすことは全く不可能だと言ふに憚らない。だが、この恐るべき天地の秘密に向けられた私の好奇心は、絶望さへ超越してゐた。そしてまたそれはこの最も戦慄すべき死の相をさへ服従せしめた。我々が非常に心をそゝりたてる或る知得――その到達は死滅であるところの或る知り得べからざる秘密――へ向つて急ぎつつあることは明白である。多分この潮流は我々を南極そのものに導いてゐるのであらう。この甚だ狂気じみた想像はたしかに当つてゐるのだ。
乗組員たちは甲板を落着かぬ慄へる足どりで歩いてゐる。併し彼等の面には絶望に対する冷淡よりも、更に希望の激しい感動の色が漲り渡つてゐた。
この間に風はなほ船尾の高甲板を襲ひつゝあつた。そして船は無数の帆を張りきつてゐたために、幾度となくそつくり海から引き上げられるではないか! おお、恐怖は恐怖に重さなる! ――氷が突然、右と左とに開かれれば、我々は眩しく廻転し初〔ママ〕める、無数の同心円の中に、ぐるぐると巨大な壁の頂は迥な暗の中に消えてゐる円戯場の縁をめぐつて。だが、最早や私の運命について思案してゐる暇はなくなつた! 円は急速に小さくなつて来た――我々は物狂ほしく渦巻の力の中へ落ち込んで行く――そして大洋と暴風の叫喚と咆哮と轟きの中に船は戦いてゐる――おお神よ! そして――まつしぐらに!
附記――「壜の中に見出された手記」は一千八百三十一年初めて発表されたのだが、これは私がマアケイタアの地図に親しんでから間もない時分で、それには大洋は四つの口に依つて、(北)極湾に突進して、地殻の中へ吸収されてしまふやうに記されてあつて、また極そのものは恐しく高く聳え立つた黒い岩として出てゐた。