「霧島山の
お良さんのおきやんは、これでも知れる。坂本に伴はれて、鹿児島の城下に滞在した時は随分はしやいだらしかつた。
「西郷さんが私をお転婆だと言つて笑ひました、坂本はハキ〳〵したことが好きで、私がどんなことをしたつて、決して叱るやうなことはなかつたのです」
天下の俊傑も、案外女には
「寺田家のお登世は、どんな女でしたか」私が問ふだ。
「あの人は、男勝りの、親切な女将さんでした。寺田屋はあの人の力で保つて居たので、亭主は
お登世は、孕むために生れて来たやうな女だつた。しまいには、子供の生れるのが怖ろしさに、亭主と部屋を別にした、それでもまだ不安なので、お登世が薦めて、亭主に遊所通ひをさせた。勤王の人々が、安心して、寺田屋を宿にしたのは、亭主が終始留守勝で、
鳥羽伏見の合戦は、天下の形勢を一変した。それ以来の寺田屋には、もう浪人の姿は見られなかつた、都が東京に
その松兵衛さんも、維新のドサクサに紛れて、商売は左前になる、相当の負債もあり、到頭店を畳んで、居喰ひをする内、すつかり財産をなくしてしまつた。さうしてお坊ちやん育ちの彼は、再び花の咲く見込もなく、縁につながるお力を頼つて、横須賀へ流れ込んだ。ドツコイドツコイの商売は、松兵衛さんにふさはしい稼業だつた。