土左日記 (群書類從)
土左日記
木工權頭貫之
をとこもす
廿二日に。いづみの國までと。たひらかに願たつ。ふぢ原のときざね。ふなぢなれどむまのはなむけす。
廿三日。やきのやすのりといふ人あり。この
廿四日。講師むまのはなむけしにいでませり。ありとあるかみしもわらはまでゑひしれて。一文字をだにしらぬものしが。あしは十文字にふみてぞあそぶ。
廿五日。かみのたちより。よびにふみもてきたなり。よばれていたりて。日ひとひ夜ひとよ。ふかくあそぶやうにてあけにけり。
廿六日。なほかみのたちにて
都いてゝ君にあはんとこしものをこしかひもなく別ぬる哉
となんありければ。かへるさきのかみのよめりける。
白砂のなみちを遠くゆきかひて我ににへきは誰ならなくに
こと人々のもありけれど。さかしきもなかるべし。とかくいひて。さきのかみいまのも。もろともにおりて。いまのあるじもさきのも。手とりかはして。ゑひごとにこゝろよげなることして。いて
廿七日。おほつよりうらとをさしてさしてこぎいづ。かくあるうちに。京にてうまれたりしをんな
都へと思ふもものゝ悲しきはかへらぬ人のあれはなりけり
またあるときには。
ある物と忘れつゝ猶なき人をいつもとこふそ悲しかりける
といひけるあひだに。かこのさきといふところに。かみのはらから。またこと人これかれ。さけな
をしと思ふ人やとまるとあし鴨の打むれて社我はきにけれ
といひてありければ。いといたくめでゝ。ゆく人のよめりける。
掉させとそこひもしらぬわたつみのふかき心を君にみる哉
といふあいだに。かぢとりものゝあはれもしらで。おのれしさけをくらひつれば。はやくいなんとて。しほみちぬ。かぜもふきぬべしとさはげば。ふねにのりなんとす。このおりにあるひと〴〵おりふしにつけて。から
廿八日。うらとよりこぎいでゝ。おほみなとをおふ。このあひだにはやくの
廿九日。おほみなとにとまれり。くすし。ふりはへてとうそ白散さけくはへてもてきたり。心ざしあるににたり。
元日。なほおなじとまりなり。白散をあるもの夜のまとて。ふなやかたにさしはさめりければ。風にふきならさせて。海にいれてえのまずなりぬ。いもしあらめも。はがためもなし。かうやうのものなきくになり。もとめもおかず。たゞをしあゆのくちをのみぞすふ。この
二日。なほおほみなとにとまれり。講師ものさけおこせたり。
三日。おなじところなり。もし風なみのしばしとおしむ心やあらん。こゝろもとなし。
四日。かせふけばえいでたゝず。まさつらさけよきものたてまつれり。このかうやうに。物もてくる人に。なほしも
五日。かせなみやまねば。なほおなじところにあり。人々たえずとぶらひにく。
六日。きのふのごとし。
七日になりぬ。おなじみなとにあり。けふはあをむまをおもへどかひなし。たゝなみのしろきのみぞ見ゆる。かゝる
淺茅生の野へにしあれは水もなき池につみつる若菜也けり
いとをかしかし。このいけといふは。所の名なり。よき入のおとこにつきて。くだりてすみけるなり。このながびつのものは。みな人わらはまでにくれたれば。あきみちて。ふなこどもは。はらつゞみをうちて。海をさへおどろかして。浪たてつべし。かくてこのあひだにことおほかり。けふわりごもたせてきたる人。そのななどぞやいまおもひいでん。この人うたよまんとおもふこゝろありてなりけり。とかくいひいひて。なみのたつなることゝ。うれへいひてよめるうた。
行先にたつ白波の聲よりもをくれてなかんわれやまさらむ
とぞよめる。いとおほごゑなるべし。もてきたる物より
ゆく人もとまるも袖のなみた川汀のみこそぬれまさりけれ
となんよめる。かくはいふものか。うつくしければにやあらん。いとおもはずなり。わらはごとにては。なにかはせん。おんなおきなにをしつべし。あしくもあれいかにもあれ。たよりあらばやらんとてをかれぬめり。
八日。さはることありて。なほおなじところなり。こよひ月は海にぞいる。これを見て。なりひらのきみの山のはにげて入ずもあらなんといふうた
とや。
九日のつとめて。おほみなとより。なはのとまりをおはんとてこぎいで
思ひやる心は海を渡れとも文しなけれはしらすやあるらん
かくて。宇多の松ばらをゆきすぐ。その松のかずいくそばくいくちとせへたりとしらず。もとごとに波うちよせ。枝ごとにつるぞとびかよふ。おもしろしと見るにたへずして。ふなびとのよめるうた。
み渡せは松のうれことに住鶴は千世のとちとそ思へらなる
とや。このうたはところを見るにえまさらす。かくあるをみつゝこぎゆくまに〳〵。山も海もみなくれ。夜ふけてにしひんがしも見えずして。
十日。けふはこのなはのとまりにとまりぬ。
十一日。あかつきに船をいだして。むろつをおふ。人みなまだねたれば。海のありやうも見えず。たゞ月をみてぞにしひんがしをばしりける。かゝるあひだに。みな夜あけて。手あらひ。れいのことどもしてひるになぬ。いましはねといふ所にきぬ。わかきわらは。このところの名をきゝて。はねといふ所は。鳥のはねのやうにやあるといふ。まだをさなきわらはの事なれば。ひと〴〵わらふ。ときにありけるをんなわらはなん。このうたをよめる。
まことにて名にきく所はねならはとふか如くに都へもかな
とぞいへる。をとこもをんなもいかでとく京へもがなとおもふ心あれば。このうたよしとにはあらねど。げにとおもひてひと〴〵わすれず。このはねといふ所とふわらはのついでに
世の中に思ひやれともこをこふる思ひにまさる思ひなき哉
といひつゝなん。
十二日。あめふらず。ふんときこれもちがふねのおくれたりし。ならしつよりむろつにきぬ。
十三日のあかつきに。いさゝかに雨ふる。しばしありてやみぬ。
雲もみな浪とそ見ゆるあまもかないつれか海と問て知へく
となんうたよめる。さてとうかあまりなれば。月おもしろし。船にのりはじめし日より。ふねにはくれなゐこくよききぬきず。それはうみのかみにおぢてといひて。なにのあしかげにことづけて。ほやのつまのいすしずしあはびをぞこゝろにもあらぬはぎにあげて見せける。
十四日。あかつきより雨ふれば。おなじところにとまれり。ふなぎみ
十五日。けふ
たてはたつゐれは又ゐる吹風と浪とは思ふとちにやわる覽
いふがひなきものゝいへるにはいとにつかはし。
十六日。風なみやまねば。猶おなじ所にとまれり。たゞ海に浪なくして。いつしかみさきといふところわたらんとのみなんおもふ。かぜ浪と
霜たにもおかぬ潟そといふなれと浪のなかには雪そ降ける
さて舟にのりし日よりけふまでに。はつかあまりいつかになりにけり。
十七日。くもれる雲なくなりて。あかつきづく夜いとおもしろければ。船をいだしてこぎゆく。このあひだに。雲のうへも海のそこも。をなしごとくになんありける。むべも昔のをとこは。さをはうがつなみのうへの月を。ふねはおさふ海のうちのそらを。とはいひけん。きゝざれにきけるなり。またある人のよめる歌。
みな底の月のうへより漕舟の掉にさはるはかつらなるらし
これをきゝてあるひとの又よめる。
かけみれは浪の底なる久かたの空こきわたる我そわひしき
かくいふあひだに夜やうやくあけゆくに。かぢとりらくろき雲にはかにいできぬ風ふきぬべし。みふねかへしてんといひて舟かへる。このあひだに雨ふりぬ。いとわびし。
十八日。なをおなじところにあり。海あらければ船いださず。このとまり。とほく見れどもちかくみれども。いとおもしろし。かゝれどもくるしければなにごともおもほへず。をとこどちは心やりにやあらん。からうたなどいふべし。船もいださでいたづらなれば。あるひとのよめる。
いそふりのよする礒には年月をいつともわかぬ雪のみそ降
この歌はつねせぬひとの
風による浪のいそにはうくひすも春もえしらぬ花のみそ咲
この歌どもをすこしよろしときゝて。ふねのをさしけるおきな。つきごろのくるしき心やりによめる。
たつ浪を雪か花かとふく風そよせつゝ人をはかるへらなる
このうたどもを人のなにかといふを。ある人の又きゝふけりてよめる。その歌よめるもじみそもじあまりなゝもじ。人みなえあらでわらふやうなり。うたぬしいとけしきあしくてゑず。まねべどもえまねばす。かけりともえよみ
十九日。ひあしければふねいださず。
廿日。きのふのやうなれば船いださず。みなひとびとうれへなげく。くるしく心もとなければ。たゞ日のへぬるかずを。けふいくか。はつかみそかとかぞふれば。
靑海原ふりさけみれはかすかなるみかさの山に出し月かも
とぞよめりける。かのくに人きゝしるまじくおもほへたれども。ことの心をおとこもじにさまをかきいだして。こゝのことばつたへたる人にいひしらせければ。心をやきゝえたりけん。いとおもひの外になむめでける。もろこしとこの國とはこと〳〵なるものなれど。月の影はおなじことなるべければ。人の心もをなじことにやあらん。さていまそのかみをおもひやりて。あるひとのよめる歌。
廿一日。うの時ばかりに船いだす。みなひとびとのふねいづ。これを見れば。春のうみに秋のこの葉しも。ちれるやうにぞありける。おぼろげの願によりてにやあらん。風もふかずよき日いできてこぎゆく。このあひだに。つかはれんとてつきてくるわらはあり。それがうたふふなうた。猶こそくにのかたはみやらるれ。わがちゝはゝありとしおもへば。かへらやとうたふぞあはれなる。かくうたふをきゝつゝこぎくるに。くろとりといふ鳥いはのうへにあつまりをり。そのいはのもとに浪しろくうちよす。かぢとりのいふやう。くろ
わかかみの雪と磯への白浪といつれまされり沖つしまもり
とかぢとりいへり。
廿二日。よんべのとまりよりことゞまりをおひてぞゆく。はるかに山見ゆ。としこゝのつばかりなるをのわらは。としよりはをさなくぞある。このわらは。船をこぐまに〳〵。山もゆくと見ゆるをみて。あやしきこと歌をぞよめる。[その歌]。
漕てゆく舟にて見れは足曳の山さへゆくをまつはしらすや
とぞいへる。をさなきわらはのことにてはにつかはし。けふ海あらげにて。いそに雪ふりなみの花さけり。あるひとのよめる。
浪とのみひとへにきけと色見れは雪と花とにまかひける哉
廿三日。ひてりてくもりぬ。このわたりかいぞくのおそりありといへば。神ほとけをいのる。
廿四日。きのふのおなじところなり。
廿五日。かぢとりらのきた風
廿六日。まことにやあらん。かいぞくおふといへば。夜なかばかり
わたつみのちふりの神に手向する幣の追風やますふかなん
とぞよめる。この
おひかせのふきぬる時は行舟のほてうちて社嬉しかりけれ
とぞ。
廿七日。かせふきなみあらければ船いださず。これかれかしこくなげく。をとこだちの
日をたにも天雲近く見るものを都へと思ふみちのはるけさ
またある人のよめる。
吹風のたへぬ限りしたちくれは浪路はいとゝ遙けかりけり
日ひとひ風やまず。つまはじきしてねぬ。
廿八日。夜もすがら雨やまず。けさも。
廿九日。ふねいだしてゆく。うら〳〵とてりてこぎゆく。つめのいとながくなりにたるを見て。ひをかぞふれば。けふは子日なりければきらず。む月なれば京のねの日の事いひいでて。こまつもがなといへど。海なかなればかたしかし。あるをんなのかきていだせる歌。
覺束なけふはねのひかあまならは海松をたにひかまし物を
とぞいへる。うみにて子日のうたにてはいかがあらん。またある人のよめるうた。
けふなれと若菜もつます春日野の我漕わたる浦になけれは
かくいひつゝこぎゆく。おもしろきところに。船をよせてこゝやいづこととひければ。とさのとまりといひけり。むかしとさといひける所にすみけるをんな。この舟にまじれりけり。そがいひけらく。昔しばしありし所の
としころをすみし所の名にしおへはきよる浪をも哀とそ見る
とぞいへる。
卅日。あめかぜふかず。かいぞくはよるあるきせざなりときゝて。夜なかばかりに船をいだして。あはのみとをわたる。よなかなればにしひんがしもみえず。おとこをんなからく神ほとけをいのりてこのみとをわたりぬ。とらうの時ばかりにぬしまといふ所をすぎて。たながはといふ所をわたる。からくいそぎていづみのなだといふ所にいたりぬ。けふ海になみににたるものなし。神ほとけのめぐみかうぶれるににたり。けふふねにのりしひよりかぞふれば。みそかあまりこゝぬかに成にけり。いまはいづみのくににきぬれば。かいぞくものならず。
二月一日。あしたのま雨ふる。むまどきばかりにやみぬれば。いづみのなだといふところよりいでてこぎゆく。海のうへ昨日のごとくに風なみ見えず。くろさきの松ばらをへてゆく。ところの名はくろく。松の色はあをく。いその浪は雪のごとくに。かひのいろはすはうに
たまくしけはこの浦浪たゝぬひはうみを鏡と誰かみさらん
またふなぎみのいはく。この月までなりぬることとなげきて。くるしきにたへずして。人もいふことゝて。心やりにいへる
ひく舟の綱手の長き春の日をよそかいかまて我はへにけり
きく人のおもへるやう。なぞたゞごとなるとひそかにいふべし。ふなぎみのからくひねりいだして。よしとおもへることを。ゑじもこそし
二日。雨風やまず。ひゝとひ夜もすがら神佛をいのる。
三日。うみのうへ昨日のやうなれば舟いださず。風の吹ことやまねば。きしのなみたちかへる。これにつけてよめるうた。
をゝよりてかひなきものはおち積る淚の玉をぬかぬなり鳧
かくてけふ
四日。かぢとりけふかせ雲のけしきはなはだあしといひて。船いださずなりぬ。しかれどもひねもすに浪かぜたゝず。このかぢとりは日もえはからぬかたゐなりけり。このとまりのはまには。くさ〴〵のうるはしきかひいしなどおほかり。かゝればたゞむかしの人をのみ戀つゝ。ふねなる人のよめる。
よする浪打もよせなむ我こふる人わすれ貝おりてひろはん
といへ
忘貝ひろひしもせし白玉をこふるをたにも形見とおもはむ
となんいへる。をんな
てをひてゝ寒さもしらぬ泉にそ汲とはなしに日比へにける
五日。けふからくして。いづみのなだよりをつのとまりをゝふ。松ばらめもはる〴〵なり。これかれくるしければよめるうた。
ゆけとなをゆきやられぬは妹かうむをつの浦なる岸の松原
かくいひつゞくるほどに。ふねとくこげ。ひのよきにともよほせば。かぢとりふなこどもにいはく。みふねよりおほせたぶなり。あさきたのいでこぬさきにつなではやひけといふ。このこと葉のうたのやうなるは。かぢとりのをのづからのことばなり。かぢとりはうつたへにわれうたのやうなることいふとにもあらず。きく人のあやしくうためきてもいひつるかなとてかきいだせれば。げにみそもじあまりなりけり。けふなみなたちそと人々ひねもすにいのる。しるしありて風なみたゝず。いましかもめむれゐてあそぶところあり。京のちかづくよろこびのあまりに。あるわらはのよめる歌。
祈りくるかさまともふをあやなくも鷗さへたに浪と見ゆ覽
といひてゆくあひだに。いし津といふ所の松原おもしろくて。はまべとをし。またすみよしのわたりをこぎ行。ある人のよめる歌。
今見てそ身をはしりぬる住の江の松より先に我はへにけり
こゝにむかし
すみの江に舟さしよせよ忘草しるしありやとつみて行へく
となん。うつたへにわすれなんとにはあらで。戀しきこゝちしばしやすめて。またもこふるちからにせんとなるべし。かくいひてながめつゞくるあひだに。ゆくりなくかぜふきて。こげども〳〵しりへしぞきにしぞきて。ほとほとしくうちはめつべし。かぢとりのいはく。この住吉の明神はれいのかみぞかし。ほしきものぞおはすらん。今
千早根神のこゝろのあるゝ海に鏡をいれてかつみつるかな
いたくすみのえわすれぐさ岸の姬松などいふかみにはあらずかし。めもうつら〳〵。かゞみに神のこゝろをこそは見つれ。かぢとりの心はかみのみ心なりけり。
六日。みをつくしのもとよりいでゝ。
いつしかといふせかりつる難波潟蘆漕そけてみふれきに鳬
いとおもひのほかなる人のいへれば。ひとびとあやしがる。これがなかにこゝちなやむふなぎみいたくめでて。ふなゑいしたうべりしみかほにはにずもあるかなといひける。
七日。けふかはじりに船いりたちてこぎのぼるに。川の水ひてなやみわづらふ。ふねののぼることいとかたし。かゝるあひだにふなぎみの病者。もとよりこち〴〵しき人にて。かうやうのことさらにしらざりけり。かゝれどもあはぢたうめのうたにめでて。みやこぼこりにもやあらん。からくしてあやしきうたひねりいだせり。そのうたは。
きときては川の堀江の水を淺み舟も我みもなつむけふかな
これは。やまひをすればよめるなるべし。ひとうたにことのあかねば今ひとつ。
とくと思ふ舟なやますは我ために水の心のあさきな
このうたはみやこちかくなりぬるよろこびにたえずしていへるなるべし。あはぢのこのうたにおとれり。ねたきいはざらましものをとくやしがるうちに。
八日。なほ
九日。こゝろもとなさに。あけぬから船をひきつゝのぼれども。河の水なければ。ゐざりにのみぞゐざる。このあひだにわだのとまりのあかれのところといふ所あり。よねいほなどこへば
千世へたる松にはあれといにしへの聲の寒さは變らさり鳬
またある人のよめる。
君こひてよをふるやとの梅の花むかしの香にそ猶匂ひける
といひつゝぞ。都のちかづくをよろこびつゝのぼる。かくのぼる人々のなかに京よりくだりし時にみなひと子どもなかりき。いたれりし國にてぞ子うめるものども有あへる。人みな船のとまる所にいだきつゝおりのりす。これを見てむかしのこのはゝ。かなしきにたへずして。
なかりしも有つゝ歸る人の子を有しもなくてくるか悲しさ
といひてぞなきける。ちゝもこれをきゝていかゞあらん。かうやうの事ども。うたもこのむとてあるにもあらざるべし。もろこしもこゝも。おもふことにたへぬ時のわざとか。こよひうどのといふところにとまる。
十日。さはることありてのぼらず。
十一日。あめいさゝかふりてやみぬ。かくてさしのぼるに。ひんがしのかたに山のよこほれるをみて人にとへば。やはたのみやといふ。これをきゝてよろこびてひと〴〵をがみたてまつる。山ざきのはしみゆ。うれしきことかぎりなし。こゝに相應寺のほとりにしばし船をとどめて。とかくさだむることあり。このてらのきし
さゝれ浪よするあやをは靑柳の影の糸しておるかとそみる
十二日。やまざきにとまれり。
十三日。なほやまざきに。
十四日。あめふる。けふくるま京へとりにやる。
十五日。けふくるまゐてきたり。船のむづかしさに。ふねより人の家にうつる。このひとのいへよろこべるやうにてあるじしたり。このあるじのまたあるじのよきを見るにうたておもほゆ。色々にかへりごとす。家の人のいでいりにくげならずゐやゝかなり。
十六日。けふのようさ
久かたの月におひたる桂川そこなるかけもかはらさりけり
またある人のいへる。
あま雲のはるかなりつる桂川袖をひてゝもわたりぬるかな
またある人よめる。
かつら川わか心にもかよはねと同し深さになかるへらなり
京のうれしきあまりにうたもあまりぞおほかる。夜ふけてくればところ〴〵も見えず。京にいりたちてうれし。家にいたりてかどにいるに月あかければ。いとよくありさま見ゆ。きゝしよりもましていふかひなくぞこぼれやぶれたる。家をあづけたりつる人の心もあれたるなりけり。なかがきこそあれ。ひとついへのやうなれば。のぞみてあづかれるなり。さるはたよりごとに物もたへやずえさせたり。こよひかかることこゝはだかにものもいはせず。いとはつらく見ゆれど。こゝろざしはせんとす。さていけめいてくぼまり水つける所あり。ほとりに松もありき。いつとせむとせのうちにちとせやすぎにけん。かたへはなくなりにけり。いまおひたるぞまじれる。おほかたのみなあれにたれば。あはれとぞひと〴〵いふ。思ひいでぬことなくおもひ戀しきがうちに。この家にてうまれしをんなごのもろともにかへらねば。いかゞはかなしき。ふなびともみな
むまれしも返らぬものを我宿に小松のあるを見るが悲しさ
とぞいへる。なをあかずやあらん。またかくなん。
見し人の松の千年にみましかは遠く悲しきわかれせましや
わすれがたくくちをしきことおほかれど。えつくさず。とまれかうまれ。とくやりてん。
延長八年〈庚寅〉土佐の國にくだりて。承平五年〈乙未〉京にのぼりて。左大臣殿しら河殿におはします御ともにまうでたる。歌つかふまつれとあればよめる。
百草のはなのかけまてうつしつゝ音もかはらぬ白河の水
本云
土佐日記。以㆓貫之自筆本㆒。〈故將軍御物希代之靈寶也。今度密々自㆓小河御所㆒申出云々。〉依㆓或人數寄深切所望㆒書㆑之。古代假名猶㆓科蚪㆒。末愚臨寫有㆓魯魚㆒哉。後見輩察㆑之而已。
明應壬子仲秋候 亞槐藤原 判
右土佐日記以作者自筆轉寫本書寫雖假名遣相違多不敢私改而以扶桑拾葉集及流布印本挍合畢