壜の中に見出された手記 (渡辺温訳)

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びんの中に見出された手記


如何なる人といえども生きるべき一瞬の命しか残されなかつた時に於いて、へて己をいつわる何物をものこさうとはしないであらう。

キノオの「アテイス」


 私は自分の国や家族に就いてはほとんど語るべきことを持たない。虐遇ぎやくぐうと永い星霜せいそうとは、私を国から追放し家族から遠ざけてしまつた。おやゆずりの財産に依つて、私は普通程度の教育を受けることが出来たが、思慮深い私の性質は弱年じやくねんの頃矻々こつこつとして築き上げた学問のたくわへに順序を立てることを可能ならしめた。そのうち独逸ドイツ倫理りんり学者の著作は私に最も大きな喜びを与へた、と言ふのは彼等の素晴しい雄弁に対する私の浅はかな驚歎きようたんゆえにではなく、賦性もちまえの手厳しい思考力から私には容易に彼等のきよげんを見抜き得たゆえにである。私は屢々しばしば自分の稟性ひんせいうるおいなき事に就いて非難された。私の想像力の欠乏はあたかも罪悪ででもあるかの如くに詰責きつせきされた、そして私の持説じせつの懐疑的であつたことは常に私を有名ならしめた。まことに物理学に対するさかんな興味は、私の心をこの年頃にはなはだ有りがちなあやまちで染めてしまつたらしい――と言ふのは私は総ての出来事を、かかる論及なぞは到底許さるべくも見えないものであつても、その科学の原則に論及したがる習慣におちいつてゐたのである。ともあれ私程、かい妖譚ようたんの類に依つて、厳粛なる真理の境域からおびき出されがたい者はなかつたであらう。私がく多くの前置まえおきを述べる所以ゆえんは、これから物語らうとする、たあひもない仮作つくりぱなしなぞはこれに比べたらいたずらな死文字しもんじに等しかつたに違ひない程の不思議な物語が、正真正銘な心の経験とは考へられずに粗雑な空想の戯言たわごとの如く思ひちがひされることをおそれたからである。

 外国に数年を過ごしたのち、一干八百――年私はジャバの中でもゆうな人口も多いバタヴィア島の港を出帆しゆつぱんしてサンダ群島へ向かつた。私がその船の船客となつたのは、仇敵きゆうてきの如くに私を追ひ立てる神経の不休息からのがれたかつたのにほかならない。

 我々の乗船はボンベイで造られた四百トンばかりの美しい銅を張つたマラバア・チークの船であつた。そしてラッカディヴ諸島からの棉花めんかと油とを積み込んでゐた。また甲板かんぱんには椰木皮繊維コイーアー椰子やしとう乳酪にゆうらく椰子やし、及び阿片あへんの箱少数を載せてゐた。つみみ方が不器用だつたので船体はその為に屢々しばしばぐらついた。

 我々はわずかの順風に乗つて出帆して、幾日かの長い間をジャバの東海岸に沿つて進んで行つたが、航海の単調をまぎらすものと言つては、わずかに我々の目ざしてゐる群島から来た船脚の軽い小船と時折出逢ふ事ぐらいであつた。

 る夕暮れ時であつた。私は船尾の欄杆らんかんもたれてゐたのだが、ふと西北の方角に当つて非常に際立つてぽつつりと浮かんだ雲を見出した。色なり形なりが、たしかにバタヴィア出港以来初めて見る雲であつた。私はそれを注意深く、日の沈むまで見守つてゐたが、見てゐるうちにそれは東へ西へ、つぱいに延び広がつて行つて、まるで低い陸地の長い線とも思はれる程も、霧の細長い帯をもつて水平線を囲んでしまつたのである。間もなく私の注意は朱黝あかぐろい月の出と、ただならぬ海の気配とに驚かされた。海には急速な変化が行はれてゐて、水は常よりも余程透明に見えた。海底まで私の眼ははつきり見ることが出来たので、測鉛そくえんを引き上げてたしかめると、船は今五十ひろの処にゐた。やがて大気はがたく熱して来た。あたかも灼熱された鉄からでも発するやうなせんじように立ちのぼるしようがこもつてゐるのであつた。夜に入ると風のいきことごとく死んでしまつて、さらに何ともたとへがたまつたき静寂がやつて来た。船尾の高甲板こうかんばんともされた蠟燭の炎はかすかなそよぎさへも見せずに燃えてゐたし、拇指おやゆびほかの指との間にかかつた長い髪の毛すら揺らぐことがなかつた。しかし、船長はなんの危険の兆候ちようこうも見えないと言つて、それに船はそのまゝ陸の方に流されてゐたので、をたゝみ、いかりろすやうに命令をくだした。そして一人の見張りも置かれずに、殆ど 馬来マレイ人ばかりの水夫等は甲板の上にごろごろ寝そべつてしまつた。私は襲ひかゝつて来る不気味な予感を打消すことが出来なかつたので――下へ降りて行つた。実際、私には総ての様子が、どうしても毒熱風シイムーンの兆候らしく思はれてならなかつたのである。私は船長にその恐怖を訴へたのだが、船長はすこしの注意も払はぬどころか、返事すらしてくれなかつた。しかしママし不安の余り到底眠る事の出来なかつた私は真夜中頃起き上つて甲板へ出て行つた。 後甲板階段カムペニオンラダアあがり切らうとした時、私は何かがぶんぶんうなるやうなすさまじい物音に驚かされた。それはちよう水車の輪が烈しく廻転する時に起こるやうなひびきであつた。ところが、その物音の原因をたしかめるよりもさきに、私は船の中心がふるおののいてゐるのを発見した。次の瞬間、さか白浪しらなみあやうく船をくつがへすばかりに襲ひかゝつて来ると、どつとたてざまにかすめて、甲板かんぱんの上を船首から船尾にかけてを洗ひ去つた。

 この突風の極度の兇暴さは却つて船を救つた。全く水にひたつてしまつたにもかかわらず、マストが船外に落ちたために、しばらく海面から起き上ると、鳥渡ちよつとの間くるふ嵐の下によろめいてゐたが、遂に正しい位置になほることが出来た。

 如何いかなる奇蹟のお蔭で私が破滅をまぬかれたのか説明することは不可能である。私は気を失つてゐたのだが波に打たれて我に返つて見ると、自分の体が船尾材とかじとの間に押し込まれてゐたことを知つた。眩暈めまいを感じながら、非常な苦心で足を踏みしめて四辺あたりを見廻すと、船は凄じい白浪の真只中まつただなかにゐるのであつた。船を呑み込んだ山の如き泡立つた大海の渦巻は、到底如何いかなる想像も及び難い恐しいものであつた。

 間もなく私は年老いた瑞典スエデン人の声を耳にした。彼は出帆の間際にこの船に乗り込んだのであつた。私があらん限りの声で呼びかけると、彼は直ぐに蹌踉よろめきながら船尾の方へやつて来た。我々はそこで、自分達二人だけがこの災厄の生残者せいざんしやであることを知つた。我々をのぞいて甲板の上の一切の物が洗ひさらはれてしまつたのだ。船長を初め船員共は眠つてゐるにやられたに違ひない。船室にはすべて水がほんちゆうしてゐた。何の援助もなくして我々の手で船を救ふ見込みはなかつたし、それに刻々と沈みつつあると言ふ意識は我々の努力を麻󠄁痺させるに充分であつた。いかりづなは勿論最初のふうからげなわの如く切断されてしまつたが、もない時には船はひとたまりもなくくつがへされてゐたであらう。我々は恐しい速力で海上をはしつてゐた。波はくだけずに船の上を越えて行つた。ともの骨組は無残に打ち砕かれて、その他の部分も大概ひどくそこなはれてしまつたが、しかし非常にれしかつたことにも我々はポンプがふさがれていないのと底荷バラストがそのまゝであることを発見した。暴風の頂上はすでに吹き過ぎてゐたので、風の危険は少くママなつたわけだが、我々のこんな覚束おぼつかない船体では、風のいだのちに来る大浪に依存つてじんに打ち砕かれてしまふことは明かママであつた。とは言へ、この極めて正しい意見は直ぐには実証されなかつた。まるいついつの間――その間の我々の生活は非常な困難のもとに水夫部屋から取つて来ることの出来た椰子糖に依つてたもたれた――船体は、最初の毒熱風程狂暴ではなかつたにせよ、私がその以前に出遭であつた如何いかなる暴風にもまさる短いつぎやに起るママ疾風しつぷうを受けて、はかがたい速力で飛走してゐた。航路は、初めの四日間は少し変つたのみで東南なんの方角をとつてゐたので、ニューオランダ (オーストレリアの事) の岸に沿つてくだつてゐたはずである。五日目になると、風はさらに一点だけ北に変つたのだが、にわかに寒気がはげしくなつた。太陽は鈍い病的な黄色い輝きを帯びて、水平線よりほんのわずかしか上らなかつた。雲の姿は見られなかつたが、風は次第につのつて間歇的かんけつてきさだまりなく吹きすさんだ。どうやらしよぶんと思はれる頃、我々の注意は再び太陽に奪はれた。それは恐らく光がきよくしたとでも言ふのであらう、反射もなくものう陰欝いんうつくらくなつた。そしてふくれ上つた海に沈みながら、あたかも途方もない力に依つて突然かき消されたかの如く、その中心の閃光せんこううしなつた。幾尋いくひろとも測り知れぬ大洋の中へ落ち込んで行くそれは、たずゞ朦朧もうろうたる銀のであつた。


 我々は甲斐かいなくむいの日の明けるのを待ちあこがれた――その日は私にはいまだ来なかつた――また瑞典スエデンの男には永遠にやつて来なかつたのである。それ以後我々は真黒なやみにのみ込まれて、船から二十歩先のものをも見ることが出来なかつた。我々を包む永劫えいごう、熱帯の海で屢々しばしば見慣れた燐光りんこうにも最早もはたよることが出来なかつた。風は不滅の狂暴さを以て荒れ続けてゐたが、今まで我々にいて来てゐるやうな普通の寄波よせなみや泡はすでになくなつてゐた。我々を取りくすべては、恐怖と、重々しい憂鬱と、それから真黒な気の遠くなるやうな黒檀こくたんばくとであつた。迷信的の恐怖は次第に老瑞典スエデン人の心に這ひ込んで行つた。また私自身のたましいは無言の驚異に包まれた。我々は、船がや役に立たぬ以上にこわててゐることも忘れて、たゞこうしようの折れ残つた根におたがいの体を固く結びつけたまゝ、悲しく海の世界をながめるばかりであつた。我々は時をはかすべもなかつたし、位置の推測すら不可能だつた。しかし、我々が、どんな航海者もかつて来たことのない遠い南方にゐることだけはわかつてゐたので、普通にある氷のしようがいに出遭はぬことにおどろいた。だが、我々は絶えず破滅におびやかされてゐた――すべての山の如き巨浪きよろうが我々を顚覆てんぷくさせようとあせつた。それらの大濤おおなみは我々の想像し如何いかなるものよりもはるか厖大ぼうだいで、我々がたちまちそれに呑み込まれてしまはないのはまことに奇蹟であつた。友は私にふなの軽いことを語つて、この船のすぐれた出来をおもひ出させてくれたが、しかし望みそれ自身全く望みないものであることを感ぜずにはゐられなかつた。ひたすら、何者の力をもつてしても一時間とばすことは不可能であらうところの死を陰鬱に待ち受けるよりほかなかつた。黒い茫漠ぼうばくたる海は愈々いよいよ凄愴せいそうとして来た。ある時には信天翁あほうどりの飛び上がるのに息をまらせた――またある時には、眩暈めまいのする程の速さで水地獄へ落ち込んで行つたが、その底の空気はよどみ全くしずまり返つて海魔クレインねむりさまたげるものはすこしもなかつたのである。

 我々がこの深淵の一つの底にあつた時である。突然友のけたたましい叫び声がすさまじくよるを引き裂いた。「見ろ! 見ろ!」私の耳許みみもとで彼はわめいた。全能の神よ! 見ろ! 見ろ!」彼の言ふが如く、私は一つのものうい陰気な赤いともしひらめきが、我々の落込んでゐた宏大な裂け目の面を流れちて来て、我々の甲板に気まぐれな光を投げかけてゐるのに気がついた。ふと眼を上げて眺めると、私の血はこおりついてしまつた。我々の真上のゾッとする程の高さのところに、恐らく四千トンもあらうかと思はれる巨大な船が、まさ驀地まつしぐらに落ちかゝつて来やうとしてゐたではないか。それは、彼自身の高さの百倍にも超ゆる波のいただきに押し上げられてゐるのであつたが、なほその姿は世にある如何いかなる軍艦も、また如何なるひがし印度インド貿易船も及ぶべくもなかつた。尨大ぽうだいな船体はすすけた黒色で、しかもありふれた彫刻などはほどこされてゐなかつた。砲門ほうもんから一列のしんちゆうの大砲が突き出て、さくにゆらめく無数の戦闘用の燈火はみがき上げられた砲身ほうしんがやいてゐた。しかし、我々に何よりも深い驚きと恐怖とを覚えさせたものは、その船がこの滅法めつぽうな海の只中ただなかを、しかもこのさからひ難いふういて、総帆を張り切つて進んでゐることであつた。最初に我々がその船をいだした時には、彼女がそのさきの暗い恐るべき深淵からゆるやかにあがりかけたところであつたため、我々は船首だけを見ることが出来たのである。慄然りつぜんたる一瞬間、彼女はくらむばかりの頂上であたかもその壮大なる船体でちんするかのやうに立ちどまつたが、さてはげしくぶるひし、よろめいたかと思ふと――落下して来た。

 このとつのひまに、如何なる突然のちんママちやくが私の心を支配したのか。私は出来るだけ後方へ身をたじろがせながら、真向まつこうから襲ひかゝつて来る破滅を、恐れることなく待つた。我々の船は遂にもだえをやめると、頭から沈みはじめた。それで、落下した巨塊きよかいは殆ど水中に没した部分と激突したのだが、その結果として、私は抵抗しがたい猛烈さをもつて、その見知らぬ船のさくの上へ投げ出されたのであつた。

 その時、この船は船首を風上かざかみへ廻しかけてゐたので、そのどさくさまぎれに私は乗船員達に気取けどられずに済んだ。そして私は容易に彼等の眼をぬすんで前船艙ぜんせんそうまで行きつくと、少し開かれてゐた艙口そうこうから船艙せんそうの中へ忍び込むことが出来た。どうしてそんな真似まねをしなければならなかつたのかは私にも殆ど解らない。恐らく最初この船の航海者などを見た時に、私の心をとらへたばくとしたおそれが、私にさうさせたものであらう。私は一瞥いちべつしたときにそんな不思議な不安を与へられた人々をにわかに信じねた。私はそこで、船艙せんそうの中でかくれしよを見つけようと考へたのだつた。きりいたしよう部分を動かすと、大きな船骨の間にはなはだ適当な避難所が見出された。

 私の仕事がだ終らないうちに、跫音あしおときこえて来たので、私はやむなく其儘そのままそれをもちひなければならなかつた。一人の男が私の隠れてゐる前を、弱々しい覚束おぼつかない足どりで通り過ぎた。顔は見えなかつたが、大体の様子を見ることは出来た。はなはだしい老齢とるいじやくしるしが現はれてゐた。彼の膝は老年の重荷のために蹌跼よろめき、全身は苦難のためにおののいてゐた。彼は私には理解出来ない国語で、彼自身にやぶれた低い声でささやいて、さて船艙の一隅いちぐうかさねられた単純らしい器械や朽ち果てた海図の間をさぐつた。その様子には、老いほうけた気むづかしさとおごそかな神の如き気品とを無造作にまぢへたやうなものが見られた。彼はやがて甲板に出て行つて、それつきり帰つて来なかつた。

 名づけやうのない一つの感じが私の心に行き渡つた――分析することも許されぬ感情、既得の知識ではあまりに不充分であり、また恐らくこの先も私にそれを解く鍵を与へられることはあるまいと思はれるところのものである。私自身の如き心を持ち合せた者にとつて、このあとの考へはがたいことであつた。私は決して――私は知つてゐる――決して、 自分の概念について納得することは出来ないであらう。しかしそれらの根源が全くかい千万せんばんな原因から出てゐる以上、うした概念が漠然としてゐることは不思議ではない。一つの新しい感覚――一つの新しい現実が私の心に加へられたのである。

 私がこのおそろしい船の甲板を初めて踏んでからすでに永い時がつた。そして私の運命の光は、次第にその焦点をあつめて行くやうに思はれる。不可解な人々! 私の見抜くことの出来ない黙想もくそうに包まれながら、彼等は常に私の存在を気づかずにとほり過ぎるのであつた。いまや、身を隠すのなぞはまつたく無用な莫迦ばかげたこととなつた。人々は決して私を見ようとしないのである。私が運転士の目の前を真面まともにとほりすぎたのはつい先刻のことである。私が現に記しつゝあるものを書くのに必要な品は、此頃ゆうして船長の私室から持つて来たものである。私はこの日記を絶やすことなくときどき書記かきしるして行くつもりだ。これを世に伝へる機会は真実得られないまでにも、それをこゝろみることだけには失敗しないであらう。最後の時が来たならば、私はこの手記をびんに封じ込んで海中へ投ずるのだ。


 思ひがけない出来事が私に熟考の余地を与へた。そんなことがはかべからざる機会を生むのであらうか? 私は誰にもとがめられずに甲板に出て、小短艇ヤールの底にまれた段索だんさくや古いぬのの中に身をよこたへてゐた。そして不思議な自分の運命についてかんがへ沈みながら、私は知らず知らずタール刷毛はけで、そばたるの上にきちんとたたんで置かれてあつた副横帆スタツギンセイルふちよごしてしまつた。その帆は今船の上に張られてゐる。そしてなにごころなく触れた筆の痕は「発見ディスカヴアリイ」と言ふ言葉になつて広がつてゐた。

 私は最近、この船の構造について多くの観察をとげた。よく武装はされてゐるが、思ふにこれは軍艦ではないらしい。索具の造りなり、全体のそうなりに依つて軍艦でないと言ふことは容易に認め得たが、さてそれでは何であるかと言ふのに、恐らくそれは私にもはかがたい。しかし、その不思議な船体の型、奇妙な形の円材、覆ひかぶさつてゐる巨大な帆布、単純な船首、古びた船尾、それらのすべてに、私の心をかすめて何故なぜとも知らないなつかしい感情がひらめく。それは常にぼんやりとしたおもいの影と説明し難い古い異国の年代記とはるかなる昔の記憶とをまぢへてゐた。

 私は船骨を眺めてゐた。船は私の見も知らぬ材料で造られてあつた。その木は船材としてははなはだ不適当な特殊な質のものであるのに私はおどろかされた。と言ふのは、非常にあなだらけなもので、それはたゞ歳月に伴ふしよくばかりではなく、航海中に虫に喰はれたものと考へられるのだつた。多少穿鑿せんさくき過ぎるかも知れないが、西班牙スペインがしか何かが不自然な作用に依つて膨張されるものとしたならば、これはまさしくスペインがしのすべての特長をそなえてゐた。

 上の一節をしるしてゐるうちに、老練な和蘭オランダの老航海者の奇妙な格言が思ひ出された。彼の誠実に誰かうたがいをはさむ者がある時に、彼は口癖のやうにかう言つた。「真実だとも。船の体が、まるで生きた水夫の体のやうに大きくふくれて行く海のあることが真実のやうに。」


 一時間ばかり前に、私は大胆にも乗組員の群れのあいだに自分の身を割りこませた。彼等は私に少しも注意を払はぬばかりではなく、私がかれの真中に立つてゐるにもかかわらず、彼等は全然私の出現に気づかないかのやうに見えた。彼等はことごとく、初め私が船艙せんそうで見かけた一人のやうに、白髪はくはつの老人達であつた。彼等のひざはよわしくふるへ、肩は老いくちてじゆうにまがり、皺だらけの皮膚は風にカサカサと鳴り、声はしわがれて低くふるへ、眼には老いほうけたなみだがかゞやき、そして灰色の髪は嵐の中になびいてゐた。彼等の周囲には、甲板の到るところに、ぎような古めかしい構造の数理学の器械がとりちらされてあつた。

 少し前に私は副横帆スタツギンセイルの結びつけられたことを述べて置いた。船はその時から風をうしろから受けるやうになつて、檣冠トラツクから副横帆スタツギンセイル下桁ブームにいたるまで、総帆そうはんを張りつくして、まつしぐらに南に向つてその恐るべき航行をつゞけてゐた。そして中檣帆トツプガラントセイル桁端カードアムをば絶えず、人間の心が想像しるかぎりの最もすさまじい波の地獄の中にまろばしてゐるのであつた。私は急いで甲板を降りた。船員たちは少しも不便を感じないらしかつたが、私にはとても立つてゐることが出来なかつたのである。波のためにこの尨大な船体がひとたまりもなく呑み込まれずにゐることが、まことに私には奇蹟中の奇蹟とも思はれた。我々はまさしく深淵の中に最後の突入をすることもなく。常に永劫えいごうきわをさまよひつづけるべく運命づけられたのであらう。我々は、私が曽て見た如何いかなる波よりも千倍も巨大なとうから、矢の如く飛ぶかもめよりも軽々かるがるしくすべり落ちたかと思ふと、水は深海の悪魔の如く、破壊を禁じられて単におびやかすことのみにとどまる悪魔の如くに、その頭を我々の上にもたげかゝるのであつた。私は、幾度となく繰り返されるなん脱出を、実にさうした結果をもたらる自然の法則に帰因するやうになつた。この船が或る強い潮流か、しくは猛烈な海底の逆流の作用を受けてゐるものと思ふのほかなかつた。

 私は船長を、その船室で、まともに見た――しかはたして彼は私に何の注意も払わなかつた。ふと見た目にも、彼が人間以上の何者にもうつりはしなかつたが、彼の様子には不思議な感情をまぢへて、包みきれぬ威厳いげんおそれとがただよつてゐた。たけほぼ私と似て、約五フイートインチくらいである。そしてよくひきしまつた均勢のとれた体格をしてゐたが、たくましいと言ふ程でもなくまた他にいちじるしく目立つたところもなかつた。しかし彼のおもてみなぎつてゐる表情は異様なものであつた――それははげしい、不思議な、しようぜんたる老年のちようで、そして私の心のうちにある説明し難い感情をおこすのに充分なものがあつた。彼の額には皺こそ少なかつたが、恐るべきなが星霜せいそうの姿が刻まれてゐた。その灰色の頭髪は過去の記録であり、さらに灰色の眼は未来を占ふ巫女みこであつた。船室の床には、奇体なてつびようでとめた一折判ひとおりばんの本や、かびだらけの科学器具や、すたれて長い間忘れられてゐた海図などが散らばつてゐた。彼は両手の上に頭をかがめて、一枚の紙を落着かない燃えるやうなまなざしでみつめてゐた。それは見たところ委任状らしく、かく、君主の署名がしてあつた。彼は――ちよう私が最初船艙で見かけた船員のやうに――彼自身に向つて、低く何か不平らしい語調で異国の言葉をつぶやいてゐたが、その声は一マイルもの遠方から私の耳に響いて来るやうに思はれた。


 船及び船中のすべての物が、古い昔の気分で仕立てられてあつた。船員たちは幾世紀もの昔の幽霊の如くにあちらこちらと跳び歩いてゐた。彼等の眼には熱心なしかもおだやかならぬはいが溢れてゐた。そして戦燈せんとう用のとうのぎらぎらした耀きの中に私の行途ゆくてさえぎつて彼等の姿が落ちるのを見る時、私は、一生をこつとうしようとしてすごして、バルベックやタドモアやペルセポリスのちかゝつた円柱の影ならば幾度も見なれてゐたにもかかわらず、曽て感じたこともない、今はたましいそれ自身が廃墟になつてしまつたかの如き感じに打たれるのであつた。


 私は四辺あたりを見廻した時、以前の私の不安をはずかしく思つた。

 私がしこれまで我々につきまとつて来た迅風じんぷうふるへるくらゐでは、しようせんぷうとか毒熱風なぞの言葉はまつたく取るに足らない無効なものであることを理解するであらうところの、大洋と風とのたたかいにはおそろしさのあまり到底堪へ切れなかつたのではあるまいか? 船を取りまく一切の外景は、永劫えいごうの夜の暗黒と、泡のない茫漠たる水であつた。しかし、船の両側約一リーグのあたりには、ぼんやりと此処ここ彼処かしこに宏大なる氷の城壁が、物寂しい中空にそそり立つてゐるのが見られた。あたかも宇宙を覆ふ壁のやうに。


 私の想像通りに船は果して潮流の中にあつたのだ――しもさうした名が、白氷に咆哮ほうこうし叫び狂ひ、あたかたきの中へ真逆様まつさかさまに突進するやうな激しさで南方にとどろき渡つてゐるしおに与へられるのに適当なものであるとしたなら。

 私の心の恐怖を言ひ表はすことは全く不可能だと言ふにはばからない。だが、この恐るべき天地の秘密に向けられた私の好奇心は、絶望さへ超越してゐた。そしてまたそれはこの最も戦慄すべき死のすがたをさへ服従せしめた。我々が非常に心をそゝりたてる或る知得――その到達は死滅であるところの或る知りべからざる秘密――へ向つて急ぎつつあることは明白である。多分この潮流は我々を南極そのものに導いてゐるのであらう。このはなはだ狂気じみた想像はたしかに当つてゐるのだ。


 乗組員たちは甲板を落着かぬふるへる足どりで歩いてゐる。しかし彼等のおもてには絶望に対する冷淡よりも、さらに希望の激しい感動の色がみなぎり渡つてゐた。

 このあいだに風はなほ船尾の高甲板を襲ひつゝあつた。そして船は無数の帆を張りきつてゐたために、幾度となくそつくり海から引き上げられるではないか! おお、恐怖は恐怖にさなる! ――氷が突然、右と左とに開かれれば、我々はまぶしく廻転し初ママめる、無数の同心円のうちに、ぐるぐると巨大な壁のいただきはるかやみなかに消えてゐるえんじようふちをめぐつて。だが、最早もはや私の運命について思案してゐるいとまはなくなつた! 円は急速に小さくなつて来た――我々は物狂ほしく渦巻の力の中へ落ち込んで行く――そして大洋と暴風の叫喚と咆哮ととどろきの中に船はおののいてゐる――おお神よ! そして――まつしぐらに!

附記――「びんの中に見出された手記」は一千八百三十一年初めて発表されたのだが、これは私がマアケイタアの地図にしたしんでからもない時分で、それには大洋は四つの口に依つて、(ほつ)きよくわんに突進して、かくの中へ吸収されてしまふやうにしるされてあつて、またきよくそのものはおそろしく高くそびえ立つた黒い岩として出てゐた。
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原文:

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 
翻訳文:

この著作物は、1930年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。