ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第1巻/エウセビオスの教会史/第4巻/第20章
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第4巻
第20章
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1. 当時 、アンティオキアの教会では、テオフィロス[1]は使徒の6番目としてよく知られていました。ヘロ[2]の後を継いだコルネリウス[3]は4番目であり、その後は5番目であるエロス[4]が司教の職に就いていました。
脚注
編集- ↑ テオフィロスと彼の著作については、第24章を参照。
- ↑ ヘロ(Hero) については、上記第3巻第36章、注23を参照。
- ↑ コルネリウスとエロスの生涯と性格については何もわかっていない。 エウセビオスの年代記では、コルネリウスの即位はトラヤヌス帝の第12年(紀元128年)、その後継者エロスの即位はアントニヌス・ピウス帝の第5年(紀元142年)とされている。しかし、これらの日付はまったく当てにならないし、修正する方法もない(ハルナックの『イグナティウスの時代』 12ページ以下を参照)。エロスの後継者であるテオフィロスは、マルクス・アウレリウス帝の治世の半ば頃に司教になったと考えられるので、 年代記で彼の即位をその治世の第9年(紀元169年)としているのは、それほど外れたものではないだろう。これにより、エロスの死のおよその日付がわかる。
- ↑ エロス(Eros) については注2を参照。
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