シリヤの聖エフレム教訓/第2講話

第2講話 編集

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じつさいわいなるはつみををかさざるにあり、さりながらつみををかすところものにありては失望しつぼうせずして、そのをかしたることためき、なみだもつ幸福こうふくふたたとらるにあり。ゆえにしゅののたまふごとく『つね祈祷きとうしてまざる』〔ルカ十八の一〕ははなはし。使徒しともいへり『不断ふだん祈祷きとうすべし』〔ソルン前五の十八〕と。これいふこころよるひるもいづれのときにも祈祷きとうせよとなり。ただ聖堂せいどうりしときのみならず、ときにも心掛こころがけをわするるなかれ、かへつてはたらかんか、ねんか、あるいみちにあらんか、あるいくらはんか、あるいまんか、あるいやすまんか、祈祷きとうをやむるなかれ、けだしなんぢたましいをもとむるもの何時いつきたらんもるべからざればなり。主日しゅじつあるい祭日さいじつをまつなかれ、場所ばしょ区別くべつすなかれ、預言者よげんしゃ太闢ダワィドのいふがごとく、『一切すべておさむるところおいて』祈祷きとうせよ〔聖詠百二の二十二〕。ゆえなんぢ聖堂せいどうにあらんか、あるいおのれいえにあらんか、あるいにあらんか、ひつじぼくせんか、建築けんちくさんか、宴会えんかいにあらんか、祈祷きとうをすつるなかれ、くするとくにはひざをかがめよ、さりながらくせざるときにはこころにていのれ、ばんにもあさにもまた日中にっちゅうにも、もし祈祷きとうをしてことさきだたしめ、とこよりきてその第一だいいち動作どうさ祈祷きとうにささぐるならば、つみ霊魂たましいちかづかざらん。祈祷きとう貞潔ていけつためぼう方法ほうほうなり、こころ練習れんしゅうなり、ほこりをおさへ、うらみをのぞき、そねみのこころち、不正ふせいあらたむるなり。祈祷きとう強健きょうけんなり、いえ安全あんぜんなり、まち整頓せいとんなり、くに勢力せいりょくなり、戦時せんじおいては勝利しょうりしるしなり、平和へいわかためなり。祈祷きとう童貞どうてい信印しんいんなり、婚配こんぱい信実しんじつなり、旅行者りょこうしゃ武器ぶきなり、いぬもの番兵ばんぺいなり、むるもの希望きぼうなり、たがやもの豊饒ほうにょうなり、航海者こうかいしゃ救助きゅうじょなり、祈祷きとう裁判さいばんせらるるもの保護者ほごしゃなり、禁錮きんこせられたるもの撫恤ぶじゅつなり、うれふるものなぐさめ、よろこものたのしませ、かなしものをすすめはげますなり、生日せいじつおいての祝賀しゅくがなり、夫婦ふうふ栄冠えいかんなり、死者ししゃ埋葬まいそうなり。祈祷きとうかみ談話だんわするなり、天使てんし同尊どうそんなり、ぜんすすみ、あくくるなり、つみおかもの改心かいしんせしむるなり。祈祷きとうイオナため巨魚きょぎょいえとなさしめ、エゼキイもんよりせいにかへし、ワビロンにおい童子どうじ火焔かえん露気つゆへんぜしめたり〔ダニイル三の五十ギリシヤ原文に依る〕。祈祷きとうによりてイリヤてんをとざし『三年六ケつきあめふらざらしめたり』〔イアコフ五の十七〕。兄弟きょうだいや、祈祷きとうのいかなる勢力せいりょくあるをよ。ひと一生いっしょうあいだ祈祷きとうよりたふときたからはあるなし。さればけっしてこれよりとおざかるなかれ、けっしてこれをすつるなかれ、われらのしゅがいひしごと祈祷きとうせん、われらのろうはいたづらにならざるべし〔馬太マトフェイ六の六〕。