379◯告白の祈禱を終って後如何しますか
△能く司祭の云ふ事を聞き、叉命ぜられる償を心に留め心から、痛悔の祈禱を誦へます。
告白が済んだならば、司祭の訓誡を謹んで聞くべきである。夫で未だ罪を言ひ残しては居ないか等と考へて心を散らしてはならぬ。耳を澄して能く司祭の意見を聞き、問はれる事があれば明瞭に単純に答へなければならぬ。次に償が命ぜられる。命ぜられる償を果す事は悔悛の秘跡の一部分であるから之を果さうとの志がなければ告白は無効になるから注意せねばならぬ。司祭が今赦を与へますと仰しゃれば、痛悔の祈禱を心から誦へねばならぬ。
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(註)第一、聽罪師は罪を赦すに当り羅甸語で告白の祈禱の次にある「願くは」等の句を二つ誦へてから、告白者に向ひ手を挙げて「願くは我主イエズス、キリスト汝の罪を赦し給はん事を。我も主の權力によって我が叶ふ事と汝の要する事に応じて、破門と聖務禁止との凡ての絆を解き、聖父と聖子と聖霊との御名によって汝の罪をも赦す。願くは我主イエズス、キリストの御受難、終生童貞なる聖マリア及び諸聖人の功績と、汝の為す凡ての善業と凌ぐ困難とは汝の罪の赦される原因となり、聖寵の増加となり、永遠の生命の報と成れかし」の祈を誦へる。
第二、罪を赦される事を「赦罪」と云ふが、赦罪の効果は主に四ある、(一)大罪が皆赦されて霊魂が死より生に移り、聖寵が回復されて心が清くせられ、天主の御心に叶ふものと成る。(二)終なき罰をも赦され、天國に往くべきものと成る。(三)罪を犯した爲に失った勲功は返され、再び來世を儲ける勲功を得られるやうに成る。(四)再び罪を犯さぬ決心を守る爲に、特別の助力を蒙る。叉小罪のみの時の赦罪では、(一)
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痛悔する小罪が赦され、既に赦された大罪の汚が愈よ潔められる。(二)成聖の聖寵を増し、心潔められ、益々天主の御心に叶ふものと成り、一入天国に於て榮福を受くべきものと成る。(三)罪を防ぎ熱心に務める爲の助力を戴く。
380◯告白すれば何時でも司祭から罪の赦を受けますか
△否、罪の赦を受けるのは本人の覺悟に因ります。
司祭は天主の名代であるから、勝手に罪を赦す訳には行かぬ。眞實に心を改めるとの徴のない時は赦を与へる事出來ぬ。例へば知るべき教を知らず、或は習はず、或は子女に習はせず、信ずべき箇条を信ぜず、或は心を改め様ともせず、遺恨、怨恨を止めず、和睦せず、盗んだ金、無理に押へた品物を返さず、他人に掛けた損害を補ふ事を延し、大罪を罷めず、其近き機會を避けず、習慣を矯正さず、公然に悪しき鑑となったり、相應の償を果さぬ人等は、假令罪の赦を願うても、直に之に罪の形を与へるのは、司祭としては聖なる秘跡を汚し、聖なる己が義務に背く事になる、夫で眞實な悔改の徴が見
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へるまで、赦を差延す事は當(当)然である。然う云ふ時には告白者は、一際深い謙遜の心を以て、聽罪師の意見に従って己に省み己の爲と辨(弁)へて、不足せる所を補ひ、更めて告白せねばならぬ。
381◯告白で罪を赦されぬ人は如何する筈でありますか
△善く覺悟して再び司祭に赦を願ふ筈であります。
善く覺悟して
とは、聽罪師を不滿に思はず、譏らず、眞實に罪を悔改め、それゞゝ務むべき事、例へば教を習ひ、人と和睦し、悪しき習慣を矯正し、惡しき緣を絶ち、
再び司祭に赦を願ふ筈。
前と同じ司祭ならば告白を爲直さぬでも可い事あれど、若し異った司祭ならば前の告白を爲直し、叉罪の赦を拒まれた事と其譯(訳)を明らかに言ひ表さねばなりませぬ。
382●司祭は告白に關る事柄を他人に漏す事が出來ませぬか
▲司祭は告白に關る事柄は決し
[下段]
て他人に漏す事が出來ませぬ。
聽罪師は如何な事があっても、假令殺され様とも、告白で聞いた罪を他人に漏す事は決して出來ぬ。叉事実漏しもしない。漏す事を否んで殺された司祭はあるけれども漏した例は一もない。思ふに之は人間では寧ろ不可能とも云ふべき事でありながら實行されて居るのを見ると全く天主の御助に由ると云わねばならぬ。
聽罪師は人の告白した罪は告白場以外の所にては其本人にさへも話す事は出來ぬ。聽罪師が斯まで厳密に守る告白の秘密は告白した人も同様に厳密に守らねばならぬ、決して他人に話してはならぬ。夫で若も自分は万一告白の時罪に誘はれる様な事があるならば訴ふべきであるけれども其外には自分の白狀した事でも、命けられた償、叉凡て司祭から云はれた事、一切外に漏す事は出來ぬ。叉人の告白する所を聞付ける事も罪である。耳に入るならば、聞えぬやうにするか、座席を変へねばならぬ。叉耳に入った罪を人に漏してもならぬ。若し大事に就いて人の罪を云へば、大罪に成るに相違ない。
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(註)告白の秘密を守るべきものは、直接、間接に白狀に關する事を知った人皆である。然れば(一)本当の聽罪師ばかりでなく、自分を司祭と云って僞って告白を聞いた人、(二)告白の通辯(弁)をした人、(三)人の告白を漏聞いた人、(四)人の告白の準備の時に何を告白すべきか、何の通りに告白すれば宜いかを尋ねられた人、(五)糺明を為るのに告白者を教へ、或は授けた人、(六)罪を書いた紙を読んだ人、若し然う云ふ紙を見出し其と知った時は、讀(読)止めて破って了はねばならぬ。
383●告白場を退いて後如何せねばなりませぬか
▲暫時天主の御前で罪を赦された事を感謝し、可成早く命ぜられた償を果さねばなりませぬ。
赦罪を蒙った時、決して直に御堂を出ず、暫く留って
罪を赦された事を謝し、
恰ど縄目を釈かれた罪人。死刑を放免された罪人同様、傷だらけであったのに俄に癒されたのと同様、貧に迫られて居たのに大金を施されたのと同樣に、喜んで天主の御前に平伏して、忝なく御父の哀憐を蒙
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り、見捨てられず、イエズス、キリストの御苦と御血を以て潔められ、地獄を逃れ天國に往かれるやうに成った事を心から御禮申上げなければならぬ、叉司祭から諭された事を思出して能く考へ、之を守る決心を堅め、罪の便を避け、悪しき習慣を矯正す実行方法を定め、之が實行に天主の御助を熱心に祈らねばならぬ。
命ぜられた償は必ず果さねばなりませぬ。
前にも云った通り償は悔悛の秘蹟の一部分であって、之が欠けては秘跡は未だ完全ではない、従て其効果を十分に生じないから、成るべく早く果さねばならぬ、若し大罪の爲に命ぜられた重大な償を怠ったならば大罪になり得る。
(註)自分で償を決める事、或は変へる事は出来ぬ。若し聽罪師が之を言付ける事を忘れたならば、請求し、告白者は思出さぬ時は聽罪師に催促し、行ひかねるならば、取替へる事を願ひ、他人に現してはならぬ。