初等科國語 六/愛路少年隊

愛路少年隊 編集

 交通かうつう路は、ちやうど、人間でいへば血管けつくわんのやうなものである。もし、血管に少しでもさしさはりがあれば、からだの働きも望めないやうに、交通路に故障が起れば、國の活動は、たちまちとどこほることになる。殊に支那のやうに、廣くて大きな國では、交通路が何よりも大切である。

 交通路には、鐵道があり、自動車道路があり、水路があつて、北支那だけでも、これらの延長は、約二萬六千キロにもなるといはれる。更に、中支那・南支那のものを合はせたら、實におびただしい數字にのぼるであらう。

 この長い長い交通路を、りつぱに整へ、安全にたもつことができないうちは、支那の活動も、發達も望めない。北支那に愛路そんといふ地域ちいきが設けられたわけも、ここにある。

 愛路村といふのは、交通路を愛し、これを守る村のことで、道の兩側おのおの十キロ以内のところを、これに當ててゐる。愛路村に住んでゐる靑年は、愛路靑年隊を組織そしきし、女子は婦女隊を組織し、少年たちは、愛路少年隊を組織してゐるのである。

 愛路少年隊には、十一歳から十七歳までの少年がゐて、みんな元氣のよい顔に、國防色の制服を着て、かしの棒をかつぎながら堂々と行進する。かうした訓練を受けたのち、少年たちは、それぞれの任務を帶びて、受持の場所につく。

 あれほど廣い支那のことであるから、今でも日本の眞意がわからないで、いつ心得違ひのらんばう者が、現れないともかぎらないからである。

 愛路少年隊には、次のやうな美談がある。

 ある少年が、鐵道のこはれてゐるのを見つけた。急いで本隊に報告しようと思つて走つて行くと、向かふから列車が進んで來る。このままにしておけば、列車は、ひつくりかへるばかりだ。少年は、線路の上に二王立ちになり、持ち合はせてゐた布を振つて、やつと列車を少年の寸前で止めた。

 ある少年は、自動車道路の見張りを受け持つてゐたが、急病で寝込んでしまつた。といつて、その任務は、しばらくも捨てておくことができない。

 そこで、少年の老父が、これに代つて見張りに出かけた。折惡しくあらしになつて來た。

 がけを曲らうとした時、烈しい風が吹いて來て、父親を深い谷あひに落してしまつた。かうして、父親は、少年の身代りとなつた。

 やうといふ少年がゐた。ある夜、これも鐵道線路がこはされてゐるのを發見し、地だんだふんでくやしがつた。かれは、すぐその惡者がどこから來たか、どこへ逃げて行つたか、何名來たか、それらを調べ始めた。惡者といつても、村の良民と違つた着物を着てゐるわけでもなければ、ことばが變つてゐるわけでもない。これをさがし出すのは、非常に困難であり、みんなは、何の手がかりもないこの調査を、打ち切らうといひ出した。楊少年は、「自分の村に起つたことだ。どうしてもさがし出さなければならない。」といつて、止めなかつた。

 ある日の夕方、かれは村の墓地を通つてゐた。すると、そこにかくれてゐたあやしい者が、三人現れた。楊少年は、てつきりこれだと思つた。急いで報告しようと決心し、いつさんに走り出した。すると、三人もあとを追ひかけた。追ひつけないと思つた一人が、いきなり手投げ爆彈を投げつけた。爆彈は、大きな音をたてて破裂はれつし、その破片が、楊少年の肩や背にあたつた。少年は、氣を失つた。惡者たちは、そのままどこかへ姿をかくしてしまつた。

 この物音に驚いて、村の人たちがかけつけてみると、楊少年が倒れてゐる。さつそく病院へかつぎ込んで、みんなで介抱かいはうしたが、その夜は、ただ眠り續けてゐるばかりであつた。

 あくる朝になつて、始めて目をさました。楊少年は、苦しい息の下から、

「惡者が三人、あの墓地に──」

と叫ぶやうにいつた。さうして、またすやすやと眠りだした。まもなく、楊少年は、また何かいはうとして口を動かしてゐる。耳を寄せて聞くと、

「ニッポン、バンザイ。」

といつてゐる。それつきり、少年の息は絶えてしまつた。