<< 怠慢なる霊魂につぐ。 >>
霊魂や、衰ふるなかれ、かなしむなかれ、罪のおびただしきによりて自己の上に決定の裁判をのぶるなかれ、自己に火をみちびくなかれ、『主は我をその顔より否めり』といふなかれ、此の言は神の意にかなはざるなり、いかにとなれば彼は自ら汝をよびて左の如くいへばなり、曰く『我が民よ我何を汝になししや、何に於て汝を労らしたるか、我にむかひて證せよ』〔ミヘイ六の三〕。仆れし者は起るあたはざらんや、はた背き離れし者は引返すことあたはざらんや。霊魂や、主のいつくしみの如何なるをきくか。汝は罪せられし者の如く、君将の手にわたさるるなかれ。汝に財のとぼしきをうれふるなかれ。改心するを耻づるなかれ、一歩進みて『起ちて我が父に行かん』〔ルカ十五の十八〕といふべし。彼は汝をうけて譴めじ、かへつて汝の改心を殊によろこばん、彼は汝を待つ、ただアダムの如く耻づるなかれ、神の面前よりかくるるなかれ。ハリストスは汝の為に釘せられ給へり、然らば豈汝を拒まんや。アア願くはこれあらざらん。彼は我らをしへたぐる者の誰なるを知り、又我等には彼独りの外他に助くる者なきを知る、ハリストスは人の不幸なるを知る。故に火にそなへられし者の如く怠慢に陥らざらん。ハリストスには火に投ずるの要あらじ、我等を苦みにつかはすは彼の為に得る所あるにあらざるなり。
さりながら汝は苦みの重きをしらんと欲するか。罪人が神の顔より逐はるる時は、全世界の基もその泣號に堪へざらん。けだし録していへるあり、『彼の日は闇と黒闇の日なり、雲と雲霧の日なり、喇叭と號呼の日なり』〔ソホニヤ一の十五、十六〕。ここに主君より罰せられて、二年或は五年、或は十年の流罪に発遣せらるる人あらんに、汝は彼にいくばくの涙あり、いかなる耻と、いかなる慟哭とありと思ふか。さりながら彼にはなほ此の期限の終りをまつの慰めあらん。故に罪人にいかなる期限を定めらるるを知らんと欲するか。彼等が追放の期を二十年或は五十年或は百年或は二百年と定むるを得るか、さりながら彼の日を算へ年をも定められざる処に於てはいかんぞ時を算ふるを得んや。アア、アア、此の期限は望みあらざるなり。けだし『罪人を嚇す神の怒りは堪ふべからざるなり』。汝は罪人をまつところの困苦の事をきく、故に己をかくの如きの艱難に至らしむるなかれ、けだし一の嚇も汝の為に堪ふべきにあらざればなり。
己れに多くの罪を有するか。神によばはるをおそるるなかれ。前めよ、自から耻づるなかれ。苦行のために場所は近し、起てよ、世の物体を己より振落すべし、放蕩の子に倣ふべし、彼はすべてをつひやし尽したるも、自から耻ずして父にゆけり。然れども父は子の最初つひやしたる富よりも、その迷ひしことをかなしめり。かくて不面目にてすすみ来りしものは面目と共に入り、裸体にて来りし者は美服をきせてうけられ、自ら己を雇人としたる者は命令者の位に復されぬ。此の説話は我らに向ふなり。汝は此の子の健気なることがいかに好く成功したるをきくか。さりながら父の善心をも了解するか。さらば霊魂や、汝は自からおそるるなかれ、門を叩くべし。何か乏しき所あるか。門に立つべし、さらば乏しきところのものをすべてうけん、神の書にいふが如し、曰く『ひたすら請ふが故に起ちて彼にあたへん』〔ルカ十一の八〕。人々や神は汝を斥けざるなり、最初につひやしたる富の為に汝を責めざるなり。けだし神は有るところのものに於てとぼしきことあらざればなり、すべての人に懇切に給したまふこと使徒のいふが如し、『責むることなく惜むことなくしてすべての人にあたふる神に願ふべし』〔イアコフ一の五〕。汝は港にあらんか。波に注目せよ、大風俄に起つて汝を海のふかきにうばひ去らざらんが為なり、その時汝は慨嘆していはんとす、『我れふかき沼に溺れて立つに処なし、我れふかき水にいりてその急瀬は我を流す』〔聖詠六十八の三、四(詩編六十九の三、四)〕。けだし地獄は実に海の淵なり、主宰の言ふが如く、義人と罪人との間に巨なる淵を定めおかるるなり〔ルカ十六の二十六〕。故に己を夫の淵に罰するなかれ。放蕩の子に倣ふべし、餓て死せしむる郷をすてよ、豕と同く困難の生活を嘗むるを逃れよ、豆莢にてやしなはるるをやめよ、これだに汝は與へられざらん。故にすすみて切に願へよ、さらば汝は天使の食なる「マンナ」を乏きなく食はん。すすみて神の栄を観よ、さらば汝の顔は照らされん。進めよ、甘味の楽園に住めよ。永久の時を獲んがために些少の年を用ひよ。此の生活の長きに思煩ふなかれ。彼は過ぎ易く、消えやすし、アダムより今日に至る迄すべての時は影の如くにすぎ去れり。逝りて途に就くの用意をせよ。己をわづらはすことなかれ。冬は近し、屋下にいそげよ、我らもハリストスの恩寵によりてその下に趨りすすまん。アミン。