142●第一誡には何を禁ずるか
▲第一誡には涜聖と迷信とを禁じます。
第一誡の後の文は誡であって、主に二の事、即ち
涜聖と迷信とを禁ずる
のである。外に尚モイゼの言に何姿でも作る事、之に仕へる事を厳しく誡めて居ったが、之は天主が形を以て、未だ現れ給はぬ時であって、到底画く事出来ず、叉殊更に選まれた人民が周囲に在る異教人の偶像拝に陥り易かったから、絶対的に誡められたのである。恰どモイゼが十誡を授る時は、人民がエジプト人の真似を為て牛像を作り、神として尊んで居った程であったから其誡の必要が著しく見える。然りながら後に天主は種々の形を以て予言者等に現
-116-
れ、殊にイエズス、キリストの身を以て世に生活し給ふたので、公教会では、偶像等に仕へる事は以前の侭に誡められてあるが、画像を作る誡だけは既に廃せられたと教へるのであります。
143●涜聖とは何であるか
▲涜聖とは聖なるものを涜す事であります。例へば悪心を以て秘跡を受ける等であります。
聖なるものとは、三種、即ち人物と事物と場所とを云ふ。人物とは、品級の秘跡、叉は公誓願を以て、天主の奉事に身を委ねた人。事物とは天主の奉事に用ゐるに極ったもの、例へば七の秘跡、聖油、祭器、祭服、聖書、十字架、聖遺物等。場所とは、祝別された御堂、墓地等である。
聖なる事物を
涜す
とは、或は斯る人物を其身分の為に虐待し罵詈し、其不犯を破る事等、或は斯る事物を殊更無礼に扱ひ、例へば悪しき心を以て秘跡を授り叉は授け、聖書や十字架を軽蔑して故と破る事等、或は斯る場所を人殺、倫盗、邪淫、叉甚しき不敬を以て涜す事等であります。
[下段]
144●迷信とは何であるか
▲迷信は総て迷の信仰であります。
文字は
迷の信
との意味で、凡て理に基かぬ信仰、無理叉は妄な信仰の如きものを云ふ、迷信は種々あるが、
第一、造物崇拝、即ち何によらず天主より造られたものを天主の代に、或は天主と同様に、超自然者、云はゞ自然に超えたものとして拝み、尊び、祈る等の事であります。
第二、偶像崇拝、即ち偶像、画姿に霊能の籠ってある如く、其物を尊び祈る事、例へば仏の像を撫でた手で自分の身を擦り、霊能を移さうとするが如き事である。
第三、卜。是現に知れぬ事、未来の事でも知る為に、種々不当の道を以て判断する事である。其方法数多あるが、此処で流行るのは、人相見、手相見、辻占、御鬮、八卦、占星術、鳥の啼声或は夢判断、日選、方角選、催眠術、降神術、狐狗狸、亀卜(即ち亀の甲の裂目を以て吉凶を計る事)等である。
第四、呪。是は神仏の通力、若くは一種の法力を以て、病を
-117-
癒し、災難を防ぎ、人に害を及ぼさうとする術である。例へば怨を晴さうと思って大木に釘を打ち、画姿を水に流し、手の形を掛ける等は此類である。
第五、魔術。是は奇術や手品と異ひ、悪魔の力を直接或は間接に藉りて、人の力に及ばぬ不思議を為す事、例へば俄に風を吹かせ、石を降らし、雷鳴の音をさせる等の事である。
第六、虚術。即ち虚しき業を以て、似合はぬ好果を得ようとする事で、例を挙げれば、不浄、病気等を避ける為に標縄を張り、悪事災難を防ぐ為に軒に菖蒲を挿し、福を招く為に家の内に豆を撒き、死人の霊魂を迎へる為に門火を焚き、流行病や火難盗難を免れる為に守札を家に貼り或は身に付け、商売繁昌の為に招猫を店頭に置くが如き事である。
以上述べた様々の業が迷信に成るのは、天主の定による道でなく、功能の無いのに、功能があると思って天主に反する力を頼にするからである。
(註)迷信は真の宗教に於ても無い事はない、例せば天主よりも聖人等を大事にし偽の奇跡等を語り、普通の信者で司祭
[下段]
同様の務を試み、或は御画御像に霊能あるが如く思ひ、其物を尊び、之に祈り、或は天主若くは公教会の定でない方法を以て、例へば旧約の式等を以て天主を尊び、或は教叉は天主の約束の範囲を過して、祝水は薬であるとか、大罪あっても聖母の衣さへ身に有てば助かるとか、御姿を身に着ければ必ず怪我せぬとか思ふが如き事は迷信に相違ない。天主の御恵は斯るものに繋がれず、全く思召によるからである。
145,146●被造物を信仰し、之に祈るは如何
▲天主の嫌ひ給ふ迷信の罪であります。
信仰する
とは、信じ仰ぐと云ふ事で、唯豪い人物として崇める許りでなく、現に尊いもの、尊ぶべく、頼むべきものと信じ、其教を守り、此世或は後の世の為に、助を仰ぐ事である。信仰は人間同士の信用と異って、宗教の業と成り、信者の専ら為る事である。
147●卜、呪、日選等は如何
▲是皆迷信であります。卜、呪、日選等は、第百四十四の問に述べた迷信の第三第四の種類に当るものであります。