住吉詣

寶筐院贈左大臣義詮公


貞治三年卯月上旬のころ。津の國難波の浦みむとて。かの所にまうでけるに。淀より舟にのりて。こゝの河面かしこの山々をながめ行に。ころしも卯月のはじめなれば。ちり殘りたる岸の山吹を見れば。春のなごりぞ忍ばるゝ。垣ねの雪か卯花に山郭公ぞをとづるゝ。夏山のしげみがすゑを見わたせば。これなん八幡山鳩の峯などふしおがみて。

 いはし水たえぬ流をくみてしる深きめくみそ代々に變らぬ

山崎。たから寺。田邊の里などうち詠め行に。江口の里といひてしばし舟をとゞめてかなたこなたをながめありきけるに日もくれぬ。いにしへ西行法師この所にやどりせしことおもひ出られて。

 惜みしもおしまぬ人もとゝまらぬ假のやとりと一夜ねましを

夜明もてゆくほどに長柄といふ所につきぬ。いにしへは此所に橋ありて人のゆきかよひしが。今ははしの跡とてはわづかにふるくゐばかり也。まことや古きためしに人のひくめるはことはりにぞ。

 くち果し長柄の橋の長らへてけふに逢ぬる身そふりにける

やう難波の浦につきぬ。聞しよりは見るはまされり。蘆屋のさとみつの浦などいふ。よせくる波にをしやかもめの水をもてあそびてたはぶるゝさまいとおもしろし。

 難波かたあしまの小舟いとまなみ棹の雫に袖そ朽ぬる

みつの浦より舟に乘てこゝかしこを見るに。

 聞しより見るはまされりけふ社は初てみつの浦の夕なみ

たみのの嶋にあがりてみれば。あまの釣する船共あまた岸のほとりにこぎよせてやすらひゐたり。つりのうけなはぬれたるあみを木の枝にかけをきたるを見て。

 雨ふれとふらねとかはくひまそなき田蓑の嶋の蜑のぬれ衣

それより南にあたりて野田の玉河と云所あり。このほとりに藤の花さきみだれたり。

 紫の雲とやいはむ藤のはな野にも山にもはひそかゝれる

是よりすみよしにまうでんとて天王寺にたちより見れば。聖德太子四天王ををさめをき給ふ。又みづからの御像をすへをき給ふ。石の鳥居龜井の水など心しづかにながめて。

 萬代をかめ井の水に結ひをきて行末長く我もたのまむ

それより住よしにまかりて。四社明神をおがみ奉りて。

 四方の海深きちかひやひのもとの民もゆたかに住吉の神

この御神は和歌の道に心ざしふかき人をよくまもらせ給ふとむかしよりいひつたへ侍り。ことに秀歌を好む人この神にまいりて祈誓申せば。かならずその道にかなひけるとぞ。

 神代より傳へつたふるしき嶋の道にこゝろもうとくも有哉

濱べにくだりて松の木陰にたちより見れば。まことに鴈なきて菊の花さくと在原中將が詠ぜしことおもひ出て。

 住よしの岸によるてふしら浪のしらす昔を松にとふらん

はるかに海面をみれば。西は淡路嶋須磨明石の浦などいふ。舟にてわたり見ばやなどおもへど。又世中の鉾楯により人のをそれもいかがなれば。一夜をあかし都にかへりぬ。

 あはちかた霞をわけて行舟のたよりもしらぬ波のうへ哉

須磨の浦をみれば。しほやくけぶりのたちのぼるを見て。

 立のほるもしほの煙徒らにたかおもひよりくゆるなるらむ

あかしのうらを見て。

 よみをきしことの葉はかり有明の月もあかしの浦の眞砂地

また御前にまいりて。いとま申て下向し侍りぬ。

 みつかきのいく千代まてもゆくすゑを守らせ給へ住吉の神

此一卷所々のさまを筆にまかせて書しるし侍り。又時の興にもなるべきかとなり。

卯月上旬

義詮判

鶴ちよどのへ

右住吉詣以宮部義正藏本書寫以扶桑拾葉集挍合畢

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