ロナルド・レーガンの第1回大統領就任演説
演説
編集ハットフィールド上院議員、最高裁判所長官、大統領閣下[1]、ブッシュ副大統領、モンデール副大統領[2]、ベイカー上院議員、オニール下院議長、ムーマウ牧師、そして我が同胞たる国民諸君よ。本日ここに集った方々のごく一部にとっては、これは厳粛かつ重要な行事であろう。だが、我が国の歴史においては、ごく普通の出来事なのである。憲法に従った秩序ある政権交代が、約2世紀に亙って営々と行われてきたが、我々が如何に優れているのかについて、立ち止まって考える者はほとんどいない。この4年に1度の儀式を我が国は普通のこととして受け入れているが、世界の多くの人々にとっては奇跡以外の何物でもないのである。
大統領閣下よ。この伝統を維持するために閣下が如何に貢献したか、私は国民諸君に知ってほしいのである。閣下は政権交代時の真摯な協力によって、我々が何よりも個人の自由を保証する政治制度の維持を誓って結束した国民であることを、米国を注視する世界に示した。そして私は、我が国の砦である連続性の維持に際して、閣下と国民諸君がしてくれた支援に感謝する。
我が国の課題は続いている。諸州は、大きな経済的困難に直面している。我々は、米国史上最長かつ最悪のインフレーションに喘いでいる。それは我が国の経済政策を歪め、倹約を課し、奮闘する若年層や固定収入に頼る老年層を圧迫している。これにより、何百万人もの国民の生活が脅かされているのである。
仕事を失った産業は労働者を解雇し、人々は惨状に苦しみ、個人は尊厳を失っている。職を得ている者も、己の労働に対する公正な報酬を与えられていない。その原因は、成功した業績に重税を課し、充分な生産性を維持できなくしている税制にある。
だが、巨額の税負担にも拘らず、公共支出に見合った結果が出ていない。我々は何十年間にも亙って、一時の便宜のために我々や子孫の将来を抵当に入れては、負債を累積してきた。このようなことをいつまでも続ければ、甚大な社会的・文化的・政治的・経済的破局が生じることは確実である。
諸君も私も、個人としては借金によって身分不相応の生活ができるが、それは限られた期間に過ぎない。ならば国民としての我々も、同様の制限に集団的に束縛されると考えるべきではないのか?
明日に備えるためには、今日行動せねばならない。誤解してはならない――我々は行動を始めるのである。それも今日から。
我々が罹っている経済的病弊は、数十年に亙って我々にのし掛かってきた。これらは1日、1週間または1月では去らない。だが、いつかは去る。何故なら我々米国人は、自由というこの最後にして最大の砦を守るためにあらゆることを成し遂げてきたし、今もその力を持っているからである。
現在の危機においては、政府は問題を解決できていない。政府こそが問題なのである。
時に我々は、「社会は自治によって統治されるには複雑になり過ぎた」とか、「人民の人民による人民のための政府よりも、選民による政府の方が優れている」などと考えてしまうこともあった。だが、己を律することもできない者に、どうして他者を律することができようか? 政府の内にいる者も外にいる者も皆、共に重荷を負わねばならない。我々が求める解決法は、ある集団だけがより高い対価を払うものではなく、平等なものでなくてはならない。
我々は特殊利益集団の声をよく聞く。我々は、永きに亙って無視されてきた特殊利益集団に関心を寄せねばならない。それは地域的境界にも民族的・人種的境界にも関係なく、政党の枠をも超えた集団である。それは食料を生産し、街路を警備し、鉱山や工場で働き、児童を教育し、家庭を守り、病を癒やす人々――専門職、実業家、商店主、事務員、タクシー運転手やトラック運転手から成り立っている。つまり彼らこそが「我々国民」であり、米国民と呼ばれる人々なのである。
さて、この政権の目的は、経済の健全かつ活発な発展である。これにより、偏見や差別から生ずる障壁を取り払い、全国民に均等な機会を与える。米国を再び機能させることは、全国民に再び仕事を与えることを意味する。インフレーションの終息は、全国民を生活費高騰の恐怖から解放することを意味する。皆がこの「新たな始まり」という生産的作業に参加し、皆が経済復興の恩恵に与らねばならない。我が国の体制と我が国の強さとの中核たる理想主義と公平の精神をもってすれば、我々は強く豊かな米国を、国内でも世界でも平和裏に実現できるのである。
手始めに、現状の確認をしよう。国民がいるからこそ、政府は存立し得る[3]――その逆ではない。これこそ、我が国が諸外国と異なる点である[4]。我が政府は、国民の信任なくしては何の力も持たない。今こそ、国民の合意を越えた政府権限の拡大を食い止め、逆に縮小させるべき時である[5]。
私の目的は、連邦制度の規模と影響力を抑制すると共に、連邦政府が有する権限と、各州や国民が有する権限との違いを認識してもらうことである。連邦政府が各州を創ったのではなく、各州が連邦政府を創ったということを、全国民が思い出さねばならない。
誤解しないで頂きたいが、私は政府の消滅を意図している訳ではない。むしろ、政府を機能させたいのである――国民を支配するのではなく、国民と協力するようにしたいのである。国民を圧迫するのではなく、国民に寄り添うようにしたいのである。政府は、機会を奪うのではなく提供できるのであり、生産性を抑制するのではなく育成できるのである。政府とは、そういう存在でなくてはならない。
米国民が長い間に多くを成し遂げ、地球上の如何なる国民よりも繁栄してきたのは、米国民がかつてない規模で個々の活力と才能を発揮してきたからである。米国では、個人の自由と威厳は地球上の如何なる国よりも得られたし、保証されてきた。時として、こうした自由は高い代償を伴ったが、我々がその代償の支払いを渋ったことはない。
我が国の現在の諸問題が、政府の不必要かつ過度の拡大の結果生じた、政府による国民生活への干渉と侵害と軌を一にし、比例していることは、偶然ではない。今こそ、我が国ほどの偉大な国が卑小な夢だけ見ているわけにはゆかないことを、理解すべきである。一部の者は、我が国の衰退は避けられないなどと思わせようとしているが、そのような事実はない。私は、どう足掻こうとも運命には抗えないなどとは思わない。何もしなければ運命に翻弄される、ということならばあると思うが。だから創造力の限りを尽くして、国家再生の時代を開始しよう。決意と勇気と強さを新たにしよう。そして、信頼と希望を新たにしよう。
我々には、壮大な夢を見る権利がある。我々が英雄なき時代にいると言う人々は、どこに目を向ければ良いのか判っていない。諸君は、英雄が毎日工場の門を出入りするのを見ることができる。一握りの人数で、米国民全てを、そして世界を養うに充分な食料を生産している者もいる。諸君はカウンター越しに英雄に会える――そのカウンターの両側に、英雄はいる。己を信じ、新たな仕事、新たな富と機会を創出できると信じる企業家がいる。彼らは、己の税金で政府を支え、己の才能で教会・慈善事業・文化・芸術・教育を支える者であり、その家族である。彼らの愛国心は静かだが深い。彼らの価値は、我々の国民生活を支えている。
私は、これらの英雄について語るに当たり、「彼ら」という語を用いた。あるいは「諸君」と言い換えても良い。私が演説している相手は、私が言及している英雄――この祝福の地の市民たる諸君――に他ならないのだから。諸君の夢、諸君の希望、諸君の目標は、この政権の夢、希望、目標なのである。だから神よ、私を助け給え。
諸君の気質の多くを占める慈悲の心を反映させよう。自国を愛する者が、自国民を愛さずにいられようか。自国民を愛すること、それは彼らが倒れた際には手を差し伸べ、病気の際には癒やし、充分な機会を提供し、理論上の平等でなく実際の平等を実現することではないだろうか。
我々は、立ちはだかる諸問題を解決できるであろうか? 答えは当然「イエス」である。ウィンストン・チャーチルの言葉を借りれば、私は今、世界最強の経済を崩壊させるために就任宣誓をした訳ではないのである。
米国経済を失速させ、生産性を下げてきた障害を除去するための提案を、私は近日中に行う。政府の各段階間の均衡を回復させるための措置が取られる。進みは遅いかもしれない――マイルではなく、インチやフィートで測られる類のものかもしれない――が、我々は前進する。今こそ、この産業の巨人を再起させ、政府を再び適正な規模に戻し、苛烈な税負担を軽減させるべきである。これらは我々の最優先事項であり、これらの原則に妥協はない。
独立戦争直前に、建国の父のうちでも最も偉大な人物であろう、マサチューセッツ議会議長ジョーゼフ・ウォーレン博士は、同胞の米国人らにこう語った。「我が国は危機にあるが、……諦めてはならない。米国の運命は諸君に懸かっている。諸君は、この先生まれる何百万もの人々の幸福と自由を左右する大問題に関する決断を下さねばならない。己に相応しい行動をしてほしい」。
今を生きる我々米国民には、己に相応しい行動をする用意がある。己や子孫の幸福と自由を保証するために為すべきことをする用意がある。私はそう信じている。
そして我が国を再生させた時、世界は一層強くなった我が国を見ることになるであろう。我が国は再び自由の模範となり、未だ自由を得ていない人々にとって希望の灯となるであろう。
自由を共有する隣国や同盟国に対しては歴史的紐帯を強め、支持と堅い誓約を保証する。我々は、忠誠には忠誠をもって応える。互いを益する関係に向けて努力する。友好関係を利用してこれら諸国の主権を圧迫するつもりはない。我が国の主権は売りに出されている訳ではないのだから。
自由の敵や潜在敵には、平和こそ米国民にとって最高の希望であることを思い起こしてもらいたい。我々はそのために交渉し、献身するが、屈服はしない――現在も、そして今後も。
我々の自制心を、決して誤解してはならない。対立回避の態度を、意志の欠如と見誤ってはならない。自国の安全保障に必要とあらば、我々は行動する。必要とあらば、我々は勝利するに充分な軍事力を維持する。そうすることで、軍事力を行使する必要がなくなる可能性が最大化されることを知っているからである。
何より我々は、世界中の兵器庫にある如何なる兵器も、自由な人々の意志と精神力には敵わないと理解せねばならない。それは、現代世界における我々の敵が持っていない武器である。それは、我々米国民が持っている武器である。テロリズムを実行し、隣人を餌食にする人々に、このことを思い知らせようではないか。
本日開催されているという何万もの祈祷会に、深く感謝したい。我が国は神を戴く国であり、神が我が国を自由の国にしたと、私は信じている。大統領就任日を将来に亙って祈りの日とするのは、良いことだと思う。
知っての通り、この議事堂西側玄関にてこの式典が開催されるのは、史上初のことである。ここに立つと、この街の特別な美と歴史を湛えた絶景を見ることができる。この広いモールの端には、我が国の礎を築いた巨人らの殿堂がある。
私の正面には記念碑的人物、即ち建国の父ジョージ・ワシントンの記念塔がある。仕方なしに高位に就いた、謙虚な人物である。彼は米国を、革命の勝利から初期国家へと導いた。向こうには、トマス・ジェファスンの記念館がある。彼の雄弁によって、独立宣言は輝きを増した。
そしてリフレクティング・プールの向こうにはリンカン記念館の、荘厳な円柱が並ぶ。誰もがエイブラハム・リンカンの生涯から米国の意義を見出すであろう。
こうした英雄らの記念碑の向こうにはポトマック川が流れ、対岸にあるアーリントン国立墓地のなだらかな丘には、十字架やダビデの星が刻まれた簡素な白い墓標が並ぶ。これらは、我が国の自由のために払われた代償の、ほんの一部に過ぎない。
墓標の各々は、私が述べてきた英雄らの記念碑と同等のものである。ベローの森[6]、アルゴンヌ[7]、オマハ・ビーチ[8]、サレルノ[9]といった地や、地球の反対側にあるガダルカナル[10]、タラワ[11]、ポーク・チョップ・ヒル[12]、長津湖[13]、そしてヴェトナムの水田やジャングルにて、彼らの命は尽きた。
ここに眠る人々の中に、1人の青年――マーティン・トレプトウ――がいる。彼は1917年に小さな町の理髪店を辞め、かの有名なレインボー師団に入ってフランスへと渡った。西部戦線にて、彼は激しい砲火の中を大隊間の伝令をしていたが、その最中に戦死した。
彼の遺体から、日記が発見されたという。表題部の見返しには「我が誓い」とあり、次のように書かれていた。「米国は、この戦争に勝たねばならない。故に私は働き、倹約し、献身し、耐え忍び、全力で戦い、最善を尽くす。あたかも戦闘の全てが私1人に懸かっているかのように」。
今日我々が直面している危機は、マーティン・トレプトウを始めとして何千何万という人々が払ったのと同様の犠牲を、我々に要求している訳ではない。しかしそれは、我々の最善の努力と、己を信じ、大業を成す能力を信じる意志とを要求している。神の加護の下、現在直面する問題を解決できるし、解決してみせると信じる意志を要求しているのである。
そして何より、我々はそれを信じるべきである。我々は米国民なのである。諸君に神の御加護のあらんことを。ありがとう。
訳註
編集- ↑ ジミー・カーター前大統領(任1977年 - 1981年)。
- ↑ 前副大統領(任1977年 - 1981年)。
- ↑ 原文は「We are a nation that has a government」。逐語訳をするならば、「我々は、政府を有する国民である」。
- ↑ 原文は「And this makes us special among the nations of the Earth」。逐語訳をするならば、「そして、このことが我々を地球の諸国間で特別たらしめている」。
- ↑ 原文は「It is time to check and reverse the growth of government which shows signs of having grown beyond the consent of the governed」。逐語訳をするならば、「被統治者の合意を越えた拡大の兆候を見せている、政府の成長を監視し、逆転させる時は今である」。
- ↑ フランス北部に位置する森。第一次世界大戦中、激戦が行われた。
- ↑ フランス北東部に位置する森。1918年、激戦が行われた。
- ↑ フランス北西部に位置する海岸の一部に対して連合軍が付けたコードネーム。第二次世界大戦中の1944年、上陸作戦が行われた。
- ↑ イタリア南部に位置し、ティレニア海に面する街。第二次世界大戦中の1943年、上陸作戦が行われた。
- ↑ 太平洋南西部のソロモン諸島を構成する島。太平洋戦争中の1942年から翌年にかけて、激戦が行われた。
- ↑ 太平洋中部のギルバート諸島を構成する環礁。1943年、激戦が行われた。
- ↑ 朝鮮半島の軍事境界線付近に位置する丘。朝鮮戦争中の1953年、激戦が行われた。
- ↑ 朝鮮民主主義人民共和国北西部の長津郡に位置する湖。朝鮮戦争中の1950年、激戦が行われた。
- 底本
- 訳者
- 初版投稿者(利用者:Lombroso)
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