<< 末後の審判を思ふ。 >>
我は彼の時の事を憶ふてふるひをののけり、かの悲しき審判の事と楽園のたのしみの事を思ふて驚き恐れたり、我に力ありし間は嘆息して泣けり、何故なれば我は懶惰と放心と不潔なる思ひとにて諸日を送りたればなり。嗚呼哀哉、彼の我が相識の我をめぐらんとする時、我はいかんして耻をのがれんや、彼等は我が此の敬虔の外衣を服するを見て我を福なりとなしね、然れども我は内心に不法と不潔とをみちみてて、心腹を試みる神を忘れたり。実に彼処に耻あらん、彼処に耻をかうむる者は憫然なり。
神や、汝の鴻恩によりて切に汝に願ふ、我をかの汝を怒らしめたる山羊と共に左に立つるなかれ、我につげて汝を知らずといふなかれ。さりながら汝の大仁慈によりて、我に漣々として絶えざる涙と悲嘆とをあたへ給へ、我が心を謙遜ならしめて、これをきよめ給へ、汝の恩寵の聖なる殿とならんが為なり、我は罪ありて當らざる者なりといへども、断えず汝の門を叩かん、我はおこたりて等閑なる者なりといへども、汝の途をゆかん。
ゆゑにまだ時のある間に神をよろこばすをつとめん、祈祷と聖詠を歌ふとを以て、日夜彼の前に泣かん、我等を夫の終り無き哀哭と切歯と地獄の火と死せざる蛆とより救はんが為なり、我等彼の国に於て病も哀みも嘆息もなく、永世を得て、喜びをみたさんが為なり。