シリヤの聖エフレム教訓/第9講話

第9講話 編集

<< 末後まつご審判しんぱんおもふ。 >>


われときことおもふてふるひをののけり、かのかなしき審判しんぱんこと楽園らくえんのたのしみのことおもふておどろおそれたり、われちからありしあいだ嘆息たんそくしてけり、何故なにゆえなればわれらん放心ほうしんけつなるおもひとにて諸日しょじつおくりたればなり。嗚呼あゝかなしいかな相識しりびとわれをめぐらんとするときわれはいかんしてはぢをのがれんや、かれ敬虔けいけんうわふくするをわれさいわいなりとなしね、れどもわれ内心ないしんほうけつとをみちみてて、心腹しんぷくこころみるかみわすれたり。じつ彼処かしこはぢあらん、彼処かしこはぢをかうむるもの憫然びんぜんなり。

かみや、なんぢ鴻恩こうおんによりてせちなんぢねがふ、われをかのなんぢいからしめたる山羊やぎともひだりつるなかれ、われにつげてなんぢ知らずといふなかれ。さりながらなんぢだいじんによりて、われ漣々れんれんとしてえざるなみだたんとをあたへたまへ、こころ謙遜けんそんならしめて、これをきよめたまへ、なんぢ恩寵おんちょうせいなる殿みやとならんがためなり、われつみありてあたらざるものなりといへども、えずなんぢもんたたかん、われはおこたりて等閑なおざりなるものなりといへども、なんぢみちをゆかん。

ゆゑにまだときのあるあいだかみをよろこばすをつとめん、とう聖詠せいえいうたふとをもつて、にちかれまえかん、われおわ哀哭かなしみ切歯はがみごくせざるうじとよりすくはんがためなり、われくにおいやまいかなしみも嘆息なげきもなく、永世えいせいて、よろこびをみたさんがためなり。