シリヤの聖エフレム教訓/第7講話

第7講話 編集

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われはまだときのあるあいだに、祈祷きとうおいかん。しゅわれおわ涕泣ていきゅうよりすくはんがためなり、またわれ切歯はがみよりも地獄ぢごくよりもすくひて、やまいかなしみと嘆息たんそくのいづくにか消失きえうせたるかぎ生活せいかつおいわれよろこびをみたしめんがためなり、彼処かしこにはもなく、腐敗ふはいもなく、かへつてよろこびとたのしみと愉快ゆかいとそのかみあいするものにかみがそなふる』ところ幸福こうふくいたるところにあらざるなけん。幸福こうふくをうくるにふるものさいわいなり、いたりてさいわいなり、されどもこれをうばはれたるもの不幸ふこうなり、憫然びんぜんなり、いかんとなればしゅごとくいへばなり、いはく『ひともしぜん世界せかいるともおの生命いのちをうしなはばなんえきあらん』〔馬可マルク八の三十六〕。ゆえねがはくはのむなしきいつはりのわれためあまきものとえざらんことを、えざる永遠えいえんどくはっするうじとはわれのためにくるしきものとならざらんがためなり。懶惰らんだなるものや、なんぢおのれハリストスをうけてかれならへよ、なんぢとも生活せいかつするものらをよ、かれおのすくいためにいかにたたかふて尽力じんりょくするか。かれ燈火ともしびはいかばかり鮮明せんめいなるか、かれくち不死ふしなるかみをいかばかりつねにうたひほむるか。放心ほうしんせずして苦行くぎょうし、奢侈しゃしふけらずして禁食きんしょくし、笑談しょうだんせずして哀哭あいこくし、舞踏ぶとうせずして祈祷きとうよこしまなるうたをうたはずして霊賦れいふうたへ、ふえろうせずして誦讀しょうどくをまなぶところものらにならふべし。みずかめりとなさずしてこころ謙遜けんそんなるものらにきそふべし、大闢ダワィドともしゅ感謝かんしゃせよ、いはく『しゅわれがいやしきときわれ記念きねんせり』〔聖詠百三十五の二十三(詩編百三十六の二十三)〕。奢侈しゃしふけらずして不幸ふこう忍耐にんたいするをあいせよ、爛飲らんいんせずしてかつかわものあらそはずして平和へいわあいし、かつあはれみあるもの狂妄きょうぼうならずして温柔おんじゅうなるものらをあいせよ。悪言あくげんするものとも一家いっかうちるなかれ、いかんとなれば悪言あくげんするものかみくにがざればなり〔コリンフ前六の十〕。異端者いたんしゃけっしてしたしむなかれ、かれともくらふなかれ、ともむなかれ、かれみち同行者どうこうしゃとなるなかれ、かれいえにもまた集会しゅうかいにもるなかれ、いかんとなればかれはすべてなにおいてもきよからざること、パウェルのいふごとくなればなり、『けがれたるもの不信者ふしんじゃにはいつとしてきよきなし、かれこころ良心りょうしんともにけがされたり』〔ティト一の十五〕。ゆえ至愛者しあいしゃよ、おのれ霊魂たましいをまもれ、異端者いたんしゃまじわりをむすぶなかれ、かれ社会しゃかいくわはらざらんがためなり。しゅのいひしごとく、かれにも、またしたがつてかれともものにも今世こんせいにも来世らいせいにもつみのゆるしあるなし。けだしおのおのきしものをればなり。つつしめよ、もしくしば、いつ時間じかんといへどもたれとも不和ふわこころをいだくなかれ、たれともけっして不和ふわこころをいだきつつぬるなかれ、おそらくはなんぢをかれこれあい分離ぶんりせしめん、ゆるされざる定罪ていざいなんぢちざらんがためなり。くしときおおやけ祈祷きとうするをやむるなかれ、されどもあたはざるときは、こころにていのれ。主日しゅじつつなかれ、特別とくべつ場所ばしょあるいは聖堂せいどうさがすなかれ、なんぢあるいはにあるか、みちくかひつじぼくするか、いえするか、何処いづこにありとも祈祷きとうはいするなかれ。つつしんで不和ふわこころをいだくなかれ、かみ近者きんしゃにくものより祈祷きとうをうけざらん。青草あおくさむすび、未来みらいうらなひ、吉凶きっきょうぼくし、符袋まもりぶくろをつくり、またのつくりしものをおぶるをいましめよ、これ符袋まもりぶくろにあらずして牢獄ろうごくなり、預言者よげんしゃイサイヤことをいひて、いはく『不義ふぎのおきてをさだめ、暴虐しへたげことばしるものわざわいなるかな』〔イサイヤ十の一〕。されどもなんぢ信者しんじゃとしておのれに真理しんりゆうし、生活せいかつほどこすくい十字架じゅうじかとそれにくぎせられたるしゅとをゆうしてこれくべし、かれおよ至浄しじょう至潔しけつにして生活せいかつほどこすの十字架じゅうじかあいするものまもらん。かれ光栄こうえい世々よよす。「アミン」。