七 柿の色

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 かま場より出でし喜三右衛門きさゑもんは、しばし縁先にやすらひぬ。

 日は、やや西に傾けり。仰げば庭前の柿の梢は、大空に墨繪をゑがき、すずなりの赤き實、夕日を浴びて、さながら珊瑚珠さんごじゆのかがやくに似たり。この美しさに、しばし見とれたる喜三右衛門は、ふと何思ひけん、

「おお、それよ。」

とつぶやきて、直ちにまたかま場へ引き返しぬ。

 その日より、喜三右衛門は、赤色の燒きつけに熱中し始めたり。されど、めざす色はたやすく現るべくもあらず、いたづらに燒きてはくだき、くだきては燒き、はてはただばう然として、歎息するばかりなり。

 苦心は、それのみにあらざりき。研究に費す金はしだいにかさみ、しかも工夫に心をうばはれては、おのづから家業もおろそかならざるを得ず。やがて、その日の生計も立ちがたく、弟子たちこの師を見かぎり去りて、手助けをする者一人もなし。人はこの樣を見て、たはけとあざけり、氣違ひとののしる。されど、喜三右衛門は、動かざること山のごとく、一念ただ夕日に映ゆる柿の色を求めて止まざりき。

 かくて數年は過ぎたり。ある日の夕べ、あわただしくかま場より走り出でたるかれは、

「たき木、たき木。」

と叫びつつ、手當りしだいに物を運びて、かまの火にことごとく投じたり。

 その夜、喜三右衛門は、かまのかたはらを離れざりき。鷄の聲を聞きては、はや心も心にあらず。かまの周圍を、ぐるぐるとめぐり歩きぬ。

 夜は、やうやく明けはなれたり。胸ををどらせつつ、やをらかまを開かんとすれば、今しも朝日、はなやかにさし出でて、かま場を照らせり。

 一つまた一つ、血走る眼に見つめつつ、かまより皿を取り出しゐたるかれは、やがて「おお。」と力ある聲に叫びて、立ちあがりぬ。

 ああ、多年の苦心は、つひに報いられたり。かれは、一枚の皿を兩手にささげて、しばしかま場にこをどりしぬ。

 喜三右衛門は、やがて名を柿右衛門と改めたり。

 柿右衛門は、今より三百餘年前、肥前有田ありたに出でし陶工なり。かれは、その後いよいよ研究を重ね、工夫を積みて、つひに柿右衛門風と呼ばるる、精巧なる陶器を製作するにいたれり。その作品は、ひとりわが國にもてはやさるるのみならず、遠く海外にも傳はりて、名工のほまれはなはだ高し。