吉利支丹文学抄/吉利支丹文学概説及び原本の解題
序說 吉利支丹文學槪說及び原本解題
- 一
天文十三〈一五四四〉年の渡來以後、島原亂の平定に至る百年たらずの時代を、我國耶蘇敎史の前期とするならば、前期は更に天正末葉の初期の禁令發布を區割として、弘布期と禁制期とに分ち得よう。しかも弘布期はいふまでもなく、禁制期に於いても、しば〳〵發せられ、行はれた禁令や迫害にも拘らず、布敎は少くとも地方的に續行されたので、從つて前期は、前後を通じて活氣にみちた耶蘇敎史上の盛時として、後の鎖國時代に對するのである。而して彼等西敎徒の文學事業は夙に布敎の始めから企てられ、この期を通じて盛んに爲されたので、彼等の編著にかゝる書物は、或は宣敎師が職務上の報吿とか、或は彼等の故國の讀書子を目宛として作られた敎會史や、日本志の類ひは之を除き、一層適切な意味で我國の吉利支丹文獻といひうべき性質を有するものについて之を見るに、その原本、原形若くは名の傳へられたもの丈でも、おもふに幾十種を數ふべく、外に全く逸したものゝ存在も考へられるから、實際の數は相應に多く、一般文學史上から見て、不生產時代であつた當時に於いて、まさしく注意すべき業績といふべきであらう。而して是等の文學事業について、おしなべて考へられるのは歐州宣敎師の日本學者と日本人信者中の文筆ある者〈而してそは當時の事情からして思ふに佛敎出のもの〉等との、共力の結果と推測される事である。例へば前者には日本文典の著者 Rodriguez 後者には天草版平家物語の編者不干巴鼻庵などその代表者として考へ得る。而して現存せる書物に徵して見ると、前期の二小期中で、丁度印刷術が傳へられて〈天正一八、一五九〇年のこと 新村出氏、活字印刷術の傳來、參照〉出版の事が初められたといふ事情に依る所多く、從つて夙く制作されたものが、こゝに出版さるゝに至つたものもあらうが、また一方には、禁制のことが却つて刺戟となつて、文學的制作を盛んならしめたといふことも或はあつたらう。とにかく慶長年間を中心として、日本耶蘇敎史の前期は、吉利支丹文學の爲の創造期といふべきで、その成績の頗る注意するに値するものであつたことは、現存のものだけに徵しても、優に承認し得る。それらは槪ね九州各地或はその他の敎區に於ける耶蘇會公刊のものを主として、敎徒の私抄のたぐひであるが、更に精しく見ると、或は歐文、或は日本文、或は邦字或は羅馬字綴、或は語學書或は文學書或は敎義書等、頗る多種多樣である。これに更に當時の吉利支丹攻擊書をも加へて、之を總括して吉利支丹文學とせば、こは思ふに語の最も廣義の用法であらう。而してこの意味で吉利支丹文學の現存せるものは、Satow氏が日本耶蘇會刊行書志〈The Jesuit mission press in Japan. 1838 本文中略して書志とす〉に紹介した十四種 及び同續編〈1899〉に紹介した二種を主として、その他を加へて約三十余種に上る。しかもこの中について、吾人は更に適當な意味で吉利支丹文學と稱しうるものを選出しようと思ふ。その條件としては、第一に文學的制作であることで、この點から文禄三〈一五九四〉年天草學林刊行 Alvarez 式羅典文典〈書志第四〉 文禄四〈一五九五〉年同所刊行羅和字典〈書志第五〉 慶長三〈一五九八〉年長崎〈?〉學林刊行落葉集〈書志第七〉 同八〈一六〇三〉年長崎學林刊行 Rodriguez の和葡辭書〈書志第十二〉 同九〈一六〇四〉年同所刊行 同じ人の日本文典〈書志第十三〉等は之を省く。第二に邦文で記されたことで、この點から天正一四〈一五八六〉年 Lisboa 刊行 Valignano の著 Catechismus Christianae 〈雜誌思想四十號木下氏、ぽるつがる記參照〉 慶長一〇〈一六〇五〉年長崎學林刊行 Çeiqueyra 編 Sacramenta 提要〈書志第十四〉 同一五〈一六一〇〉年間所刊行 Barreto 編聖敎精華〈新村氏圖書館の一隅より(大正十四年十月十六日)參照〉等は之を省く。第三には耶蘇敎の信仰や敎理に關することで、この點で文禄元〈一五九二〉年天草學林刊行 平家の物語及び合綴のいそぽ及金句集〈書志第二〉、慶長末年長崎〈?〉學林刊行太平記拔書〈書志續編〉 等は之を省く。第四に耶蘇敎の爲の著書といふことで、この點から元和六〈一六二〇〉年京都で轉宗後の巴鼻庵が著した
- 吉利支丹文學表
- 一、
聖徒 の御 作 業 の內拔書 〈書志第一〉(羅馬字綴) 天正一九〈一五九一〉年加津佐學林刊 英國 Bodley 文庫所藏 - 二、どちりな・きりしたん(羅馬字綴) 文禄元〈一五九二〉年天草學林刊 東洋文庫所藏〈新村出氏圖書館の一隅より〔前出〕參照〉
- 三、どちりな・きりしたん(漢字平假字)〈書志第九〉 刊行時所未詳 羅馬 Barberini 文庫所藏 東洋文庫ロートグラフ本所藏
- 四、ひいですの導師一名信心錄(羅馬字綴)〈書志第三〉 文禄元〈一五九二〉年天草學林刊行 和蘭 Leyden 大學文庫所藏
- 五、こんてむつす・むんぢ(羅馬字綴)〈書志第六〉 慶長元〈一五九六〉年天草〈?〉學林刊 英國 Bodley 文庫所藏
- 六、さるばとる・むんぢ(漢字平假字)〈書志第八〉 慶長三〈一五九八〉年長崎〈?〉學林刊 羅馬 Casanatense 文庫所藏 東洋文庫ロートグラフ本所藏
- 七、ぎや・ど・ぺかどる(漢字平假字)〈書志第一〇〉 慶長四〈一五九九〉年長崎〈?〉學林刊 大英博物館文庫完本を所藏(巴里國民文庫下卷を所藏)
- 八、どちりな・きりしたん(漢字平假字)〈書志第一一〉 慶長五〈一六〇〇〉年長崎後藤登明宗印耶蘇會印刷所刊 羅馬 Casanatense 文庫及東洋文庫所藏
- 九、どちりな・きりしたん(羅馬字綴)〈書志續編〉 慶長五〈一六〇〇〉年長崎〈?〉學林刊 水戶德川侯爵家所藏 明治三二年 Satow 氏發見して東京にて再刊(Transactions of Asiatic society in Japan. Vol. 27, Ft. Ⅱ)
- 一〇、こんちりさんの略(漢字平假字) 慶長八〈一六〇三〉年長崎〈?〉刊の原本に基き明治二年 Petijean 師上海にて刊行
- 一一、妙貞問答(漢字平假字) 慶長十〈一六〇五〉年巴鼻庵京都にて著はす、德川中期の寫本伊勢神宮文庫所藏
- 一二、しゆくわん〈珠冠?〉のまぬある(羅馬字綴) 慶長一二〈一六〇七〉年長崎學林刊 大浦天主堂所藏
- 一三、こんてむつすむんぢ(漢字平假字) 慶長一五〈一六一〇〉年原田アントニヨ印刷所刊 東京林氏所藏
- 一四、ひですの經(漢字平假字) 慶長一六〈一六一一〉年長崎後藤登明宗印耶蘇會印刷所出版 所藏者未詳〈本書については、近く雜誌書誌の誌上に岡本良知氏の紹介出づべし。〉
- 一五、びるぜん・さんた・まりやの貴きろざりよの修業と同くせずすの御名のこふらぢやに當る略の記錄(羅馬字綴) 元和八〈一六二二〉年 Manila 刊 同地 SanFrancisco 修道院所藏 〈雜誌民族(大正十四年十一月)石田氏「書庫の一隅より」參照〉
- 一六、
玖瑰花冠 記錄(漢字平假字) 元和八〈一六二二〉年 Manila 原刊本に基き明治二年 Petijean 氏上海にて刊行 - 一七、びるぜん・さんた・まりやの貴きろざりよのぢやるだんとて花園に喩ゆる經、同じくぜすゝのこふぢやのれひめんとの略(羅馬字綴) 元和九〈一六二三〉年 Manila 刊 同地の Franncisco 派及び Dominico 派修道院各々所藏 〈雜誌民族一五の條にいでたもの參照〉
- 一八、こんふゑしよん(羅馬字綴) 寬永九〈一六三二〉年羅馬刊 Collado 師著一八六六〈慶應二〉年 Pagés 巴里にて再刊
- 一九、吉利支丹抄物(漢字平假字) 著作時所未詳の寫本 攝津東氏所藏〈京都帝國大學文學部考古學硏究報吿第七册(大正一三年)に紹介さる〉
- 二〇、まるちりよの栞(漢字平假字) 著作時所未詳の寫本 長崎市圖書館所藏〈姉崎正治氏著切支丹宗門の迫害と潛伏(大正一四年二月刊)に紹介さる〉
- 二一、切支丹抄(漢字平假字) 著作時所未詳の寫本 東京林氏所藏〈西村眞次氏の文學思想硏究(大正一四年五月刊)中の文に紹介さる〉
以上のうちで、本書に抄錄した諸編の原本に當るものは、第一、第五、第七、及び第九の四種である。而して列記せる廿一種がうち、吾人の直接の知識を有し得たものは。未だ約半ばに過ぎないが、それに基き、又他のものに對する間接の知識に徵して、これらの四種が、吉利支丹文學中でそれ〴〵代表的意義を有することを推定して差支へないやうに思はれる。こは、各書及び抄錄せる各編について細說する所によつて、自ら明らかであらう。
なほ、以下の本文中書名の下に附記せる數字は、前揭の表の番號である。
- 二
聖徒の御作業の內拔書(Sanctos no gosagueo no uchi nuqigaqi(一))
袖珍本で、Bodley 文庫本は一六〇九年刊の西班牙文の一敎義書と合綴する。(Pressmark 8.°z. 21. Th. Seld. )第一第二の二卷より成り、「卷第一」は本文二九四頁、「目錄」二頁、正誤四頁。「卷第二」は本文三九〇頁、「目錄」四頁、正誤五頁。終りに「此二卷の御作業のうち分別しにくき言葉の和げ」七二頁をそへ、總頁數七百七十一頁。內容はぺてろ、ぱうろ以下三十餘名の聖徒及び致命者の物語を主とし、その間に致命の意義、信徒迫害の記事等を交ふ。第一卷十七章、第二卷二十二章、凡て三十九章、各章は槪ね獨立の物語で、當時の敎徒の間に行はれた中世神學者の敎會史や、聖徒傳からの抄錄である。各章一々出所を示す。而して、卷第二の後半(一六九頁以後、章別九より二二まで)は、Luis de Granada 〈ぎやどぺかどるの條にいづ〉の著 la Introduceion del Simbolo de la Fe 〈ひですの導師(四)又ひですの經の原本〉の一部で、第十六、第十七等原書の章數を擧げてゐる。〈附記總目錄の條參照〉
本書の譯者については、卷第一、(一五)の終に、「右に版の開きし御作業はいづれも Irman Vicente の飜譯なり。」(一七)の終卽ち卷末に、「右二ツの御作業は Irman Yofo Paulo の飜譯なり。」又卷第二(一)の終に、「このいすとりや、ぜねじすの證文より飜譯せしむる者也。鸚鵡本には和らげずといへども、少しもその義理を違へず、その心をとつて書寫せしむる者也。Irman Vicente 之を飜譯す。」などある奧書に依つて、署名の二人であること。而してそのうちで、前者の手に出たもの卷第一に十五、卷第二に二十、合せて卅五章、後者の手に出たもの、卷第一、卷第二、それ〴〵二章、合せて四章であることがわかる。兩者の何人かについては明らかでないが、Vicente は Rodriguez の日本文典の文例中に出た信敎起請文の署名者と同人なるべく、又、伴天連記のびるぜんるしやの物語の後に、「是は日本にてたういんびせんての作なし也。在所上方の人也。」とあるのもそれかと思はれる。Paul は、同書文例中、「夜中のおらしよ」初め二三に見えたその人なるべく、なほ又宣敎師 Sylva が、一五五五〈弘治元〉年九月二日付書簡中に、「彼は二三の書物をその國語に譯した。彼の文體は人々の賞讃を博した」と記したといふ當時「五十才以上の」「新改宗者パウル」かと思はれる。なほ、近時、木下杢太郞氏の紹介によつて Lisboa 郊外の Ajuda 公衆圖書館所藏の、一五七五 ‐ 一六三四年間日本在留の宣敎師の集成した日本敎會史〈序說九六參照〉中に、一五四二年葡人の種子島上陸を記した後に、「其後ポルツカルの他の商船が日本に行つた。この事は、日本人のいるまん Yio foken Paulo の著書、物語に出てゐるのみならず、彼自身がその生きた聲を以て、親しく私に物語つた」とあるよし〈婦人公論大正十五年一月號日本の發見參照〉を知つた。物語は、日本文典の文例中にもしば〳〵引用された吉利支丹文學の逸文である。〈新村氏吉利支丹文學斷片(大正十一年二月)參照〉而して、其後の葡國商船の渡來とは、思ふに天文十九〈一五五〇〉年の平戶へ來たことなるべく、果して然らば、この Paul はあるひは前記 Sylva の文中のその人であらう。これ以上、この二人については未だ知りがたいが、しかも二人が當時傑出のいるまんで、吉利支丹文學の最初の作者であることは疑ひない。而して兩者を比較すると、Vicente に比して Paul の方が文才がすぐれてゐたらしく、Vicente の方は譯筆が古拙生硬を脫せぬ。
本書が現存吉利支丹文學中最古のものであることは、既に刊行年代によつて分るが、上記譯者の時代の考證からしても、又本文中しば〳〵「右に版に開きしは」「左に沙汰すべきことを」などの如き文字あるところからしても、本書の飜譯は刊行以前相應に早く成され、又邦文の草稿として編輯されて傳へられたので、それが印刷術の渡來をまつて、羅馬字綴に記されて出版されたのであらう。而して本書が、全部として或は一分として、其後別に邦字に印刷されたといふことは、他の書の場合から推して考へられうべく、しかもその實際の證跡は未だ知りがたいが、邦字原書(或はその刊本)の書寫か、或は羅馬字本からの譯か、いづれにせよ本書の少くとも或部分の邦字書が古く信徒間に傳來されたのは事實らしい。まるちりよの栞(二〇)中の二びるぜんの御作業と本書二卷の「さんたかてりなのまるちるの樣態」「さんたあなすたじあのまるちるの事」との比較は、思ふにこの間の消息を語るであらう。
本書が吉利支丹文學中に有する意義は、第一には吉利支丹文學の最古のものとして、後のものに對して、用語に文體に殆んど模範となつたことである。第二には、最も文學的興味に富んで、或は吉利支丹今昔物語の名を負ふにふさはしい讀物を含み、一般國文學史上にも頗る光彩ある成績を示してゐることである。
本文中、本書からの抄出は、第一以下の四編である。まづ
- 第一 聖ぺいとろの御作業
は、原書間第一(一)の全文を書改めたので、もとの題では、ぱうろの事も並び記したやうであるが、その終りに「今迄はさん・ぺいとろあぽすとろの御上を少々沙汰せしなり。是よりは、さん・ぱうろの御上をいふべし」とあつて、ぱうろの事は(二)に別に記されてゐる。譯者は Vicennte.
- 第二 聖ふらんしすこの御作業
は、原書卷第一の(一四)の全文を書改めたもの。典據の一つなる Bonaventura の Legenda Maior の英譯本と比較してみると、所々原文によつたところもなくはないやうであるが、極めての抄譯で、飜譯といはむにはふさはしくない。末段に秦始皇帝や延喜聖帝を引例したところは、譯者の書添であらう。同じく Vicennte の筆。第一と同じく、古拙の筆致のうちに、聖者に對する敬虔な讃仰の情が伺はれる。
- 第三、聖ばるらあんと聖じよざはつの御作業
は、卷第一の(一六)の全文を書改めたもの。典據とした Iohanes Damascenus の著の拉典文と、分量の上から比較して、Satow 氏は本文五十三行詰フオリオ九十五頁なるに、邦譯は小オクタヴオ約三十六頁となした。希臘文の原著を英譯本によつて邦譯の本文と對照して見ると、原著の大部分を爲す敎理や僧庵生活の行儀に關する敍說は、殆んど凡て之を略し、しかも物語の筋は大槪ね之をたどり、かつ興味深い譬話などは成可く之を保存し、そのうへ、所々原文の語句をもそのまゝに傳へて、總じて手際よく抄譯してある。原文の語句を比較的忠實に譯したのは、例へば「いかなる野の末、山の奧、谷の底までも殘らず尋ね出し」は "Leaving 'no stone unturned': as the saying," に、「御逆鱗の中にもおん歎き深ふして」は、"he was filled with mingled grief & fury." に、「我が爲に世界はくるすにかゝり、世界の爲には我又くるすにかゝる。」は "the world is crucified unto me, & I unto the world." に、「賢きと憲法の二ツをよせ給へ」は "let Wisdom & Rightiousness sit to hear & judge that whitch we say," に、「あらむつかしのこの世界や。」は "Bitter is life" に、「身に代へ思ふ知音」は、"his first and truest friend of all" に、「これを離し給はんとのおん歎き、譬へば手を擧げて天に當り手をくぼめて大地を汲みほさんとし給ふに異らず、無益のおん歎きなり」とは "For as it were a thankless & never ending task for thee to try to grasp the heavens with thy hand, or to dry up the waters of the sea, so hard were it for thee to change me." に當る如きである。〈英譯は The Loeb Classical library の Woolward のによる〉又なこうるの論議中の、有名なありすちですの護敎論は、わづか數行ながら原文の大意をとつて收めてある。
この基督敎化の佛陀傳說の物語は、中世基督敎徒間に盛んに行はれて、はやく歐州近代語はじめ亞細亞諸國語にも譯され、また近代學者の硏究題目ともなつた有名なものである。含まれた釋迦出家譚や日月のねづみの譬話などは、固より當時の我國の信徒にも熟知されたところとて、興味をひくこと多かつたらう。(なほ日月のねづみの條の、人を追かけた獸、佛典中像とあるのが、うにこうるとなれるは、原文によつたのである)。この章の譯者は Paulo.
- 第四 聖ゑうすたきよの御作業
卷第一の(一七)の全文を書改めたもの。未だ歐文と對照するを得ないが、主人公が渡川の時に二人の子供を猛獸にさらはれる段、又軍旅で兄弟夫婦親子の思もかけず廻り會ふ段など、頗ぶる興趣がある。譯者は Paulo 。第三のものとともに、之を前の二章にして、二人の譯者の文學的伎倆の差が著しい。
原書の總目錄は書志にもいでたが、邦字に書改めて左に揭げる。
聖徒の御作業目錄〈原本章數を記さない今括弧にはさんで附記した〉
- 卷第一
尊き
尊き
- 卷第二
一番の
左に沙汰すべく事をあらはすの條(九)
第十七・計り難き
第十八・
第十九・
第十一・
第十一・
第二十一・
第二十二・
第二十三・
第二十四・
第二十五・右に記錄したる
第二十六きりしたんを退治せんとせられたる惡王は・忽ち天罰に當り・又
- ○
こんてむつす・むんぢ(Contemptus mundi jenbu core yo uo itoi, Jesu Christono gocǒxeqiuo manabi tatematçuru michi uo voxiyuru qio. Bodley 文庫本の Pressmark 8.° V. 9. Th. BS. )
小形本。序二頁、本文四三〇頁、「右四卷の目錄」一一頁、「このこんてむつす・むんぢの內分別しにくき言葉の和らげ」一五頁。本文四卷に分れ、章數百十九 Bodley 文庫本、表紙につゞく白紙の裏に、所藏者たりし當時の日本人信者の筆とおぼしき左の八行の手書がある。
- Goxuxxe iray xengofiacu fachijǔ
- gonen meni Papa Sixto yori Nip=
- pon no Companhia no padre com=
- bǒ ni yotte sazzuqetamǒ gocuriqi
- no coto.
- Tarenitemo are cono qio no uchi i=
- ccagiǒ uo yomu tabigotoni Jǔnenno
- Indatgencias uo comuru nari.
- Beatissma Maria tattomare tama=
- ye
又、卷末の白紙の裏面には、「千」字形の墨の跡があり、その下にぺん書の羅馬字數個がぬりけされてゐる。所藏者の記名かと思はれるが讀みがたい。
本書は原本 Tomas à Kempis の De Imitatione Christi の全譯で、特に表記して全部とあるもこの爲であらう。〈總目錄後にいだす〉而して序文「讀誦の人に對して草す」のうちに、「
本文第五中に收めたのは、邦譯原本に特にそへた序文をはじめ、卷第一の第一、卷第二の第一、同第四、第三の第二十七、同第四十八、卷第四の第六、凡て七編である。本書の原書は現に普及せる名著であるから、譯風の如何は特に論ふまでもあるまい。なほ拉丁文原本の異本の中、本書のよつたのは何れかといふ如き考證については、その道の人にゆづる。〈英譯本中には、第三卷の章數が五つ少いのがあるが、そは諸種の祈禱文を他章中に含めて特に數へない爲である。〉
原書の總目錄を邦字に書改めて揭げる。
- こんてむつすむんぢ四卷の目錄
(讀誦の人に對して草す)
- 卷第一
第一 世界の實のなき事をいやしめ・御主 ぜすきりしと を學び奉る事
第二 でうす の御恐れなき學問の實もなき事・並びに德ふかき眞の學問はいづれぞといふ事
第三 眞實の敎の事
第四 萬づの事になすべき賢慮の事
第五 尊き經文讀誦の事
第六 妄りなる望みの事
第七 無益の賴母敷心と憍慢とを除くべき事
第八 妄りに人に親しむ事を除くべき事
第九 おべぢゑんしやと
第十 言葉を
第十一 無事を求むべき事・幷びに善の道に先へ行く歎きの事
第十二 氣ざかひなる事の德になる事
第十三 てんたさんといふ惡のすゝめを防ぐ事
第十四 邪推を除くべき事
第十五 かりだてといへる でうす の御大切にひかれて致す所作のこと
第十六 人の不足を堪忍すべき事
第十七 出家の行儀の事
第十八 古來の善人の起居の事
第十九 よき出家の勤めの事
第二十 閑居默座をすき好むべき事
第二十一 身を省る心の悲みの事
第二十二 人間の淺ましき事を思案する事
第二十三 死するの觀念の事
第二十四 じゆいぞと言つて御糺明と科に當る苦みの事
第二十五 行儀を直さんと燃立つ心の事
- 卷第二
第一 內證の閑談の事
第二 わが誤りをちどについて讓る事は德ふかき事
第三 無事なる善者の事
第四 淸淨なる心とひとへなる心宛の事
第五 我身の上を思案し・他人の上を正すまじき事
第六 淸き心の喜びの事
第七 萬事に超へて ぜすきりしと を思ひ奉る大切の事
第八 むつまじく ぜすきりしと に親しみ奉る事
第九 現在の慰みを全く除くべき事
第十 でうす 與へ給ふ信心に對する御禮の事
第十一 きりしと のくるすを大切に思ひ奉る者のいかにも少き事
第十二 尊きくるすの
- 卷第三
第一 二心なきあにまに對せらるゝ ぜすきりしと の御閑談の事
第二 御主 でうす 心中に語り給ふ德儀の事
第三 でうす のみ言葉を謙る心を以て聽聞し奉るべき事・同じく御言葉を勘辨する人の少き事
第四 信心のがらさを乞ひ奉るおらしよの事
第五 でうす の御前にをひて・眞實と謙りたる心を以て閑談をなし奉るべき事
第六 でうす の御大切のたへなる
第七 まことの大切ある人を試むる道の事
第八 御與への眞實を謙りを以て隱し守るべき事
第九 でうす の御前にをひて我身をいやしく思取るべき事
第十 でうす へ究竟の如く萬事あてがひ奉るべき事
第十一 世を厭ひ でうす へ仕へ奉るはいかにも大きなる御恩なりといふ事
第十二 心の望みを糺明しておさむべき事
第十三 堪忍とは何事ぞといふ事・並びに色身の望みに對する相撲の事
第十四 ぜすきりしと をおがみ奉り謙りたる人の隨ひの事
第十五 でうす より蒙り奉る好事にその隱れたる御糺明を觀じ奉るべき事
第十六 望むほどの事について でうす に何と申上べきかと心に落し着くべき事
第十七 でうす の御內證に叶ひ奉る爲のおらしよの事
第十八 眞の寬ぎをば でうす 御一體のみに尋ね奉るべきといふ事
第十九 わが心懸は全く でうす 御一體のみにあるべき事
第二十 きりしと の御鏡を旨として・現在の難儀、墓なき事を・平等なる心を以てこらゆるべき事
第二十一 恥辱と難儀を凌くべき事
第二十二 わが弱き事・現在の墓なき事を・懺悔し奉る事
第二十三 萬事に超へて でうす に悅び奉るべしといふ事
第二十四 數限りなき でうす の御恩を思出し奉るべき事
第二十五 心の無事を求むべき爲の便り四ツありといふ事
第二十六 惡念に對するおらしよの事
第二十七 智惠を明め給はん爲のおらしよの事
第二十八 他人の行儀を妄りに訪ね探る事を禁ずる事
第二十九 心の確かなる無事と善の道にまことに先へ行くといふ事は・何に究るぞといふ事
第三十 善の妨げと現世の墓なき事に對する・がらさの御功力を乞奉るおらしよの事
第三十一 あにまの眞の寬ぎは何に究るぞといふ事・並びに心の騷動の基の事
第三十二 心を淨め・天の道をわきまゆる智惠を得る爲のおらしよの事
第三十三 人の非法に對する理りの事
第三十四 難儀にあふ時何と樣に でうす を賴み・又あがめ奉るべきぞといふ事
第三十五 でうす の御功力を賴み奉り・再びがらさを與へ給ふべきとの賴母敷心をもつべき事
第三十六 御作者を見付け奉る爲に・諸々の御作の物をいやしむべき事
第三十七 全く身をいとひすさみ天の智德を求むべき事
第三十八 心の
第三十九 大切に思ひ奉る人は・何たる事についても萬事にこへて でうす を甘味と覺えらるゝ事
第四十 現世にててんたさんに對し・達して危うからずといふ事なき事
第四十一 實もなき邪推に對する心持の事
第四十二 心の解脫を得べき爲に全く身を厭ふべき事
第四十三 外の所作をよくをさむる事・並びに危き事にあふ時 でうす を賴み奉る事
第四十四 所作について余りにもだえまじき事
第四十五 人間は
第四十六 現在の譽れをいやしむべき事
第四十七 わが無事を人間の上に持つべからざる事
第四十八 實もなき世界の學問に對する心持の事
第四十九 外の事に心を移し得心を亂すまじき事
第五十 人每に信ずまじき事・並びに言葉に誤り易き事
第五十一 人より非道を言懸る時 でうす に賴みをかけ奉るべき事
第五十二 不退の壽命の爲には・何たる難き事をもこらゆるべき事
第五十三 天上の樂みと現在の心苦しき事
第五十四 不退の壽命の望みの事・付り・善の道に合戰する輩に約束し給ふ事の雙びなき事
第五十五 憂へを含む人何と樣に でうす に身を捧げ奉るべきぞといふ事
第五十六 深き觀念の甘味を覺えざる時はさがりたる所作を修すべき事
第五十七 我身は悅びをうくべき者に非ず・却つて苦みをうくべき事本意也と思取るべき事
第五十八 でうす のがらさをば世界のあだなる事に貪着する者には與へ給はざる事
第五十九 人の生付の
第六十 生付の損ねたる事・並びに でうす のがらさの御精力の事
第六十一 身を厭ひ・くるすの道より ぜすきりしと を學び奉る事
第六十二 難儀にあふ時・謙る心と堪忍あるべき事
第六十三 量りなく高き事・又は隱れ給ふ でうす の御賢慮を探知らんと歎くまじき事
第六十四 でうす 御一體に賴みをかけ奉るべき事
- 卷第四
第一 尊きゑうかりすちやをうけ奉るには・如何程のうやまひいるぞといふ事
第二 このさからめんとを以て・でうす の廣大に御心よく在ます事と御大切を人間に現し給ふ事
第三 ゑうかりすちやをさい〳〵申受け奉る人の德ふかき事
第四 信心を以てゑうかりすちやを申受け奉る人に・多くの善德を與へ下さるゝ事
第五 尊きさからめんとの御位・又はさせるどうての
第六 信心を以て・尊きゑうかりすちやを申受奉る道を敎へ給へと賴み奉ること
第七 こんしゑんしやの糺明と進退を改めんと思ひ定むる事
第八 ぜすきりしと くるすにをひて・我身を でうす ぱあてれに捧げ給ふ事・又我信心を殘さず でうす に捧げ奉るべき事
第九 我身を始めとして我等が萬事を でうす へ捧げ奉り・諸人の爲に でうす を賴み奉る事專らなりといふ事
第十 ゑうかりすちやを受奉る事を無下に
第十一 ゑうかりすちやと尊き經文は野心なきあにまの爲に肝要なりといふ事
第十二 ゑうかりすちやを申受け奉る人は・深く精を入れ・その覺悟をいたすべき事肝要なりといふ事
第十三 信心なるあにまは・心より ぜすきりしと にさからめんとを以て一味し奉る事をのぞむべき事專要なりといふ事
第十四 信心なる人・ゑうかりすちやを申受け奉りたきと燃立つてのぞむ事
第十五 信心のがらさは・護り・身をいとひすさむを以て求むるといふ事
第十六 御主 ぜすきりしと へ我等が諸願を申上げ・がらさを乞奉る事肝要なりといふ事
第十七 燃立つ大切・又は御主を申受け奉る大きなる望みの事
第十八 このさからめんとの御事を探り奉る事なく・たゞ尊きひいですを以て護り・ぜすきりしと を學び奉れといふ事
- 四
ぎやどぺかどる Guia do pecador. (七)
上下二卷。美濃刊、漢字平假字交り草書體で、印刷は活字、一面十四行約三十二字詰。上卷は「目錄」附「違字」正誤合せて二枚、「序」一枚、本文九十九枚、「集字」十一枚。下卷は序一枚、「目錄」附「違字」正誤合せて二枚、本文七十七枚、字集十枚〈倫敦本は下卷第四十七枚を脫す。巴里本は下卷のみなるが、第七十六、第七十七、第七十八及び字集第一の各葉を脫す。〉 Pressmark は大英博物館文庫本は G. 11929. 巴里國民文庫本は Nouvean fonds. 1059.
本書は、葡萄牙女皇の聽罪僧となつた Domininico 派の高僧、西班牙 Granada の產 Luis de Granada (1508 - 1558)の同名の書の飜譯である。彼は、その宗敎的情操に於いて、文藻に於いて、西班牙文學中の第一に推される。吉利支丹文學中、ひですの導師(四)、ひですの經(一四)は彼の別著からの譯であり、聖徒の御作業中にも、同じ別著からの抄譯を含む。彼は、我國耶蘇敎徒間にも最も多く讀まれた著者といへる。而してぎやどぺかどるは、彼の著書中、最も有名なもので、一五五五〈弘治三〉年 Badajaz で刊行された。前項の De Imitaitione Christi と並稱される名著で、出版後間もなく諸國語に飜譯された。この和譯本は原本出版後四十四年の刊行で、書志によれば、一五七三〈天正元〉年の Salamanca 版からの譯らしいと。
編者の有する英譯本 Sinner's Guide(London, 1598, Dublin, 1803)によつて推測すると、和譯本は、原本に多少の省略を加へた比較的忠實な抄譯らしい。原本は、章五十三、Subsections 六十を有するに、和譯本はそれ〴〵四十二及び四十六である。而して省略は上卷に少く、下卷殊にその後半の第三部に多い。それともに、編次も大體原本のまゝながら、必ずしも之を襲はないで、やゝ別樣に試みられてをり、省略や編制には頗る譯者の手際よさが見える。
本書の印刷樣式が正しく活字であることは、本文中にその明證もあるが、更に他の吉利支丹邦字書との關係を見ると、本書は確かに、落葉集と同活字であり、慶長五年刊のどちりな(八)、太平記拔書、さるばとるむんぢ(六)、及びひですの經(一四)も同樣と見るべく、これに對して、前には、文禄元年刊羅馬字本(二)と同種らしい邦字本のどちりなきりしたん(三)、後には、こんてむつすむん地(一三)の二種は、それ〴〵全く別種の活字と考へられる。次に刊行地は明記しないが、書志の推定の如く長崎とすべき事は、この書式上の關係からも考へらるゝ。〈慶長五年刊のどちりな(八)は長崎出版なることを明記せるに、こんてむつすむん地(一三)は京都出版である。〉終りに、譯者については何等記載がないが、そは聖徒の御作業の二人の譯者にはおくれた耶蘇會の文筆の士で、思ふに必ずしも一人ではなかつたらうこと、しかもそのうちの一人としては、平家物語の編者、妙貞問答、破提宇子の著者として當時の有力な記者なる不干巴鼻庵の存在を推測することが出來る。而して本書の譯に、外人宣敎師の日本學者の關與する所多かつたと思はれることも、他の場合と同樣である。
本書は內容からしても又出來榮からしても、吉利支丹文學中最も重き地位を爲すものと言ふべく、當時信徒間にも、他書に比して最も行はれた證跡の殘つてゐるのも、偶然でないと思ふ。そは Pagés の日本耶蘇敎史にも見え、それによつて鮮血遺書も記載してゐる。切支丹抄(二一)中にも、七惡に對する證明を本書にゆづつてゐる、而して信徒間に流布したとされるこんちりさんの略(一〇)も、明らかに本書をもとゝして成つてゐる。而して本書は、邦字書としては、吉利支丹文學中大部なものゝ一つで、かつこんてむつすん地〔ママ〕などに比しては、時代も早いので、吉利支丹文學の、文字もしくは言語方面からの硏究の爲にも、最も重要なる資料といへよう。隨つて本書に附した字集の如き、字彙に於いて極めて豐富である。これ附錄に收めた所以である。〈なほ本書については思想三十八號ぎやどぺかどる考參照〉
本文に於ける抄錄は、第六以下第十一までの六編で、第六は上卷第一篇の第一の全文〈自四ノオ至八ノウ〉で、英譯本の Book Ⅰ, Part 1 Chap. 1 Of the first motive that obliges us to virtue, & the service of God, which is his being, considered in itself, & of the excellency of his divine perfection (9 - 17)に當り、第七は同同第四の全文〈自一六ノオ至一九ノオ〉で英譯本の Chap. Ⅳ. Of the forth motive that obliges us to the pursuit of virtue, which is the inestimable benefit of our redemption (30 - 38)に當る。前者には、神性、神德を論じ、後者には神恩を說く。殊に後者の救濟の惠を說いた文字には、宗敎的情操が溢れてゐる。第八は上卷第二編第五§一の全文〈自七三ノオ至七七ノウ〉で、英譯本 Book Ⅰ,Part 2, Chap. 6, §1. Of the Peace of conscience which the Just enjoy. (126 - 129)に當る。法悅の心境が描かれてゐる。第九は、下卷第一編第五〈自二四ノオ至三〇ノオ〉で、英譯本 Book Ⅰ, Part Ⅲ, Chap. 5 Against those who refuse to walk in the way of virtue, becauce they love the world (242 - 258)に當る。現世の無常を說いて、頗る文彩に富んでゐる。第十は、下卷第一編第十一の全文〈自四六ノオ至四九ノオ〉、英譯本 Book Ⅱ, Part Ⅰ, Chap. 7 Remedies against anger, and the hatred & enmities which arise from it. (295 - 298)に當る。大英博物館文庫本の脫せる第四十七枚を含む。而して第十一は、下卷第二編第四§一の全文〈自七七ノオ至七八ノウ〉で、卽ち全編の最後の一節である。英譯本 Book Ⅱ. Part Ⅱ, Chap. 10. The fourth of the fortitude requisite to the obtaining virtue. (375 - 381)に當る。而して、巴里本は全く之を脫してゐる。
本書の譯風は、聖徒の御作業に見る如き極めたる抄錄でなく、さりとてこんてむつすむんぢに於ける如き、字句そのまゝの所謂あうむ本ではなく、大體原文によりながら或は逐語或は達意、頗る自由自在で勿論出來不出來はあるらしいが、譯文としても全體として頗る成熟を示し、聖徒の御作業、殊に Vicente の譯文やこんてむつすむんぢに比すると、明らかに一層の發達を示すと思はれる。なほ參考の一端として、本文一六頁二八行以下一二九頁三行に當る英譯本の一節を擧げておかう。
"the first, greatest & most inexplicable of them, the very being of God, which comprehends the greatness of his infinite majesty & of all his perfections; that is, the incomprehensible immensity of his goodness & mercy, of his justice, his wisdom, his omnipotence, his excellence, his beauty, his fidelity, his sweetness, his truth, his felicity, with the rest of those inexhaustible riches & perfections that are contained in his divine essence. All which are so great and wonderful, that according to St. Augustine, if the whole world were full of books, & each particular ereature employed to write in them, & all the sea turned into ink, the books would be sooner filled, the writers sooner tired, & the sea sooner drained, than any one of his perfections could be fully expressed. The same doctor says further, that should God create a new man, with a heart as large & as capacious as the hearts of all men together, & he by the assistance & favour of an extraordinary light come to the knowledge of any one of his inconceivable attributes, the pleasure & delight this must cause in him would quite overwhelm & make him burst with joy, unless God were to support & strengthen him in a very particular manner.
原書總目錄は左の如くである。
- ぎやど・ぺかどる目錄
- 上卷第一編
(對讀誦之人序)
(序)
第一 でうす に仕へ奉り善を勸めずして叶はざる一番の道理といふは・でうす 則 でうす にて在ます事・並に御上に達して備り給ふ御善德を顯す事
第二 善に進み・でうす に仕へ奉らずして叶はざる二番の道理なる御作の御恩の事
§一 でうす へ仕へ奉らずして叶はざる今二ツの道理といふは・御作者にて在ます事
第三 でうす の御奉公を勤めずして叶はざる三番の道理なる・かゝへすだて治め計ひ給ふ御恩の事
§一 右條々の道理を以て・でうす に仕へ奉らざる事は傍若無人也と云事
第四 善に進まずして叶はざる四番の道理なる御扶けの御恩の事
§一 右の道理に依て御主を背き奉る事は・如何計の惡逆ぞといふ事
第五 善に進まずして叶はざる五番目の道理といふは・じゆすちひるさんとて惡より善に至り・御內證に叶はせ給ふ御恩の事
§一 右の外にすぴりつ・さんと惡人を善に至らせ給ひ・御內證に合せ給ふあにまに與へ給ふ德儀の事。付尊きゑうかりすちやの事
第六 善に進まずして叶はざる六番の道理なる死するの事
第七 善に勤まずして叶はざる七番の道理なる・終りのじゆいぞの事
第八 善に勤まずして叶はざる八番の道理なる・量りなき快樂の事
第九 善に勤まずして叶はざる九番目の道理なる・いんへるのの事
§一 いんへるのゝ苦患の終りなき事を觀ずる事
第十 善に進まずして叶はざる十番目の道理といふは・現在にてよき行跡に對し・雙びなき吉事を御約束なさるゝ事
§一 右條々の道理眞實なりといふ事は・御經文をもて徹する事
- 上卷第二編
第一 善人を御守りなさるゝ でうす の御惠みと・又惡人を罰し給ふ御計ひは・善に因む一番の德儀なる事
§一 右の理りに付て・尊き經文に でうす の御名をあまたに申かへ奉る事
§二 罪人に對して惡を懲し給ふ御計ひの事
第二 御主 でうす 善人に與へ給ふがらさは・善に因む二番目の德儀なる事
第三 でうす 善人に與へ給ふ智惠の光明は・善に因む第三の德儀なる事
第四 善を勵す人に・すぴりつ・さんと與へ給ふ內心の悅び樂みは・善に因む四番目の德儀なる事
§一 善人は內心の悅びをおらしよの時・別して覺へ樂しみ給ふと云事
§二 でうす の御奉公を初むる人に與へ給ふ內心の悅びの事
第五 惡人の心に覺ゆる惡き心の食ひつく苦しみに引かへ・善人達の樂み給ふよき行跡の悅びは・善に因む五番目の德儀なる事
§一 善人の樂みとなるよきこんしゑんしやの悅びの事
第六 でうす 御慈悲・御哀憐に對して・善人達の持給ふ賴母敷と惡人のもつ益なき賴母敷の隔は・善に因む六番の德儀なる事
§一 惡人の墓なき賴母敷の事
第七 善人といふは惡人の辨へざる淺間敷奴の進退を遁れて・眞實の自由を樂み給ふ事。是善に因む七番目の德儀なる事
§一 惡人の進退は奴なりといふ事
§二 善人の心の自由は何事より出るぞといふ事
第八 惡人の妄りなる心の騷がしき事と・善人達の樂み給ふ無事安樂は・善に因む八番目の德儀なる事
§一 惡人の內證の騷がしき戰ひの事
§二 善人の內證の無事安樂の事
第九 でうす 惡人のおらしよをば聞し召さずして・善人のおらしよを御納受し給ふ事。是善に因む五番目の德儀なる事
第十 惡人は難儀の時堪忍なくして苦しみをうけ・善の心懸ある人は・でうす の御合力を以て輙く堪へ忍ぶ事。最善に因む十番の德儀なる事
§一 惡人難儀の時堪忍なき狂亂の事
第十一 善を勤むる人に・御主現在にをひて事の缺けざる樣に計ひ給ふ事は・善に因む第十一番の德儀なる事
第十二 惡人の最期は苦しく哀なる進退にて・善人の臨終は無事安泰に悅びを含み給ふ事。是善に因む十二番の德儀なる事
§一 善人の臨終の事
- 下卷第一篇
(對讀誦の人序)
第一 惡を退け善に進むべき事を指延る輩に對する答への事
第二 臨終の時まで善に立上る事を指延る人に對する理りの事
§一 最期の眞實の後悔に付て・古への善人の敎を顯はす事
§二 爰に貴き經の要文をもて言究むべし
§四 右の道理に付て不審の開きの事
§五 右の都合の事
第三 でうす の御慈悲を賴みて科をやめざる人の事
§一 貴き經文に見えたる御憲法の御罰の事
第四 善を求むる事を難しとする人に對する答への事
§一 ぜすきりしと の御功力を以て與へ玉ふがらさは・善の道を勤め安く爲し給ふ事
§二 右の條々に付て不審をなす者に對する答への事
§三 でうす の御大切は天の道を輕く勤め安くなし給ふといふ事
§四 右の外に善の道を甘くなす品々の事
§五 右の道理を徹する明鏡の事
第五 世界と惡の執着に引れて善の道を恐るゝ人を導く事
§一 世界の榮花のみじかき事
§二 世界の榮花には災おほしといふ事
§三 世界の榮花には僞り多き事
§四 現在には眞實の安樂といふ事なし・只 でうす にのみ備り給ふといふ事
§五 古きためしを以て右の道理を極むる事
第六 でうす 仕へ生らんとする人の爲に・二ツの心得を顯はす事
第七 もるたると〔ママ〕といふ深き科に落まじきと堅く思ひ定むべき事
第八 憍慢の科に對する料簡の事
§一 慢氣に對する今一ツの料簡の事
第九 貪欲に對する料簡の事
§一 人の物を押領すまじき事
第十 淫欲に對する料簡の事
§一 淫欲に對するくはしき料簡の事
第十一 瞋恚幷に憎む心と不會の憤りに對する了簡の事
第十二 貪食に對する料簡の事
第十三 嫉妬の科に對する料簡の事
第十四 無性に對する料簡の事
第十五 七惡の外に心を盡して退くべき科の品を顯はす事
§一 人に對して罵詈誹謗嘲り慢り邪見邪推をなす科の事
§二 ゆへなく人を糺し・妄りに人の上を推察する事・付りゑけれじやのまだめんとの事
第十六 べにあるといふ淺き科の事
- 下卷第二篇
第一 我身の上に勤むべき儀を顯はす事
§一 進退を改むべき事
§二 飮食を
§三 六根を守るべき事
§四 ぷるてんしやといふ賢慮の事
§五 とり
第二 他人に對して爲すべき善の事
§一 大切に當る勤めの事
第三 でうす に對し奉りてなすべき事
§一 右九ツの善を保つべき道の事
第四 善を求むる爲にほるたれざといふ强き心肝要なりといふ事
§一 ほるたれざといふ强き心の善を求むる道の事
- 五
〈一六〇〇年刊羅馬字本〉どちりなきりしたん Doctrina Christan (九)
小形本。序一枚、本文十二章(第十一なし)五十七枚。刊行地の記載はないが、書志續編は長崎ならむとなす。譯者については、未だ何等の手懸りがない。本書の內容は、敎理問答卽ち公敎要理で、表に見る如く同名同種のもの凡て四種あるも、吾人は未だ、本書以外直接の知識を有しないので、比較を試みることは出來ないが、吾人が有する間接の知識から、大體下の如く考へることが出來るやうである。そは、文禄元年刊羅馬字本(二)と刊行時所未詳邦字本(三)とは、ほゞ內容を同じうして書式を別にする第一類であり、之に對して、本書と同年長崎刊行の邦字本(八)とは、第二類をなす。而して、後二つのものゝ內容の同じいことは、 Satow 氏之を說き、邦字のものは日本人信者の爲に、羅馬字綴のものは外人宣敎師の爲に、作られたるならむとなした。而してこの第一類と第二類との關係は、後出のものは、前出のものをやゝ委しくしたものであること、また書志が說いてをる。卽ちこの四種はまさしく同一系統のもので、本書は補修本に屬し、隨つて本書を以て、吉利支丹文學のどちりなを代表せしめて差支へないやうに思はれる。而して、本書が當時の信徒間に重んぜられ、相應に普及したことは、想像に難くないので、その徵證も求められる。例へば切支丹抄(二一)は本書中のさんた・まりやへ捧げ奉る觀念の本文を擧げて註釋したものであり、新村氏の、東氏藏吉利支丹遺物の注に紹介された、水戶家切支丹法器附記の語釋の文字は、本書からの摘錄である。
なほ邦字本(八)の解說に於いて、Satow 氏は問答の樣式上から見て、本書が當時一般に用ゐた歐州の Cathechism のそのまゝの飜譯ではなくて、日本耶蘇會の幾分創意を加味した制作なるべきことを言ひ、また本書の再刊書のはじめの解說中に、本書が、當時の知識階級なる武士の信者のためを目的として作られたものなるべきことを記し、そを證すべき事例として、さばとを守る誡に對する除外例として、日常必須の勞役を擧げたうちに、「陣に立ち合戰し」「堀をほり築地をつき城をこしらへ」などあるのを注意した。本文に收めた。
- 第十二 けれいど並びにひいですのあるちごの事
は原書第六同題の全文〈自一八ノオ至二八ノウ〉を書改めたものである。いでや、ほるま、まてりや等の觀念に關する哲學的言說をふくみ、吉利支丹文學の一異彩である。 Satow 氏は、この點をも、本書が知識者階級の爲に書かれたものなることの一證とし、本文中に、「これらの事を詳しく分別したく思はゞ 別の書に載するが故によく讀誦せよ」とある別書については、未だ手掛りなしとした。次に。
- 第十三 でうす の御掟十のまだめんとすの事
は、原本第七の全文〈自二八ノウ至三三ノウ〉を書改めたもので、內容は表題の如くである。十誡の文句は、妙貞問答(一一)、こんふゑしよん(一八)、切支丹抄(二一)又契利斯督記〈萬治元、一六五八年比成〉等にいでたものと、それ〴〵些かの差あるが、大體同じで、思ふにこの書のものを以て、代表的のものとなし得よう。その說明についても、第四誡に於いて特に、長上によく從へといふは、科にならざる事を言はん時の事、でうす の掟を背き奉れと言はれた時のことでないと斷つたのは、當時一般の道德觀念を背景として考ふる時、注意を惹く言である。又、第五誡に於いて、國家を治むる道からの、例外と認むべき場合について說いたのも、上記 Satow 氏が注意したさばとに關する言說と同じく、時勢とまた、この問答書の主たる目的とした階級とを暗示してゐると思はれる。なほ、第十二、第十三に收めた二編とも、編者は再刊本から之を譯し、文中二三明らかに誤植と思はれるものは、之を改めた。原書の總目錄は左の如くである。
- どちりな・きりしたん目錄
どちりなの序
第一 きりしたんといふは何事ぞといふ事
第二 きりしたんのしるしとなる尊きくるすの事
第三 ぱあてれ・のうすてるの事
第四 あゑ・まりやの事 尊きびるぜんまりやのろざりよとて五十遍のおらしよの事 御悅びの觀念五ヶ條の事 悲みの觀念五ヶ條 ぐろうりやの觀念五ヶ條の事 ころあのおらしよの事
第五 さるゑ・れじなの事
第六 けれいど並びにひいですのあるちごの事
第七 でうす の御掟十のまだめんとすの事
第八 尊きゑけれじやの御掟の事
第九 七ツのもるたる科の事
第十 さんた・ゑけれじやの七ツのさからめんとの事
第十二 このほかきりしたんに當る肝要の條々 慈悲の所作 色身に當る七ツの事 すぴりつに當る七ツの事 てよろがれす・ゐるつうですといふ三つの善かるぢなれず・ゐるつうですといふ四ツの善 すぴりつ・さんとすのどねすとて御與へは七ツあり べなゑんつらさは四ツあり あやまりのおらしよ
- 六
抄出の十三編は、原書が吉利支丹文學中に占むる位地からしても、又、各編それ〴〵有する特質からしても、思ふに吉利支丹文學の代表者として、吾人が左記の結語の支證たらしめうるであらう。
吉利支丹文學の特色は、まづ、その書式、用語、文體等の方面から見ることが出來る。書式は、羅馬字綴と漢字假字交りと相半ばする。羅馬字綴は、主として、外人宣敎師をして邦語を習得せしむる爲の目的から用ゐられで〔ママ〕ものであらうし、又、その始めに於いては、それが、彼等の有した唯一の印刷方法であつたのであらう。果して、吉利支丹文學の最も古い一つの聖徒の御作業は羅馬字綴であり、その葡萄牙語風の綴方は、その後の諸書の羅馬字綴の樣式を規定した觀がある。されば Satow 氏も、書志に、この書によつて、まづ吉利支丹文學の羅馬字綴式を槪說した。本書は邦字に書改めたし、この點に言及する必要を認めぬがたゞその羅馬字綴からして、語句の當時の淸濁や讀癖が精確にしうることを注意する。漢字假字交りは、槪ね草體平假字交りで、書風は必ずしも一種ではなかつたが、時樣の御家流風のうちに別種の特色あるものであつた。この點も本書の場合、詳說の必要がないが、その印刷樣式の活字であることをはじめ、星標、DS(でうす) X(きりしと) JX(ぜすきりしと) JS(ぜすゝ)の造字、また花飾り、半濁音符等を用ゐたなどは當時の一般の書物に見ない特色で、この點は、一部分は本書の本文印刷にも傳へた。又、扉に必ず耶蘇會の紋章を揭げ、司敎の出版認可の旨を附記した等、同時代の支那耶蘇會士刊行書とも體裁を同じくて〔ママ〕ゐるが、こも又、思ふに時人の注目を惹いたらう。更に進んで、用字、用語、讀癖また文體等について考ふると、先第一に、大體に於いて中世の佛敎文學や戰記物等のそれと同じく、未だ、近世儒學興隆以後の儒者の新文體に化せられてをらぬ事が認められる。而して、その語彙は極めて豐富で、當時の節用集などを補ふものが多い。なほ長崎地方の方言的要素の存すべきことは、 Satow 氏が書志の刊行當時、すでに Chamberlain 氏の注意したところであり、多少の眞理は存すべきも、少くとも本書に收錄したやうな文章體のものに於いては、この事は比較的考慮に入るゝ必要はないかと思ふ。大體吉利支丹文學の文章は、當時の時樣の一つで、或は用語讀癖などに、今日九州地方に殘り傳へられたものと一致したるものがあつても、そを直ちに當時の方言的要素と見ることは速斷である。この問題は少くも一々の場合について愼重なる考慮を要する。而して、こゝでむしろ注意すべきは、西洋の神學上や宗敎上の術語が、大體佛語を用ゐて飜譯されてゐることで、內證、値遇、智分、明智、情識等、その例證は附錄用語抄に讓る。次に第二には、吉利支丹文學が、歐文飜譯文學として、當時の一般文學以外に發揮した特殊性である。その一つとしては、でうす、すぴりつ、あにま等の吉利支丹特有の觀念內容を有する語は、原語のまゝを用ゐて、決して飜譯しなかつたことである。こは、ほゞ同時代及びその後の支那の耶蘇敎文書や、又我國後代の基督敎文學に見ない所で、後半の聖書漢譯史上の Term question の發生を思ふ時に、當時の吉利支丹文學記者のとつた態度に、先見の明を認めざるを得ない。而してこれとともにまた、或はすぴりつある道とか、或はもるたる科、べにある科といふ如く、歐語を自由に邦語に連結してゐることは、近代の飜譯文にも見ない試みである。その二つとしては、諸々の飜譯上から來た用語上文體上の諸々の試みで、二三を學證すれば、例へば「與へ手」「動して」「御作なされて」「喜ばせて」の如き、能動所動の動詞を名詞化してその主體を言表すもの、「かしこき」「死する」「老する」「死する」「たのもしき」の如き、用言の連體言をそのまゝ名詞化したもの。善のかなづち、善の鎧等の譬喩的言表し、しば〴〵用ゐられた「大きなるゝゝを以て」「對して」等の直譯的の語句、其他「ぜすゝをする」「でうすを持つ」「受返す」「受合す」「さきへ行く」「立あがる」「立歸る」「燃立つ」等の新しい用ゐざま、「山筆海硯」「墨筆」等の新熟語等がそれである。今日 Love に對して愛を用ゐるのは、思ふに米國系統の新しい漢譯聖書を學んだものであらうが〈例ば Morrison の新遺詔書、 Morrison, Milne の神天聖書等の古い漢譯には仁と譯した、〉當時は凡て、大切と譯したことも、書志發行當時、Chamberlain 氏が夙に言及した如く、注意すべき譯例である。なほこの種の他の例證は之を等しく用語抄にゆづる。而してその飜譯文學としての成績が、大體に於いて殊にその成熟したものに於いては、相應に成功せるものであることは、文中にはさめる聖書引用句の譯を、現代の譯と比較する丈でも想像されよう。過不及の語を巧みに活かした譯例は、用語抄にもいだした如くである。而して、聖徒の御作業によつて始められ、又規定されたともいふべき、吉利支丹文學の用字、用語又文體上のこれらの特色は、その後の吉利支丹文學を一貫して存したのみならず、潛伏期の信徒の間に傳承され、明治の初め公敎會の復活とともに再現を見たので、例へば明治の公敎文學の始めをなした Petijean 師が當時の編著中には、吉利支丹文學の遺作を、大體本來の用語、用句を保存して、幾分新時代の文體に書き改めたものがある。〈その例としては聖敎初學要理等從來世に知られたものゝ外に、編者が筆寫してもてるものにも「聖まりやに捧げたる五月の事」の一書がある。〉而して、現行の公敎文學中にも、吉利支丹文學の要素は、その用語、用句に、少なからず保存されてゐる。
用字、用語文體等の問題に連續して次に考へらるゝのは、思想信仰等の內的効果である。吉利支丹文學の含む加特利加敎本來の信條そのものや、そを支持する中世の哲學上、神學上の觀念そのものについては、改めて論ずるまでもないが、注意されるのは、それらのものが、三世紀の昔に於いて、相應に精しく、また深く移植されたといふことである。基督の模倣はじめ、この種の名著が傳へられたことそのことはもとより、それらによつて、中世の哲學者や神學者の名稱とその敎義や思想が、いかに紹介せられたかを一わたり觀察しても、これを、鎖國二世紀餘を隔てゝ所謂歐化の大潮流に中に入り、全然文化の面目を一新したと考へらるゝ今日から顧みて、人をして或は意外の感あらしめ、當時の學林の神學敎育の程度や狀況の如何をしのばせるに足るものがあることである。倂もこの場合、むしろ問題となるのは、歐州本來のそれらの信仰や思想の內容が、移植され、飜譯されたその仕方如何といふことであらう。
用字、用語、文體と相俟つて、こゝにすぐ明らかなのは、佛敎との結合である。或意味で、加特利加敎の信仰や神學は、佛敎を仲介として、理解され又傳へられたといひうる。こは、當時西敎に入つて文筆の事に從つた人々は、佛徒であつたこと、更に又、天主敎の敎義や信仰の內容が、殊にその現世厭離來世欣求の傾向に於いて、佛敎と相通じてゐたことからして、むしろ自然に考へられる。實際當時天主敎は、一般には所謂吉利支丹佛法として、佛法の別派の如く考へられ、その敎會は、しば〴〵寺と呼ばれた。吉利支丹文學がかく佛敎文學と結合したことは、一方から我文化史上必然の現象であつたとともに、結果から見て、大體成功と言ひ得よう。吉利支丹文學の諸々の神學的觀念や、思想や、また信仰は、佛敎文學の用語や文體によつて、頗る巧みに移植されたと言ひ得べく、當時の國民に、佛敎的敎養なく、隨つて又佛敎文學がなかつたらば、吉利支丹の神學や信仰の移植は、はるかに困難であつたらうと想像される。しかもこゝに注意されるのは、これにも拘はらず、當時の西敎徒は、あくまでも彼等の所謂偶像敎たる佛敎との混淆や妥協を斥けて、敎義に、信念に、自己の敎の本質を維持し、主張するに努めたことである。でうす、すぴりつ、あにま等の主要槪念については、何等譯語を擬することを敢てしなかつたのも、彼等のこの態度の現れである。之を支那に於ける利瑪竇一派の親儒的態度に比較して、趣を異にしたので、けだし彼等は、佛敎を利用したにも拘はらず、敢てそれと習合せざらんとしたのである。而して同樣に吉利支丹文學は、佛敎文學の衣をまとうたにも拘らず、なほ明らかにその本來の特色や精神を發揮して、我國の宗敎文學中に異彩を放つてをり、更にその根底には、當時の西敎徒の信仰の眞實さが存してゐたことが考へられるので、本書所收中、諸聖徒傳や基督の模倣の譯等にみる、古拙素朴の文字中にこもる敬虔な信仰や、また本文第六第七の天主の德をたゝへ、基督の贖罪の恩に對し感謝した文字に見る宗敎的情操などは、いづれも彼等の心境を語つてゐる。若それ、唯一神に對する奉仕を第一義として、この第一義の爲には、君父も重からずとした非妥協的態度又個人主義的道德が等しく又、そのまゝに傳へられたことは、第二、第三、第四等にも見るべく、この點に於いて、封建時代的道德との衝突は、思ふに當時の西敎徒の爲に、幾多の精神的葛藤の原因であつたらう。
吉利支丹そのものゝ性質や態度にも拘らず、當時、社會の知識的代表者として勃興して來た新勢力たる儒敎側からしては、吉利支丹はその來世敎たる故を以て、又彼等の立場からの所謂非人倫主義たる故を以て、佛敎と同一の迷信で、國家に害毒を流すものとして攻擊されたので、この事は德川初期の儒家等の闢邪論に明證を有する。されば、儒敎が指導的勢力として、文化を支配した近世期に入つて後の吉利支丹宗の敎化的勢力如何は、たとひあれほどの禁制のことなかりしとするも、今日よりほゞ推測するに難くないので、思ふに同宗は、單にその來世敎的性質だけを以てしも、到底、德川文化の近世的精神に歡迎せられるには至らなかつたであらう。中世文化の佛敎主義からの脫却を精神とした近世文化は、同じ態度で吉利支丹宗に對すべき運命を有したと考へられる。この事は、禁制後に於ける吉利支丹宗の影響や潛勢力について見て、その、民衆間に相應に强かつたにもかゝはらず、知識階級間には、殆んど注意すべきものがなかつたことからも考へられる。而してこの事はまた、我吉利支丹文學が、用語、用字、文體等に於いて、中世の佛敎文學の一種として、近世儒者によつて一新された文學とは、全然、面目を別にしたといふ文章史上の事實に、頗る興味ある表現を示してをる。
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